29 根の深い問題
「あー……。スマン、テッドのおやっさん」
まず謝らなければいけない相手がここに居た。
ハンスは即座に頭を下げ、事の顛末を説明する。
「──つーわけで、あの商人との取引はやめた方が良い。まあ多分、あっちから願い下げだろうけどな。…勝手なことして悪かった」
もしかしたら、何も知らないままでいれば下エーギル村のみんなはそれはそれで平和に暮らせたかもしれない。ハンスはそんなことを思う。
アーネストはかなり根に持つタイプのようだ。
直接取引からは手を引くとしても、今後、例えばならず者を雇って下エーギル村の関係者を襲ったり、商人のネットワークを悪用して下エーギル村の物を誰も買わないよう工作したりするかも知れない。
一応、ハンスも20年の冒険者生活でそれなりの人脈はある。下エーギル村のみんなに話をするのと並行して、冒険者ギルドやユグドラの街の昔馴染みにも情報を回して対策をしておこうとは思っている。
が、リスクが上がったのは事実だ。
再度頭を下げるハンスに、なるほどなあ…とテッドは呻き、ひらひらと手を振った。
「そんなに気にするな、ハンス。──正直俺たちも、アーネストが胡散臭いと知ってて放置していた面もあるからな」
「………は?」
ハンスはぽかんと口を開けた。
胡散臭いと思いつつも放置していたとは、一体どういうことか。
テッドが苦笑する。
「羊毛が一頭分で銀貨3枚なのに、いくらなんでも魔物の毛皮が銀貨2枚そこそこってのはないだろう? 羊の毛はバリカンで刈れば良いだけだが、ワイルドベアは下手したらこっちがやられるしな。──けど、冒険者ギルドじゃあ買い取ってくれないぞと言われたし、事実を確認しようにも上エーギル村には行きにくいし、じゃあいいかって流してたんだよ」
「…おいおい…」
目の前の相手が買ってくれるんだから多少値段が怪しくても構わないと判断していたらしい。大らかと言うか無防備と言うか。
が、ハンスが驚いたのはそこではない。
「待ってくれ…羊毛一頭分が銀貨3枚? それ、マジか?」
「ん? ああ。ウチの村の羊毛は、どうしたって上エーギル村で生産されるのより品質が劣るからな。仕方ないんだよ」
「…………仕方なくねぇよ…」
ハンスは地を這うような声で呻いた。
「──オレが知る限り、羊毛は最低品質でも1頭分で銀貨4枚が相場なんだが?」
「…………は?」
場の空気が凍る。
少なくとも、ハンスの知り合いの商人はそれくらいの値段で買い付けていた。
上エーギル村の羊毛には劣ると言っても、下エーギル村の羊毛もそれなりの品質ではあるだろう。なのに最低ラインを下回る値段になるというのは、少々──いや、かなりおかしい。
ハンスの指摘にテッドはぴたりと動きを止め、数秒後、
「………なあ、ハンス」
「おう」
「あんまり考えたかないが…魔物の素材も、羊毛も、その他の物も、全部適正価格じゃなかったって可能性はあるか?」
「確認しなけりゃ何とも言えないが、少なくともオレはほぼ確実にそうだろうと思ってる」
お互い死んだ魚のような目をして顔を見合わせた後、テッドがふー…と溜息をついた。
「…村長に話を通そう。ハンス、明日はポールと一緒に村長の家に行くつもりでいてくれ」
「分かった」
なかなかに大事になりそうだ。
ハンスも溜息と共に頷いた。
翌朝早くに隣家から伝言を受け取り、ポールとハンスは朝食を済ませてから村長の家にやって来た。
下エーギル村では、こうして伝言で招集が掛かることがたまにある。
大抵は各家、または親戚一同の中から一人参加するが、家業が忙しくて出席できないこともあるので、参加人数はまちまちだ。
「おっ、来たか」
村長──マークの家には既にテッドやガイといった壮年の男たちが数人集まっていた。
ハンスは村内の会合の存在は知っていたが、こうして参加するのは初めてだ。参加者と挨拶を交わしながら、きょろきょろと室内を見渡す。
以前来た時はダイニングテーブルとソファがそれぞれ別の場所に配置され、リビングとダイニングがはっきり区分けされていたが、今は真ん中にダイニングテーブルだけ置かれ、椅子とソファー、それにソファー用のローテーブルは壁際に寄せられている。
みんなが慣れた様子でダイニングテーブルの周囲に集まっているので、ハンスもテッドに手招かれるまま、そこに混ざった。
「テッドのおやっさん、その後アーネストの相手は大丈夫だったか?」
「ああ。ぶすくれたまま、今朝街に帰って行った。お代もしっかり払ってもらったさ。心配してくれてありがとうよ」
テッドがにかっと笑う。
『もうこの宿には泊まらん』と言っても、下エーギル村に宿は一つしかない。アーネストも、昨夜はそのまま泊まるしかなかっただろう。何とも気まずい一夜である。
それでも割り切って接客できるあたり、テッドもなかなかの胆力の持ち主だ。
「みなさん、遅くなってすみません」
マークが階段から降りて来た。その手には、古びたノートが抱えられている。
「全員揃っていますか?」
「ジョンが居ねぇな」
「あいつは昨日っから街に行ってるぞ。嫁さんの実家に孫を見せに」
「ああ、それがあったか。じゃ、これで全員だな」
「分かりました。では早速──」
年上の男性ばかりだからか、マークは丁寧な態度で頷き、話を始める。
「今回集まってもらったのは、ワイルドベアの素材などの買取りを一手に引き受けていた『アーネスト氏』とその取引価格について、確認したいことがあったからです。──みなさん、昨日の出来事については…?」
「昨日の顛末はさっき俺が説明しておいた。ポールも、ハンスから聞いてるだろう?」
「ああ」
先に来ていた皆はテッドから話を聞いたし、ポールも昨夜の時点でハンスから事の次第を聞いている。
ポールが頷くと、マークは少しだけ表情を和らげた。
「ありがとうございます。──俺も知らせを受けて、過去の帳簿を確認してみました」
マークがテーブルの上にノートを広げ、みんながそれを覗き込む。
黄ばんで所々ボロボロになっているが、文字は読み取れた。
角ばった字で書いてあるのは、主に野菜の名前。その横に2種類の数字が書かれている。それぞれ、販売個数と合計金額だ。
「これが10年前、ユグドラの街の市で売った野菜の売り上げ記録です。──みなさん、ここ最近、アーネスト氏にどれくらいの値段で野菜を売りましたか?」
マークが皆を見回すと、すぐに何人かが野菜の種類と値段を挙げた。手元に帳簿がなくても、最近取引した値段くらいは覚えているものだ。
その金額を聞いて、ハンスは膝から崩れ落ちそうになった。
(…安すぎるだろ…!)
多少ばらつきはあるが、どれも10年前にユグドラの街で売った値段の3割以下で買い取られている。
一般人に売ったのと商人に売ったのでは当然違いはあるはずだが、それにしても安い。
それに、
「うーむ、この値段は…」
「言われるがままに売っとったしな…」
「相手は商人じゃから…」
マークがみんなの証言を書き留めて帳簿の横に並べると、年長者たちから呻き声が上がった。
安いな…と呟きが交わされる中、ハンスは左手で顔を覆いながら右手を挙げる。
「あー…1コ突っ込ませてくれ」
「なんだいハンス?」
「………10年前の売値も、相っっっ当安いぞ。多分、倍額でも良いくらいだ」




