人魚 肆
ある海沿いの街近く。海岸線から突き出るようにして伸びる桟橋に、一艘の船が泊まっていた。二本のマストを持つ小型の帆船で、甲板では屈強な船乗りが二人、出航の準備を進めている。
その様子を岸辺から眺めながら、リンタロウは隣に立つ女に話しかけた。
「海なんて久しぶりに来ましたが、やっぱり綺麗なもんですねぇ。眺めてるだけで心が洗われる気分です。船長さんなんかこれを毎日眺めてるんだからさぞ心も綺麗なんでしょうねぇ」
船長と呼ばれた女は冒険者であるリンタロウよりもずっと体格が良かった。背丈こそ変わらないが、体の厚さが違う。逆三角形の上半身に付いているのは胸ではなく立派な胸板であり、下半身もそれに劣らず、帆を支えるマストのような太い脚で地面に立っている。
どちらかといえば色白のリンタロウとは対照的な小麦色の肌も相まって、十人に聞けば十人が彼女の方が冒険者に見えると言うだろう。
唯一女性らしさを主張している箇所があるとすれば、それは髪だ。背中の方で纏められた茶褐色の髪は鳩尾の辺りまで伸びている。しかしそれも潮風で傷んでしまうからか、艶やかとは言い難い。どこまでいっても、生粋の海の女というわけだ。
「ところで海といえば海派か山派かなんて話題、夏になるとしたりしますけど、船長さんはどっち派です? え、あたし? あたしは山派ですねぇ。別に特別山が好きなわけじゃなくて、海に苦手意識があるっていう消極的な山派なんですけど」
船長はリンタロウと同じく船の様子を眺め、船乗りたちの働きぶりに目を光らせていた。気の小さい者ならそれだけで萎縮してしまうほどの眼光だ。
「あれはあたしが十歳かそこらの頃なんで、今から二十年以上も前になりますか。家族で海に行ったことがあったんですがね、浜辺に向かって歩いてるときに大量のアレに出くわしまして、なんだかわかります?」
潮風に煽られ茶褐色の髪が波を描く。その瞳はリンタロウの方を少しも向いていない。
「フナムシですよフナムシ。アレが足元にわんさかいてカサカサしてたんです。もうそれ見た瞬間ぞわっとしちまって、そっからはダッシュで逃げましたよ。ほんとあれは気持ち悪かったなぁ」
しかしリンタロウも少しも気にした様子はなく、ひとりつらつらと海の思い出を語っている。
「とまあそれが軽くトラウマになっちまって、それ以来なんとなし海は避けてたんですけど、でもいざ来てみるとやっぱりいいもんですねぇ、眺めてるだけで落ち着いて心が洗われる気分っていうか。あれ、このくだり二回目だっけか」
そこで船長はようやくリンタロウの方を向くと、両耳に手を入れ何かを取り出した。
「もしかしてずっと話しかけていたか?」
「そうですが、ちゃんと何も聞こえてなかったですかね?」
船長はうなずくと手のひらの上に置いた魔道具――魔法の効果が込められた道具に視線を落とした。マゼンタのボディに金の縁取りがされたコルク型のアイテムだ。
「たかが耳栓と侮っていたが、魔法の効果とはたいしたものだな。全く聞こえなかったぞ」
そう感心する船長の傍に、二人の男が立った。今回の仕事のクライアント、商会から派遣された者達だ。耳栓を持ってきたのは彼らで、これを使って人魚の歌による催眠を防ごうというわけだ。
「当商会ではこのような魔道具も色々と取り扱っておりますが、お気に召されましたか」
「あいにく私は波の音を聞きながらでなくては眠れなくてね。だが、今回は有効活用させていただこう」
そこへちょうど準備を終えた船乗りがやって来た。彼もリンタロウよりは分厚い体をしているが、船長と並ぶと見劣りしてしまう。
「船長、出航の準備が整いやした。いつでも行けますぜ」
「よし、予定通りすぐに発つとしよう。これを持っておけ。商会から提供してもらった、対人魚用の耳栓だ。効果は私が保証する。海ん中落としたら拾いに行かせるからな」
「へい、確かに受け取りやした」
船乗りは二人分の耳栓を両手で受け取ると、船へと来た道を戻っていく。
「それじゃ、冒険者の兄さんもさっそく乗り込んでもらおうか」
「わかりました。道中はよろしくお願いします」
「我々はここで皆さんの戦果をお待ちしております。再度の確認になりますが、人魚の死体を確認後、我々に引き渡していただいたところで今回の依頼は完了となります」
商会の男たちの背後には幌馬車が一台止まっていた。あれで人魚を商会へ、正確には会長の元へと運ぶのだろう。
できるだけ欠損のない状態で、というのも彼らの要望だった。どの部位に効果があるかわからないから、ということだろうが、何とも注文が多いなとリンタロウは思った。
「お任せください。できるだけ早めに戻ってきますので」
その日の海は穏やかだった。波は低く、風も安定している。目的の海域までは問題なくたどり着けそうだ。
「しかしまあ、人魚なんか手に入れてどうしようってんだかねぇ」
穏やかな航海は退屈らしい。暇を持て余した船長が話を振って来た。
海を眺めるのにも飽きてきたのはリンタロウも同じだった。ただ、その話題に乗るかどうかは微妙なところだ。今回のクライアントは詮索を好まない。この場に当人達がいないとはいえ、口は災いの元だ。
「お互い口の固さで選ばれたものだと思っていましたが」
「もちろん部外者に口を滑らせたりはしないよ。でも、今の兄さんは同じ船に乗る身内だ。雑談くらいなら問題はないだろう?」
その主張は間違っているわけではない。ここには商会に雇われた者達しかいないのだから、外に話が洩れることはなく、商会の腹を探ることもできない。雇われの身同士であれこれと憶測を語ったところで問題はないはずだった――リンタロウが答えを持ってさえいなければ。
船長達は人魚と不老不死にまつわる伝承を知らない。であれば知らないままでいて貰うのが最善だろう。彼女に妙な気を起こされれば依頼は達成できなくなる。
だからリンタロウは、彼女の問いには答えなかった。彼女も彼のスタンスを理解したのか、話題を変えることにしたようだ。
「美人に見えてもその正体は化け物だって話だろう?」
「そうらしいですね」
「それなら死体を眺めたって面白くもないだろうに。金持ちの考えることはわからないね」
真相は至極単純だ。金と権力を手にした者が次に望むもの、その候補はさほど多くはない。
(不老不死とその秘密の独占……あたしも不死の先輩として、秘密にしておくべき、という点だけは同意しますよ。理由は全く異なるでしょうが)
リンタロウもまた、自身の不死の性質は一部の人間以外には秘密にしていた。トラブルを呼び込まないようそうするべきとアルベールが助言し、リンタロウもそれに同意した。彼が裏の特級冒険者であり、ソロで活動を続けているのはそのためだ。
(しかし、商会の会長であればあたしと違って上司はいないわけですか。それはちょっと、羨ましいですね)
リンタロウはギルド長になってアルベールを扱き使う自分を想像してみた。大人しく従うアルベールの姿は全く浮かんでこなかった。




