119 旧街道より
朝靄のかかる中、グリンデルとヴァルトは急な坂道を上っていた。
平地に立地するユグドラの街と、エーギル山中腹の下エーギル村とを結ぶ旧街道。森の中を縫うように進むそのルートは、馬車も通れる新街道と違い、かなり傾斜のきつい登山道だ。
しかも新街道が開通してからは整備がほとんど行われておらず、荒れ放題。元々、申し訳程度の土留めが設置されていただけの地面は、今や獣道か枯れ沢の様相を呈している。
「くそっ! なんでこんな道通らなきゃならねぇんだよ…! 寒いしよ!」
目の前を塞ぐ灌木を剣で斬り払いながら、グリンデルが悪態をつく。
まだ秋にはなっていないとはいえ、山地の朝は肌寒い。特に今朝は冷え込みが激しかった。
旧街道の途中で野営し、日の出前から本格的な登山を始めた2人は、予想外に低い気温と濡れそぼった草木に思わぬ苦戦を強いられていた。
昨年まではさらに高地で暮らしていたというのに、標高差による気候の違いを全く考慮していなかったのだ。「土地勘がある者に、より重要な役目を任せたい」と商人におだてられて安易に旧街道ルートを引き受けたことといい、実に浅慮である。
だが悲しいかな、この2人にはその自覚すらない。自らその役割を買って出たことすら棚に上げ、ひたすら文句を言いつつ歩を進める。
ここで役割を投げ出さないのは、単純に、もう後がないからだ。
冒険者ギルドを除名処分になってから数ヶ月、ギルドへの罰金の支払いと生活費でなけなしの貯金は底をつき、もはやその日の食い扶持すら危うい。
何せどこへ行っても『冒険者ギルドから除名された元冒険者』というレッテルがついて回るのだ。日雇いの仕事が見付かればまだ良い方、定職など望むべくもない。
運良く雇われても、態度の悪さと不真面目さがすぐに露見し、あっという間に解雇される。その状況についてこの2人は心の底から「全部あのオッサン冒険者のせいだ」と思っていた。
有り体に言えば、逆恨みである。「そういうとこやぞ」と突っ込みを入れてくれる親切な相手は、残念ながら彼らの周囲には居なかった。
つまるところ、今回の上エーギル村と下エーギル村の襲撃計画は、グリンデルとヴァルトにとって大金を得るまたとないチャンスであり、私怨を晴らす絶好の機会なのだ。
──なお除名される前、冒険者ギルドエーギル支部で、その『オッサン冒険者』に手も足も出なかったことに関しては「ちょっと油断していただけ」「ただの偶然」と脳内処理しているため、返り討ちに遭う可能性については考慮していない。お気楽な脳みそである。
「はあっ、はあっ、どこまで続くんだよ、この道…!」
息を切らしながら、グリンデルとヴァルトは剣を振るい、草をかき分け、険しい道をひたすら上る。
商人たちに指示された刻限が近いことは、肌で感じていた。もうじき夜明けだ。
状況を確認できる程度に明るく、だが村人たちはまだ寝ているであろう時間に下エーギル村の中に侵入し、村の中央で魔物寄せ効果のある特殊な薬剤をぶちまけること──それが2人に任された仕事だった。
新街道を使う本隊は、万が一、村人たちが気付いていた場合に注意を引きつけるための囮。本命は、グリンデルとヴァルトの方。少なくとも、2人はそう言われ、そう認識している。
もっとも、計画を漏れ聞いたという下エーギル村の村長の息子は寮を出てから行方不明になっているというし、詳細はそもそも聞いていないという話だ。呑気な村の連中が対策を取れるはずもない──2人はそう高を括っていた。
魔物寄せを撒いて脱出するだけの簡単な仕事。それだけで、西大陸へ脱出してしばらく遊んで暮らせるくらいの報酬が手に入る。
魔物が大量に押し寄せて来たら、まあ村は無事では済まないだろうが、自分たちは魔物除けの薬を持っているから問題ない。村人も、運が良ければ助かるだろう。全滅したところで心は痛まない。
直接手を下すわけではないという言い訳が、犯罪行為に加担するハードルを著しく下げていた。
魔物寄せの薬は世界的に使用が禁止されている危険薬物なのだが、「商人に渡されただけで自分が意図的に入手したわけではないから、全責任は商人にある」と解釈して、軽く扱っている。
実際には、入手経路に関わらず、所持しているだけで処罰対象になるのだが。
そんな危険な橋を渡っていると認識すらせず、2人は大きな転石を乗り越え、茂みを身体でかき分けて──
「……おお…!」
唐突に拓けた場所に出て、グリンデルとヴァルトは目を見開いた。
少し離れた所に、特徴的な建物がいくつか見える。2人はそれに見覚えがあった。どの辺りかは知らないが、間違いなく下エーギル村の建物だ。
「着いたか…!」
ヴァルトが喜色を浮かべて一歩踏み出す。グリンデルも高揚感と共に前へ出た。あとは、村の中央付近まで行って薬を撒き散らすだけだ。
「楽な仕事だったな」
「ああ」
もう仕事は終わったも同然。笑いながら歩いていると──
「──っ!?」
突然足首に強い衝撃が走り、2人は前につんのめった。
「なっ…うぐっ!?」
ギュルンと緑色のロープのようなものがそれぞれを取り巻き、次の瞬間、首から下に大量に巻き付く。
なすすべもなく、2人は地面に転がった。ぐるぐる巻きになっているお陰でほとんど衝撃はなかったが、指一本動かせない。
「な、なんだ!?」
「これっ…魔法か!」
首から下に巻き付いているのは、成人女性の手首ほどの太さがあるツタ──それがみるみるうちに緑色から茶色に変わり、硬い拘束具になる。
イモムシのように胴体をくねらせることすらできなくなった2人が叫ぶと、淡々とした、奇妙な冷たさを秘めた声が響く。
「ご名答、です」
一番近い建物の陰から出て来たのは、トレ=ド=レントとオルト=リ=オウル、そしてガイをはじめとするガタイの良い下エーギル村の住民たち。
「おお、すげぇなトレド先生」
「オルト=リ=オウルが居るからこそ、ですよ」
ガイが感嘆の声を上げると、トレドは誇らしげに微笑んだ。
トレドの魔法をオルトが何倍にも強化することで可能となる、植物による拘束魔法。トレドにとっては錯乱する患者を処置する時に使う魔法だが、このようにえげつない使い方もできる。
「手前ェ、なんでこんな所に居やがる!」
仮にも元は同じ上エーギル村の住民、一応の面識はある。
グリンデルが目を剥いて叫ぶと、トレドは冷ややかな目で溜息をついた。
「それはこちらの台詞です。全く反省していないようですね」
「くそ、魔法を解け!」
「言われて解くようなら、そもそもこんなことはしません」
ヴァルトの罵声も一蹴し、ガイたちへと向き直る。
「それでは、あとはお任せして良いでしょうか?」
「ああ、勿論だ」
トレドの問いに、ガイは革袋を掲げて頷いた。
去って行くトレ=ド=レントとオルト=リ=オウルを見送った後、ガイたちは革袋の中身を確認する。
「えーと、これが山鳥の尾羽で、こっちがケットシーのヒゲ、あとは…あ、これが唐辛子エキスか。で、こいつが山芋のすりおろし…と」
「こっちは何だ?」
「これは…『自白剤』って書いてあるな」
「あ、それ昨日教わったやつか。飲ませる量を間違うと発狂するってやつ」
村人たちが呑気な声で交わす、全く呑気ではない会話に、グリンデルとヴァルトはサッと青くなる。
「お、おい、待て、まさか俺らにそれを試すつもりじゃないだろうな?」
拘束から出ているのは頭と爪先だけ。ツタは木質化してガチガチに固まり、抵抗も脱出も不可能だ。
ヴァルトの問いに、ガイがきょとんと首を傾げた。
「ん? 試したりしないぞ」
「そ、そうか…」
一瞬の安堵も束の間。
「ここに手順書があるからな。試すんじゃなくて、ちゃんと、順番に、きっちり使ってくから心配すんな」
「…!?」
そこでようやく2人は気付いた。
村人たち全員、額に青筋が浮いている。
朝靄が晴れ、朝日が射してきた。低い位置から差し込む木漏れ日が、ガイたちの顔に深い陰影を刻む。
「俺らの村を襲撃しようたぁいい度胸だ」
「当然、相応の覚悟ってやつはあるんだろ? なあ?」
「心配すんな、殺しゃしねぇよ」
「…他の保証は、ねぇけどな」
「ヒッ…!!」
実力云々ではなく、人相の悪さで選定された旧街道対応犯、チーム・コワモテ。
姑息な冒険者崩れの心を折るためだけに結成されたチームは、その後無事、目的を果たしたことをここに記しておく。




