第152話 大同盟
旧バニア皇国が、あの銀髪の女王の軍に完全に踏みにじられてから六ヶ月。時は一月を迎え、ヴィスタ帝国の首都は深い雪に閉ざされていた。
重厚な石造りの帝国宰相執務室。磨き上げられた窓ガラスの向こうには、凍てつくような白銀の冬景色が広がっている。しかし、燃え盛る暖炉の火が照らし出す室内では、外の寒気を忘れさせるほどの熱を帯びた密談が交わされていた。
「半年前から水面下で進めていた交渉が、ようやく実を結んだ」
豪奢な椅子に深く腰掛けた宰相ヘルベルト・マルテンシュタインは、感情を排した淡々とした声で告げた。その視線の先には、黒いレースのヴェールで右顔の火傷を隠した女騎士が、音もなく静かに佇んでいる。
「先日、帝都クヴァントの大通りに構える商館の奥深くで、各国の要人を集めた秘密会合が行われた。そして、対クライナイン王国同盟の締盟が、無事に完了した」
女騎士の左の瞳が、レースの奥で微かに光を放った。
「おめでとうございます、閣下」
恭しく頭を下げる彼女の鼻腔に、暖炉の薪が爆ぜる乾いた匂いと、自身の肌から漂う強い薬草の香りが入り混じる。
「苦労したぞ」
「やはり、サデーナ騎士団領とフェラスレツ大公国の説得ですか?」
女騎士の問いに、ヘルベルトは短く頷く。
長きにわたる血みどろの闘争の末、フェラスレツ大公国から独立を勝ち取ったサデーナ騎士団領。深い怨恨を抱く両国は、国境を接して常に睨み合ってきた。通常の外交努力で彼らを同じテーブルに着かせることなど、常識的に考えて不可能に近い
「その通りだ。しかし、両国と領地を接していた強国、バニア皇国がたった二ヶ月足らずで滅ぼされたという事実が、強烈な追い風となった。彼らも悟ったのだ。あの怪物を前にして私怨に囚われていれば、次は自分たちの国が地図から消え去るということをな」
ヘルベルトの言葉を聞きながら、女騎士は、自分が具申した壮大な計画が進んでいるのを実感した。今回の同盟に参加したのは、ミレーヌの巧妙な罠に嵌まり、ペトロイオ草原と辺境伯領への侵攻で甚大な被害を出したラスカ王国。そして、バニア皇国が滅亡したことで直接の脅威に晒されることとなった西のクムーラーナ共和国。そこに旧バニア皇国の北部に位置するサデーナ騎士団領とフェラスレツ大公国、そしてヴィスタ帝国を加えた、五カ国による巨大な軍事同盟である。
ミレーヌ・グラッセという理不尽な暴力を討ち果たすための、大陸規模の包囲網。それが今、分厚い氷の下で静かに完成したのだ。
「各国の連絡員も、商会を装ってこのクヴァントに駐留することに同意した。これならば、クライナインの密偵たちに軍事同盟の動きを悟られることなく、密な連携が取れる。もちろん今まで以上に警戒体制を強化する」
「……」
「すべて貴様が事前に描いた筋書き通りというわけだ。見事な智謀だな。今後は、各国も密かに軍備を進めることになった」
「勿体なきお言葉です」
「それと、もう一つ。陛下が貴様の『特別な要望』を叶えるよう仰せつかった」
その一言で、執務室の空気が一変した。女騎士の全身の筋肉が微かに引き締まり、瞳に剣呑な、そしてどす黒い怨念の光が宿る。
「……本当ですか」
「うむ。同盟の締結とは関係なく、動く。陛下も乗り気になってな」
ヘルベルトは、机の上で両手を組み、女騎士を鋭く見据えた。
「陛下は手っ取り早い決着を望んでおられるが、盤外の奇手に頼るという点が未だに懸念として残る」
「あの女に対しては、考え得る様々な策を同時に仕掛けるべきです」
女騎士は、淡々と返答した。
「それに、すでに私の手の者が多数潜伏しており、手引きは容易です」
「事が成就すれば、すべては終わる。クライナイン王国など簡単に滅ぼせるか」
「御意」
ヘルベルトの口元に、微かな笑みが浮かんだ。宰相は静かに立ち上がると、パチン、と一度だけ乾いた音を立てて手を叩いた。
直後、音もなく、執務室の奥の重厚な隠し扉が開いた。吹き込む隙間風とともに、三つの影が滑り込むようにして部屋に姿を現した。彼らの足音は、厚い絨毯の上であることを差し引いても、まったく聞こえない。ただ、部屋の中に、鉄錆のような微かな血の匂いが漂い始めた。
「フレルクです」
最初に口を開いたのは、一見するとどこにでもいる貴族の次男坊のような、線が細く身なりの良い優男だった。その口元には、人を小馬鹿にしたような柔和な笑みが張り付いている。
「ルーター」
次に低く唸ったのは、丸太のような太い腕と、岩のような体躯を持つ大男。
「アダリーよ。よろしくね」
最後に、三十代の女が艶やかな声を響かせた。豊満な胸元を強調した妖艶なドレスを纏い、甘い香水を漂わせているが、その瞳の奥には爬虫類のような冷淡さが潜んでいる。
一見するとまったくバラバラな三人。だが、彼らが放つ異常な気配と、肌を刺すような濃密な死の匂いに、死の淵から這い上がってきた女騎士でさえ、思わず背筋が粟立つのを感じた。
(これほどの者たちを隠し持っていたとは。やはり、帝国という国は底が知れない)
「彼らを自由に使ってよい。貴様の策の通り、王都に放て」
ヘルベルトの命令に、三人は無言のまま、薄気味悪い笑みを浮かべて女騎士の方へと向き直った。
「助かります。すぐに準備に掛かります」
「うむ。期待しているぞ」
女騎士は深く一礼し、踵を返した。
(私が立てた策が、今、完璧に動き始めた。もう少しで、あの憎き女の支配が終わる)
己が求める理想の世界を手に入れるために。女騎士は薄暗い廊下へと、静かに歩みを進めた。
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