37 おかしかった査定額
場の空気が凍った。
「……あん?」
ジークヴァルドが呻き、シエナとナターシャ共々、モクレンを凝視する。一身に視線を集めたモクレンがたじろいだ。
《な、なんだよ?》
「……街だと、そんなに高く売れる?」
「…察しが良くて何よりだ」
ハンスは溜息をついて、ワイルドベアの素材を視線で示した。
「一昨日、討伐直後に村に滞在していた商人に買取りを依頼したら、かなり安い金額を提示されたんでな。今現在の相場は本当にそんなモンなのか、確認したかったんだ」
「かなり安い金額、と言いますと?」
シエナに問われ、ハンスはギルドの査定額が書かれた紙に『銀貨3枚』と走り書きする。
「ぎん…?」
「……ん?」
「…………は?」
口頭で伝えたら聞き間違うかも知れないが、書き表せば単位を間違えることはない。
その文字を凝視した3人はピシリと固まり、数秒後、
「──はあ!?」
真っ先に我に返ったのはナターシャだった。目を見開いてハンスに詰め寄る。
「一体どういうことだいハンス。冗談にしたってタチが悪すぎるじゃないか」
「その『タチの悪い冗談』が冗談でもなんでもなかったから、街まで出て来たんだよ」
ハンスは渋面で応じた。
「幸か不幸か、ウチの村の連中はワイルドベアの素材の相場を知らなくてな。村に来た商人に言われるままの値段で売ってたんだよ、ずーっとな」
「ずーっと…」
「い、いつからですか?」
「少なくとも5年以上前からなのは間違いないが、正確なところは分からん。とりあえず、ここ一年で10件近く、ワイルドベアの素材が銀貨3枚そこそこで買い取られてるのは確かだ」
「えっ」
「おい、そいつは…」
シエナとジークヴァルドが顔色を変える。
「ワイルドベアが、そんな頻度で出没するんですか?」
「オレも驚いたんだが、故郷じゃそれが普通らしい。数年前から、近隣に生息する魔物の様相が変わったらしくてな。ワイルドベアもフォレストウルフも、完全に『毎度お馴染みの害獣』扱いだ」
「…そんなヤバい状況なのか。今までよく無事だったな…」
ジークヴァルドの呻きに、ハンスは乾いた笑いを浮かべた。
「村のオッサンたちにとっちゃ、ワイルドベアの素材の売却は『ちょっとした小遣い稼ぎ』らしいぜ?」
「………は?」
「…待て。まさかワイルドベアは、冒険者じゃなくて村の住民が倒してるのか!?」
ジークヴァルドが愕然と目を見開いた。
くどいようだが、ワイルドベアは普通、目撃されたら上級冒険者が緊急招集され、パーティを組んで倒す魔物である。ユグドラ支部では、年に複数回出現したら異常事態と認識される。
それが年に10回近く目撃──どころか討伐され、しかも『小遣い稼ぎ』扱い。冒険者ギルドの人間にとっては理解の範疇を超えているのだ。
「あんたの故郷の人間は、みんなバケモンなのかい?」
ナターシャも街の外へ出向くことのある商人だ。近隣に出没する魔物に関しては一通りの知識がある。
引き気味に突っ込みを入れられ、ハンスは遠い目をした。
「…ワイルドベアの対処方法は『遠くから目に鎌を突き刺すか、鋤で頭を粉砕するのが定石』とか言う程度には、普通だぞ」
「いやそれ絶対普通じゃないだろ」
「オレはもう理解を放棄した」
「放棄しないでくださいハンスさん、ご自分の故郷のことでしょう?」
ジークヴァルドとシエナに交互に突っ込まれる。
ハンスは真顔で──と言うかとても深刻な顔で二人を見詰めた。
「…なあ、想像してくれ。農作業してる最中にワイルドベアが近くの茂みから出て来て、戦えるのは自分だけだと思って両親とケットシーからワイルドベアを引き離すつもりで戦ってたら、真横から土を掘り返すためのはずの農具が視認できない速度で飛んで来てワイルドベアの顎の中に突き刺さって瞬殺。そんな状況、誰が理解できる?」
「……」
「しかも、その農具をぶん投げたのは自分の父親ときた。長剣背負って農作業してたオレが馬鹿みてぇじゃねぇか。しかも居合わせたおふくろもおふくろで、ワイルドベアが襲って来たことも、それをオヤジが倒したことも、欠片も驚いてなかったしな。ケットシー連中は心底楽しんでるし。──で、挙句の果てにワイルドベアの素材一式の買取り価格を『銀貨2枚、おまけして銀貨3枚にしといてやる』とかほざく商人のご登場だ。問題にするのは、商人のことだけで十分だろ?」
ハハハ…と自嘲混じりに語るハンスを、ジークヴァルドたちは引き気味の表情で眺め──
「……うん。俺が悪かった」
ジークヴァルドが静かに頭を下げた。
そこで、ジークヴァルドと同じく絶句していたシエナがハッと我に返る。
「あの、ハンスさん。その『ワイルドベアの素材を銀貨3枚と査定した商人』というのは、どなたですか?」
「アーネストってやつだ。オレより少し年上くらいで、何か偉そうな。多分この街の商人だと思うんだが…知ってるか?」
ハンスがその名を出した途端、シエナはあっと呻き、ジークヴァルドが天を仰いだ。
「なるほど…」
「…そう繋がるか」
「うん?」
ハンスが首を傾げていると、ええとですね、とシエナが解説する。
「実は今日の昼頃、こちらにそのアーネストさんがいらっしゃったんですよ。『エーギル支部所属のハンスという冒険者が、魔物素材の買取価格を不当に吊り上げようとしてる。ギルドとして対処するように』と」
「えっ」
《あーなるほど、先にこっちの支部を味方につけようって魂胆か》
モクレンが訳知り顔で呟くと、ジークヴァルドが頷いた。
「そうだな。まあ味方につけるとまでは行かなくても、混乱を狙ってたのは間違いない。──全くもって無駄だったが」
「無駄?」
「丁度その場に、リンさんが居合わせまして。『冒険者のハンスがそんなことをするはずがない。一体いくらで買おうとしてどういう交渉になったのか、正確な記録を見せろ。耳を揃えて証拠を出せ』と胸倉掴んで詰め寄りまして、アーネストさんはすぐに逃げて行きました」
シエナの説明に、ハンスは庇って貰えた嬉しさより先に頭痛を覚えた。
「…またあいつは…」
脳内に水色の髪の後輩の姿がよぎる。
このユグドラ支部に所属する上級冒険者のリンは、ハンスが昔新人教育を担当した冒険者のうちの一人である。
まだ新人教育に慣れていない頃の話で、ハンスとしては忘れて欲しい失敗も散々しているのだが──リンは今でもハンスを先輩として慕っている。
ハンスにとっては頼りになる後輩ではある。たまに、少々、いや結構、やりすぎることはあるが。
──少なくとも、ハンスは、そう思っている。残念ながら。
《そしたら、こっちの支部じゃあアーネストの言うことを真に受けてないんだな》
「ええ、あまりにも不自然でしたから」
「当然の判断ってやつだ」
モクレンの確認に、シエナとジークヴァルドが即答した。
つまるところ、ハンスの人となりを知っていたからアーネストの言い分は信じるに値しないと判断した、ということである。
ハンスは少々照れ臭さを覚えて視線を巡らし──『アーネスト』の名前を出してから、ナターシャが妙に静かだということに気付いた。
「おいナターシャ、どうした?」
「…」
俯き加減のナターシャは、妙に平坦な表情をしている。
ハンスが声を掛けると、彼女は静かに息を吸い、
「……あンのボンボンがあ……!!」
地獄の底から這い出たような、おどろおどろしい声を発した。




