プロローグ③
ビーバーが哀れすぎる
この可愛らしい見た目と汚い歯を持つ生き物はビーバーと言います
真っ黒なローブにツバの広いとんがり帽子。
村人たちの見窄らしい衣服とは異なる、典型的で古典的な出立ちの魔女。
帽子の影に隠れてその顔は窺えない。
トーノにとってはかえって好都合だ。
顔を知らず、視線も合わせなければ躊躇う理由が一つ減る。
魔女がこちらに気付いて慌てて魔法を発動する準備を始める。
だが、遅い。
トーノはすでに数歩の距離まで詰めている。
魔女が魔力を練り、詠唱するよりもこちらの方が速い。
慣れた手つきで剣を鞘から抜き放ち、居合の要領で斬りかかる。
振り抜かれた白刃が弧を描きながら、魔女の首筋へと迫る。
そして僅かも抵抗を感じさせず刃は滑るように首を断つ。
討ち取った。
この5年間で幾度となく繰り返した感触。
肉を切り、骨を断ち、命を奪った手応え。
間違いなく仕留めた。
ーーそのはずだった。
首を失った魔女はゆっくりと地に倒れ、まるで土塊のようにボロボロと崩れ落ちる。
その姿にハッとする。
魔女は死んでいない。
それを瞬時に悟る。
魔女は死ぬ時、その肉体は魔力の塵になって消える。
だとすれば、これは身代わりだ。
では本体はどこに。
その答えはすぐに分かった。
村の外、ブルムラシュ侯たちが待機するその場所で悲鳴があがる。
その声に思わず振り向いたトーノの目にはっきりと映る。
騎士隊の眼前に佇む、先ほど崩れた身代わりと全く同じ姿の魔女が。
そして、その傍らにそびえる巨大な影が。
ゴーレム。
人の背丈を遥かに超える土塊がゆっくりと腕を振り上げる。
次の瞬間、その腕が振り下ろされると同時に、騎士も馬もまとめて中空へと吹き飛ばされる。
悲鳴が上がる。
たったの一撃、それだけで十分だった。
この瞬間まで魔女の力を知らなかった騎士たちは、まるで赤子のような叫び声を上げる。
騎士たちの動揺が騎馬に伝播し、混乱と興奮から馬たちは暴走を始める。
そんな騎馬たちに踏まれまいと、従者たちが我先にと押し合いながら逃げ惑う。
その中心で、唯一魔女の脅威を知るブルムラシュ侯がかろうじて指揮を取ろうとする動きを見せる。
だが彼自身、魔女の脅威への恐怖からか馬鹿の一つ覚えのように「武器を構えよ!」と喚くだけで、余計に混乱を助長する結果となっている。
阿鼻叫喚。
まさにその言葉がふさわしいその空間を横目にトーノはボソリとつぶやく。
「あのまま、死ねばいい」
あの男が、自らを縛るブルムラシュ侯がこのドサクサに紛れて死ねばいい。
その願望が思わず口から溢れる。
だが、その言葉とは裏腹に身体が勝手に動く。
足が地を蹴り、風を割くように村の外へと向かう。
忌々しき主従の契約が、主人の危機を察知して従者の助けを急がせる。
「トーノよ!来たか!」
喧騒と混乱の真っ只中、颯爽と現れゴーレムの前に立ちはだかったトーノの姿に、ブルムラシュ侯が歓喜の声を上げる。
それを呼び水に騎士たちからも声が上がる。
なんとも都合のいい連中だ。
苦笑を浮かべつつ、トーノは目の前の相手に意識を集中させる。
遠目にも十分に巨大だったゴーレムは、近づくとますます大きく小高い丘か何かのようだ。
それが巨岩のような右手をゆっくりと振り上げる。
先ほどの一撃に対する恐怖心から、騎士たちは押し黙りその喉の奥からか細い悲鳴を漏らす。
一瞬の静寂ののち、ゴーレムの腕が振り下ろされる。
溜め込んだ位置エネルギーが強大な運動エネルギーに変換される。
対してトーノは一切の恐れなくその拳の正面に踏み込み、刃を中心に叩き込む。
鈍い抵抗と共に、ゴーレムの右腕が拳先から肩口まで断ち切られる。
だが、止まらない。
通常の生物ならその激痛に怯んで下がる場面でも、痛みを持たぬそれは残る腕を即座に振り上げ反撃に出る。
追う手間が省けて実に都合が良い。
そう笑みを浮かべながら一歩踏み込む。
懐に潜り込み、そのまま斬り上げる。
腰から胸を通し、左肩まで一刀両断。
その最中、左胸あたりで僅かな手応えを感じる。
土とは感触が違う。
核を捉えた。
その確信と共に、ゴーレムの身体が崩れ落ちる。
形を失い、ただの土塊へと還る。
「おお!よくやったぞトーノ!」
歓声が上がる。
だが、トーノはそれに応えない。
魔女にとってゴーレムは使い捨ての盾のようなもの。
足止めの道具であって主戦力ではない。
であれば、本命は別だ。
「ブルムラシュ侯、この隙にお逃げください!」
叫んだその瞬間、再び大地が唸る。
先ほどよりも大きな揺れ。
だが、二度同じ手を通じさせはしない。
なんとか踏ん張り、魔女の次の一手に備えるトーノの頭上に、唐突に影がさす。
見上げるより先に、直感で横へ跳ぶ。
直後、巨岩がトーノのいたその場所に叩きつけられ、轟音と共に地面が砕ける。
ほんの数瞬前まで何もなかったはずの中空に、突如として巨大な岩が現れる。
エネルギー保存則も質量保存則も無視した、理の外側からの現象。
それが魔法。
その途方もない理不尽さに歯噛みしながらも、頭上に現れた次の影を慌てて回避する。
間を置かず、さらにもう一つ。
回避の直後を狙うように、再び頭上に巨岩が現れる。
飛び退き、身を捻り、なんとかそれらの直撃を躱す。
だが、終わらない。
回避した先、その頭上にまた影がさす。
決してこちらを逃すつもりはないと、次々巨岩が降り注ぐ。
一つ、二つ、三つ、四つ。
絶え間なく叩きつけられるそれらを、ギリギリで回避し続ける。
轟音と振動が重なり、足場は崩れ、視界は土煙に覆われる。
不利な条件がどんどんと積み重なるその中で、しかしトーノは次第に冷静さを取り戻していく。
追い詰められているはずなのに何故そうなるのか。
冷静になると気付くものがある。
落石の軌道がいやに素直なのだ。
狙いは正確。
常にこちらの位置を完璧に捉えている。
だが、完璧過ぎる。
狙いの方向に誘導するだとか、逃げ場を封じるだとか、そういった工夫が一切ない。
ただただ単純に今トーノがいる場所に向けて真っ直ぐに落としてくるだけ。
直撃すればもちろんただでは済まない威力がある。
それでも、それだけなのだ。
あまりにも読みやすい。
予測しやすい。
如何に威力があろうとも、当たらないと分かればどうという事もない。
頭上にさした影を半歩身を引いて外し、そこから滑り出るように駆ける。
岩と地面がぶつかり合い発生する轟音、衝撃、振動、それら全てを置き去りにして前へ出る。
トーノと魔女、2人の距離が縮まる。
帽子の陰に隠れて魔女の顔は未だ見えない。
バサリとローブをひるがえし魔女はこちらに手をかざす。
慌ただしく揺れるローブの裾から彼女の焦りと動揺が伝わる。
次の落石がくる。
影も確認せず、トーノはその直感に従い横っ飛びに軌道を逸らす。
空を裂くような唸りを間近に聞きながら、さらに一歩距離を縮める。
魔女は動かない。
いや、動けないのか。
獲物を追い詰める術を知らず、己を逃す術を知らない。
彼女は魔法の玄人であっても戦いの素人だ。
そう確信し剣を振り上げる。
前方の地面が盛り上がり、進路を塞ぐように土壁が現れる。
無意味だ。
そう心の中で吐き捨て、剣を振り下ろす。
分厚い土壁は抵抗らしい抵抗も見せずに容易く崩れ落ちる。
次いで、足元が沈む。
地面が踏み込めばそのまま飲み込まれそうな沼状へと変化する。
それでもトーノは歩を止めない。
沈むより、飲み込まれるより早く蹴る。
沼の僅かな抵抗を足場に、さらに前へ。
今や立場は完全に逆転した。
トーノが狩る側であり魔女が狩られる側だ。
戦いも殺しも好きではないが、自分が優位な立場と分かれば思わず口角が上がってしまう。
この場には不釣り合いな笑みを浮かべながら一層の力を足に込め、一気に跳躍し魔女との距離を詰める。
それに対抗するように魔女との間に幾重もの土壁が生成される。
その数は一枚や二枚ではない。
しかし、その程度はモノの役にも立たない。
全身の力を集約させ、一閃。
壁が裂け、崩れ、割れる。
土が弾け、砂塵が舞い、土埃で視界が遮られる。
それでも構わず押し切る。
突き崩すたびに壁は弱く脆くなる。
そして、最後の一枚を破ったその向こう側に揺れる黒い影を捉える。
近い。
ほんの少しで命に届く。
その瞬間、魔女の気配が明確に変わる。
追い詰められた獣の最後の抵抗。
火事場の馬鹿力。
窮鼠猫を噛む。
楽勝ムードとたかを括っていた脳が警鐘を鳴らす。
何か来る。
その直感に従い身を引こうと僅かに顔を上げる。
その視線の先に、帽子の奥から僅かに覗く魔女の目があった。
紅玉石のように輝く赤い瞳だ。
その瞳がトーノを睨みつけている。
しかし、瞳の奥に宿る意志は決してトーノを捉えていないように見える。
この戦いとは別の、敵意だとか殺意だとかそういったものを超越した、もっと大きな何かに向かっている。
一体何に。
その疑問が脳裏をよぎった直後、地面がトーノを貫いた。
それが自然界に貢献しているが人間に裏切られてしまった哀れな生き物ビーバーです




