021 ヴァンパイアハンター、見参!(前編)
一行が木々の深く立ち込める森を進んでいた、ある日のことである。静謐を切り裂くように、場に似つかわしくない鋭い鉄の音が響いた。
ジグ、アルス、ガウルの三人は瞬時に顔を見合わせると、示し合わせたように音の源へと地を蹴った。
「……く……っ!」
鬱蒼とした森の切れ間で、一人の女が魔物の群れと対峙していた。
彼女を嘲笑うかのように囲む小鬼の群れ。そして、その小鬼たちが手懐けたのであろう数匹の野獣が、低く唸りを上げて獲物の隙を窺っている。女の手にあるのは細身のレイピア。鋭い刺突で応戦してはいるものの、その身のこなしには実戦に不慣れな危うさが付きまとっていた。
「目を伏せてください!」
「……っ! なにを……っ!」
一匹の小鬼が、その喉笛を目がけて跳躍した瞬間。アルスの鋭い制止が飛び、同時に眩い光球が放たれた。
女は唐突な叫びに戸惑いながらも、本能的に腕で視界を遮る。直後、彼女の眼前で光球が炸裂し、白銀の閃光が小鬼たちの網膜を焼き尽くした。
「よし、上等だぜアル!」
ジグの短く鋭い詠唱とともに、大気が凍てつく。本来なら雷撃で一掃するところだが、乱戦の最中にいる女を巻き込むわけにはいかない。放たれた極寒の魔力は、視界を奪われ狼狽える小鬼たちを、次々と生きたまま氷像へと変えていく。
ガウルもまた、光の瞬きを合図に動いた。その手から放たれた数本のナイフが、正確に獣たちの急所を射抜く。刃に塗られた痺れ薬が即座に回り、獣たちはぎこちない動きで喘ぎながら、這うようにして森の奥へと退散していった。
「大丈夫ですか?」
「あ……ええ。その、ありがとうございます」
アルスが歩み寄り、跪いて手を差し伸べる。フードの奥から覗くアルスの端整な美貌に、女は一瞬だけ言葉を失ったが、すぐに我に返ってその手を取った。
もはやこれまでか、と死を覚悟した矢先の鮮烈な救援。彼女の瞳には、まだ混乱の色が濃く残っていた。
(氷の魔術なんて滅多に使わねえが……案外、悪くねえ出来だな)
「こんな場所で、一人で何をしていた?」
自ら作り上げた氷の彫像をしげしげと眺め、独りごちるジグの横で、ガウルが低い声で問いかけた。女の装備はあまりに心許ない。レイピア一本でこの深き森を往くには、覚悟も技量も不足しているのは明白だった。
「はい、あの……私、シエラと申します。……人を探していて」
「人探し、ですか。ご家族か何かとはぐれたのですか?」
アルスの問いに、シエラはまだ動悸が収まらぬ様子で首を振った。
彼女を観察していたガウルは、その軽装さと怯え方から、彼女が戦いの門外漢であることを確信していた。
「こんな森の中で人探しだと? 奇特なこともあるもんだな」
ジグが自己満足の極地からようやく戻り、シエラを振り返った。
その瞬間、シエラの顔に驚愕の色が走った。ジグの、その特徴的な「尖った耳」を凝視している。
ジグは自らの外見に驚く人には慣れていたので、彼女の視線を気にも留めなかった。
「……あ、いえ。すみません。あまりに……探している人に、似ていたものですから。その、お耳の形とかが」
申し訳なさそうに視線を落とすシエラ。その言葉はまだ戦いの余熱でつかえがちだったが、森を渡る風が彼女の乱れた髪を優しく撫で、幾分かの落ち着きを取り戻させていく。
「ジグに似ている、か。この辺で彼のような者は珍しいはずだがな」
「そうですね……連合国でエルフのような特徴を持つ方は、そうそう見かけませんが」
ガウルとアルスが首を傾げる。ジグ自身、自分と似た外貌の者は神聖王国で数えるほどしか見たことがない。
三人の間に疑念が渦巻く中、シエラは意を決したように、真っ直ぐに彼らを見据えた。
「……あの! もしご迷惑でなければ、私の人探しを手伝っていただけないでしょうか。報酬も、多くはございませんが、精一杯用意いたします!」
「そう言われてもなあ。どんな奴かも分からねえし、まずは近くの街へ戻るのが筋じゃねえか?」
「違うんです! 私……」
シエラは一度深く、肺の腑まで空気を吸い込み、決然と言い放った。
「私、吸血鬼を探しているんです!!」
予想だにしない単語の響きに、三人は言葉を失った。
そしてジグは、己の数奇な運命を呪うように、深いため息とともに天を仰ぎそうになるのだった。
----------
「吸血鬼を探している、と……」
「噂にしか聞かない種族の方々ですが……」
ガウルとアルスが戸惑いつつも、事態を飲み込もうと言葉を交わす。その傍らで、ジグは固く目を閉じ、彫像のように腕を組んでそのやり取りを聞いていた。
(……なぜだ。なぜ、こいつらはこの話に疑問を持たねえんだ?)
ジグの脳裏を、得も言われぬ葛藤が駆け巡る。割に合わない奇妙な仕事ばかりを請け負いすぎて、感覚が麻痺してしまったのか。旅とは、もっと自由闊達に、賞金首を狩りながら悠々と歩むものではなかったのか。賞金稼ぎが「まともな旅」かどうかはさておき……。
「……私の村は、ここから北へ進んだところにあります。王国との境目に近い場所で……」
シエラは細身のレイピアを胸の前で抱くように持ち、神妙な面持ちで語り始めた。後ろで結ばれた長い髪が、時折吹き抜ける風に煽られて心細げにそよぐ。
「……なら、そいつは王国の方からやって来たのか?」
「はい。彼は……ルシアンは、各地を旅して回っていると。古い言い伝えにあるような、人の血を吸って生きる怪物ではないと言っていたんです。どうしても血が必要な時は、狩りをした獣の血を分けてもらっている、と……」
転がり始めてしまった話を、ジグは苦々しく聞いていた。
確かに、吸血鬼といえば人の鮮血を求める夜の眷属とされた時代もあった。だが、人里に滅多に姿を見せない彼らが、どうやって安定して人の血を得るというのか。伝承というものは、いつの時代も尾ひれがついて回るものであった。
「はじめは、村の皆も戸惑っていました。でも、彼の誠実さが少しずつ伝わって、ようやく打ち解けてきていたんです……」
「それなのに、問題が起きたというのですか?」
「……私もルシアンとは親しくしていました。家族ぐるみで……。なのに、あいつは……っ!」
シエラはレイピアの柄を指が白くなるほど固く握りしめ、言葉を詰まらせた。必死の訴えに、アルスもかけるべき言葉が見つからない様子で立ち尽くす。森の精霊たちまでもが、彼女の悲痛な声に共鳴するようにざわめき立った。
(……種族の本能に抗いきれず、村を襲っちまったか)
ジグは内心でそう断じていた。ガウルもアルスも、似たような結末を予感したに違いない。
人里に溶け込もうと夢を見て旅を続けた吸血鬼が、抗えぬ血の渇きに屈して人を襲い、姿を消した――。彼女はその背を追って、不慣れな剣を手にここまで来たのだ。
「……だが、本当にやれるのか?」
「そいつが本物の吸血鬼なら、魔族だぞ」
ガウルが重く、念を押すように問い、ジグが続いた。
復讐という名の道は、生半可な覚悟で踏み出せるものではない。吸血鬼や夢魔といった「魔族」に分類される種族は、総じて強大な魔力と底知れぬ魔術の知識を有している。
シエラの装備は、お世辞にも万全とは言い難かった。レイピアは手入れされているようだが、身に纏う防具は、あり合わせを急ぎかき集めてきたことが一目でわかる。それだけ、彼女がルシアンを見失わぬよう、必死に後を追ってきた証左でもあった。
「……分かっています! でも、絶対に見つけ出さなきゃいけないんです!」
シエラは三人を真っ直ぐに見据えて言い放った。その瞳には、並々ならぬ決意の炎が宿り、滲んだ涙を蒸発させるほどの熱量を帯びていた。
「……はあ。仕方ねえな。あまり趣味じゃねえ仕事だが……」
「怪我をされたら、私がすぐに治します」
「まあ……見捨てて一人で行かせるわけにもいかんからな」
三人はそれぞれ性格も信条も異なるが、目の前の「面倒事」を放り出せないという一点においては、奇妙なほど一致していた。
「……! あ、ありがとうございます!」
まさか承諾が得られるとは思っていなかったのか、シエラは弾かれたように顔を上げると、三人に深々と頭を下げた。
その時だった。
周囲の茂みから、ガサガサと野蛮な音が響き、小鬼たちが先ほどの獣を従えて再び姿を現した。
彼らは氷漬けにされた仲間を見るなり、興奮のままに咆哮を上げ、いきり立っている。
「おっと……、おかわりが来たか」
「ふん……ちょうどいい。吸血鬼を探すなら、その戦い方は今すぐ見直した方がいいな」
「はい!」
「では、私は皆さんの援護に回ります」
短く言葉を交わすと、四人はそれぞれの持ち場へと散った。
木々のさざめく森の中で、シエラの悲願を確かなものにするための、実戦という名の過酷な訓練が始まろうとしていた。
----------
「まず、その剣の握り方から直すべきだな。それでは敵に簡単に弾かれる」
「は、はい!」
ガウルは大剣を片手で奔放に操り、襲い来る小鬼たちを屠りながら、シエラへ武器の扱いを教授していた。
シエラは緊張に表情を硬くしながらも、ガウルの指示通りに指の位置を直して構えを修正する。直後、飛び込んできた小鬼の一匹を、危なげながらも何とか突き伏せた。
「その細身の剣は、俺のように敵の懐へ強引に入り込むためのものじゃない。敵の急所を的確に穿ち、いつでも退ける間合いを保って動け」
「はい!」
「それと、敵と正面から力でかち合うことは避けろ。相手が男なら尚更だ。筋力ではどうしても劣る。足を止めずに翻弄し、一瞬の隙を突いて急所を狙い撃て」
「わ、分かりました!」
ガウルは続けて襲い来る敵を大剣の腹で軽くあしらい、あるいは強烈な蹴りで吹き飛ばして、造作もなく仕留めていく。その合間を縫うように、シエラへの教示を続けていた。
シエラは必死にその言葉を噛み締め、また一匹、小鬼を打ち倒した。
「……案外、面倒見が良いな、ガウルは」
「ふふ、ガウルはいつでも面倒見が良いですよ、ジグ」
少し離れた場所で、ジグとアルスは二人の奮闘を眺めながら言葉を交わしつつ、迫り来る野獣たちの相手をしていた。
アルスが放つ鮮烈な目眩ましの光に獣たちが怯んだ瞬間、ジグの魔術が炸裂する。今度は救助を考慮する必要がないため、遠慮なく苛烈な雷撃を解き放っていた。
「しかし……魔族か。もし伝説通りの存在なら、厄介極まりねえな」
「ええ……。人には馴染みのない、独自の魔術体系を操るとも聞きますからね……」
二人は慣れた連携で、淀みなく周囲の魔物たちを片付けていく。
ジグの思考は、相手が真に魔族であった場合の想定へと向かっていた。魔族という、生態も能力も知れ渡っていない種族との戦闘となれば、未知数の要素があまりに多い。自らの自慢の魔術が、果たして通用するのかどうか……。
「ふむ。概ね片付いたな」
「は、はい! ありがとうございました」
気づけば周囲の魔物は一掃され、ガウルは息一つ乱さずに辺りを見回していた。シエラはまだ緊張が解けぬ様子で、肩を大きく上下させて荒い息をついている。
「まあ……何とかなるんじゃねえか? 俺達が援護に回れば」
「怪我も、されていないようですね」
二人のもとへ歩み寄ったジグとアルスが声をかける。
遠巻きに観察していたが、ガウルの剣術指南は中々に堂に入ったものだった。流れの傭兵を業とする前は、どこかの騎士団か、あるいは名のある家に雇われてでもいたのだろうか……と、ジグは漠然と思った。
「……はい! 絶対に、ルシアンを見つけると決めたんです! 皆さんには、なるべくご迷惑をおかけしないように精一杯頑張ります!」
「……まあ、筋は悪くない」
シエラは息を整えると、決意も新たにレイピアを固く抱きかかえ、己に誓いを立てるかのように言い放った。その瞳には、並々ならぬ決意の炎が宿っている。
ガウルは、授けた教えを即座に実行に移そうとする彼女の飲み込みの早さに、内心で素直に感心していた。
(って言ってもな……、魔族かあ……)
如何にして戦えば良いのか、その糸口さえ掴めぬ相手を前に、ジグは腕を組み、深く物思いに沈む。
もっと楽な、確実な金稼ぎがしたい……。未だ見ぬ強敵の影を前にして、ジグの脳裏には、そんな俗な考えが浮かんでは消えていくのだった。
----------
「……その、ルシアンという奴の居所は割れているのか?」
焚き火の爆ぜる音を背に、腰を下ろしたガウルが落ち着いた声で問いかけた。
一行はあの日暮れ時、魔物の襲撃を退けた後、シエラを連れて視界の開けた安全な場所を確保し、夜営の準備を整えていた。幸い、周辺の魔物はジグたちが一掃した群れが最後だったようで、森は不気味なほど静まり返っている。
「……この先に、古い洞窟があるんです。ルシアンはよくそこへ通っていました。陽の光を完全に遮るのに、ちょうどいい場所だって。……身を隠すなら、そこしかありません」
「洞窟……洞窟かあ……」
シエラの返答を聞き、ジグはさらに深く腕を組み、唸るように悩み始めた。
閉鎖空間での戦闘となれば、爆発や広範囲の雷撃は己を巻き込む恐れがあり、迂闊には使えない。魔力を剣の形に凝縮して接近戦に持ち込むにしても、相手は未知の魔族だ。懐に飛び込む隙があるかどうか。
ジグは改めて、この奇妙な依頼を引き受けてしまった己の甘さを呪い始めていた。最悪、五体満足で帰れれば御の字か……。
「シエラさん、それは……?」
アルスの透き通るような声に、シエラの指先がぴくりと震えた。
彼女は先ほどから、焚き火の赤橙色に照らされながら、掌に乗せた極小の小瓶をぼんやりと見つめていたのだ。瓶の中に揺れる少量の赤い液体。それは、一目で血液だと分かる色をしていた。
「あ……いえ。私……。……本当は、もうすぐ結婚する予定だったんです。これは、その……」
「そうか……」
シエラが消え入りそうな声で言葉を零すのを、ガウルが深い溜息とともに受け止めた。
ジグもアルスも、それ以上は何も訊けなかった。四人の間に、湿り気を帯びた重い沈黙が雪のように降り積もっていく。小瓶を宝物のように握りしめる彼女の瞳が、炎の揺らめきを映して潤んでいた。アルスはそんな彼女の横顔を直視できず、沈痛な思いで視線を落とすしかなかった。
「……で、どーすっかなあ……」
不慣れな道中と戦いに疲れ果てたのだろう、それからしばらくして、シエラは深い眠りに落ちた。
残された三人は、明日の作戦を練るために焚き火を囲み直した。
「魔族、ですよね。もし、どうしても剣を交えなければならなくなったら……」
「俺も、噂にしか聞いたことがない。まともにやり合ったという話は、傭兵の間でも稀だ」
「ううん……。人間とは魔術の体系そのものが違うとか言うしな……」
薪がパチリと爆ぜ、三人の不安を代弁するように大きく鳴った。正体不明の強敵を前に、決定的な打機を見出せずにいた。
「精神を操って仲間に乗り移るとか、精巧な幻影を作るとか、言われていますね……」
「普通に強力な攻撃呪文も叩き込んでくるだろうしな……」
「……ならば、俺が囮になろう」
炎に赤く照らされたガウルが、事も無げに、けれど穏やかに言い放った。
未知の敵という得体の知れなさはある。だが、長く修羅場を潜り抜けてきた彼は、恐怖で足が竦むような男ではなかった。それが時として、周囲を肝冷えさせる無茶に繋がるのだが。
「つっても、危険すぎねえか? 相手の術中にはまったらおしまいだぜ」
「心配ない。戦士とは、そういう役割を引き受けるものだ」
「まーたガウルに無理をさせちまうな……」
「……もし怪我をされたら、私が必ず、すぐに治しますね」
「はは。……よろしく頼む」
ジグが躊躇いを見せ、アルスが切実な面持ちでガウルを見つめる。
流れの傭兵として孤独に生きてきた時間が長すぎたせいか、こうして正面から案じられるのは、ガウルにとって未だにこそばゆいものだった。
(本当に大怪我をしたら、こいつらが気に病むか……)
ガウルは内心で、そんな「弱気」なことを考えた。これまでのような、己の身を顧みない向こう見ずな戦い方は、変えなければならないのかもしれない。
仲間という存在の重みを、彼もまた、日に日に強く、暖かく認識し始めていた。
三人はその後も、どうすれば相手の隙を突き、この奇妙な道連れを守り抜けるか。夜が更けるまで、焚き火の灯の下で言葉を交わし続けるのだった。




