97 魔素の調査
グリンデルとヴァルトを放逐した後、会議室から出てきたアーロンたちにハンスが送風機の件を提案すると、すぐに実現に向けて動くことになった。
「送風機を作れるかどうか、ネイトに聞いてみます」
「動力に使う風の魔石のことなら私に任せな。まとめて注文してくれるなら割引もできるからね」
「マーク村長、ナターシャ殿…恩に着る」
マークとナターシャが請け合い、アーロンはこの日何度目か分からない感謝の言葉を口にする。
慌ただしい一日は、こうして過ぎて行った。
翌日、アーロンとマークはそれぞれの村で上エーギル村と下エーギル村の仲違いが起きた経緯の詳細を話し、今後は昔のように協力し合って生活することを宣言した。
多くの者はそれを好意的に受け止め、素直に喜んだ。
無論、人によっては多少のわだかまりはあるものの、付き合いに支障が出るほどではない。あとは時間が解決してくれるだろう。
一方ハンスは、改めて上エーギル村の魔石鉱山へ向かった。
同行するのは、リンとアルビレオとゲルダ。そして、
《ほっほーう。今日も湿っぽいな。ジメジメだぜ》
当然という態度でハンスの肩の上に乗る、モクレン。
「うむ、水の魔素が濃いな。ケットシーにはつらいのではないか?」
アルビレオの問いに、モクレンが自信満々に胸を張る。
《ヘーキヘーキ。下エーギル村の大根たらふく食べてきたからな!》
そのモフ毛を頬に押し付けられたハンスは、半眼で溜息をついた。
「珍しく肉じゃなくて野菜を要求してたと思ったら、そういう理由か」
この冬をハンスの家で過ごしたケットシーたちは、春になると三々五々、ガイの牧場に帰って行ったが、モクレンだけはハンスの家からガイの牧場に通うという生活スタイルを確立していた。
つまり、家に居ついた。
最大の理由は食事である。
基本、ケットシーはネズミや小鳥や昆虫を自分で捕まえて食べているのだが、ハンスの家ではスージーが気を利かせて薄味のハムや豚肉の煮込みを作り、モクレンたちに度々振る舞っていた。その味が、モクレンの胃袋を完全に掴んだのである。
…なおモクレンに言わせると『ハンスが面白いから』という理由も大いにあるのだが…幸か不幸か、ハンス本人は気付いていない。
ともあれモクレンはそんな状況を活用し、昨夜から今朝にかけてふろふき大根を大量に食べ、水の魔素に対する耐性を可能な限り上げてきた。
『水の魔素を溜め込まない性質』を効率的に獲得するためには、肉より野菜の方が有効なのだ。
《ふっふーん。もっと褒めてくれてもいいんだぜ?》
「あーはいはい」
ハンスは適当に相槌を打つと、さっさと坑道に入る。
今日は村長のアーロンの指示で、鉱夫たちは全員休みだ。
そのため、坑内に設置されている魔法道具のランプも消えていて、周囲に人影はない。
静まり返った坑道に、モクレンの明かりの魔法がふわりと浮遊した。
今回の目的は、水の魔素の分布状況の確認。
送風機で水の魔素を追い出す場合、闇雲に風を吹き込むのでは効率が悪いし、下手をすると回り回って上エーギル村に高濃度の魔素が溢れ出す恐れがある。
どこからどこへ向けて風を吹かせれば良いのか、考える必要があるのだ。
そのためにまず、坑内の魔素濃度の濃淡を把握しておかなければならない。
加えて、この水の魔素がどこから流れてきているのか、その手掛かり──せめて調査の取っ掛かりになるようなものを発見したい。ハンスたちはそう考えていた。
「よし、それじゃあ西側から行くか」
「はい」
「うむ」
「ん」
《おう!》
そうして──
アーロンから預かった地図を参考に、坑内を片っ端から調べること半日。
入口から最も遠い北の突き当たりで、ハンスたちは顔を見合わせた。
「…ここか?」
ハンスが問うと、アルビレオが眉間にしわを寄せて頷く。
「うむ。この向こうだな」
一見行き止まりに見える場所だが、壁には細かなひびが入っていて、そのわずかな隙間から冷気が滲み出している。
アルビレオがそこに歩み寄り、コンコン、とノックするように岩壁を叩いた。
「…大きな空洞があるわけではなさそうだ。恐らくこのひびと、水の魔素を通しやすい岩石層を伝って魔素が滲出しているな」
坑道全体に同じような傾向はあるが、ここは特に影響が強い、とアルビレオは言う。
ハンスは地図を広げ、現在地を確認した。
「なら、ここを一番風下にした方が良さそうだな。例えば──ここからこう、集落から離れた位置に向けて穴を掘って、坑道入口から中を経由してそっちに風を送れば、中の魔素濃度は下がりやすいんじゃないか?」
「そうだな。他の道からも上手いこと『魔素抜き穴』を繋げてやると良いかも知れん」
魔素抜き穴。言い得て妙である。
でも、と声を上げたのはリンだった。
「あんまり濃度を下げると、魔石が生成されなくなったりしないかしら…」
「あー…」
「うむ…」
元々ここは、『生きた』魔石鉱山として稼働している。
魔石は魔素濃度が高くなければ発生しないため、下手に魔素濃度を下げると本末転倒になりかねない。
「なら、みんなが作業する間だけ通気を確保して、夜間は出入口を全部ふさいで逆に濃度を上げちまうとか…要は、作業中だけ安全を確保できれば良いわけだからな」
「なるほど…!」
後で相談だな、と地図に走り書きして、残りの場所の調査も一通り終える。
そうして坑道から出る頃には、既に日が傾きかけていた。
《ハラヘッター》
肩の上で伸びているモクレンの文句を適当に流しつつ、ハンスは腰に手を当てて軽く伸びをする。
「一日中坑道に潜るのは、結構きついな」
「ですね」
「魔素の問題がなくとも、作業時間に制限をつけるべきだろうなあ」
リンとアルビレオが疲れた顔で同意する。
ゲルダもげんなりした表情になっているが、彼女は水の魔素の『食べ過ぎ』なので除外する。
ともあれ──実際、日がな一日地下に潜るというのは、人間、特にヒューマンにとっては健全とは言えない。ドワーフならば話は別だが。
そんな言葉を交わしつつ休憩所の方を見遣ったハンスは、前方から近付いて来た意外な人物に目を瞬いた。
「デニスにネイト?」
「よう」
「あ、ハンスさん」
マークの息子、ネイト。
下エーギル村の住民で、上エーギル村については色々と思うところがあるらしい美青年が、鉱夫のデニスの隣に当たり前の顔で立っていた。
「坑道に入っていたんですか?」
「おう。魔素分布の調査がてら、ちょいとな。お前さんは?」
「父から、坑道に風を通す装置を作れないかと相談を受けたので、まずみなさんからお話を聞こうかと」
早速動いてくれていたようだ。マークもネイトも仕事が早い。
ハンスが内心舌を巻いていると、ネイトは少し嬉しそうに表情を緩める。
「僕にならできるんじゃないか、って言ってくれたのは、ハンスさんなんですよね? ありがとうございます」
「あーいや、スマンな。勝手にアテにしちまって」
ハンスは思わず頭を掻いた。すると、ネイトは即座に首を横に振る。
「とんでもない。送風機自体はそれほど難しいものでもありませんし、僕ごときでも何かお役に立てるなら、喜んで協力しますよ」
(…ん?)
任せてくださいと笑う口調の端々に、何やら妙に卑屈な思考が見え隠れしていような。




