第四章(4)
むしろアンヌッカが睨んだことにすら気がついていないのだろう。
「なるほど。おまえは、初日でこの仕事に嫌気がさしたと。そう言いたいのだな?」
「まさか。何をおっしゃるのです? こんな珍しい魔導書を解読できるなんて、夢のようです。最高じゃないですか」
きらきらと瞳を輝かせながら仕事に対する情熱を語れば、ライオネルは変な生き物を見るかのように眉をひそめた。
「マーレ少将は、もしかしてあの魔導書がどれだけ貴重かわかっていらっしゃらない? ダメですよ。人に仕事を頼むときはその内容をきちんと把握しなければ。あ、日誌のここにも記載したのですが……」
アンヌッカが身を乗り出して、自身が書いた日誌の冒頭箇所を指で指示しようとすれば「もう、いい。帰れ」とライオネルが冷たく言い放つ。
そしてアンヌッカが書いたページの一番下に押印をして、日誌を返してきた。
「マーレ少将、きちんと読んでくださいました? この日誌を読めば、簡単な古代文字も覚えられるという一石二鳥の作りになっているんです」
「だから?」
「だから、って酷いです。古代文字を覚えれば、古代文字で書かれた書物が難なく読める。いちいち辞書を引いて確認する必要がない。そうなれば、単位時間あたりに読める本の数が増えるんですよ!」
アンヌッカが執務席にバン! と両手をついて力説をすれば「帰れ」ともう一度冷たくあしらわれる。
「ちょっと。人に古代文字解読を依頼しておきながら、その態度はあんまりではないですか? もう少し古代文字に興味を持ってください」
「残念だったな。おまえを派遣しろと頼んだのは俺ではない。嫌ならもう来なくていい」
「つまり、マーレ少将はあの魔導書の中身に興味がないと? あれに何が書かれているのか確認しなくていいとおっしゃるのですね?」
「そうだ。俺は魔法に興味がない。ただ、軍としてはあの魔導書に書かれている事案は貴重な資料の一つとなるだろう」
「……魔法に興味がない、ですって?」
ふるふるとアンヌッカが怒りで身体を震わせているところに、第三者の声が割って入る。
「君たち、なかなか楽しそうな話をしているね」
「どこがですか!」
アンヌッカが振り返った先には、なぜか王太子ユースタスの姿があった。
「君がメリネ魔法研究所から派遣された子かな?」
ユースタスとは結婚式で会っている。緊張のあまり、アンヌッカの心臓がきゅっと引き締まった。
「は、はい。メリネ魔法研究所のカタリーナ・ホランです」
「はじめまして。私はこの国の王太子、ユースタス」
「はい。存じ上げております」
「君さ……」
ユースタスが何を言うのかと、つい身構えてしまう。
「所長の息子の奥さんの妹、なんだよね?」
「は、はい……?」
「じゃ、このマーレ少将とは遠い親戚筋になるわけだ。だってこの男。君のお姉さんの旦那さんの妹さんの夫」
淀みなくユースタスが言葉にし、アンヌッカは必死で頭の中で家系図を描く。
「そうなのですね」
余計なことは言わないようにと気を引き締める。
「そういったよしみもあって、君がここに派遣されたのかな? だけどね、それを一日で辞められてしまうとね、こっちも困るんだよね。そもそもその魔導書の解読を依頼したのは私だから。私が軍に依頼して、根をあげた軍がそちらに依頼したと。そんな流れ。だからね、ライオネル」
なぜか王太子の矛先がライオネルに変わった。さらに、呼び方までも変わって、ユースタスの声色も低くなる。
「勝手に、もう来なくていいとか、そういうことを言われては困るな」
「ふん」
鼻から息を吐いたライオネルだが、まるで叱られた子どものような仏頂面である。
「だから君も、明日もきちんとこちらに来てね。じゃないと、メリネ魔法研究所には契約を反故されたと、苦情をいれちゃうかもしれないよ」
「はい。もちろん明日も来ます。やはり、あの魔導書は最高です。今、マーレ少将にあの魔導書の素晴らしさを説こうとしたところなのですが、王太子殿下も一緒に聞かれますか?」
「いいから帰れ!」
ライオネルが日誌をずんずんと突き返してくる。
「ですが、まだわたしの話が終わっていません」
「俺の話は終わった。これ以上、話をすることはない」
「う~ん。残念だけど、これ以上、この人にしつこく食いついても無駄だと思うよ。今日はおとなしく帰りなさい」
「そ、そんな……」
アンヌッカが悲しそうな声を出すと、ユースタスは突然、笑い出した。
「ははははは。君、最高だよ。ライオネルとまともに会話できる人物なんて、あそこの研究部にいなかった。はははは……じゃ、また明日ね」
ユースタスは何が面白いのか、笑いすぎて目尻に涙をためていた。
だがユースタスから「また明日」と言われたら、この場を去るしかないだろう。
「わかりました。また明日。あの魔導書の素晴らしさについて語りにきます」
今度は、ぶふっとユースタスが噴き出した。
「では、失礼します」
アンヌッカはきれいに頭を下げて、部屋を出ていった。




