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第3話 真に醜き者

 現在の時刻は黄昏時(19時)


 高天家の本邸には別館があり、そこでは特別な儀式や冠婚葬祭などに使われている。今夜、その別館で実妹の白雪と九頭竜家の御嫡男・九頭竜紅蓮様との婚約の儀が、急きょ行われることになった。

 別館には、妖や怪異はもちろん、人間であっても招かれざる者は一歩も足を踏み入れられない特殊な結界が張られており、高天家の中でも最も厳重な警備が施されている場所だ。さらに本家直属の一級退魔士が大勢警備についていて、周囲には張り詰めた物々しい空気が漂っていた。


 私は生まれて初めて両親から贈られた白無垢の着物を身にまとい、別館の中へと足を踏み入れた。胸元には高天家の白蛇の家紋が、黒い帯には黒百合の模様が刻まれている。飾り気はないが、とても素敵な着物だと心の底から嬉しく感じた。


 一方、前を歩く白雪は私と同じ白無垢を着ていたものの、その華やかさは桁違いで、まるで宝石が歩いているかのように見えるほどだった。今夜の主役が誰なのかは、誰の目にも一目瞭然だった。


 何もかもが私とは違っていた。でも、不思議と寂しさはなかった。なぜなら、これまでのようにすれ違う人たちから蔑む目を向けられたり、罵声を浴びせられたりすることがなかったからだ。お父様やお母様、白雪と同じように、私もすれ違う人たちから丁寧な挨拶を受けた。


 誰かに首を垂れられるのは初めての経験だったので、私は激しく動揺すると同時にかなり萎縮してしまった。


〈まさか自分が誰かに挨拶される日が来るなんて、夢にも思わなかったわ……〉


 惨めな記憶を思い返しながら、そんなことを心の裡で呟いていると、別館の大きな鉄門が見えて来た。


 たちまち私の心は恐怖と緊張に塗れる。


 緊張の原因は別館に展開されている結界だ。もし私が家族から認められていなかった場合、この身を一瞬で焼き焦がす程の威力をもつ電撃の如き呪いが襲い掛かるだろう。


〈私、本当に家族として認められているのかしら? もしかしたら私を亡き者にする為に白雪が私を陥れようとしているのかもしれない〉


 そんなことを考えていると、前方から重苦しい音が響き渡る。警備にあたっていた退魔士二人が深々と頭を垂れながら鉄門を開く音だ。


 鉄門が開かれると両親の後に白雪が続く。


 私は開かれた入り口の前で躊躇し立ち止まると息を呑み込んだ。


〈どうしよう……本当に家族(この人達)を信じていいの?〉


 今までの辛い記憶が脳裏を駆け巡る。きっと私の顔は蒼白していたに違いない。


 すると、そんな私に気付いた白雪が私に振り返る。


「何をしているのよ、双葉お姉様。ぐずぐずしていないでさっさと来る」


 少し苛立った口調でそう言いながら、白雪は私の右手を掴み上げて引き寄せて来る。


 別館に一歩足を踏み入れた瞬間、私は思わず身構えてしまった。でも、恐れていた事態にはならなかった。


 呪いは発動せず、私は難なく別館に入ることが出来たのだ。


 私はホッと胸を撫でおろした。


「ったくもう、相変わらず愚図なんだから」


 溜息交じりにそう言って白雪は背を向けて歩き出す。しかし、何故か悪意は感じられない。むしろ上機嫌の声色が乗っているように感じられた。


 不思議に思いつつも私はすぐに謝罪の言葉を返した。


「ご、ごめんね、白雪」


「いちいち謝らなくってもいいわ」


 予想外の返事に一瞬驚くも、私の心の中は暖かいもので満たされる。自然と顔がほころぶのを感じた。


「ええ、分かったわ」


 呪いは発動しなかった。つまりはそういうこと。胸がじんわりと温かくなり、そのまま家族の後ろ姿を追いかけた。



 別館の大広間に入った瞬間、絢爛豪華な輝きが目に飛び込んで来た。


 周囲には霊力が立ち昇る調度品が並び、室内のいくつもの食卓には見たこともない豪華な料理がずらりと並んでいた。


 私達が入ると同時に、恐らくは分家の方々であろうお歴々が一斉に振り返り頭を垂れた。


「このたびは白雪様のご婚約、分家一同心よりお祝い申し上げます!」


 100人近い分家の方々の声が同時に響いた。轟くような歓声と無数の拍手はその直後に起こった。


 お父様やお母様は満面の笑顔でそれに応える。白雪は悠然とした様子で口元に微笑を浮かべながら軽く会釈をする。


 白雪を中心にお父様やお母様はたちまち分家の方々に取り囲まれると、賞賛の言葉を贈られていた。それに対して三人は笑顔で応える。


 一方で私に声をかけようとする物好きは皆無だった。


 しかし、不意にひそひそ話が私の耳に入る。賑やかな声で充満している館内にいたのにその小さな話し声をしっかり受け止めてしまった自分の耳の良さをちょっとだけ恨んだ。


「おお、噂に違わぬ醜い娘よ。同じ空気を吸っていると思うだけで身の毛がよだつ」


「だが、まぁ、白雪殿の引き立て役にはちょうど良かろう。今宵ばかりは大目に見ねばな。何故なら我が一族の悲願が成就するやもしれぬのだから」


「くく、やっと一族の汚点が役に立つ時が来たというわけか」


 声の視線が私の頬に刻まれた黒蛇の痣に注がれるのが分かった。


 少し浮かれていた自分が恨めしいと思った。それはそう。家族が私を認めてくれたとはいえ、何も成し遂げていない自分に対する世間一般の目がそうそう容易く変わるわけはないのだ。


 今の陰口のおかげで私に対する評価が微塵も変化していないことに気付いた。この場に私が居られるのはお父様の、強いては高天家本家の権力のおかげ。相変わらず私は醜いままだということを痛感した。


 嘲笑を残し、声の主たちが白雪の方に向かって行くのが見えた。


「そんなこと、私が一番分かってますよーだ」


 私は気付かれない様に悪意を向けて来た者達に対して、小さく舌ベロを出してやった。


〈引き立て役でもいい。家族として認められた。今はそれだけで満足よ〉


 それは本心だ。傷つけられるより傷つける方が辛いと自分にそう言い聞かせてきても、やっぱり傷つけられるのは辛い。


 辛いは我慢できても惨めを耐えることは出来ない。


 そう思っていたけれども、もう誰も憎んだりしなくてもいいと思えるだけで私は生きることが出来ると思った。少なくとも血を分けた家族に対して黒い感情をもたずに済むことは何よりの幸せだった。


〈私は今までのしがらみを断ち切って妹の、家族の力になりたい〉


 今までの酷い仕打ちを忘れることは出来ないけれども、思い出さない様に努力することは出来るだろう。


「少し失礼してもよろしいかしら?」


 白雪の声が聞こえ振り向くと、分家の人垣の中から白雪が出て来てこちらに向かって来るのが見えた。


「双葉お姉様、そんなところで何をしていらっしゃるの?」


 白雪は私を見ながら不貞腐れた様に、ぷぅっと頬を膨らませる。その表情が未だかつて見たこともないような愛らしさであった為に、私は思わずキョトンとなってしまった。


「何をって……白雪の邪魔をしないように柱の陰に立っていたのだけれども?」


「呆れた……この婚約の儀はある意味、双葉お姉様が主役なんですのよ?」


「それはどういう意味?」


「どういう意味って……あら、そう言えば今回の私の婚約の儀について詳しくご説明しておりませんでしたわね」


 白雪はそう言って、私ったらうっかりさんね、と言いながら舌ベロを出しながら自分の頭を軽く小突いて見せた。


「私の婚約者は退魔士の超エリートにして序列首席九頭竜家御嫡男の紅蓮様ということは聞いておりますわよね? 理由はわからないけれど、今朝突然、紅蓮様から高天家一の美女をぜひ花嫁に迎えたいという直々の申し入れがあったの」


 九頭竜紅蓮。退魔士界で最強と謳われる九頭竜家の次期当主の名だ。この国に住む者で彼を知らない者はまずいないと言えるほどの超有名人で、総理大臣や芸能人よりも名が知られているだろう。実際、この国を実質的に支配しているのは、妖や怪異といった脅威から人々を守る退魔士だというのは周知の事実。その中でも最強とされる九頭竜家は、この国だけでなく世界にまで影響力を持つ圧倒的な存在だった。


 しかし、その存在はほとんど国家機密のように隠されており、彼が表舞台に姿を現したことは一度もない。同じ退魔士であっても、その姿を見たことがあるのは各一族の当主だけらしい。噂によれば、紅蓮のように深紅の瞳を持つ、容姿端麗な美青年だという話だ。


 退魔士の女性にとって九頭竜紅蓮の名は憧れの存在だ。誰もが彼と結ばれることを望む。婚姻関係を結べば将来が約束されるのと同時にその一族も上位序列の地位を盤石のものとすることが出来るからだ。それこそお父様の強いては一族の悲願ということは理解出来た。


 やっぱり白雪は凄いな。私なんかと違って美しいし退魔士としての才能も天と地ほどの差がある。むしろ選ばれて当然過ぎるとも思った。


「それで、婚約にあたって一つだけ条件が提示されたんですのよ」


「条件って……?」


「紅蓮様が直々に、双葉お姉様を一目ご覧になりたいとおっしゃっていて、それが叶うなら、今日中に婚約の儀を済ませて、明日にはもう結婚したいとおっしゃっているのよ」


 私に会うのが婚約の条件? どうして醜女で有名な私なんかに会いたいのだろうか?


 刹那、嫌な予感が脳裏をかすめた。


 疑問を口にしようとしたが、それを遮るかのように白雪は満面の笑顔で私に迫って来た。


「まあまあ、細かいことはよろしいでしょう? それに妹の門出を祝うのが姉の務め、ではなくって? さっきも言ったでしょう? 私、幸せになるから応援よろしくねって」


 白雪は無邪気な笑みを浮かべながらそう言った。


「え、ええ……もちろんよ……?」


 その笑顔に押し切られる形で私は曖昧に頷いて返してしまった。


「だから、双葉お姉様もこっちに来る! とやかく言う奴らには私ががつんと言って差し上げますからね! だから、ちゃんと応援してくださらないと私、困ってしまいますわよ」


「でも、私、醜いから分家の方々のお目汚しになるし、お父様やお母様、何より白雪の迷惑になるんじゃ……」


 すると、白雪は力強く私の両手を掴むと、真っ直ぐな瞳で私を見つめて来た。


「いいから、お姉様もこっちに来て皆様にご挨拶をなさって。さぁ、早く! それと……」


 白雪は潤んだ双眸を私に向けながら一言そっと呟いた。


「今までのこと、ごめんね、双葉お姉様」


 申し訳なさそうに呟き、白雪はニコッと微笑んだ。


 突然の謝罪に理解が追い付かず固まってしまった。


〈白雪、今、何て……?〉


 私が唖然としていると、さあ、早く、と白雪はそう促しながら私の腕を掴み、お父様とお母様のいる人垣の中に連れて行く。


 人垣をかき分け中に入ると、お父様とお母様が笑顔で私を優しく出迎えてくれる。


「双葉、何処に行っていたのだ? 困った娘だ、さあ、こちらに来なさい」


 にっこりと微笑みながらお父様が言う。


「そうですよ。もう一人の主役である双葉がいなくては今宵の婚約の儀は成立しないのですからね。期待していますから立派にお務めを果たすのよ」


 お母様は優しく微笑みながら私に言う。


〈嬉しいな。誰かに頼りにされるのって。なら精一杯頑張らなくちゃ〉


 それにしても、私がもう一人の主役ってどういう意味なんだろう?


 違和感を覚えたが、嬉しさが勝り私は何も疑わずに快く返事をする。


「分かりました、お父様、お母様! 私、白雪の幸せの為に精一杯頑張らせていただきます!」


「では、双葉よ、我々の願いを受け入れてくれるのだな? 力になってくれるということでよいのだな?」


 お父様の願い? 我々の願い? それは多分、高天家が退魔士の上位序列に返り咲くことだろうけれども、今はとにかくお力にはなりたいと思った。一族の、家族の力になれるのであれば私は全力を尽くすのみだ。


「はい、家族の力になれるのであれば私はなんだって致します……!」


 全力を尽くせばきっと一族の皆も私を認めてくれる。ただその一心で私はそう答えた。


 しかし、事態は豹変する。


 刹那、一瞬の沈黙が館内を支配した。


 さっきまでの喧騒がまるで嘘みたいに館内は静まり返り、私はその場にいた全員の視線を一身に受けた。分家の人たちはもちろん、お父様やお母様の目にも感情はなく、ただ一つ、欲望という色だけがそこにあった。


 それはまるで時間が停止したかのような錯覚を感じるほど。不気味な一瞬の静寂が私の心の中を恐怖に凍てつかせるには十分な時間であった。


「あ、あの、お父様……?」


「双葉よ、その言葉に偽りはない、のだな?」


 お父様は柔和な表情を浮かべながらも気迫のこもった口調でそう迫って来る。


「あ、はい……?」


 私はその気迫に抗うことが出来ずに思わず肯定の言葉を返す。


「そうか、父も嬉しいぞ……! ならば存分に我が一族の糧になってもらおう!」


 その瞬間、別館を震わせる程の大歓声が響き渡った。


〈糧……? それはどういう意味……⁉〉


「嬉しいわ、双葉お姉様……!」


 殺気のこもった白雪の声が私の背中を突き刺した。


 私は振り返る暇すら与えられず背後から束縛されるように抱き締められる感触を味わった。


 右肩に顎を押し付けられる感触を味わいその方向に顔を向く。そこには歪な笑みを浮かべた実妹の顔があった。


 お父様は片手で印を結ぶと、一言「開」と呟いた。


 その瞬間、私は全身を無数の白蛇によって拘束された。現れた無数の白蛇はすぐに姿を消すも全身を拘束する圧迫感だけは残り私は自由を奪われてしまった。


「これはどういうことなのですか、お父様⁉」


 しかし、お父様から答えは返って来なかった。


 何が起こっているの⁉


 私が動揺していると、突然後ろから髪を掴み上げられ、鋭い痛みが走った。


「双葉お姉様、お腹は空いてらっしゃらない? 今までひもじい思いをさせたお詫びとしてたっぷりと召し上がってくださいましな……!」


 その時、私は白雪が「最期の晩餐をね……」と呟くのを聞く。


「それはどういう意味……?」


「そのままの意味よ、双葉お姉様⁉」


 白雪は残酷な笑みを浮かべ、近くのテーブルから骨付き肉をつかむと、それを無理やり私の口に押し込もうとした。瞬く間に甘辛い豚肉の味が口いっぱいに広がり、思わず吐き出しそうになる。


 けほけほと咳き込みうずくまる私に、白雪は嘲笑を浴びせかけてきた。


「あら、ごめんなさい。これじゃあ豚が豚を喰らって共食いになってしまいますわね? ごめんあそばせ、双葉お姉様⁉」


 白雪はアーッハッハッハッハッハ! と甲高い嘲笑を上げると、私の口に押し込もうとしていた骨付き肉を床に投げ捨てた。


 私は苦しみのあまり咳き込み床にうずくまる。


 白雪はいつもの姿に戻っていた。その事実に、私はただ呆然とした。


「双葉お姉様、さっきも申し上げましたけれども、今まで本当にごめんなさいね? 心より謝罪させていただきますわ」


「それは、今まで私に酷い仕打ちをしてきたことに対する謝罪なの……?」


いや、とてもそうとは思えない。


「ええ、そうですわよ?」


「なら、何でこんな酷いことをするの? 私のことを家族と認めてくれたんじゃなかったの?」


「はぁ? 誰が家族ですって? 何を勘違いなさっているのやら、ちゃんちゃらおかしくっておへそで紅茶が沸いてしまいますわよ⁉」


 白雪がクックックと呆れたように笑うと、周囲からもドッと笑いが上がった。もちろん好意的なものは微塵もなく含まれているのは嘲りのみ。


 状況が呑み込めず私はただ狼狽えながらおろおろと周囲を見回す。そこにはいつもの悪夢の様な光景が広がっていた。


「私は明日にでも退魔士の頂点たる九頭竜家の花嫁になる身。醜女の分際で身を弁えなさい!」


 白雪の怒声が木霊し、私は頭部に衝撃を受けた。一瞬で私は実妹に頭部を踏みつけられている事実を実感する。


「勘違いさせてごめんね、双葉お姉様。さっきの謝罪はそういう意味ではないの」


 次の瞬間、私は髪の毛を引っ張り上げられ、強引に起こされた。目に飛び込んできたのは両端の口を吊り上げ、まるで悪魔の様な笑みを浮かべた白雪の笑顔だった。


「醜く生まれ絶望的な人生だったにもかかわらず今まで無駄な時間(人生)を費やさせてごめんね、って言ったの。だからもう無理に頑張って生きなくてもいいから、とっとと楽になってくださいましな、双葉お姉様」


 楽になれ。それが何を意味するか、問うまでもない。何故なら、過去に何度もその選択を選びかけたことがあるからだ。


「だから、お前の無意味で惨めな人生にこの私が意味を与えてやるってのよ! ほら、額を床にこすりつけながら私に感謝なさい! 私みたいな愚図でカスな醜女を生贄に選んでくださってどうもありがとうございますってね⁉」


 白雪の嘲笑が響き渡る。


 抵抗する気力もなく痛みに顔をしかめつつ朦朧とした意識の中で、ただ白雪を見つめていた。


〈ああ、だから私に白無垢の着物を贈ったのね?〉


 これは死に装束。


 さっきまで無邪気に喜んでいた自分が、今では愚かで滑稽に思えて、ますます惨めな気持ちになった。ふ、ふ、ふ、と苦しい笑みが込み上げる。


「何が可笑しいの?」


「白雪、分からない、分からないよ……」


「はぁ? ここまで説明しても理解出来ないなんて、お前って本当に馬鹿なのね?」


 違うよ、白雪。そういう意味じゃないの。


 どうして醜いというだけの理由でここまで酷い目に遭わされないといけないの? 血を分けた実の家族だというのに。


 あれ? 家族ってなんなのだろうか? なにも分からない、分からないよ。


 醜ければなにをしてもいい。


 弱ければ強者に従うのが当然。


 そんな歪んだ常識が彼等の根底にはあるのだろう。


 ああ、私は醜く生まれて良かったと心の底から思った。


 もし、私が美しく生まれて来たなら、


 もし、白雪と立場が逆だったならば、


 あそこで醜い笑い声を上げているのは実妹ではなく自分だったかもしれないと思っただけで怖気が走った。


 真に醜き者。それが彼等(一族)に対する私の評価だ。


 一瞬でもこんな人間達を信じた自分の馬鹿さ加減に呆れ返ってしまった。


 いえ、そんなこと、とっくに理解していた。馬鹿ね、私ったら。


 脱力感に塗れ、瞳に熱いものがこみ上げて来る。


 絶対に泣くもんか。そんな私のささいな抵抗は終わりを告げようとしていた。


 でも……。


 突如として場内が騒めきだった。


 ドアが勢いよく開かれる音が響き渡り、嘲笑は止み周囲は静まり返った。


 「九頭竜家御嫡男、九頭竜紅蓮様、御到着されました!」


 場内の視線が一斉に一点に注がれる。自然と私の視線も同じ点に向いた。


 そこには真紅の瞳を持つ黒髪の青年が、悠然とした様子で佇んでいるのが見えた。


 一目見た瞬間、私は彼に心を奪われる。


〈あれが九頭竜家の嫡男、九頭竜紅蓮様。なんて気高くて美しい方だろう〉


 誰に説明されるまでもない。彼が噂の九頭竜紅蓮様であることは理解出来た。


 私と違って全てを持ちこの国において最上位の存在。


 白雪の婚約に私と会うことを提示してきたということは、きっと彼も家族同様、私を嘲笑しに来たんだろう。


『これが高天家で噂の醜女か』


 きっと彼は私を見るなり嘲笑を含ませながらそう言うんだろう。


 いくらでも笑えばいい。おかげで頭がすっきりして意地を通すことは出来そうだ。


 殺されたって絶対に泣きはしない。


 私は覚悟を決め遠目で実妹の婚約者を睨みつけた。


 しかし、その瞬間、私の胸の鼓動は大きく高鳴り、夢と現の狭間でさ迷っていた記憶が一つに合わさった。


 私、彼を知っている……? でも、どうして……⁉ 彼とは初対面のはずなのに。


「九頭竜家次期御当主紅蓮様、ようこそおいでくださいました!」


 かつて父と呼んだ男の上機嫌な声が響き渡る。


「高天家御当主殿、今宵は急な申し入れを受け入れてもらい感謝御礼申し上げる」


 その瞬間、彼は私に目線を向けると、ふっと柔和な笑みを浮かべて見せた。


 ああ、きっと一目で私が噂の醜女だと気づいたのね。それも当然のこと。実妹に惨めに髪の毛を掴み上げられている惨めな女に気付かないはずもない。


「いえいえ、こちらこそ我が娘を栄えある紅蓮様の花嫁に選んでいただき恐悦至極にございます」


 そう言って父は紅蓮様に手を差し伸べた。


 だが、彼はそれを無視して横を通り過ぎた。


 父は困惑した様子で振り返り紅蓮様の背中を目で追った。


  白雪は興味が失せたかのように私を乱雑に手放す。


「双葉お姉様? あとでとびきり残酷な方法で生贄にして差し上げますから楽しみに。今しばらくそこでお待ちになってくださいましな」


 上機嫌な白雪の声を聞きながら、私はゾッとしその場にもたれかかるように崩れ落ちた。ようやく解放された安堵感などはなく、これから自分の身に降りかかる地獄絵図を想像し血の気が失せる感覚を味わった。


 「お初にお目にかかります、紅蓮様。私が白雪でございます……!」


 白雪の猫撫で声が聞こえ、私はゆっくりと顔を見上げる。


 紅蓮様は白雪の前で立ち止まると、右手を腰に当てながらフッと微笑んで見せた。


「お前が高天家で噂の白雪か?」


「はい、左様でございます! この度は私を花嫁にお選び下さり、感謝の念に堪えません!」


「オレが、お前を……? くく、笑えぬ冗談だ」


 その時、初めて紅蓮様は柔和な空気を破り嫌悪感を露わに眉をしかめて見せた。


「……はい? それはどういう……?」


 生まれて初めて、白雪が動揺した声を聞いた。


「邪魔だ」


 紅蓮の炎のような美貌を持った彼は凍てつくような声でそう吐き捨て、白雪は思わず道を譲る。その表情は狼狽に固まっていた。


 白雪に目もくれず、九頭竜紅蓮様は私の前に来ると、ピタリと立ち止まった。


「君が高天双葉かい?」


 彼は紅蓮の瞳に慈愛を込めると、私の前に膝をついた。


「はい、そうです……けれども?」


「お初にお目にかかる。オレの名は九頭竜紅蓮だ。会えて嬉しいよ、双葉」


 そう言って彼は少年のような無邪気な笑顔を浮かべ手を差し伸べながら私にこう言った。


「双葉、今日からオレは君のものだ。どうかオレを双葉の花婿(所有物)にしてくれないか?」


 次の瞬間、場内が凍てついたのは言うまでもない。


〈九頭竜家次期御当主様の紅蓮様が私の花婿に⁉〉


 私を花嫁にではなくて、紅蓮様が私の花婿にですって……⁉


 それ、どういうこと⁉


 私はそう心の裡で叫ぶのであった。

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