剣聖再来④
「皆に真実を明かそう。このお方はかの大戦時にご活躍なさった剣聖アラン=スミシィ様だ。お若いお姿でおいでだが、中立国の国宝たる神樹の雫によって若返られている」
やや会議場内を仰ぎ見て、シャイアが空間一杯に声を響かせる。
『あの神樹の雫だと? よもや実在したというのか?』
『噂では単なる水だと耳にしていたが、にわかには信じがたい』
『中立国の国宝を、一体どこで入手したと言う』
すぐさま代表者の間にどよめきが起こったが、彼の声が続けば自然と静まり返った。
「帝国が宣戦布告に及んだ理由、それはラテリオス皇帝の私欲に尽きる。だが彼は用心深く、連邦の確実な侵略を成し遂げることを考えた末に、騎士教育力に目をつけた。過去九年における武闘祭での大敗もそう、そして我々が教育に頓着しなかった結果がこの現状を招いた」
『ですが元帥閣下。今年の武闘祭では快勝を収めておりますぞ?』
代表者の一人が疑問を呈する。
「偶然の結果ではない。……帝国に協定反故の兆候を見ていた管理局が、連邦に内々で支援を行っていたからこそありえた。連邦の騎士養成学校に教育力向上を打診して、武闘祭で快勝を収めることによって、帝国が宣戦布告に踏み切れなくするために。これにはアラン様にもご助力をいただいた」
『ば、馬鹿な、それでは内政干渉ではありませぬか!』
また別の代表者が声を荒らげる。
「……だから何だ? 帝国に協定反故の兆候があると知って、当時の連邦に何ができたというのか。根拠もなく自らの力を慢心して、むやみに抗戦と唱えるばかりだったのではないのか? 管理局には協定を保つ義務があった。彼らは彼らの義務を果たそうとしていたのだ」
「違う、違うであろうシャイア元帥、これは連邦の尊厳にかかわる問題だ! いついかなる時でも、組織として侵害されてはならない部分がある! これは度し難い!」
押し黙るその代表者に変わり、トレヴィロが会議机に身を乗り出して怒鳴る。
「尊厳など平和の中にしか存在しえない」
宣戦布告の背景にあった真実を打ち明ける――それでも、シャイアが中立国の暗部について触れることはなかった。
あくまでも虐殺は帝国の仕業として、ラテリオスが宣戦布告に及んだ原因が私欲にあるとして、客観的に見えるまま真相は伏せた。
この期に及んで彼らが中立国まで敵視する事態は避けたいのだ。
「それで何ですか? 僕の前にそんな人を連れて来ちゃって」
ウィンデが爽やかな表情を浮かべたが、ともなう声は苛立ちを含んで聞こえる。
当代の剣聖である彼と対面したジョンは、わずかながらやり切れない思いがしていた。
剣聖だったかつては、三将軍と同列の権限しか持ちえなかった。権力に興味がなかったこともあるが、とはいえ元帥に匹敵する権力などはない、いわば単なる称号を与えられたに過ぎなかった。
私に言える筋合いはないだろうが、それは連邦の剣聖のあり方として間違っている……。
自分が投げ出してしまったから――後任の剣聖が投げ出してしまわないように、称号以上の権力が与えられているのだとしたら――彼は自分が正すべきことだと思った。
「あなたに代わってアラン様を剣聖に、と考えている」
シャイアに告げられたウィンデが、目を押さえて失笑する。
「あはは、何を言うかと思えば……意味わかって言っていますよね?」
指の隙間に鋭い眼光を覗かせる姿には、紛れもない強者の気配が感じられる。これまで、どれだけ連邦という組織が腐敗しようとも、剣聖という位置だけは必ず最強の騎士が担ってきたのだ。
それは人格や人望云々ではなく、純粋な実力が問われるからにほかならない。
「布告文にある剣帝とは、アラン様と同じ時代に生きていた剣帝と同一人物だ。その力はアラン様に匹敵すると聞いている。だから、あなたでは相手にならないと言っている」
「へぇ……別に僕は構いませんよ。挑み挑まれて勝利した人間が剣聖になるだけです」
トレヴィロに目配せしたウィンデが、やや声色を低めて続ける。
「まぁ大戦の英雄だか知りませんが……こんな馬鹿みたいな話をするために、わざわざ大事な会議を中断して推薦までしちゃうんだから、その結果次第ではあなたの資質不足だったってことで辞職していただきますよ、元帥閣下? それくらいのことですから構いませんよね?」
二人の反応はシャイアにとって想定の範囲内だった。
「それで構わない。では明日に軍本部にて機会を設ける」
また会議が中断して結論は持ち越された。
これから事態がどう転がっていくのか、まだ誰にも予想がつかなかった。
会議場から軍本部に場所を移して一刻、夕暮れになる。
ジョンは軍本部内を散策していた。昨日と一昨日は養成学校の寮で寝泊まりしていたし、一昨日に訪れた時では密かな行動が求められていたから、したくてもできなかったのだ。
「……わずかだが、七十年前と変わらぬ部分も見受けられるな」
軍本部施設の場所は七十年前のまま、外観や内観には手が加えられているが、ところどころ面影も残っている。中でも演習場に関しては、ほとんど手つかずに利用され続けている。
土を敷き詰めた広大な屋外空間。
ここの側面には千人を収容できる展望席が設けられており、ある時は訓練教官が演習場の全体を把握するために、ある時は公開訓練を行った際に一般人を招き入れるために利用される。
修繕されたような箇所は多々あるが、それでも姿形にはまったく変わりがない。
明日になれば、ジョンはここで当代の剣聖と戦うことになる。
「ねぇ、ちょっといい……ですか?」
展望席で演習場を眺めやっていたジョンは、ふと数人の女から歩み寄られた。
その中から厳かな声をかけてきたのは、見るに二十代後半ほどの女だった。外側にはね癖のついた短めの金髪に、可愛いく整った顔立ちをしている。
連邦軍の第二騎士団長にあたる制服を着込んで、そこにさりげなく装飾品を合わせて――出で立ちとしては施設内で見かける誰よりも女性らしい。
その名前をマルティカという彼女は、当代の剣聖であるウィンデとは親戚関係にあった。
「何だろうか?」
ジョンは愛想よく微笑んだ。
「第二騎士団長マルティカと申します。あな……お名前はアランって、とおっしゃいましたか?」
敬語に慣れていないのか、彼女の言葉遣いはたどたどしい。
「私を敬うことはない。お主の良いように話しなさい」
敬われる感覚がこそばゆかったこともあって、ジョンはマルティカの無作法を許す。
言われたそばには肩の荷が下りたような深いため息を吐いて、その続けざまには天真爛漫の言葉が相応しい態度に豹変した。それまで無理をしていたと感じさせる印象があった。
「なんだ、あなた話がわかるじゃないの? ほら元帥閣下があなたを敬いまくっていたからさ、これあたしもやんなきゃ駄目だろうなぁとか思っちゃってさぁ、参ったなぁなんて思ってたところだったのよ。ごめんね、今度第二から女の子紹介してあげるから許してね」
彼女の言葉遣いは乱れて、口調は早く回るようになる。
うむ。これは少し苦手な手合いだな……。
穏やかな気色の裏側で思うが、ジョンはめげずにその相手を続けた。
「いや気を遣わずとも。それで何かご用か?」
「そうだった……あなた逃げた方がいい。このままだと殺される。あのウィンデって奴は、あんな風でも剣聖としての強さは本物なの。元帥があなたをどこから連れて来たのか知らない、本物かどうかって詮索もしない。でも言っちゃ悪いけれど、あなたが勝てそうには見えない」
言い切るマルティカが根拠にしていたのは、大戦時に活躍していたらしい剣聖と、当代の剣聖と、比べた時に感じた二人の帯びる気配の大差だ。
後者は濃密な生命エネルギーを身体の内にしずしずと秘めている。一方で前者にはそれらしい風格こそあるが、まるで一般人とでも接しているかのような、微弱な力しか感じられずにいる。
連邦軍の能力者が百人いたとして、その九割は後者の方が優れていると評価するだろう。
のこりの一割は力の量り方を知らないか、あるいは見極めに余程のこと高い能力をもっているか――いずれにしても連邦軍騎士の平均的な能力を考えれば、実際そうである確率が高い、という話だった。
連邦軍精鋭の女騎士のみで構成される第二騎士団、その団長たる彼女の力量を見極める力は、軍の中でも優秀の部類に入っている。だから彼女も心配になってしまったのだ。
「そうか……見ず知らずの私にありがとう。お主の親切は心に留めておこう」
マルティカのそばをかわして、ジョンは展望席の出入口に向かっていく。
「あいつは容赦とか知らない奴だよ? 死んじゃうんだよ? それでもいいの?」
背中に声を投げかけられる。
「なら気を引き締めるべきだろうかな。生き延びられるように努力する」
ジョンは振り返らずに言い残して行った。
翌日の昼過ぎになる。
軍本部の演習場の半ばで、それぞれ得物を手に向き合う。
30メィダの間合いに立会人としてシャイアを挟む。すでに得物である長剣を抜き放った相手に対して、ジョンは未だ月下美人を抜かないまま、その合図がなされる瞬間を待っている。
当代の剣聖がその座を賭けると聞きつけて、階級を問わず多くの騎士が展望席を訪れていた。
当代の剣聖を倒す手掛かりが掴めるかもしれない。元帥が連れてきた青年がどれくらいか見たい。連邦の将来に影響しうるだろう決闘を見届けたい――彼らの思惑は様々あって、興味本位から深刻に考えたものまで入り混じる。
ただ誰もがウィンデの勝利を前提としている。
「シャイア元帥。決着方法はこれまで通りですね?」
「どちらか一方の戦闘不能をもって決着とする。もしくは……」
シャイアが説明していた途中で、ウィンデから笑いかけられる。
「だってさ。僕は手加減とかできない質だから……今なら冗談で済むかもしれないよ?」
対して、ジョンは表情なく黙していた。軍本部で出会った誰もが強者であると称する当代の剣聖、それとの決闘には一切の油断は持ち出さないと心掛けていたのだ。
確かに強い気配は感じるが、いや、もしかしたら私では量れない力があるのやもしれん……。
彼は相手を疑わずに、まずは自分を疑ってかかった。
「そんな真剣な顔をしちゃってさぁ」
ウィンデの笑みが嘲りをはらんだ様子に変わる。
当代の剣聖である彼には才能があった。おそらく長い連邦の中で一二を争うような、能力者として非常に優れたもの――それは八騎士団長に必須とされる元素化フォトンを五つ所持していることだ。
彼がまとう煌気は土に、樹木に、水に、炎に、雷に変質する。
「始め!」
それらの能力はシャイアが開始の合図をかけた直後、五つ同時に発動された。
足元から尖った岩石がせり上がる。
左右に迂回して、鞭のごとく振るわれる無数の蔓、獅子の形に変化した水が襲いかかってくる。
高く放物線を描いて巨大な炎の球体が降りかかってくる。
正面から幾重にも枝分かれした稲妻が迫ってくる。
どれも一撃必殺の威力を秘めている。
ジョンは五種類の元素化の猛威をいっぺんに受けた。
「あは、まさか勝てるなんて……」
相手に避けられる余裕などない、直撃は免れられない――そうと見たウィンデが勝利を確信する。しかしその感覚を味わえば「思っていたの?」と言いかけた口は噤まざるを得ない。
彼の背筋に強烈な悪寒が走った。彼のみならず演習場内にいたすべての騎士の背筋に、あまりにも強烈な悪寒が走ったのだ。
彼らにそれを感じさせる気配は、五つの元素化攻撃の到達点である死地を発生源として、計り知れない大きさにまで膨れ上がっている。
元素化が自分の身体に到達する寸前、ジョンは煌気をまとった。
――四神開放、全方位、四神乱舞……。
月下美人を抜刀して四神方位における最上位の型で構える。
足元からせり上がる岩石を踏み砕く。左から襲いかかってきた無数の鞭を一振りで消滅させ、右から襲いかかってきた水の獅子を見向きもせず瞬爆練で爆散させる。頭上に飛来した炎の球体ごと、正面に迫った稲妻を縦一線に斬り伏せる。
この拍子、刀身に籠気されていた力の一部が溢れていた。
それは意図せず気撃となって大気を割り、大地を割り、ウィンデのすぐ横を突き抜ける。
そこから生じた突風に吹きつけられるまで、深い溝を刻んだ地面をそばに見るまで、何が起こったのか彼にはわからなかった。あと少しでも気撃の軌道がずれていたなら、死んでいたこと以外は――。
注意が足りなければ見落としてしまうほどの、一瞬の出来事だった。
『お、おい。何が起こった。あれを防いだのか?』
『ありえそうにない話だが、だが彼は証明するかのように、あそこに立っている』
『かわすならわかる。元素化を防ぐなど、それを五つ同時に……』
それをよそに展望席では騎士たちがざわめいていた。
「嘘、何なの、あの男……まさか本当に?」
ジョンの挙動が辛うじて見えていた一握り、その内の一人だったマルティカが瞠目する。自分たちとは別次元の高みにある動きが見えてしまったからこそ、ほかの騎士よりも彼女の驚きは大きい。
一般人のような気配しか感じられない――フォトンを身体の内に押し止めること、すなわち操気の練度が高すぎるがゆえに周囲はそうとしか感じられない。
だから力が解き放たれた今になって初めて、騎士たちもそれが事実ではないかと考え始めるのだ。
剣聖アラン=スミシィの再来……。
これまで伝説とされてきた男の存在である。
「本気でやっておるのか?」
唖然とするウィンデに問いかけつつ、ジョンは確信していた。
「あ、あは。……そんなまぐれがぁ!?」
頭上に長剣を構えた相手がかかってくる。
次いで振り下ろされる剣身が帯びた煌気には、家屋大の岩塊も粉砕できる威力があっただろう。七十年前を生きた騎士でも生半可な防御では受けきれない、騎士として紛れもなく優れた攻撃には違いない。
すかさず月下美人を薙ぎつけて、ジョンはその一撃を弾いた。
元の剣筋から大きく逸れて、余った勢いのまま、ウィンデの長剣は何もない地面を砕いて止まる。客観的には程度が低く見えてしまいかねない応酬だった。
「素晴らしい剣筋だ。素晴らしいが……お主の剣は何やら軽い」
ジョンはフォトンに殺気をこめて放った。
その直後、身体を一刀両断されるような感覚がウィンデを襲った。「ひっ……はひっ、はっ!?」と慌てて飛び退き自分の身体をまさぐるが、どこにも傷は負わされていない。
彼の身体に変化はない。
ただ斬られたと思わされたに過ぎなかったのだ。
目の前にいる青年との実力差が、彼も強者であるから理解できてしまった。決闘を続けたとしても勝てる見込みはないと、たったそれだけのやり取りで思い知らされてしまった。
「僕よりも何で……何なんだ?」
愕然と膝を折るウィンデの身体は、見るにひどく震え上がっている。
初めて近くに感じる死の気配に、彼の戦意は完全に挫けていた。
「シャイア元帥に紹介していただいた通りだ」
月下美人を下げると、ジョンは空けた片手で髪紐を解いた。
白い長髪を自由になびかせる。故郷の着物に袖を通した出で立ちで、その手にはいつも月下美人を握っていた――そこには七十年前に剣聖と謳われていた当時の姿がある。
ジョンはその様子を再現することで、今一度だけ剣聖アランとして立ち返る決意を固めた。
「アラン=スミシィ、本当に実在していたって……?」
戸惑うウィンデに歩み寄って、目線を合わせるように身を屈める。
「人を斬るも命、人に斬られるも命。どれも二つとして同じものがない命だ。むやみに賭けて落とすものではない。のぅ……後生一生の願いだから、どうか譲っては貰えないだろうか?」
そしてアランは、ふたたび剣聖の道に足をかけた。




