95 すっかり忘れてた。
その後、ナターシャとアーロン、そしてマークは会議室に残り、近々行われる魔石買い取り契約更新の時に取引先に突き付ける条件や、上エーギル村と下エーギル村の今後の交流について話し合った。
マークからは下エーギル村から上エーギル村への食料の供給が提案され、代わりに上エーギル村からはヤギ乳や羊毛が下エーギル村へ渡されることになった。
「水の魔石が提供できれば良いのだが…すまぬ」
「気にしないでください、アーロン村長。現状の契約では、魔石の採掘に余裕はないでしょう?」
昔と同じ形になるだけです、と微笑むマークは、純粋に嬉しそうだった。
長らくの懸念事項だった隣村との関係が大きく改善したことを、心から喜んでいるのだ。
一方ハンスたち冒険者ギルドの関係者は1階の受付ホールに場所を移し、ギルドとしての今後の動きについて話し合う。
「根本的な問題として、やはり水の魔素の発生源を探る必要があるじゃろうなあ…」
エセルバートが髭を撫でつつ呟く。
「…っていうと、やっぱり坑道の奥の調査ですかね?」
「うむ。それから、近隣の洞窟や洞穴の調査じゃな」
彼の調査で、このエーギル山系は平地に比べて全体的に水の魔素濃度が高く、さらに局所的な濃淡があることが分かっている。
濃度が特異的に高い場所はエーギル山系の様々な場所に点在し、上エーギル村の水の魔石の坑道のほか、天然の洞穴や地面の裂け目、湧水地など、形態もバラバラだ。
強いて言えば、水の魔素が『地下から』流れ出しているのが共通点だろうか。
下エーギル村の近くにもあると言われ、ハンスは内心ヒヤリとした。
一歩間違えれば、上エーギル村のような魔素中毒が下エーギル村でも起きていたかも知れない──いや、下手をしたら原因がそれとは分からぬまま、犠牲になった村人も居たのかも知れない。
(魔素に対して敏感かどうかは、個人の体質による、らしいしな…)
自分が歩いていた場所が湖に張った薄氷の上だったと気付いた時のような、不安と焦燥。
とはいえ、それを騒ぎ立てて他人の不安を煽るのは、ハンスの流儀ではない。
軽く息をついて胸中の暗雲を吹き散らし、ハンスは思考を切り替えた。
エセルバートの言う通り、大事なのは原因の究明。そして、
「原因を探るのは勿論だが、当面…場当たり的でもいいから、坑道から溢れ出てくる魔素を抑える方法はねぇか? 出来れば、坑道の中の魔素濃度も下げられると良いんだが」
魔素濃度を下げられれば、鉱夫たちの健康リスクも下がるし調査もしやすくなる。
ハンスの言葉に、リンが大きく頷いた。
「そうですよね。下エーギル村の食材である程度対策は出来ると言っても、魔素を浴びないに越したことはないですし」
「それはそうだな」
皆が考える表情になる中、最初に口を開いたのはアルビレオだ。
「一般論になるが…水の魔素は通常『高いところから低いところへ流れる』他に、『風上から風下に向かって流れる』性質がある。霧と同じだ。──風の流れを作れれば、風上側は魔素濃度が下がるのではないか?」
「うむ。大元を断てれば一番良いが、局所的に魔素濃度を下げようと思ったらそれが一番早いじゃろうな」
エセルバートが言葉を添え、しかし…と眉を寄せる。
「水の魔素は延々と垂れ流されている状態じゃからのぉ。となると、風も延々と吹いておらねばならん」
「…あ、それなら魔法道具を使えば良いんじゃないですか? ほら、送風機って、ありますよね?」
リンがぱっと明るい顔で人差し指を立てた。
送風機──風車を小型化したような魔法道具の一種だ。
年間を通して比較的冷涼な下エーギル村や上エーギル村ではあまり使われていないが、ユグドラの街では一般家庭にも普及している。
動力は風の魔石で、大きさも様々。血の気の多い冒険者が行き交う冒険者ギルドユグドラ支部の受付ホールには、夏になると大型の送風機が2台並べられていた。
普及率の高い魔法道具なので、入手もそれほど難しくない。
「送風機か…坑道の入口と、中に複数設置して、外から風を送り込めれば、魔素濃度を下げる効果はあるかもな」
「やってみる価値はあるだろう」
「うーん、でも、結構大きいのが必要よね? …そういうのって、普通に売ってるもの?」
エリーの言葉に、全員がはたと我に返る。
卓上サイズの送風機ならともかく、大型のものは基本的に受注生産だ。
店頭にはまず置いていないし、坑道全体に設置する分となると、相当な数が必要になる。魔法道具の技師が居れば、頼むことも出来るが──
(あ)
魔法道具の技師、という単語で、ハンスの脳裏に金髪の美形青年の顔が浮かんだ。
マークとジェニファーの息子、ネイト。20歳そこそこでユグドラの街の王立研究院に勤める青年。
彼は魔法道具の開発をしていて、その動機は『村の役に立ちたいから』だったと聞いている。もし力を貸してくれるのなら、これほど心強い相手はいないのではないか。
ただし──彼は上エーギル村を毛嫌いしているが。
「ハンスさん、どうしたんですか?」
ハンスが難しい顔をしていると、リンが心配そうに声を掛けてきた。相変わらずハンスの事には敏感な後輩である。
ああ、と頭を掻いたハンスは、作ってくれそうな魔法道具技術者に心当たりがある、と応じた。
「ただ…引き受けてくれるかどうかは分からんし、送風機の材料が揃うかどうかも分からん。それに、送風機を設置するとして、それを稼働させる風の魔石をどう確保するか、誰が管理するのかって問題もある」
「ああ、先にそのあたりをアーロン村長に相談すべきだろうな」
アルビレオが言い、皆が頷いたところで、入口の扉が開いた。
「──おい! ワイルドベアの素材を持って来たぜ!」
「査定──を……」
勢いよく入って来た男2人が、ハンスたちの視線を受けてぴたりと足を止める。
波が引くように失速した台詞の内容に、ハンスは頭痛を覚えた。
「……そういや、そっちの問題があったか…」
エーギル支部所属の不良冒険者こと、グリンデルとヴァルト。
巨大な毛皮を担いだグリンデルと、恐らく爪牙や牙が入っている革袋を掲げたヴァルトは、間抜けなポーズのまま入口で固まっている。
エリーが眉を顰めて立ち上がった。
「ワイルドベアって…昨日ハンスが倒したっていうの以外、出現報告はなかったはずだけど?」
「あー、スマン。あれ多分オレが昨日倒したやつだ。民間人の保護を優先したもんで、死体の処理を忘れてた」
「ああ、そういうこと」
ハンスが片手を挙げて謝罪すると、エリーは一旦納得の表情を見せ、すぐに胡乱な目に戻る。
「…で、それをどうして、自分で倒したみたいな顔で持ち込んでるのかしらね、2人とも?」
途端、グリンデルとヴァルトの時が動き出した。
一瞬顔を引き攣らせた後、キッと真面目な表情を作り、
「な、何言ってんだ。これはついさっき、俺たちが苦労して倒したやつで」
《ほっほーう、拝見拝見》
陽気な念話が響く。
窓辺で微睡んでいたはずのモクレンが軽やかに毛皮の上に飛び乗り、ふんふんと鼻を鳴らした。
数秒もしないうちにクシャッと鼻の先にシワを寄せ、わざとらしくイカ耳になる。
《えー、コレ死んでから結構経ってるだろ。クセェ》
腐敗臭がすると言いたいらしい。ケットシーらしい指摘に、2人はあからさまに動揺した。
「…っ、さ、さっきじゃなかった。昨日だ、昨日。坑道の中に現れたのを、俺たちが、な?」
「お、おう!」
「…いや、無理があるだろ」
ハンスがこの場に居なければまだ誤魔化せたかも知れないが。
あまりにもお粗末な言い訳に、ハンスは怒るより前に呆れ返る。
なるほどなあ、とアルビレオが苦笑した。
「そうやって、他人の戦果を掻っ攫っているわけか。問題になるのも道理だな」
 




