121 田舎には田舎の戦い方がある。
カロッツァ商会の作戦は、多段構えのものだった。
まず、下エーギル村に対する襲撃作戦。
グリンデルとヴァルトが先行し、かつ魔物を誘引する薬を散布できた場合、魔物に襲われて村が滅ぶか大ダメージを受けるのを待つ。状況によっては途中で助けに入り、今後村人が逆らえないよう恩を売ってもいい。
グリンデルとヴァルトが遅れた場合、あるいは失敗した場合は、新街道側の本隊が村を襲撃、蹂躙しながらどさくさに紛れて魔物寄せを撒き散らして魔物を誘引し、村を破壊し尽くす。その後火でも放ってしまえば、加害者が人間だという証拠も隠滅できる。
上エーギル村襲撃の作戦は、生活用水への毒物の混入。
坑道の送風機を稼働させる際、副産物として生じる水。その一部を生活用水として使うために、上エーギル村の坑道から村の中へは専用の水路が敷設されている。
上エーギル村に直接向かうならず者たちは、その水路に毒物を流すことで上エーギル村の住民たちを害しようとしていた。
魔物寄せを使わないのは、建物を壊されると、後々魔石採掘に動員する人間が生活できなくなるため。あくまでも不要となった『人間』だけを排除し、生活に必要な設備は残そうという魂胆である。
そのため、使用する毒物もかなり特殊だ。水と混ざると瞬時に強い毒性を発揮するが、時間経過と共に自然分解され、丸1日ほどで無害化する『水和性毒物』。
つまり──その毒で人間が死んだとしても、時間が経てば体内に残った毒はなくなり、証拠は勝手に隠滅される。魔物寄せ同様、国際的に使用が禁止されている薬物である。
下エーギル村は魔物寄せ、上エーギル村は毒物。
アルビレオからもたらされた情報は、ハンスたちを激怒させるのに十分だった。
ただ──根が善良な村人たちは、襲撃者たちを返り討ちにする、つまり命を奪うことは良しとしなかった。
そうして考えた結果がこの悪辣かつ屈辱的な罠である。『善良』という言葉の定義について疑義を生じざるを得ない。
(…まあ半分以上はケットシーたちの発案だけどな、これ…)
巨大な板と一体化し、氷水に肩まで浸かってガクブル震えるならず者たちを、ハンスは少々同情の籠った目で一瞥する。自業自得とはいえ、こんな形で無力化されるとは思っていなかっただろう。無様である。
「……ふ…」
マークの淡々とした態度に呆然としていたバオホは、数秒後、呻き声を上げた。
顔を一気に紅潮させ、肩を怒らせて叫ぶ。
「──ふざけないでいただきたい! このようなことが認められるわけないでしょう!」
ビシッとハンスたちを指差し、
「何をしているのです! さっさと始末なさい!!」
「!」
立ち尽くしていた残り半数のならず者たちが、ハッと我に返った。
彼らは落とし穴に嵌った連中とは少し雰囲気が違う。ハンスたちに突進せず、杖やら剣やらを掲げ──
「シチテンの実、やっちまえ!」
ハンスが叫んだ瞬間、村人たちが物陰から飛び出し、リンゴのような真っ赤な実を一斉にぶん投げた。
リンゴのようなと言うからには、リンゴではない。赤い果皮は弾力があって柔らかく、中に詰まっているのは白い果肉ではなくオレンジ色の粘性のある液体。
ならず者の一人の頭にクリーンヒットした実はバシャンと音を立てて弾け飛び、額から頬にかけてオレンジ色の液体がべったりと付着した。
そして。
「何だ、これ──ぎゃああああ!?」
シュウ…とどこか寒々しい音と共に白煙が上がり、顔が粘液まみれになった男が絶叫した。
杖を放り出して顔をかきむしり、粘液のついた手のひらからも白煙が上がって、今度は腕を滅茶苦茶に振り回す。
「なっ…──ああああ!」
「ぎゃ──!!」
ギョッとして動きを止めた他の者たちにも次々赤い実が着弾し、阿鼻叫喚の渦が広がっていく。立っていられず倒れた先にオレンジ色の水たまりが待っていて、全身粘液まみれになってのたうち回る者まで現れた。
《うっわ…》
モクレンがドン引きしている。
エーギル山系固有の植物、シチテン樹。その完熟果の中身は、上エーギル村と下エーギル村において、木材の防腐剤として使用されている。
シチテン樹の実の中身を水や他の木の樹液を混合した専用の希釈液で薄めて木材の表面に塗布すると、薄い皮膜状になり、透湿防水、防腐、保温、耐食害など、高い効果を発揮する。
ただし──施工する際は専用の道具を使用し、必ず専用の希釈液で一定割合以下になるように薄め、乾き切るまでは決して素手で触ってはいけないと言われている。
シチテン樹の実の中身は、空気に触れるとその瞬間から変質が始まり、白煙を上げて急速に乾いていくのだが──その過程で皮膚に触れると、強烈な灼熱感と痒みと痛みに襲われるのだ。
ゆえに、ついた名前が『七転』樹──一歩間違えると使用者が七転八倒することになる、世にも恐ろしい植物である。
なお、乾き切ると反応はぴたりと止み、皮膚には何の跡も残らない。皮膜状になった物体をペリペリと剥がすだけで処理が終わる。そして村以外ではあまり知られていないので、警戒されにくい。それが、この実が今回採用された理由だった。
ただし、後遺症はないといっても、急激な反応に人間の精神が耐えられるとは限らない。
「……」
ものの数秒で、オレンジ色の粘液まみれになった7人が地面に転がった。
ピクピクと痙攣しながら白目を剥いて気絶しているのを見て、落とし穴で冷水漬けになっている者たちがさらに青くなって沈黙する。
トリモチ冷水落とし穴コンボと神経を焼き切る粘液漬け、どちらがマシかは微妙なところだ。
「な……は……?」
バオホは目を剥き、顔を引き攣らせている。認識はしているが理解はできない、そんな表情だ。
残ったならず者は、わずか3人。だがそれも完全に逃げ腰だった。ハンスとマークの左右に並んだ村人たちが両手にシチテンの実を持っていつでも投げられるように身構えているので、当然といえば当然だが。
「さて──」
ハンスが一歩踏み出すと、バオホたちはビクッと肩を揺らして後退る。豪華な馬車に繋がれた馬が落ち着かな気に鼻を鳴らし、御者が身を竦めた。
「ご親切にも助力に来てくれたところ悪いが、見ての通りウチの村の警備は万全でな。ちなみに、旧街道側にも森ん中にも待ち構えてるやつらは居るし、上エーギル村でも色々準備して手ぐすね引いて待ってるから心配しなくていいぞ」
「…!」
バオホが愕然と目を見開いた後、顔を歪めて獣のような呻き声を漏らした。
「ぐぬ…貴様…!」
「田舎者を甘く見たな。潔く諦めろ」
折よく、旧街道方面から男性の絶叫が聞こえてきた。次いで、森の中でも、ズドン!という重々しい音や男の悲鳴が各方面で上がる。
旧街道を上がって来たグリンデルとヴァルトはもとより、森の中を突っ切ろうとしていた別動隊も、こちらの戦力──ハイランドシープとケットシーの餌食になったようだ。
(…殺してないといいが)
少々心配になるレベルの音である。
ハンスが内心こっそり冷や汗を流していると、マークが静かに口を開いた。
「…我々は争いを好みません。以後、下エーギル村と上エーギル村に不当な取引を持ちかけないこと、我々の生活を脅かさないことを約束してくださるなら、此度の件は胸の内におさめます」
なかったことにしてやるから帰れ。これ以上関わるな。
マークが口にした村としての意志、最大限の譲歩を──バオホは、
「……ハッ」
鼻で笑った。
額に青筋を浮かべ、怒りにぎらつく目でマークとハンスと村人たちを順に睨みつけ、スーツの懐に手を入れる。
「この私を──カロッツァ商会を、」
スーツの内ポケットから取り出されたのは、青紫色の液体が入った小ビン。
バオホはそれを、力一杯地面に叩き付けた。
「舐めるなあっ!!」
ビンはあっさり割れ、中の液体がビシャッと飛び散る。
それが一体何なのか、ハンスには咄嗟に分からなかった。が。
《それ、ご禁制の魔物寄せじゃねーか!!》
木の上で、ブワッと全身の毛を逆立たせたモクレンが叫んだ。




