022 ヴァンパイアハンター、見参!(後編)
森の木々がより一層その茂みを増し、天を衝く枝葉が外界の光を拒絶するように重なり合う。その最奥、湿った土と腐葉土の匂いが立ち込める断崖の根元に、その洞窟はぽっかりと口を開けていた。
生命そのものを忌避するかのような冷気が、暗い穴から絶えず溢れ出している。まるでそこだけが世界の理から切り離された異界であるかのように、侵入者の足を躊躇わせる不気味な静寂が支配していた。
「ここか?」
「はい……。ルシアンと何度か来たことがあります。間違いありません」
翌朝、シエラの案内に従って湿った草をかき分け進んできた一行は、その入り口を前に足を止めた。
「吸血鬼の住処」という先入観のせいか、漆黒に塗り潰された内部からは、どろりとした陰鬱な気配が漂ってくる。
「……たしかに、ただの洞窟じゃねえな。魔力が微かに漏れ出していやがる」
「ええ、中に何者かが潜んでいる明確な気配がします」
精霊たちの警告が聞こえる、とまでは口にしないアルスの配慮に、ジグは内心で安堵しつつ目を凝らす。だが、外光を吸い込むような闇の前では、熟練の賞金稼ぎの目をもってしても一歩先すら判然としない。
「……では、行くか。毒を食らわば、というやつだ」
「……はいっ!」
「はあ……、とびきり厄介なやつじゃなきゃいいんだがな……」
ガウルが大剣の柄に手をかけながら先陣を切り、シエラが悲壮なまでの決意を瞳に宿してその後に続く。
ジグはどうか「話の通じる相手」であってくれと祈りながら、気乗りしない足取りで歩き出した。最後尾を行くアルスが魔法光を灯すと、青白い光が岩壁を舐めるように照らし出し、一行を奥へと誘っていく。
「……外から見るより、ずっと広大な空間ですね」
アルスが周囲を警戒しながら、声を潜めて言った。
敵に察知されぬよう光量を絞ってはいるが、天井は高く、反響する足音からかなりの奥行きがあることが知れる。四人は互いの気配を感じ取れる距離を保ち、密やかな囁き声で意思を交わした。
「こいつは中々の掘り出し物だな。吸血鬼の別荘にはおあつらえ向きってか……」
「戦うにしても、これだけ広ければ窮屈な思いはせずに済むか」
ジグとガウルは戦いの構えをし、闇の奥から飛来するであろう攻撃に意識を研ぎ澄ませる。これほどの広さがあれば魔術の余波も逃がせるだろうが、正体不明の魔族と正面から激突する事態だけは、ジグの本心が全力で回避を叫んでいた。
『何者だ』
不意に、洞窟の岩壁そのものが震えるような低い声が響き渡り、一同は凍りついたように動きを止めた。
ジグとガウルが即座に周囲を索敵するが、目に見える範囲には影一つ存在しない。
『ここは我が寝所……。我が領域を侵す不届き者よ、即刻立ち去るがいい』
「この声……ルシアン……っ!」
空間に満ちる声に、シエラが弾かれたように叫んだ。
忘れるはずもない、今日まで死に物狂いで、たった一人で追い続けてきた魔族の男のこの声。
レイピアを握る彼女の指関節が、白く浮き上がるほどに力が籠もる。
「っ……! 皆さん、何か来ます!」
アルスの鋭い警告が響く。
ガウルが大剣を引き抜き、ジグが指先に魔力の火花を散らし、シエラが昨日授かった「急所を突く構え」を執った刹那――。
虚空に青白い燐光が走り、それは瞬く間に蒼い炎へと膨れ上がると、数体の猛獣や亜人を模した異形へと形を変えた。
「こいつは……幻獣に魔法生物か! これだけ鮮明に実体化させるたぁ、ルシアンって野郎、本物の『魔族』かよ……!」
「この短時間で、これほどの質を持つ個体を同時に作り出すなんて……」
眼前の異形たちは、もはや魔術の産物とは思えぬほど生々しい拍動を伝えてくる。これほどの魔法生物を造作もなく使役してみせることこそ、ルシアンが人の枠を超えた存在であることの、何よりの証明であった。
『警告はした。聞き入れぬというのなら、その者たちが相手をしよう』
洞窟の奥から、ルシアンの冷徹な宣告が木霊する。
おそらくはこの声すら、遠隔から届ける魔術の類なのだろう。底知れぬ魔族という存在に、ジグは苦々しく舌打ちをした。どうやら、甘い見通しは捨てたほうが良さそうだ。
「なら、まずはこいつらからだな。……アルス、弱点はあるか?」
「不死者と同じです。魔術で構成された存在なら、核が心臓の位置にあります。そこを砕いてください!」
ガウルの問いに、アルスが魔法光を強く放ちながら応じる。もはや隠密を保つ必要などない。
「だそうだ。行けるか、シエラ!」
「……はい! そのために、ここまで来たんです!」
「よおし……。派手に暴れてやろうじゃねえか!」
シエラの力強い叫びを合図に、四人はそれぞれの得物を手に散開した。
漆黒の静寂を魔法光が切り裂き、魔族が放った刺客たちとの、苛烈な前哨戦が幕を開けた。
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アルスが灯す魔法の光に照らされた、這うような薄暗がりの中で、大剣が描く一閃の軌跡が白銀に輝いた。
ガウルの放った渾身の縦一文字が、魔術によって凝固させられた亜人の胸を切り裂く。しかし、刃は核を砕くまでには至らず、亜人は獣じみた咆哮とともに飛び退いて距離を取ると、仕切り直す間もなくガウルの首筋目掛けて鋭利な爪を突き出した。
ガウルは大剣を盾のように操り、火花とともに亜人の爪を弾き飛ばす。肉厚な鉄塊で強引に敵の体勢を崩すと、がら空きになった心臓の位置へ、容赦なく剣先を深く突き刺した。
亜人は断末魔の嘆きを洞窟中に轟かせ、微かな魔力の残滓を残して霧散した。
だが、息をつく暇もない。霧の向こうから、さらに別の二体が音もなくガウルへと襲いかかる。
ガウルは一体の刺突を大剣の腹で受け止め、強烈な前蹴りで吹き飛ばすと、もう一体へ向けて胸のナイフを投擲した。鈍い音とともにナイフが亜人の肩に突き刺さり、敵の動きが一瞬鈍る。その僅かな隙を利用し、彼は大剣を構え直して体勢を立て直した。
ガウルは昨夜宣言した通り、複数の敵を一手に引き受け、完璧に囮役を全うしていた。死地にあっても冷静さを失わず、鋭い眼光で常に勝ち筋を探り続けるその背中は、彼が数多の戦場を潜り抜けてきた熟練の傭兵であることを無言に語っていた。
「やあっ!!」
シエラの裂帛の気合とともに、レイピアの鋭い切っ先が幻獣の胸を正確に貫いた。彼女は昨日のガウルの教えを忠実に守り、無駄な力を抜いて、敵の力を利用するように戦っていた。
「 後ろにまだいます!」
アルスの切迫した声と同時に放たれた光球が、シエラの背後に迫っていた別の幻獣の眼前で炸裂した。魔術によって生み出された異形には、生身の獣のような目潰しの効果は薄い。それでも、不意の閃光は異形の動きを確実に一瞬だけ止めさせた。
「動きを止めるな、次が来るぞ!」
「は、はい!」
怯んだ幻獣の核へシエラがレイピアを突き刺し、辛うじて一息ついたところへ、ガウルの叱咤が飛ぶ。
ガウルは既に亜人をもう一体屠り、続けて襲い来る別の一体と刃を交えながら、さらに二体の幻獣をもその身に引き付け、嵐のような猛攻を凌ぎ続けていた。
「チッ……こいつら、無限に湧き出てきやがるのか!?」
ジグが悪態をつきながら、迫り来る幻獣へ向けて魔術を解き放つ。しかし、強固な魔力によって編み上げられた異形たちの肉体は、並の攻撃魔術では傷一つ付かない様子だ。
「クソ……! アル! 援護を頼む!」
「はい!」
アルスが間髪入れずに光球を放ち、幻獣を一瞬だけ怯ませる。
ジグはその刹那の隙を逃さず、幻獣の懐へ電光石火の速さで飛び込んだ。腰の短剣を引き抜くと同時に膨大な魔力を注ぎ込み、刃を赤熱する魔力の塊へと変え、そのまま幻獣の心臓へと深く突き刺した。
「…やっぱり、単純な術じゃあ、掠り傷一つ付けられやしねえか」
ジグが短剣を引き抜き、次の敵に備えながらぼやく。
しかし、このままではジグの魔力が尽きるか、ガウルの体力が尽きるかの消耗戦になるのは明白だ。
これほどの質の魔法生物を、いかに魔族といえど、無限に呼び出し続けられるものなのだろうか……。アルスが疑問を抱き、魔力の流れを察知しようと周囲を警戒すると、洞窟の奥、一段高くなった岩場の上に、じっと佇む亜人の魔術師の姿を捉えた。
「ジグ、あそこに!」
「なるほどな……。まず魔術で亜人の魔術師を生み出して、そいつに後の展開を丸投げしてたってわけか……。とんでもねえ野郎だ」
アルスの指し示す方向を確認し、ジグは改めて魔族という存在の底知れなさを実感していた。できることなら、生涯敵対したくはない相手だと、心の底から感じた。
「ガウル! あいつがリーダーだ! 頼む!」
ジグはそう叫ぶと、手の平に凝縮させた火球を亜人の魔術師へと投げつけた。
放たれた炎は亜人の肉体を焼くには至らなかったが、激しい爆発と炎上は魔術師を大きくよろけさせ、暗闇の中でガウルへの格好の目印となった。
ガウルはジグの意図を瞬時に汲み取り、疾風のごとく亜人の魔術師へと駆け出した。
横合いから襲い来る幻獣の爪が彼の腕を軽く引き裂き、鮮血が舞ったが、彼は一顧だにせず、ただ一直線に標的へと向かっていく。
シエラはその間も、襲い来る幻獣たちをさらに二体、鮮やかな剣捌きで討ち取っていた。ジグとアルスは、彼女とガウルが背後を突かれぬよう、魔法光と牽制の魔術で援護に回る。
そしてついに、ガウルが亜人の魔術師の懐へと肉薄した。唸りを上げる大剣の鉄塊が、容赦なく魔術師の胴体を深く突き刺す。
亜人は洞窟中に響き渡るような、この世のものとは思えぬ嘆きの声を上げ、その姿を霧散させた。
核となっていた魔法生物が消滅したことで、魔力の供給を絶たれた周囲の幻獣たちも、糸が切れた人形のように次々と掻き消えていった。
激しい戦闘の音が止み、洞窟は束の間の、耳が痛くなるほどの静寂を取り戻すのだった。
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『ほう……。我が下僕たちを退けるとはな』
アルスがガウルに駆け寄り、鮮血の流れるその腕に癒しの光を当て始めた時、再び洞窟の天蓋に声が共鳴した。ルシアンの声には、一行の奮闘に対する隠しきれない驚嘆の色が混じっている。
「へっ……。あんな小細工じゃなく、ようやく本人のお出ましってわけか」
ジグが指先に魔力をパチパチと爆ぜさせ、不敵に言い放つ。ガウルもまた、傷を癒されながら大剣を握り直すが、その額には大粒の汗が滲んでおり、消耗は隠せない。一行の疲弊は限界に近く、本音を言えばこれ以上の連戦は避けたいところだが。
『よかろう。私が自ら相手となろう』
宣告が響き渡るや否や、一同の目の前でひときわ眩い蒼炎が爆ぜた。渦巻く炎の中心に、一際冷徹な気配を纏った人影が立ち現れる。
ジグと同じ尖った耳、そして月光に透けるかのように青白い肌。それはまさしく、夜の住人、吸血鬼そのものであった。
「……! やっと見つけた……、ルシアン!!」
その姿を捉えるが早いか、シエラが弾かれたように駆け出した。
「駄目だ! 待て、シエラ!!」
「シエラだと……!?」
ガウルが鋭く制止の声を上げる。はやる気持ちを抑え、連携を組まねば勝てる相手ではない。
だが、その叫びも虚しく、シエラは既に闇を切り裂いて突進していた。ルシアンもまた、予期せぬその名を聞き、端整な眉を僅かに動かす。
「仕方ねえ、援護するぞ、アル!」
「はい、行きましょう!」
ジグとアルスが矢継ぎ早に続き、ガウルもまた痛みを堪えて彼女の後を追う。
シエラは今日までの峻烈な道のり、積もりに積もった思いをすべて足に乗せるかのように、ルシアンの懐へと肉薄した。
そして、ついに彼女の細剣がルシアンを一閃するかと思われた、その刹那――。
「この、馬鹿ぁっ!!」
薄闇の中で煌めいたのは、鋭い剣閃ではなく、泣き出しそうな、けれどあまりに力強い叫びであった。
彼女は剣を放り出す勢いでルシアンのマントの襟を掴み、必死に、そして猛烈に訴え始めたのである。
「……へ?」
「な、なんだ……?」
「これは……」
三人はシエラの豹変ぶりに、まるでその場に縫い留められたかのように硬直した。
ジグの手から放たれようとしていた火球は、行き場を失ってしゅるしゅると煙を吐きながら霧散し、ガウルは大剣を振り抜こうとした力のやり場を失ってよろめき、アルスは目潰し用の光球を、とりあえず気まずそうに照明として岩場に置いた。
「なんで、急にいなくなっちゃうのよ! 探したんだからね!」
「いや……、シエラ。僕は、ちょっと一人で考えたくて……。やはり、君のような清らかな人の血まで啜るというのは、僕の矜持が……」
「何よ、この意気地なし! 好きな女の血も飲めないの!」
――ああ、俺たちはとんでもない、そして致命的な勘違いをしていたのかもしれない。
ジグは、あんぐりと開いた口が塞がらないまま、遠い目で二人を見つめていた。ルシアンが底知れぬ魔力を持っていることは事実であり、戦わずに済むのならこれ以上の御の字はないのだが、この居たたまれない空気だけは、どんな防御術でも防ぎようがなかった。
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「皆さんには本当に……なんとお礼を言ったらいいか……」
洞窟の入り口で、シエラは三人に深々と頭を下げた。
その傍らには、いまだに事態の急転直下に追いつけていないルシアンが、吸血鬼としての威厳もどこへやら、所在なげに佇んでいる。
「んん……まあ、なんだ。婚約者が無事に見つかって、良かったじゃないか」
「そう……だな。怪我も、なかったようだし……な」
「お二人とも、帰り道はお気をつけてくださいね」
三人はそれぞれ、煮え切らない想いを抱えつつも、精一杯の祝福の言葉を絞り出した。
まさか、決死の覚悟で追ってきた「仇」が、愛が重すぎて一時避難していた「婚約者本人」だったとは、誰が予想できただろうか。
ことの起こりは、村に馴染み始めたルシアンとシエラが恋に落ち、トントン拍子に結婚が決まったことだった。王国境に近い村ゆえに異種族への理解があったのは幸いだったが、シエラの愛は、ルシアンの想像を遥かに超えて深かった……いや、重かったのだ。
ある日、彼女が「私の愛の証」として、自らの血を満たした小瓶を差し出した時、ルシアンは戦慄した。
両親が結婚を認めてくれたことには感謝していたが、この究極の贈り物をどう扱うべきか。一族の中でもとりわけ温厚で、血を飲む習慣の薄かった彼は、一度冷静になる時間が欲しくて、この「別荘」へと逃げ込んできたのである。
シエラはもう一度深く礼を言うと、逃がさないと言わんばかりにルシアンの腕を取り、村へと歩き出した。
ルシアンの足取りがふらついているのは、直射日光のせいか、それともこの先の結婚生活への「覚悟」がまだ決まっていないせいか……。
「……でも、復讐劇じゃなくて、本当に良かった……ですよね」
「うーん……まあな。ルシアンのこれからは、別の意味で戦いになりそうだが」
「ん……んん……」
事態を前向きに解釈しようとするアルスとジグの声を聞きながら、ガウルは行き場を失った戦意を冷ますように低く唸った。
「それにしても、ガウルは剣術を教えるのが得意なんですね。意外でした」
「ああ、教え慣れてる感じだったよな。結構厳しかったし」
「……ぐっ……」
ガウルは腕を組み、苦悶の表情で声を漏らす。
婚約者を奪われた復讐行だと勝手に思い込み、つい指導に熱が入ってしまった。王国で騎士団に身を置いていた頃の、新人を教える感覚を無意識にぶつけていたことに、今更ながら猛烈な決まり悪さを感じていたのだ。
「……まあ、そのうち二人には話すさ。俺の……気持ちの準備ができたら、な」
「ええ、いつかゆっくり、聞かせてくださいね」
観念したような溜息とともにガウルが告げ、アルスが優しく微笑んで同意する。
ジグは何の話か分からぬとばかりに首を傾げていたが、深追いはしなかった。自分にだって、二人に語り尽くしていない過去など山ほどある。
三人は、このなんとも締まらない、けれど誰も死ぬことのなかった奇妙な依頼に、奇妙な充足感と脱力感を覚えながら、再び旅路へと戻っていった。
後日、近くの街の教会で、珍しい異種族同士の結婚式が執り行われたという。
滅多に人里に現れぬ夜の眷属との新たな門出を、人々は驚きつつも温かく祝い、この夫婦は波乱万丈ながらも、賑やかに、そして深い愛(と少々の重圧)と共に幸せに暮らしたということだ。




