115 危急の知らせ
ナターシャが小さく溜息をついて振り返り、馬車の中に向けて何やら囁く。
程なく、フードを目深に被ったマントの人物が降りて来た。いかにも訳ありな見た目だが、ハンスは軽く眉を上げるだけに留めた。
《なーハンス、あいつって》
「そこは黙ってろモクレン。分かってる」
「…」
モクレンがヒゲをピクピクさせ、マークがわずかに顔色を変える。
フードを被っているとはいえこの至近距離だ。誰なのかはすぐに分かった。
胸に湧き上がってくる嫌な予感を押し殺し、ハンスはあくまで軽い態度で肩を竦めた。
「ま、立ち話もアレだ。まずはメシでも食おうぜ」
「ああ、そうだね」
ハンスが視線で示したのは、食堂ではなく宿屋。宿には、商談にも使える個室がある。
ナターシャは頷き、御者役の商会員に馬車の移動を指示してから宿へと足を向けた。ハンスとマーク、そしてフードの人物もそれに続く。
宿に入ると、ナターシャはすぐ自分と御者用の部屋を取り、商談用の部屋を貸してくれと申し出た。
オーナーのテッドはナターシャの背後のハンスたちを見て片眉を上げたが、特に何も言わずに個室の鍵を出してくれる。出来たオーナーである。
宿の奥、椅子とテーブルが用意された小さな部屋に入ると、ナターシャはようやく息をついた。
「ふー……。助かったよハンス、随分と咄嗟の対応が上手くなったじゃないか」
「誰かさんに散々鍛えられたんでな」
ハンスは肩を竦めて応じ、フードの人物に視線を転じる。
「──で、一体何が起きてるんだ?」
「っ」
フードの人物がビクッと身を揺らした後、そろりとフードに手をかけたところで、モクレンが待ったをかける。
《ちょい待ち。これってアレだろ? 密談だろ?》
「楽しそうなのが解せんが、まあそうだな」
《それならコレだ!》
ヒゲを目一杯広げたモクレンが、ブワっと魔力を放った。部屋の壁が光を放ち、一瞬、キン、と耳鳴りのような音が響く。
《防音結界だぜ。これで部屋の外には音が漏れない。ヤバい発言し放題だ!》
「ヤバい発言はしないに越したことはねぇが、ありがとよ」
《もっとちゃんと褒めろ! 崇め奉れー!!》
モクレンがハンスの肩の上で器用に暴れ始めた。グリグリと頭をハンスのこめかみに押し付け、転がり、尻尾をビタンビタンと叩き付ける。
そんなモクレンが落ちないように片手で支え、ハンスは真顔でナターシャとフードの人物を見遣った。
「スマン。こいつは放っといて本題に入ってくれ」
「あー…そうだね」
心底呆れた顔をしたナターシャが、ゴホン、と咳払いしてフードの人物に向けて頷く。
そうしてフードの中から現れた顔は、ハンスの予想通りだった。
──半分は。
「っ?」
「ネイト、その顔は…!?」
ハンスは目を見開き、マークの驚愕の声が響く。
フードの人物は、マークの息子、ネイトだった。
ただし──左の頬に大きな青あざがあり、顔全体は蒼白で、両瞼が赤く腫れ上がっている。
モクレンが暴れるのをぴたりとやめた。
《おいおいおい、ちょっと見ないうちに随分男前になったな》
「お前ちょっと黙れ」
《へいへい》
ハンスに睨まれたモクレンは、肩を竦めて大人しくなる。
ハンスはすぐに腰のポーチを漁り、回復薬を取り出した。
「ナターシャ、回復薬の在庫はなかったのか?」
「ウチが在庫を切らすなんてヘマするわけないだろ。──ネイトが頑として飲んでくれなかったんだよ」
「…?」
ハンスは眉をひそめつつも、ネイトに回復薬を差し出す。
「とりあえずまずその怪我を治せ。見てるこっちが痛いからよ。…一体、何があったんだ?」
「──」
すると、幽鬼のようだったネイトの顔が、くしゃりと歪んだ。
「……っ」
ふらりと上体が揺れ、きつく瞑った目尻から涙が頬へと伝う。俯き、顔をほんの少し背けて、ネイトは言葉を絞り出した。
「…すみ、ません、僕っ…」
ひくりと喉が鳴る。
ナターシャとハンスは真剣な表情で、マークは心配そうに、ネイトの言葉の続きを待った。
そして。
「…僕のせいで…村が襲われるかも知れません…!!」
その後「きちんと説明するためにもまずは怪我を治せ」と何とか説得し、ハンスはネイトに回復薬を飲ませた。
そうして、改めて話を聞いたのだが──
「……なるほど」
ハンスが呟くと、対面に座ったネイトがビクッと肩を揺らす。
ハンスの膝の上で丸くなっていたモクレンが、ぎゅっとハンスの太ももに爪を立てた。
「痛って!」
《気遣いってモンがねーよなー、オッサン》
「お前が言うな、お前が!」
膝の上から強引にモクレンを引っ剥がし、斜め前方の一人掛けソファに乗せると、ハンスはゴホンと咳払いする。
「あー、スマン。責めてるわけじゃねぇよ。…大変だったな、ネイト」
「…いえ…」
落ち着いた声に、ネイトは緩く首を横に振る。
ほんの少しだけ肩の力が抜け、ネイトの隣に座るマークがホッと息をついた。
とはいえ、何かが解決したわけではない。ハンスは表情を引き締める。
「一応、確認な。──上エーギル村の魔石鉱山の契約更新で割を喰った商人どもと王立研究院の関係者が、上エーギル村と下エーギル村を逆恨みして、ならず者やら冒険者崩れやらに村を襲わせようとしてる…ってことで間違いないか?」
「……はい」
青あざは消え、瞼の腫れも治まったが、相変わらずネイトの顔色は悪い。
──ネイトは、王立研究院ユグドラ研究所の魔素研究部門、応用研究室で働いている。
魔素、ひいては魔石を社会のために役立てる、有り体に言えば新しい魔法道具の研究開発を目的とする部署だ。
そして上エーギル村の魔石鉱山の鉱脈を発見したのは、魔素研究部門基礎研究室──ネイトの所属部署の隣だった。
応用研究室では下っ端の下っ端、ほぼ小間使いのような仕事をしていたネイトは、よく他部署へのお使いや資料室での参考文献漁りを命じられ、研究所内の様々な場所を歩き回っていた。
だからこそ、その会話を聞いた──聞いてしまった。
あそこの住民は邪魔だ、魔石鉱山に自らの権利を主張する田舎者は不要──そんな会話を。
王立研究院ユグドラ研究所が関わっている魔石鉱山は、上エーギル村の鉱山だけ。ネイトはそれを知っていた。
ネイトは、「不要だ」と言われたのがこの春和解したばかりの、ネイトの作った送風機に歓声を上げていた人々であるということを信じられずに固まってしまった。そこを、研究室には不釣り合いな屈強な男たちに見咎められ、基礎研究室の中に引きずり込まれた。
その場に居たのは、商人らしい男たちと、基礎研究室の室長と──世界樹研究部門魔法植物室長のヒューレックと、応用研究室の室長、つまりネイトの上司だった。
上司は、ネイトが下エーギル村出身だと知っていた。春に帰省していることも知っていた。
そしてその場で、上エーギル村の連中が急に変わったのは何故だと問い詰められ──情報提供を拒否したネイトは殴られた上で恫喝され、最終的には知り得る限りのことを喋ってしまった。
鉱夫に魔素中毒患者が出て、ハンスをはじめとする下エーギル村の人々が対応に奔走したこと。
自身もそれに協力し、送風機などを作ったこと。
──魔素中毒患者の治療のために、上級回復薬を複数本、作ったらしい、ということも。




