060 血脈に広がる毒 ⑧
儀式に参加していた魔術師の一人は、己の眼前に現れた凄惨な光景に息を呑み、全身の筋肉を硬直させていた。
元より、純粋な探求心から魔術のさらなる深みを知りたいと願い、この密会に参加したに過ぎなかった。
机に並べられた無数の小瓶に満ちた血を見た時には肝を冷やしたが、余計な恐怖に負けまいと何の血かはあえて聞かなかった。漆黒の液体が生き物のように蠢く様を目にした時には、あまりのおぞましさに気を失いかけたが、何とか歯を食いしばって堪えた。魔術という奇跡、その究極の最奥に触れることができるのならば――そう信じて疑わなかったのだ。
しかし、いま目の前に屹立する異形の怪物は、果たして自分が生涯をかけて追い求めてきた真理だったのだろうか。
密会を取り仕切っていた主導者の男が『賢者の石』と呼ばれる歪な結晶を砕き、その封じられた力を解き放った瞬間、男は人間であることを捨てて怪物へと成り果てた。
怪しく輝く赤黒い結晶を美しいと見惚れたのも束の間のことだった。もしかしたら、自分は取り返しのつかないほど道を踏み外してしまったのではないか。男の胸に、冷たい後悔が去来する。学問の都で、静かに地道な研究に励んでいた方が遥かに幸福だったのではないか、と。
魔人と化した男の、地面まで不気味に垂れ下がった長大な腕。
その先端に伸びた鋭利な漆黒の爪が、儀式に参加していた仲間の魔術師の一人を無慈悲に捕らえた。
肉を断つ鈍い音とともに、爪は魔術師の心臓を正確無比に貫いていた。あれでは激痛を感じる暇すらなく即死したことだろう。
(……せめてもの慈悲、なのだろうか……)
男はあまりの異常事態に現実感を喪失し、ぼんやりとそんな場違いな思考を巡らせていた。人間というのは、極限の異常に直面すると危機感すら麻痺してしまうものなのかもしれなかった。
怪物のすぐそばにいた別の魔術師が、恐怖のあまり錯乱しながら攻撃魔術の光弾を放つ。
だが、放たれた魔力は怪物の皮膚に触れた瞬間に霧散し、何の効果ももたらさなかった。怪物が苛立たしげに腕を一閃させると、鋭利な爪が真空を切り裂き、魔術を放った者の頭部と胴体は音もなく分かたれて石畳へ転がった。
周囲に残された他の魔術師たちから、悲鳴と絶叫が次々と上がるのを男は耳にした。
それでもなお、頭のどこかで他人事のように感じられてならなかった。自分はただ、希少な魔石の精製法を学べるという甘い誘い文句に釣られてここへやって来ただけだったはずなのに。
だが、血に濡れた爪を妖しく煌めかせながら怪物がゆっくりとこちらへ向き直り、赤一色に染まった瞳を細めて自分へ笑いかけたのを見た瞬間。男の喉から、初めて小さな悲鳴が漏れ出た。
気付けば、男は我を忘れて駆け出していた。
どこでもいい。光のある場所、地上へ通じる逃げ道――とにかくこの地獄でないなら、どこへでも。
「おっと、そいつはいけねえ」
背後から軽妙な声が響いたかと思うと、男の足首に見事な足払いが引っかけられた。
体勢を崩した魔術師は、無様に石畳の上へと転倒する。
「自分だけ我先に逃げちまおうなんてのは、筋が通らねえですぜ。首を突っ込んじまった以上、ケジメと責任は持たねえと駄目だ」
痛む顔を恐る恐る見上げると、先ほどジグたちと共に乗り込んできて、縄を解かれたばかりの軽装の男――ヴァルターが見下ろしていた。
転んだ時に鼻の奥を切ってしまったらしく、ツンとした痛みとともに生温かいものが垂れ落ちてくるのを感じる。
「こ、こわい」
ようやく自分の声で言葉を絞り出せたことを契機に、男の瞳から熱い涙が次から次へと溢れ出してきた。
「だったら、この辺で大人しく待っとくんでさあ。多分もうすぐ、正規の衛兵か何かがここへ踏み込んでくる。俺ァこの国の内情には詳しくねえが……あんたは見たところ、単なる興味本位の巻き込まれ口だ。全部洗いざらい事情を話して、お偉方に素直に協力するのが一番の身のためですぜ。そうすりゃ、命まで取られるような無体な扱いにはならねえはずだ。一生怯えながら逃亡者として生きるより、ずっとマシだろ」
ヴァルターの現実的で淡々とした話を聞きながら、魔術師の男は涙と鼻血に塗れた顔で「うん、うん」と縋り付くように何度も首を縦に振った。
もう二度と、このような禁忌の呪術に興味を持つことも、怪しげな力に手を出すこともしないと、男は魂の底から固く誓った。
もし五体満足で生きてこの罪を償えたならば、自分のような浅はかな過ちを犯す者が二度と現れぬよう、残りの生涯をかけて禁呪の恐ろしさを世に警鐘し続けようと、心に強く刻み込むのだった。
◇
「これまで各地で遭遇してきた者たちと、性質は全く同じですね、ジグ」
「だな。全身をあの気味の悪い黒い血で覆われてやがる。あれを纏われちまうと、生半可な魔術じゃ大して効かねえからな」
アルスと素早く言葉を交わしながら、ジグは怪物の力量を測るように次々と初級から中級の魔術を放ち続けた。
眩い火球――爆炎を浴びせるも、黒い表皮に吸われて効果なし。
鋭い雷撃――紫電が走るも、弾かれて効果なし。
閃く光槍――一瞬怯みはするものの、決定的なダメージには至らず。
(チッ、ここまでことごとく意味が無いといっそ清々しいくらいだぜ)
だが、幸いなことに怪物の動き自体は極めて緩慢だった。急激かつ歪な肉体変化に神経が追いついていないのか、魔人は長い腕を持て余すようにのそのそとしか動けていない。周囲の魔術師が警告していた通り、先ほど握りつぶされた賢者の石は、結晶化して間もない不完全な低質品だったということだろう。
「やっぱ、胸のあたりにあるはずの核を直接砕くのが一番手っ取り早いか」
ジグは忌々しげに吐き捨てる。
だが、この脆弱な地下で大規模な崩落を起こさぬよう手加減しつつ、魔法生物の強固な核をピンポイントで粉砕するとなると、やはり骨が折れる。ガウルが駆けつけてくるのを期待して待ってもいいが、このまま時間をかければ、逃げ遅れた周囲の魔術師たちがこれ以上無残に引き裂かれかねない。いくら悪党とはいえ、目の前で無駄に虐殺されるのを見過ごすのも後味が悪かった。
「ジグ、少し試してみたい事があります」
「あ? どうした?」
アルスの真剣な声に、ジグは怪物から視線を逸らすことなく、微かに眉を上げて応じた。
「先の精霊達が教えてくれた言葉……覚えていますか?」
「実体のない奴への対処法か? 『実体を持たない存在なんてあり得ない、精神の干渉がどうの』とか言ってたやつだな」
「ええ。私には、あの魔の者に変異した者たちが纏う黒い血の鎧と、魔方陣に広がっていた『魔王の血』と呼ばれる液体……それらが全く同じ源流のものに思えてならないのです」
「フム……そいつはあるな。賢者の石自体が魔王の血を凝固させた代物だ。そこから変異した奴が全身に纏ってるのも、同じ性質のものってのは大いにあり得る」
ジグは言葉を交わしながら、続けて鋭利な氷の魔術を放った。
硬質な音が響くのみで、やはり効果なし。せめて足元でも凍りついて動きを止めてくれれば儲けものだったのだが、全く通じない。こんな連中を相手にしていると、魔術師としての自信がゴッソリ削られてしまいそうだ。
続けて風の魔力を真空の刃へと収束させて放つが、これまた表皮を撫でるだけで傷一つつけられない。
「ずっと不思議だったのです。あの血の鎧とでも言うべき不浄な膜が、なぜ変異した者たちの身体に絶え間なく湧き上がり、維持されているのか。あれは、世界のどこかに封印されているという『魔王の本体』から、絶えず供給されているからではないでしょうか」
「賢者の石を砕いた奴の精神が、魔王の波長と強制的に結びついちまった結果……あの怪物が誕生し、力を垂れ流され続けてるってわけか?」
「私の推測に過ぎませんが。そして、以前出会った『魔王の配下』を名乗っていた者も、自らの精神を魔王と深く同調させた結果なのではないかと」
「なるほどな。つまり、その精神の繋がりを外から無理やり断ち切っちまえば……って寸法か?」
ジグは言いながら、再び鋭い雷撃を放つと、続けざまに灼熱の炎を重ねて放った。
放たれた炎は雷撃の紫電を喰らい、編み込まれた一筋の『雷炎の鎖』となって怪物の巨体へ巻き付いた。複合術による拘束には流石の怪物も手こずり、鎖を引きちぎるのに数秒の時間を要している。やはり、複雑に練り上げられた高度な魔術であれば、多少なりとも時間を稼ぐことはできるようだ。
「とはいえ、どうやってその目に見えねえ精神の繋がりを断ち切るつもりだ?」
怪物がこちらへ詰め寄ってこれないよう、ジグは絶え間なく牽制の術を撃ち込みながら問う。
ジグが前線で注意を引きつけているおかげで、部屋の隅で腰を抜かしていた魔術師たちも、ヴァルターの手引きで次々と安全な通路へと避難を完了しつつあった。
「私が以前、防御術として応用できないかと練習していた術を覚えていますか?」
アルスが指先から鋭い光の針を放ち、怪物の足元の影を地面ごと縫い止める。
影縫いの術式によって怪物の足がピタリと止まるが、相手が放つ圧倒的な濁流の力の前には、わずか数秒しか持たない。
「あー、やってたな。光の壁を幾重にも重ねる、あの結界術だろ?」
「はい。あれを空間ごと反転させ、あの者を純粋な『光の檻』の中に完全に隔離・封じ込めることはできないかと。それが外界からの繋がりを完全に遮断することになるかは、やってみなければ分かりませんが」
「ううむ。よくそんな無茶な応用を思いつくな、お前は。だが、今後の戦いのためにも試す価値は十二分にある。俺が奴の気を完全に引くから、その隙に思いっきり展開してみてくれ。もし失敗した時は、俺が直接奴の胸元へ飛び込んで核を砕くだけだから、結果は気にすんな」
「はい」
アルスの澄んだ返事を聞き届けると同時に、ジグは地面を蹴って大きく横へと躍り出た。
怪物の赤い瞳が完全に己へ釘付けになるよう、ジグは思いつく限りの魔術を次々と叩き込み、激しい光と熱で暗闇を埋め尽くしていく。
(……こういう時にガウルがいれば、もっと話が早いんだが)
ジグは走りながら、胸中で苦笑した。
背中を預け、真っ先に敵陣へと切り込んで強烈な一撃を叩き込んでくれるあの無骨な重戦士のありがたみが、今さらながら骨の髄まで身に染みて感じられるのだった。
◇
魔人と激しい火花を散らす二人を少し離れた場所から見守りながら、ヴァルターは胸元の衣服の上から記録用の小さな魔石にそっと触れた。
「アル・ハミドの地下深く。『賢者の石』と呼ばれる未完成の生成物。……および、それを解放して怪物へと変貌した魔術師の姿を確認」
漏れ聞こえないよう殺した小声で、目撃した状況を逐一魔石へと吹き込み、詳細な記録を残していく。
自分にも彼らの戦闘で何か直接手伝えることがあれば良いのだが、流石に不慣れな短剣を振り回して突っ込んでも、前線で奮闘するジグやアルスの足引っ張りになるのが関の山だ。
とはいえ、他の魔術師たちを誘導して避難を助けた後は、ただ固唾をのんで戦況を見守るしか手がないというのも、実に後味が悪くもどかしかった。
ヴァルターは改めて、部屋の中心で咆哮をあげる巨体へ視線をやる。
人間が異形の怪物へと変わる――そうした奇妙な現象自体は、この広大な大陸において全くあり得ないことではない。たとえば『不死者』などと呼ばれる、死者を冒涜する不吉な死霊術の類いもその一種だ。魔道帝国においてそういった事例は極めて珍しかったが、知識としてならヴァルターも文献で読んだことがあった。
だが、目の前で赤黒い気流を吹き荒らせているこの魔人からは、そうした旧来の魔術や死霊術とは一線を画する、もっと不気味で異質な何かを感じてならなかった。
「こいつさえ使えりゃあ、ちっとは二人の役に立てたんでしょうがね」
ヴァルターは自嘲気味に呟きながら、懐から細身で精緻な装飾が施された銀色の魔道銃を取り出し、苦々しい吐息をついた。
本来なら強力な一撃を叩き込めるはずの自慢の装備だが、連合国では思うようにエーテルを取り込めないらしく、ただの重たい金属の塊と化していたはずだった。
しかし――魔道銃の側面に刻まれた「充填されたエーテル量を示す発光文様」にふと視線が留まった瞬間、ヴァルターは少々の驚きとともに微かに目を見開いた。
完全に空っぽだったはずの文様が、かすかに青白い光を帯びて点灯していたのだ。
蓄えられたエネルギーは決して多くはない。だが、たった一発ならば魔導弾を発射することができる状態へと復旧していることを、その文様は明確に示していた。
「ん? なんでだ?」
連合国であっても大気中のエーテルを自然吸引し、時間をかければいつかは再充填されるだろうとは思っていたが、いくら何でもこんな短時間で充填されるはずがない。
不審に思いながら探るように胸元へ手を突っ込むと、手先がゴツゴツとした固い物体に触れた。先ほど地上で、あの図々しい商人から強引に押し付けられる形で買い取らされたエーテル鉱石だ。
取り出して薄暗がりの中で確認してみると、二つあった鉱石のうち片方が、エーテルの輝きを完全に失ったただの灰色の石ころへと成り果てていた。
「なるほどねえ……。こいつに含有されてたエーテルを、銃の吸魔機構が直接吸い取ったってわけですかい。ううむ、癪だが、あのアコギな商人から買ったのも完全な損じゃなかったっつー事っすか」
思いがけない形で作戦の打開策を手に入れたことで、ヴァルターの胸に微かな高揚感が芽生える。
とはいえ、やはりあの強引で強欲な商人の顔を思い浮かべると、素直に感謝する気にはなれず「けっ」と心中で毒づいた。
複雑な感情を抱いたまま、ヴァルターは壁の影からそっと身を乗り出し、薄暗い洞窟内で鈍く銀色に輝く魔道銃を両手でしっかりと構えた。
あの異形の魔人が持つ具体的な弱点や構造までは分からない。
だが、二足歩行で動き回り、意思を持って暴れている以上、命ある生き物であることに変わりはないはずだ。心臓を正確に撃ち抜かれれば、無傷で済むはずがない。そういうものがあればの話だが。
ヴァルターの鋭い眼光は、ジグの牽制とアルスの術を前にして、なおも不気味な変貌を遂げようと蠢く魔人の胸元を、正確に捉え続けていた。
◇
「フム……なるほどな。いくら全身を変異させても、両目から周囲の情報を得てるのは変わらねえってわけだ」
ジグが独りごちながら、巨体の死角となる側面へと素早く回り込み、指先から鋭い雷撃を放った。
紫電の光弾は魔人に直撃する直前、ジグの緻密な指の動きに連動して一箇所に凝縮し、次の瞬間に激しい閃光となって爆ぜた。
視界を奪うほどの眩い光に、魔人が不快そうに顔を背け、獣のような唸り声をあげる。やはり視界を潰されると極端に動きが鈍るらしい。
「だったら、こいつでどうだッ!」
魔人が闇雲に振り回す長大な爪を間一髪で回避しながら、ジグは手のひらから無数の小さな火球を放ち、パンッと手を打ち鳴らして合図を送った。
火球は合図とともに一斉に爆ぜ、濃密な黒煙を巻き散らして魔人の周囲の視界を瞬く間に奪い去る。魔人は苛立たしげに長い腕で黒煙を振り払い、払いのけようとするが、術で生み出された黒煙は風を孕んで周囲に留まり続けた。
「いいぞ、アル!」
「はいッ!」
ジグの合図を受け、後ろに控えていたアルスが両手を高くかざし、その手のひらから透き通るような白銀の光を解き放つ。
「これで……繋がりの空間を遮断できるはずです」
アルスがかざした両手の指先の動きに連動し、光の粒子が高速で舞う。右へ、左へ、上へ、下へ――。
目まぐるしく走った光の軌跡は、魔人を全方位から取り囲むいくつもの光の壁となり、やがて外界から完全に内部を孤立させる幾何学模様の光の檻へと昇華した。
檻が完成した瞬間、魔人から絶え間なく湧き出していた瘴気のような邪悪で不快な圧迫感が、ブツリと途切れたかのような感覚が二人の皮膚を撫でた。
「上出来だ、やったなアル!」
「ええ。 ですが、そう長い時間留めておくことは出来ません」
「封印された魔王とかいう奴からの力の供給は止まったが……奴の身体に残された血の鎧自体はまだ健在だからな。……あの分厚い鎧ごと貫く魔術を、やっぱり叩き込まなきゃいけねえか」
ジグは言いながら、状態を確かめるようにいくつかの牽制魔術を連続で放つ。
目論見通り、外部からの力を断たれた魔人には、先ほどまで弾かれていた魔術の威力が明らかに通りやすくなっているのが分かった。
このまま残された黒き血の鎧ごと、胸の核を貫く高度な魔術を展開しようとジグが深く息を吸い込んだ、その時だった。
「伏せてくだせえっ!」
背後から響いたヴァルターの切迫した叫び声に、ジグは咄嗟に身を低く屈めた。
一筋の眩い純白の熱線がジグの頭上を突き抜け、空間を切り裂いて魔人の胸中央を正確無比に貫いた。
鋭い熱線が空気を焼き焦がした残響音を周囲に響かせながら、巨体はピタリと動きを止め――次の瞬間、まるで糸の切れた人形のように石畳の上へ静かに崩れ落ちた。
断末魔の悲鳴をあげる暇すら与えられず、魔人の全身はドロドロとした黒い液体へと溶け出していく。
魔人の肉体が完全に崩壊して黒い水たまりへと変わり果てた中心には、先ほど賢者の石を砕いたあの魔術師の男が、元の人間としての姿でぐったりと横たわっていた。
「おお、ちゃんと人の姿に戻れたか。命拾いしたな、運のいいやつだ」
「以前出会った魔術師の方と違って、おそらく出来上がった賢者の石に触れていた時間が極めて短かったからでしょうね……。結晶の仕上がりが不完全だったことも、幸いしたのかもしれません」
「とはいえ、息はほとんどしてねえな。仕方ねえ、お前がちょっと手当てしてやってくれ。後の事は、衛兵やカシム達に丸投げするとしようぜ」
「はい」
念のためジグが男の腕を掴んで不気味な黒い水たまりから引きずり出し、比較的汚れていない部屋の一角へと運び込むと、アルスがすぐさま法術をかざして男の応急手当てに取り掛かった。
ヴァルターはその一部始終を少し離れた場所から眺めながらも、己の掌に残る魔道銃の鮮烈な感触に、胸の高鳴りを隠せずにいた。
熱線を解き放った瞬間に手に伝わってきた心地よい振動、一瞬で魔人を穿ち抜いた貫通力、そして発射後の反動の収まりも悪くない。
流石に重装歩兵の頑丈な鉄鎧まで貫けるかは未知数だが、本来の用途として設計されている魔物退治や、鉱山での巨大岩盤の掘削用途には十二分すぎるほどの性能だ。
まさかこの俺が、この最新型の記念すべき試し打ち第一号になれるとは。帝国に無事帰還したら、同僚の奴らに酒の肴として存分に自慢してやれるぞ。
ヴァルターは懐の魔道銃をそっと撫でながら、ニヤけそうになる口元を必死に手で押さえる。
「……んで、そいつは一体なんだ?」
「え、あ、いやあ……。 な、なんでしょうねえ? へへ、えへへ……」
気付けば、手当てをアルスに任せたジグがすぐ目と鼻の先まで歩み寄ってきており、疑わし気な目でこちらをじっと見ていた。
ヴァルターは焦って魔道銃をサッと胸元へ隠し、引きつった愛想笑いを浮かべるが、流石に不自然極まりない。
「……そいつの筒先から出たあの熱線ってのは、人に対しても同じように効くのか?」
「う、ううん……。本来はあまり言っちゃいけねえんすけど……まあ、世話になりやしたからね、二人には特別っすよ。絶対口外無用でお願いしやすね?」
「わーってるって」
「基本的には、魔物とかにしか効かねえ仕様になってるんすよ。あとは巨大な岩を砕くとか、その程度の事しか出来やせん。……万が一間違って人に当たっても、命を奪うどころか『なんだかもの凄い疲労感に襲われる』くらいで済むようになってるらしくてね。まあ、誤射事故防止の術が組み込んであるとしか聞いてないんすけどね」
「ふうん。なるほどな」
腕を組みながら、ジグはヴァルターの胸元から僅かに覗く銀色の金属筒を見つめ、一人思考を巡らせる。
人や動物に向けて放つと、自動で術の性質を変化させる魔道具か、面白いな。一体どんな複雑な構造をしているのか、後学のために「ちょっと触らせてもらえないか」と頼んでみようかと考えた、その時だった。
――タッタッタッタッ……!
地下道の奥、地上の大通りへ続く通路の遠くから、無数の靴底が石畳を鳴らす足音が微かに響いてきた。
乱れのない規則正しい足音の響きは、この地下に隠れ住む賊のものではなく、鍛え上げられた警備兵や正規軍のそれであることを物語っている。
「……まあ、いいや。お前は早いとこ行った方がいいぜ。そんな代物を持ったままここに残ってたら、念のために身柄を拘束しておこうって話になりかねねえからな」
「へへ……、すいやせん。何から何まで気を使ってもらっちまって。結局、俺ァ自分の詳しい身分も明かさねえままだってのに」
「いいから早く行けっての。もしお前が本当の悪党なら、どうせそのうちどこかで捕まるんだからよ」
「む、胸を張れないような悪事は、これまでの人生で一度もしたことがねえっすからね!」
ヴァルターは軽口を叩きながらも、すぐ近くの石畳にへたり込んだままの、先ほどの魔術師の男へと歩み寄った。
屈み込んで胸元に手をやると、先ほど自慢の銃にエーテルを吸い尽くされ、ただの灰色の石ころと化した鉱石を取り出す。
魔術師はまだ顔を拭う気力もないらしく、涙と鼻血に塗れた顔のままだった。
「……俺があんたに、偉そうに説教できるようなことなんて何もねえんすけどね。ただ、人生の道を誤っちまうことなんて、誰にだって一度や二度はあることっすから。……生きてここを抜け出せたんなら、いくらだってやり直せるっすよ」
ヴァルターは優しく言葉をかけると、魔術師の震える手を取って、そっと灰色の石を握らせた。
「こいつが何の記念や教訓になるかも分かんねえっすけど……『自分は今日、間違いなく生きて帰れたんだ』って分からせてくれる物があれば、これからの励みになるかもしれないっすからね。……ただの石っすけど、差し上げますよ」
「あ……あ、ありがとう……ございます……」
魔術師のおぼつかない感謝の返事を聞き届けると、ヴァルターはさっと立ち上がり、離れた場所に立つジグに向かって無造作に片手を上げた。
ジグも小さく頷きながら、「さっさと行け」と言わんばかりにシッシッと手を振り返す。
終わってみれば中々の収穫だったな。そんな満足感を胸に抱きながら、ヴァルターは地上の援軍に見つからぬよう身を翻し、一人地下の闇へと滑らかに消えていったのだった。




