魔法使いの弟子の卵
「君は訓練を受けなければならない」
ようやく我に返ったララエの目の前で、悪魔混じりの魔法使いがそう告げた。
何があったか、ララエにはさっぱりわからない。ただ、今いるのが学院寮の自室だと気づいて、内心焦りまくる。
正直、頭がカッとなってからのことはよく覚えていない。
ハクロに陥れられてもうダメだと思った後、何かのタガが外れてしまったような気はした。でも、そのタガが何のタガだったのかがよくわからない。
「訓練、て……ハクロ様は……」
「彼のことはシオウ様が何とかするから問題ない。おそらくは君の家のこともだ。
今のところ何とかならないのは、君の魔力だけだね」
「魔力?」
そう、と頷かれて、ララエは首を傾げる。今まで魔法を使った試しもなければ、魔術を学ぼうと思ったことすらないのに。
「通常ならもっと幼い、物心付くかどうかくらいの歳から兆候があるものなんだ。それに、人間ならたいていの場合は親族か先祖に必ず素質を持ったものがいるから、兆候があってもさほど驚いたりもしない」
さっきから、何のことだかよくわからない。
まるで、ララエが魔法の訓練でも受けるということになったようだけど?
「たまに、そういう血を継いでもいないのに突然発現することもある。そういう者が兆候を見せるのは、たいていはある程度成長してからだ」
「あ、あの……すみません。さっきから、何の話をしているのでしょうか」
「つまり、君が魔法使いの卵だったって話だよ。口さがない言い方をすれば、今の君は魔女未満ということかな」
「――え?」
「最初の魔力暴発は、大抵の場合、感情の爆発で引き起こされる。さっきのアレがそうで、起こしたのは君だ。君の内には、魔法使いが“魔力溜まり”だの“源”だのと呼ぶような魔力の溜まる場所があったらしい」
ララエはどうにも信じ難いと、怪訝な顔でデオムルを見つめ返す。
「そうだな……自分の身体の中心、人間なら臍の少し上あたりか。そこに意識を集中してみるんだ。何かがあると感じられるだろう」
ララエは半信半疑ながら、言われたように意識を向けて……すぐに血の気が下がった顔をパッとデオムルに向けた。
「な、なに、これ……何か変……」
「それが“魔力溜まり”と言われるものだよ」
デオムルが「納得できたか?」と笑うけれど、ララエはそれどころじゃない。
次から次へといろんなものがララエを呑み込もうと襲ってくるのだ。もうそろそろ何もかも考えることを放棄して、寝てしまいたい。
夢だったことにして、忘れてしまいたい。
「で、それを踏まえて、私から君に提案がある」
「提案?」
「そう。シオウの手回しにより、ハクロもナ=ケイ下位家もすぐに君から手を引くだろう。つまり、君は何の後ろ盾もない平民とほぼ同等の存在になる」
デオムルの指摘はララエにもわかっていることだ。ハクロと起こした問題で、ララエは間違いなく父から切り捨てられるのだから。
除名だけで済めばいいが、きっと父もララエに騙されて養女にしたのだとか騒ぐのだ。そうに決まってる。
そして、ララエはどこかの人買いや娼館にでも売られるのだろう。
「――むしろ、今後はシオウにすべてを握られて、シオウの配下として働かねばならなくなるだろうな」
「え、でも……」
それは、買い被り過ぎではないだろうか。
容姿と成績はいいけれど、ララエは女だ。せいぜい侍女や使用人として役に立つ程度ではないか。
「魔法使いの素養があって高等教育も受けている、しかも成績はいい――というのはなかなかのアドバンテージだ。しかも君にはいろいろと負い目がある。
だからシオウは君を欲しがるだろう」
「それは……そうかもしれないけれど……」
「もちろん、君が心からシオウに仕えたいと望むなら、それでいい」
シオウの家は、大公家に次いで力を持っている。シオウ自身の能力から考えたら、周りを抑えてララエを囲い込むくらい難なくやってみせるだろう。
そもそも吹けば飛ぶようなララエなんて、今さらワタゴミが塵に変わったくらいのものだ。足掻いたところで未来は変わらない。
シオウの手のものになるなら、むしろこれまでよりはマシなのではないか。
これまでララエが何か望んで叶ったことなんて……
「だからこその提案だ。ララエ、私の弟子になりなさい」
デオムルが、腰の巻物入れから一枚の羊皮紙を取り出した。
それは、何かの契約書のようで……。
「君がこれにサインをすれば、その瞬間から君は私の弟子だ。
私は師として君を保護する義務を負うし、君は私の弟子であるがゆえ、魔術師協会の傘下に入ることになる。悪い話ではないよ」
デオムルは扉をちらりと見やって、「今ここで決めた方がいい」と続ける。
「どうして――」
「シオウはさすが、抜かりない。
君の頭が優秀で、しかも魔法使いの素質を持っていると知れば手放さないさ。立場を変えるだけで、君の処遇は変わらないままだ」
たしかにその通り。
シオウは、ララエが“使える”と判断すれば囲い込もうとするだろう。ララエの希望に多少の配慮はしたとしても、ララエが自由になるわけではない。
でも、この悪魔混じりを信用していいのだろうか。
「――それに、さっきの君の言葉だね。
自由に勉強と恋愛をしたいんだろう? “悪魔混じり”というのはその血筋ゆえにしがらみや束縛を厭う。君の“心の叫び”は、おおいに私の心に響いたよ」
デオムルはくすりと笑って肩を竦めた。
ララエの事情なら、おおよそ調べがついていた。
調査を頼んだ相手は、冒険者仲間として何度か組んだこともある腕利きだし、何よりあちこちの“盗賊組合”にも顔が利く。
デオムルの依頼も十分以上に……ララエのほぼいっさいを調べ上げてくれたのだ。
ついでに、シオウのことも。
「もちろん決めるのは君だが、あまり時間はないよ。今が最初にして最後の、唯一のチャンスだろうね」
「――私、弟子になります!」
しっかりとデオムルを見返して、ララエは羊皮紙を受け取った。
悪魔混じりが相手なだけに、まるで悪魔と契約するみたいだ。違うのは、血ではなく魔法のかかったインクを使うことか。
サインをしながら、ララエはそんなことを考える。
どうせ、これ以上最悪なことなんて無い。毒を食らわば皿までである。
「私、この後はどこに行けばいいんですか?」
「当面は学生をやってればいい。さ、手を出して」
言われるままに手を出すと、ぐいと引っ張られて指輪を嵌められた。
「“魔法使いデオムルの名において命じる。指輪よ効力をあらわせ”――これで、魔力暴発も防げるだろう」
「え。あの、でも、弟子になってって……」
「勉強と恋愛がしたいんだろう? 恋愛はわからないが、勉強ならここに在籍していればいくらでもできるんじゃないか?
それに、知識はどこに行っても何をするにも武器になる。君は頭の出来もいいんだから、きちんと学んだほうがいい」
「魔法は……」
「ぼちぼちとやろう。これこそ一朝一夕にというわけにはいかない。
この指輪は魔力中和の指輪だ。嵌めている限り、君はいっさいの魔力を扱うことはできないし、どんな魔法や神術も君に効果を及ぼすことはない。
だから、魔力暴発を心配する必要もない」
* * *
ハクロを大公城へと送り届け、部屋の改修の手続きをして、デオムルとララエを捕まえたら、すでに師弟の手続きを終えた後だった。
もちろん、ア=トウカ上位家の権威その他で無理に解消させることは可能かもしれないが、そうすれば有能な魔術師や魔法使いを雇うことが難しくなるだろう。
「まさか、お前に出し抜かれるとは思っていなかったわ。わたくしは雇い主ではなかったのかしら?」
「ここ数年、有望な卵を見つけたら弟子にしたいと考えていたのでね。ララエの意思はきちんと確認の上ですよ」
シオウはデオムルを睥睨する。明らかに、気分を害したという顔だ。
びくびくと成り行きを見守るララエの横で、デオムルは軽く肩を竦める。
「ララエをわたくしの臣下に迎えた後でもよかったのではなくて?」
「それでは、私の自由行動が保障されないじゃないですか。私は冒険者が本業ですし、宮仕えになるつもりもありません。ちょっと困るんですよね」
「――学院のサロンの補修はどうするつもりなのかしら」
「時間をいただければなんとかしますよ。それに、あの部屋ひとつを作り直すくらいでしたら、私の手持ちでもどうにかできるでしょう」
は、とシオウは短く息を吐く。
これだから腕のいい冒険者、しかも魔法使いは困る。魔法は高価だし、腕のいい魔法使いなら金を持っているものなのだ。
おまけに、この町にしがらみもなければ逃げ出す手段まで豊富と来ている。
シオウの怒りを感じても、デオムルはどこ吹く風という顔だった。何かあったとしても、ララエを連れて即座にここを逃げ出す算段はできているのだろう。
つまり、それだけ自分に自信があるということで……これ以上追い詰めれば、デオムルはララエを連れて躊躇なく“玄武の都”を出ていってしまう。
「――少々腹立たしいけれど、欲張るのはやめにするわ」
「そうですね。少しくらい思い通りにならないもののあるほうが、生きる楽しみが増えるってものですよ」
にこりと笑うデオムルは気に入らないが、そもそもララエが魔法使いの卵だったというのは想定外だったのだ。
今この場でララエという将来の魔法使いが手に入らなくても――
「ララエが一人前になったら、お前の元を離れるのでしょう? なら、その時にララエを雇えばよいということね」
「それはもちろん、ララエの自由ですから」
「ではララエ。お前が魔法使いとして独り立ちした暁には、わたくしに仕えてくれる?」
「え、それは――」
ならば先約を取り付けて、と迫るシオウの申し出を、受けるべきなのか断っても良いのかと、ララエは困惑しかない表情で目を泳がせる。
「シオウ様、だめですよ」
デオムルがやんわりと割って入る。
ララエはようやく、自分にも選択肢があるのだと、気付いたばかりなのだ。それをまたここで潰してしまうのは、デオムルの意図するところではない。
「ララエは今それを判断できるほどの何かを、まだ手にしていないんですから。ララエが一人前になってから、改めて出直してください」
「これだから、冒険者という者は……」
他を知らないうちに囲ってしまえれば、後が楽なのに。
シオウは、デオムルのような冒険者を完全にあしらうには、自分もまだ経験が足りなかったと小さく溜息を吐いた。





