千尋ちゃんと恋
気づけば夜もとっぷり暮れて、高校生はあらゆる店から追い出される時間になっていました。
護衛兼アッシーとして千尋ちゃんに呼び出された、千尋ちゃんの従兄妹に当たる塾の富田喜一先生は頭から角を生やして言います。
「どれだけ心配したと・・・・・・!」
「ごめんね、きーくん」
「すみません富田せんせー」
一番遠い光善寺さんを送って行ってもらった後の車の中。うっかり塾を無断欠席してしまった私たちは絶賛叱られ中です。
「浮田を信用した俺が馬鹿だった」
「えええ、そこまでですか富田せんせー!殺生な!」
「上司にほう・れん・そう!は基本だ馬の骨。お前はもう千尋のナイトではない!」
「ががーん!」
「きーくん、私から知子ちゃんを取り上げないでっ」
「じゃあもう二度とこういうことはするなよ」
二十代に似つかわしくない、隈で荒んだジト目がミラー越しに見えました。
美人で可愛い千尋ちゃんは、今まで何度も誘拐未遂という憂き目にあっているのです。学校から塾までの距離を共にする私からの連絡すらない、という事態はどれほどご親族の皆様の心を憔悴させたか、否応なしに自覚させられました。
「誓います、富田先生。此度は私の落ち度でございます」
「解ればよろしい」
「なので今後しばらく、千尋ちゃんの登下校の護送任務は富田護衛隊長に返却したいと思います」
「っは!?」
「えっ、知子ちゃん!?」
光善寺さんとの会話は、平和的解決の希望と同時に、現時点での小康状態がとんでもない危うさを秘めたものだということを心胆寒からしめるに十分でした。
あのガクブルヤンデレ・オン・パレードなローズガーデンの原作者です。しかも憔悴しきって他と自己、現実非現実の境すらあいまいな状態。光善寺さんは見つからぬ『あの人』への狂気故に、理性の糸をいつプッチンしてもおかしく無いように私には見えました。千尋ちゃんの謝罪を表面では受け止めても、彼女の中ではまだ、「自分が作った山越千尋」と目の前の千尋ちゃんはきちんと分離されているようには思えません。
「千尋ちゃん、本当に解決するまでは可能な限り外部の人の側に居たほうがいいと思う。富田先生、今日私たちが塾をサボっちゃったのはちょっとしたゴタゴタの解決の糸口を探すためだったんですよ」
「ゴタゴタって何だ浮田」
「女子の嫉妬は怖いって話ですー。さっきのお嬢さんもすっごい美人さんだったでしょう?」
「千尋のほうが可愛いが?」
憧れのきー君からさらっと零れた言葉に隣の千尋ちゃんが真っ赤になりました。良かったね、千尋ちゃん。
「私も同意見ですけども、世間一般だと光善寺さん派も半分は出るって言ってるんですー。女子はカリスマ美女特定彼氏なしが一人なら嫉妬しませんが、複数居ると派閥が出来て取り巻きがネガティブ合戦始めるんですよ?千尋ちゃんがその気が無くて事実無根でも、男に媚売ってるとか何とかそういう噂が流されちゃうのです」
「なんだそれは」
「一番手っ取り早い解決は千尋ちゃんに見合うイケメンの特定彼氏ができることなんですけどね。それか光善寺さんのほうに彼氏が、ってことなんですけど確認したらまだしばらくフリーで居たいって言われちゃって。本当、学校にいいのが居ないんで困っちゃいます。と、いうことで」
ちょっと深呼吸。隣の千尋ちゃんをチラッと見ます。
「暫定彼氏★チラッチラ戦法を提案します!先生、千尋ちゃんに彼氏が出来るか光善寺さんに彼氏が出来るか、それまでの期間、千尋ちゃんの彼氏として送り迎えしてください!」
「・・・・・・」
「と、知子ちゃん。さすがにそれはきー君に悪いよ。きー君、本気にしなくていいからね!」
富田先生の沈黙に焦った千尋ちゃんが、あわあわと私の服の袖を掴みます。しかしここはもう一押しだと私は思うので、無視しちゃいます。
「千尋ちゃん、そうは言うけど。光善寺さんと対話できても、周囲とはまるで会話できてない現状、"千尋ちゃんは敵じゃない"ことを周囲に解ってもらうには"そこそこ顔が良く"て"車を持ってる大人"の"恋人"が千尋ちゃんに居るってアピールするのが無難だよ。第一、富田先生ほどの適任は他に居ないもん。ねー先生、今彼女居ないでしょ?」
「・・・・・・居ない、居ないが・・・・・・浮田、それは本当に効果が見込めるのか?千尋の学校生活のマイナスにならないのか?」
ミラー越しの富田先生は思案顔です。私は自信たっぷりに頷きました。
「効果抜群、プラスになってもマイナスには絶対なりません!先生は学校関係者でもないから痛くも無い腹を探られることも無いですしね」
「・・・・・・逆を言えば、俺は学校での千尋に関われないから、何かあってもすぐには駆けつけられない。世の中には人物もんだと思うと余計にちょっかい出したがる男も居るんだ」
「だから"車持ってる大人"が良いんだって言ってるじゃないですか。そもそも高校生相手に遅れをとったりなんてしないでしょう、先生は」
富田先生は千尋ちゃんが大好きで大切にしすぎて考え込み、なかなか行動が起こせないへタレ男子です。動き出したら千尋ちゃんの親戚なだけあって優秀なんですが、この腰の重さはちょっと許せません。
私はぷう、と頬を膨らませて最後の一押しに出ます。
「それとも、ケツの青臭い男子高校生に負けるくらい色気も財力も無いんですか?まあ、そうかもしれませんね、うちの学校金持ち校ですし。顔の良い大企業の御曹司くらいゴロゴロしてますもんね。生徒会長の五十嵐宗司先輩とか」
かっと富田先生は目を見開きました。さすが愛は無かったと知っていても元・千尋ちゃんの婚約者の名前は効いたようです。先生は長い長い溜息を吐いた後、形だけはしぶしぶと言った体で千尋ちゃんの登下校護衛任務を引き受けて下さいました。
「知子ちゃん、ありがとう」
先生に気づかれないように、こそっと千尋ちゃんが私に耳打ちしました。ちょっと目が潤んでてお色気度が3割り増しです。この明らかな態度の差を光善寺さんとその他の皆さんに見せれば、脚本ではなく心からのあの攻略対象イケメンズファンの皆様も少しは安心することでしょう。
「良かったね、千尋ちゃん。でも本当に気をつけて。------『あの人』がこの世界に居なかった場合のことも考えて動かなきゃ」
声を潜めて返します。千尋ちゃんは私の言葉に少し表情を引き締めました。
「わかってる。私、ほとんど覚えてないけど、頑張って特徴書き出してくるから。・・・・・・手伝ってくれて、ありがとう」
「うん。一緒に頑張ろうね」
家の前で停まった車から降り、送ってくれた富田先生に頭を下げます。
去っていく車の中の千尋ちゃんに手を振って、私はこれからのことに思いを巡らせました。
「・・・・・・大好きって難しいなぁ」
これと言って恋と呼べるものをしたことの無い私には、今日聞いた光善寺さんの『あの人』への想いは正直手に余るほどの重い話でした。死んで生まれ変わっても捨てられないほどの想いなど私には想像もつきません。身近で恋している千尋ちゃんも、傍から見ている分には「嫌われずに側に居たい」が8割くらい占めてるように見える奥手な恋です。光善寺さんのは「貴方が居ないなら世界など滅べ」レベルですから参考にも出来ないでしょう。
『あの人』を模して配置したという図書委員長様を思い浮かべます。いつも人を拒絶するように本に目を落とし、タッキー先輩にだけ薄い反応を返す先輩を。読む本は拷問器具とか魔法大全とか、召還魔法もののラノベとかばかりの、見た目とのギャップが激しい人です。正直、シェイクスピアは似合うけど読んでないだろうなと思っていたので、光善寺さんとの問答に反応するのは意外でした。
「どう質問したら、『あの人』と図書委員長様の違いがわかるかな」
演技か否か、読めぬほどに他の攻略者の皆さんは脚本通りの言葉と行為を光善寺さんに返していました。『ローズガーデン』の知識は判別の役に立たないでしょう。
いえ、そもそも解らないくらいそっくりであったなら、それはそれで光善寺さんを幸せにしうる結果になるかもしれません。紛い物でも本物と思い込めばそれは唯一無二になるのは、某有名なテレビの鑑定番組が教えてくれていますし。
何にせよ、結論を出すのは私ではなく光善寺さんです。
「モブは辛いな」
最も物語から遠く離れている私に出来ることは何でしょうか。千尋ちゃんは千尋ちゃんでいるだけで、妄想と現実の狭間で揺らぐ光善寺さんに、目の前の千尋ちゃんが『山越千尋』と言う悪役でないことを、『あの人』が居るかもしれない可能性という希望を抱かせることが出来るでしょう。攻略対象者は全て、薄れる記憶に怯える光善寺さんに『あの人』への想いを肯定させることができるでしょう。なら、私は?
痛みに嘆く人を前に伸ばす手が無いのはとても情けないことです。私はそっと嘆息し、手袋で覆った醜い手を見つめました。
「助けたいなぁ」
グラムール物語のガミィ様みたいに、誰かのヒーローになりたいと願う自分の声は、情けないほど震えて夜空に融けていきました。




