怪我の功名
ようやく僕は体を起こし、ずたぼろになりながらも、家路についた。
帰って、玄関で靴を脱いでいると、母が迎えてくれた。母は僕のケガにびっくりしていた。僕は「転んだだけだから」と言って、母の心配をよそに自室へと入った。
頬を触ると、ずきずきと痛んだ。腹を見ると、青あざが複数できていた。腹を触ると、痛みが走った。
僕はベッドに寝転んだ。宿題をしなければならないが、今日はなんだかそれどころではなかった。切井さんに彼氏がいたのだ。それが一番ショックだった。その彼氏に殴られた。殴られることなんて今までになかった。こんなにも痛くて苦しくて辛いのかと身をもって知った。切井さんに近づくことは許されなくなった。切井さんが好きなのに、好きなだけでもだめなのか。気になっているだけでもだめなのか。僕は一方的に殴られ、蹴られた。切井さんがあいつに話さなければ、こんな被害はこうむっていなかったのではないか。切井さんはあんな横暴な奴と付き合っているのか。切井さんは僕をあいつに殴らせるために僕を罠に嵌めたのではないか。だとしたら、とんでもない悪女だ。僕は悪女に恋していたことになる。僕は切井さんに対して失望した。切井さんはあんな奴と付き合っているなんて信じられなかった。僕は切井さんのことが嫌いになりそうだった。しかし、本当にあいつは切井さんの彼氏なのだろうか。そんな考えが頭をもたげた。もしかしてあいつは切井さんに付きまとう輩ではないか。あいつは切井さんのことを下の名前で呼んでいたけれど、それだけで切井さんの彼氏と断定するにはちと早計かもしれない。切井さんに確認するのが一番手っ取り早いが、あいつに口止めされている以上、話すことはできない。では、誰に確認したらいだろう。
そう考えているうちに、一人の女子生徒、天崎昇華の存在が脳裏をよぎった。天崎なら切井さんに彼氏がいるかどうか知っているんじゃないか。僕は天崎を邪険に扱ったが、ここでまさか天崎を頼ることになろうとは思わなかった。それだったら、天崎に対してもっと優しく接するべきだった。僕は猛省とまではいかないが、反省すると、明日天崎に尋ねてみようと思った。そう決めると、僕は目覚まし時計をセットしてから、深い眠りに落ちた。
朝、目覚ましのアラームで起きると、僕は起き上がってあくびをし、伸びした。そして、朝ご飯を食べにダイニングルームへと向かった。僕はダイニングテーブルについて、母の質問攻めをうまいことかわしながら、朝ご飯を食べ終えると、洗面台に行って歯を磨き、寝癖を整えると、自室に戻って、学校に行く準備をして、僕は家を出た。
洗面台で自分の顔を見たとき、頬は紫色に腫れていた。これじゃクラスメートの注目の的になるかもしれないと思うと、学校に行くのが億劫に思えてきた。サボろうかとも思ったが、サボってもすることがないので渋々学校に向かった。登校中は天崎や龍斗に会わなかったので、誰にも話しかけられることなかった。
そして、学校に辿り着いた。
教室に入ると、教室にいるクラスメートの何人かが僕に視線を向け、近くの友人とひそひそと話し合った。無理もない。この無様な顔では何かあったのではないかと思われるのは避けようがない。僕は席に着くと、リュックを机の横のフックにかけて、机に突っ伏して顔を隠した。が、思わぬ人物から話しかけれた。
「どうしたの?その顔」
僕は顔を上げ、声のする方へ向けた。
その声を発していたのは、隣席の落合真雪だった。
「階段で転んでさ、そしたらこうなったんだよ」と僕は意外な相手に戸惑いつつも、そう答えた。
「そう。それは災難だったわね。てっきり誰かに殴られたのかと思った」と落合は僕の目を見て、反応を窺った。
「いやいやそんなんじゃないよ。大丈夫、心配されるほど大したケガじゃないから」と僕は言った。
「誰も心配してないけど」と落合はにべもなく言った。
「そ、そうなんだ……僕の勘違いか」と僕は落合のそんな物言いにさらに戸惑いつつも、話しかけてくれたこと、気にしてくれたことに心の中で感謝した。
落合をじっと見ていると、「何?」としかめっ面されたので、「なんでもない」と言って、僕は机に突っ伏そうとした。が、今度は龍斗が声をかけてきた。
「おはよう、隆一。どうしたんだよ、その顔?」
「階段で転んだんだよ」と僕は落合の時と同じよう言った。
「ドジだなあ、お前」
「うるせえ」
「なあ、隆一、今日の数学の宿題、やってきた?俺、全然やってないんだよ。よかったら、ノート見せて」
「すまん。僕もやってない。ケガで宿題できなかった」
「まじかよ。どうしよっかな。しょうがない。他の奴に頼むか」
「すまんな」
「いいよ、全然。それより気をつけろよな。お前はあぶなかっしくていけねえ」
「ああ」
龍斗はそして、他のクラスメートの男子のところへと行った。
僕は龍斗が他の男子と仲良く話していることに寂しさを覚えながら、ぼんやりと龍斗を見ていると、視界に天崎が入ってきた。
「隆ちゃん、どうしたの?顔、腫れてるよ」
僕は天崎にどうしても訊きたいことがあったので、「それはそれとして、天崎、お前に訊きたいことがある」と言って、話題をそらした。
「何?訊きたいことって?」
「ここじゃ、訊けないから。放課後教室に残ってくれないか?」と僕は頼んだ。
「いいよー。じゃあ、五時に教室ね」と天崎はあっさりと頼みをきいてくれた。
「わかった」
そして、天崎もまた、他のクラスメートの女子のところへと行った。
「天崎さんと仲いいのね」
と隣か落合が意外そうに言った。
「仲良くないよ。ただの知り合い」と僕はぶっきらぼうに言った。
「ふうん」と落合は僕の目をじっと見つめた。
「あの……まだ何か?」と僕は訊いた。
「なんでもないわよ」と落合は謎にぷりぷりして言った。よくわからない人だ、と僕は思った。




