第166話 無言の笑み
旧バニア皇国領の片隅で、かつてこの地を牛耳っていたコード公爵の豪奢な館が、ごうごうと不気味な音を立てて燃え盛っていた。
アルノー・ルベ大佐は、その猛烈な炎を、少し離れた丘の上から涼しい顔で見下ろしていた。美しい金髪が熱風に煽られて揺れるが、彼の端正な顔立ちには、達成感も興奮も、何の感情も浮かんでいない。彼は、純白の手袋をはめた手で、軍服に付着した僅かな灰を忌々しげに払い落とした。血の匂いも、泥の汚れも、彼の潔癖な神経を不快にさせるだけだ。
ジャック・レルネ大将から五千の兵を預かり、領内で一斉蜂起した旧貴族たちの反乱鎮圧に出向いてから、わずか二週間。広大な領地に点在する反乱軍を、一つ一つ律儀に各個撃破して回るなど、アルノーにとって非効率極まりない愚策であった。彼が選んだのは、情報操作による「間引きと収穫」だ。
アルノーはまず、自軍の兵を農民や行商人に変装させ、各地に「フェラスレツ大公国とサデーナ騎士団領の大軍が攻め入り、カインエはすでに陥落寸前である。カインエが陥落するまえに合流して分け前を得たほうがいい」といった巧妙な虚報を流し込んだ。希望に縋る反乱貴族たちは、その甘い罠に群がり、ある程度の規模の集団へと合流していく。アルノーは、その膨れ上がった集団を、伏兵と圧倒的なマスケット銃の火力を用いて、一網打尽にしていった。
さらに、生き残って動揺する貴族たちに対し、今度は「コード公爵の元へ結集して最終決戦に備えるべき」と扇動した。恐怖に駆られたネズミたちは、疑うこともなく一つの巨大な巣へと向かって移動を始める。アルノーは、その移動中の無防備な隊列を、あるいは集結拠点に辿り着く手前で、まるで害虫でも駆除するかのように、無感情かつ的確にすり潰していった。
そして今夜、孤立無援となった最大貴族の館を完全に包囲し、文字通り根絶やしにしたのである。自軍の損害を最小限に抑え、最短距離で反乱の火を物理的に消し飛ばした、見事なまでの手際だった。
「アルノー大佐」
背後から、控えめな足音が近づいてきた。血と泥にまみれた軍服を着た副官エディ・ベケ大尉が、恭しく敬礼する。アルノーは、その薄汚れた姿に内心で微かに顔をひそめたが、表面上は完璧な上官の笑みを取り繕った。
「館内の残敵掃討、および主要な反乱首謀者の処断、すべて完了いたしました。我が方の損害は軽微です」
「ご苦労様でした」
アルノーは、燃え盛る炎から視線を外すことなく、丁寧な、しかし温度の全くない声で労った。
「見事な手腕でございます。これで領内の憂いは絶たれました。アルノー大佐、すぐに全軍を反転させ、カインエのジャック大将を救出に向かいましょう」
エディ大尉の言葉は、軍人として至極真っ当な進言だった。しかし、アルノーは静かに振り返り、薄く微笑んだ。
「無駄です」
「……無駄、とは?」
予想外の返答に、エディは怪訝な顔をした。
「諜報からの報告によれば、現在、カインエの城はサデーナ騎士団領とフェラスレツ大公国の合同軍、およそ四十万近くの大軍によって完全に包囲されています。たかだか五千の我々が、その分厚い包囲網を正面から打ち破って城内に入るなど、物理的に不可能です。犬死ににしかなりませんよ」
アルノーの口調は、まるで明日の天気を語るかのように穏やかだったが、その内容は冷酷な現実を突きつけていた。
(それに……)
アルノーは内心で、己の野心を実現するための道筋を冷ややかに計算していた。
(このままカインエに戻ったところで、反乱の鎮圧程度の功績では、私の望む『昇進』には到底足りません。いずれ方面軍を任される存在となるためには、誰の目にも明らかな、もっと多大で決定的な功績を上げなければならないのです)
この程度の雑草刈りで満足するつもりは毛頭ない。乱世において、出世の階段は他者の屍と圧倒的な武功で築かれるべきだ。あの、氷のように冷たく合理的な女王ミレーヌの目に留まり、重用されるためには、想像を超える成果が必要だった。
「では、どうしますか?」
エディが、表情を変えずに次なる指示を待つ。五千の兵の命運は、目の前の端正な青年将校の決断に委ねられていた。
(せっかく、ジャックの下で籠城戦に付き合う退屈な任務から離れたのですから……)
エディの問いには直接答えずしばし考え込んでいたアルノーは、何かに気が付き、無言で笑みを深めた。
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