120 新街道より
下エーギル村入口の広場で、ようやく昇ってきた朝日を背中に受けながら、ハンスは静かに佇んでいた。
アルビレオとゲルダが貴重な情報をもたらしてから1日半。やれるだけのことはやった。
予想通り冒険者ギルドユグドラ支部からの応援は間に合わなかったが、上エーギル村と下エーギル村、人間とケットシーと家畜たちが力を合わせて施した準備は、ほぼ万全。後は野となれ山となれ。
(…いや、野山になっちゃダメだけどな)
ハンスの隣にはマークが立ち、ハンスと同じように村の入口をじっと見詰めている。それ以外の面々は建物の中や物陰に隠れ、来訪者の到着を今や遅しと待っていた。ラキス商会のナターシャも、見届け人として近くの建物の2階から様子を窺っている。
村周辺の哨戒をしていたハイランドシープとケットシーのうちの1ペアが、新街道を上って来る一団を発見したのは日の出前。大部分は徒歩で移動しているとのことだったので、距離を考えるとそろそろ到着するはずだ。
《…む》
ハンスの肩の上で欠伸をしていたモクレンが、ヒゲを震わせて耳と立てた。
《来たな》
「おう」
ほどなくして、ハンスの耳にもガラガラという馬車の音と多くの足音が聞こえてきた。モクレンがハンスの肩から飛び降り、軽やかに手近な木の上に登る。
マークが目に強い光を宿し、一歩前へ出た。
そして──
「みなさん、朝早くからお疲れさまです」
街道を上って来た一団、明らかに堅気ではない男たちに向けて、マークはにこやかに声を掛けた。
「は…?」
「え…」
機先を制された形になり、男たちは困惑して顔を見合わせる。一行が立ち止まった位置を確認し、ハンスは内心グッと拳を握った。
(位置取りは完璧だな)
徒歩で上って来たのは20人。そしてその後ろに、いかにも高級そうな馬車が1台。
アルビレオの情報によると、これ以外に旧街道方面にはグリンデルとヴァルトの2人。森の中を突破する無謀なルートに挑んでいるのが10人。そして、新街道の途中で道を外れ、直接上エーギル村へ向かっているのが5人。
村2つ滅ぼそうとしているにしては少ないが、その手段を考えると納得のいく規模ではある。
「このような時間に、どのようなご用件でしょうか?」
マークはあくまでビジネスライクな笑みを浮かべたまま、一行に用向きを尋ねる。
男たちは完全に固まっていた。そりゃあそうだろう。寝込みを襲う前提で来てみたら、相手が笑顔で待っている。そんな状況、誰も想定していない。
──ならず者たちは、だが。
「──これはこれはご丁寧に」
重そうな馬車の扉が開き、下りてきたのは初老の男だった。
枯れ枝のような瘦身をきっちりと仕立ての良いスーツで固め、独特な形の口髭が印象に残る顔に、非常に胡散臭い笑みを浮かべている。
というか、カールした口髭のインパクトがありすぎてそれ以外の顔の造形が記憶に残らない。なるほどこいつがそうか、とハンスは納得した。
ナターシャ曰く、通称『口髭』──カロッツァ商会の幹部の一人にして、カロッツァ商会ユグドラ支店のトップ。上エーギル村の魔石の売買契約を主導した男。
「お初にお目にかかります。カロッツァ商会ユグドラ支店店長、バオホ・シュバルツと申します」
「ご丁寧にありがとうございます。下エーギル村村長、マークと申します」
バオホの胡散臭い笑みと、マークの整えられた笑みが交錯する。木の上でモクレンが鼻の頭にシワを寄せ、思い切り耳を伏せた。
バオホはその笑みを崩さないまま、大仰にならず者たちを示す。
「実はさる筋から、こちらの村が何者かの襲撃を受けるやも知れぬという話を聞きましてな。上エーギル村は我々の大事な取引先、下エーギル村はその上エーギル村の兄弟のようなものと聞き及んでおりましたので、これは一大事と、こうして馳せ参じた次第です」
「そうでしたか。ありがたい限りです」
ハンスだったら、「何者かって、そりゃお前らのことだろ」と即刻突っ込むところだが、マークはあくまでにこやかに相槌を打ち、言葉を続ける。
「ですが心配には及びません。我々の方でも、対策は打っておりますので」
「ほう…?」
バオホが片眉を上げた。
ハンスは黙ったままわずかに腰を落とし、軽く拳を握る。
「いや、いや、油断はしないことですよ、村長」
バオホが軽く手を挙げると、ならず者たちが各々、気持ちの悪い笑みと共に身構えていく。
「何事にも予想外というものはございます。例えば、このように」
サッと手が振り下ろされた瞬間、ならず者たちのうち半数が雄叫びを上げながら駆け出し──
《今だ!》
「応!」
モクレンの合図と同時、ならず者たちの行く手にビン!と音を立ててロープが張られた。
あらかじめ地面に這わせ、落ち葉で隠していたのだ。
片側は木の幹に結びつけ、もう片方をモクレンの合図でテッドほか数名が力一杯引っ張る。丁度膝上くらいの高さに張られたロープに、突進してきた者たちは見事に引っ掛かった。
「な…!?」
「ぶべっ!?」
コントのように綺麗に倒れたその先にあるのは、むき出しの地面──ではなく、ケットシーの幻影魔法でそう見えるように偽装された、ある特殊な薬液を塗布した巨大な一枚板。
べしゃっと音を立てて倒れたうちの一人が、それに気付いて悲鳴を上げる。
「う、動けねぇ!?」
木の板に塗布されているのは、本来はネズミ捕りに使う、超強力手作り粘着液。下エーギル村の農家御用達の逸品である。
ケットシーたちがネズミ退治を担うようになり、とんと使われなくなった薬剤だが、いざという時のためにとマークの家に2樽分保管されていた。
木の板は、以前、ジョン父子をはじめとする木こりたちが協力して伐採した、とびきり大きな針葉樹の丸太が由来だ。乾燥させていた丸太から、昨日、巨大なノコギリを使って薄い一枚板として切り出した。
そんな板に粘着液をたっぷりと塗布したとっておきの罠。もがけばもがくほど身体が板に密着し、自由が奪われていく。まさに人間用トリモチである。
「な…」
絶句するバオホたちの前で、さらに追撃がかかった。
トリモチにかかってもがくならず者たちの下の地面が崩壊し、巨大な穴が開く。板諸共落下した男たちは──
──バシャン!!
「ぎゃああああ!?」
「ヒイッ!」
「つめてえ──!!」
穴の中に満たされた氷水の冷たさに、悲鳴を上げる。
穴そのものはそれほど深くない。ハンスの身の丈程度だ。
だが、板とトリモチで他の者と一体化して自由を奪われているため、単身での脱出は不可能。さらにそこに、肩までの深さの氷水が追い打ちをかける。
《おー、ちゃんと機能したな。よかったよかった》
「だな。落ちないかと思ってヒヤヒヤしたぜ」
モクレンとハンスはそれを極めて冷静に見下ろした。
マークはホッと溜息をついた後、表情を引き締め、残る半数のならず者たちとバオホに向き直る。
「──言ったでしょう。対策は、打っております、と」




