31 出発準備
村長宅での話し合いが終わると、ハンスはすぐに行動を開始した。
まず上エーギル村の冒険者ギルドエーギル支部に顔を出し、受付担当のエリーに昨日のアーネストとの一件を説明する。
元々アーネストは上エーギル村で魔石の買取りをしていた商人の一人だったため、『ワイルドベア素材の買い叩き事件』の情報は上エーギル村の村長とも共有されることになった。
「こっちの村長には私から説明しておくわ。多分『騙された方が悪い』って鼻で笑われるだけだろうし…」
「ああ、すまんが頼む。…上エーギル村の魔石も、買い叩かれてないと良いんだけどな」
「ちょっと、怖いこと言わないでよ」
ギルドの受付でハンスが呟いたら、エリーが眉を顰めた。
「魔石の買取りには王立研究院も他の商人さんたちも関わってるんだから、そんなことあるわけないでしょ? むしろ魔石に関してはそれほど旨味がないから、下エーギル村でやりたい放題してたんじゃない?」
なるほどもっともだが──ハンスは首を傾げる。
「…ん? 冒険者ギルドは魔石の買取りに噛んでないのか?」
「魔石の取引そのものには関わってないわね。坑道の魔物退治とかの仕事は請け負ってるけど。ほら、ここの魔石鉱山は王立研究院が発見したものだから」
「ああ、そうだったな」
この国には、各地に魔石鉱山が存在する。その多くは上エーギル村の鉱山と同じく、王立研究院が発見したものだ。
魔石の鉱脈の位置は地下の魔素の流れと密接な関係があると言われていて、その魔素の流れについては世間一般ではほとんど知られていない。
偶然発見されるならともかく、魔石の鉱脈を意図的に探し出すのは王立研究院以外にはほぼ不可能だ。
「正直、あんまり王立研究院の人たちは好きじゃないんだけど…冒険者ギルドって、彼らに嫌われてるらしいのよね」
「あー…それな」
溜息混じりのエリーの言葉に、ハンスも頷く。
王立研究院は、普通の動植物や地質、各種自然現象から、魔素や魔物や魔法、魔法道具まで、様々な分野の研究を一手に引き受けるこの国の国家機関だ。
一方冒険者ギルドは全世界に支部を置く一大組織であり、そこに所属する冒険者たちが魔物討伐を積極的に行う性質上、魔物研究に関しては他の機関の一歩も二歩も先を行く。
協力体制を敷いている研究機関も多いが、永世中立国アイラーニアの王立研究院は冒険者ギルドをライバル視──と言うか蔑視して、『魔物を倒すだけの脳筋組織』などと揶揄している。
それでいて上エーギル村の魔石鉱山内部の魔物の討伐は冒険者ギルドに頼りきりなのだから、大変に面の皮が厚いと言うか、色々と割り切った組織である。
「まあ、どうしたって基本スタンスが違うからな。冒険者は魔物討伐を優先するもんだし、『研究』を優先したい学者先生に毛嫌いされても仕方ないだろ」
「冒険者本人がそれ言っちゃおしまいよ、ハンス」
ハンスが肩を竦めると、エリーが半眼で突っ込んだ。
もっともこれは、冒険者ギルドの構造的な問題でもある。冒険者ランクを上げるためには多くの依頼をこなさなければならないが、昇格のためのポイントを稼ぐのには魔物討伐が一番効率的なのだ。
護衛依頼は拘束時間が長く非効率で、街の中での雑用は冒険者の『活躍』としては認められにくいからである。
それから単純に、冒険者には荒っぽい人間が多いため、性格的に研究者とそりが合わないという面もある。無論、例外はあるが。
「スマンスマン。まあとにかく、アーネストの件は頼むわ」
ハンスが苦笑すると、エリーは溜息とともに頷いた。
「はいはい。一応近隣の支部にも注意喚起として共有しておくわ。──で、すぐにユグドラの街に行くつもり?」
「ああ、明日出発予定だ。下エーギル村から、早朝に乗合馬車が出るんだろ?」
新しい方の街道は比較的なだらかで、上エーギル村の発展に伴って乗合馬車も通るようになった。
と言うより、できるだけ近くまで馬車で来たいがために広くて通りやすい街道が整備された、というのが実情である。
なお下エーギル村から上エーギル村までは、斜面が急すぎて整地するのが困難だったため、人が歩きやすいように階段を作ることしか出来なかった──閑話休題。
ともあれ、ユグドラの街まではぐるりと迂回することになるが、馬車が使えるので古い街道を使うより断然早い。早朝に下エーギル村を出発する乗合馬車を使えば、その日の夕刻にはユグドラの街に着く。
──ちなみに、旧道を使って下エーギル村まで帰郷したハンスが丸2日以上掛かっていたのは、馬車と徒歩の差だけではなく、道中魔物を何度か討伐していたのと、まともに整備されていない道を登るのが中年に差し掛かった足腰にはかなり負担だったからである。
「そうそう。随分便利になったわよね」
エリーが頷き、そうだ、とカウンター下から書類を取り出した。
「ついでだから、乗合馬車の護衛依頼受けてくれない?」
「護衛?」
「そ。最近、街道の方でもたまにフォレストウルフが目撃されててね。まあ基本単独個体らしいんだけど、念のために都合が合う冒険者が居れば護衛して欲しいって依頼が来てるのよ」
エリー曰く、乗合馬車の護衛依頼は往復で2日掛かるため、エーギル支部の他の冒険者たちが進んで請け負う可能性はほぼ皆無。魔石鉱山の魔物討伐を請け負っていた方が美味しいからだ。
「今回の依頼は片道だけだから、帰りはハンスの都合の良いタイミングで帰って来れるわ。どう?」
「それなら良いぜ。受注する」
ハンスが即答すると、エリーは安堵の表情を浮かべた。
「助かるわ」
「…やっぱ、魔物討伐以外の依頼は受注されにくいか?」
「ええ。…と言うより、受けられるような人材が居ないって言う方が正しいけど」
まず、護衛依頼に関しては武力的な『強さ』より対人のコミュニケーション能力が求められるため、他人を見下しているグリンデルとヴァルトにはエリーは絶対に打診しない。問題が起こることが目に見えているからだ。
エーギル支部に常駐する冒険者は、ハンスを除くと5人。
よって、日程に関係なく護衛を打診出来るのはグリンデルとヴァルトより『まだマシ』な残り3人に限定されるのだが──『まだマシ』と接頭語が付くあたり、色々とお察しである。
「そうだハンス。街に行くついでに、アーネストの件、ユグドラ支部に軽く知らせておいてくれない? ウチの支部からも書面で通達するけど、どうしても遅くなっちゃうから」
「ああ、お安い御用だ」
「で、ついでにあっちに居るあんたの知り合いの冒険者に声掛けて来てよ。『エーギル支部で護衛依頼とか受けてくれる冒険者を募集しているけど、移籍する気はないか』って。あ、護衛依頼を受けてくれる人希望だから、ベテランの中級冒険者か、上級冒険者であることが必須条件ね」
「は?」
とても良い案だと言いたげな明るい顔になったエリーを、ハンスは胡乱な顔で見返した。
「なんだそりゃ。スカウトか?」
「あーうん、そんな感じね」
「…どんな無茶振りだよ」
「えー? だってあんた、あっちで新人研修とか請け負ってたんでしょ? 顔見知りの冒険者ってものすごく多いはずじゃない。条件に合う人全員に声掛ければ、一人くらい引っ掛かるんじゃないの?」
エリーがさらりととんでもないことを言い出した。ハンスは顔を引き攣らせて反論する。
「無茶言うな! 大体、ベテラン連中に今更移籍なんて打診できねぇし、オレが指導した中堅以上の連中はほとんど他の支部に移籍して、今じゃそんなに残ってねぇよ!」
「え、なにそれ」
「…上級冒険者になると、別の支部で半年以上経験を積んで来いとか言われるだろ」
ギルド本部の方針である。エリーもすぐに合点がいった顔になった。
「それがあったわね…──え、ちょっと待って。じゃあハンスが指導した子たちは、片っ端からものすごい速さで上級冒険者に昇格してるってこと?」
「ンなわけねぇだろ。『早めに経験積んできます』っつって、上級になるのを待たずに移籍するやつも結構居るんだよ。そうすっと、上級冒険者になってから別支部に移籍する必要がなくなるし、今後の活動拠点を決める上での参考にもなるからな」
「…最近の子は先を見て行動するのね…」
エリーが感心した顔で唸る。
ちなみにハンスは、上級冒険者になった後、ユグドラの街より少し北の宿場町の支部で半年ほど経験を積んだ。
ユグドラ支部に戻る時には随分と引き留められたが──ハンスはそれを社交辞令だと思い込み、『また機会があればな』と笑ってユグドラ支部に戻った。
それで一体何人が涙を呑んだのかは、ハンスの与り知らぬことである。
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先週急にアクセス数が増えたなーと思っていたところ、気が付いたら1000ptを通り越して2000ptになっておりました…なんということでしょう(喜)
ハンス氏の物語はまだまだ続きますので、応援よろしくお願いします!




