決行の日
その夜、瑞樹邸へと侵入するべく、全員防音の結界を貼りつつ、走っていた。
既に夜は瓦斯灯に照らされ、お世辞にも暗い夜とは程遠い。だが伸びた影の中、若い陰陽師たちが走っていた。
「女たちは、麒麟の巫女を誘拐。彼女をかどわかし次第、式神で合図を送る。その間に俺たちで瑞樹邸を殲滅する」
言葉で言うとそれだけだが、全員空気が重々しい。
この時代にもなれば、陰陽師同士での命のやりとりなんてまずやらない。しかし異形を産み出す元凶ともなったら、族滅させなければいけなかった。
女の陰陽師は、若ければ若いほど既に身重の場合が多く、ほのか以外はほぼ拝み屋という状態であった。
「まさか……このご時世に族滅の手助けの依頼なんてねえ……」
普段であったら朗らかな南雲の空気も若干重いのに、ほのかが頭を下げる。
「ごめんね南雲、巻き込んで……」
「いやいいよ。さすがにね、民間の拝み屋だったら、異形の相手なんて無理なんだ。だから異形の元凶を滅ぼすって意見自体には賛同なんだよ。普通に困るじゃない、そんなもの放ったらかしにされたらさ」
「うん……」
そう言いながら、ほのかたちはひとまず走りはじめる。
防音の術式で処置はされているとはいえど、瑞樹邸は昼間だったらいざ知らず、夜はどうなっているのかがわからない。だからそのまま飛び込むには気が引けたが。
ほのかは腰の刀を引き抜くと、宙を切りつけた。敷地内は案の定結界を維持するための護符だ貼られていた。結界は術式で破れば術者に侵入を気付かれるが、物理的に破ることで気付く時間を少しでも遅らせることができるように。
「結界は破った。今のうちに突入を」
「わかったけどさあ、それで撫子様はどこって?」
「普段は茶室にいるけど、さすがに夜は自室に戻っているはず。自室は、瑞樹邸の離れだったはず」
「離れね……」
南雲は札を取り出すと、それに自分の血で術式を書いて折りたたみ、それを飛ばした。偵察用の術式だが、すぐに南雲は反応した。
「当たり……たしかに離れに撫子様はいる……」
「なら、すぐに連れてきて……」
「……待って、誰かいる」
「……誰?」
「待って……イダイッ!!」
南雲の偵察に気付かれたのか、札を攻撃されたらしい……しかも術式を使って。呪詛返しを食らい、南雲は手から血を噴き出す。
「大丈夫!? でもこの呪詛返し……撫子様のもの?」
五行の一族の式典で出会うものの、彼女が予言以外に使える術式があることはほのかだって知らない。ほのかの問いに、南雲は首を振った。
「……違う。あそこにいたのは多分……瑞樹家の男」
「……ちょっと待って。今、夜よ?」
「一応聞くけどさ、五行の一族って巫女は純潔でないと駄目とかってあるの?」
「それはないけど……でも」
さすがにほのかも、撫子の正体を拝み屋である南雲に言っていいものかを躊躇った。
(夜に異形の撫子様に会いに行くって……ろくなことじゃないじゃない)
まだ南雲のように夫婦間の逢瀬と思っているならまだいいが。わざわざ異形を産み出している瑞樹家が、予言を使える撫子にやらせていることがまともなこととは、とてもじゃないが思えない。
南雲が手を手拭いで縛り上げて応急処置している中、他の拝み屋が訪ねる。
「それで……突入しますか?」
「……どのみち撫子様が誰かと一緒にいるのはわかる。援軍を呼ばれる前に、撫子様と一緒にいるのは殺して、撫子様をお連れする」
「……了解しました」
そのまま離れの戸を大きく踏んで壊すと中へと足を踏み入れたが。中に入った途端に全員顔をしかめた。
磯のにおいがする。そして、おびただしい血のにおい。
「ちょっと……魚でも捌いた……訳じゃないでしょうね?」
南雲の悲鳴を聞きつつ、ほのかはずっと心臓の音が響いていた。
(まさか……まさかまさかまさか……)
ほのかは刀の柄を握りしめたまま走りはじめた。
「撫子様、ご無事ですか!?」
「……やっと会えましたね」
撫子の声はいつもと変わらないが、彼女の近くは普段の彼女を知っていたら、同一人物とは思えなかった。
彼女は手の爪を大きく鋭く伸ばしていた。その上手は水かきがついている。そして彼女の耳はまるでえらのようになってしまっている。撫子の頬や首、腕までがうろこが見え隠れし、かろうじて彼女の周りにある電球が、ぷらぷらと揺れて彼女の肌を銀色の見せていた。
「……待って、撫子様って……」
「異形!?」
拝み屋たちが悲鳴を上げる。それにほのかは唇を噛みしめる。彼女が自分の自我がいつか失われることに脅えていたことを知っているのは、この場ではほのかだけだったのだから。なによりも。
彼女の足下に転がっている者……あれがおそらくは南雲の偵察に気付いて攻撃してきた瑞樹家の陰陽師だったのだろうが。それは見るも無惨な姿で転がっていた。
「……どうして、この人を殺したんですか」
「おかしなことを聞きますね。あなた方は、わたくしをかどわかした後に、ここを襲撃して族滅させるおつもりでしょう?」
「そのことを知って……」
「ええ。既に予言で出ていました。この夜に、陰陽師たちの襲撃に遭うということくらいは」
「だったら……どうして?」
転がっている陰陽師の殺され方は、異形の力任せなものにしてはおかしかった。
傷口は無茶苦茶で、血の噴き出し方も尋常じゃない……そもそも南雲の呪詛返しをしてから絶命するまでに時間がそこまで経ってないはずなのに、その傷口の抉られ方は、まるで憎しみが篭もっているように見えたのだ。
撫子は下に視線を落とす。日頃のたおやかな彼女を知っているほのかからしてみれば、ここまで人をゴミのように見下す様は初めて見た。
「……この方、わたくしの血を使って、さんざん実験していましたから。わたくしが人魚の異形と知り、どれだけ血を抜けば不老不死の霊薬ができるのか、どれだけ怪我をしたら治せなくなるのか、果たして人魚の異形からはどのような子が生まれるのか実験を重ねていましたから」
おぞましい。その言葉がほのかに重くのしかかる。
そのやり方は、とてもじゃないが人に向けるものではない。たしかにほのかは人間ではないが、それでほのかは彼女の見る目を変えたことはない。
「なら……その人は……」
「もう気持ちが悪いから殺しました。もういりません。わたくしも……もう時間がありませんから。朱明様」
撫子はほのかをじっと見つめた。たおやかだった彼女の金色の瞳は、瞳孔が既に魚のものとなってしまっていた。
「どうかわたくしをお殺しあそばせ」
それが彼女が人としてしゃべった、最後の言葉だった。
彼女の人の柔肌は完全に鱗で覆われ、彼女の着物はずるりと脱げ落ちる。既に彼女は人の姿を取ってはいなかった。
人魚は大きく水を操ると。それを一斉にほのかたちにぶつけはじめた。それに慌てて皆で逃げる。ほのかは刀を引き抜いた。
「……作戦中断! このことは既に他の陰陽師たちに……」
「ギャアアアアアアア!!」
もう人から完全に外れてしまった撫子が、水かきのついた手で、鋭い爪を使ってほのかに襲いかかってくる。それをほのかは刀で受け止める。今までの彼女を思えば、明らかに人離れしてしまっている怪力だ。
「ほのか!!」
「……連絡入れて! もう撫子様は、人ではない!」
「……わかった」
南雲が急いで式神を飛ばしている中も、撫子は大きな泡を使って攻撃してくる。その泡はあからさまに粘液でできており、こんなものが顔に付いたら呼吸を奪われ、窒息死する。ほのかはそれを必死に避けていた。
ほのかも悲しんではいる。撫子には何度も相談に乗ってもらっていたのだから。だが。彼女はもういない。
今目の前にいるのは、人魚の異形であり、もう人の心を持って瑞樹家に長らく囚われていた麒麟の巫女はもういない。
どれだけ悲しんでいても、どれだけ嘆いていても、ほのかは殺せてしまうのだ。異形のことは。
刀を強く握り締め、薙ぐ。
首を狙い、できる限り彼女が痛む暇を与えなかった。コロンコロンと転がった首を、皆はなんとも言えない顔で見ていた。
ほのかは刀の血を大きく振るって鞘に収めた。
「おそらく今から戦う瑞樹邸の人間との戦いは、凄惨を極めるものになります。少しでもおそろしいと思ったのならば、依頼の反故の責任はあたしが取ります。そのまま帰ってくれても……」
「ほのか。あんたいくらお偉いさんの家の子だからって、ひとりで背負い込むことないでしょ」
意外なことに、南雲は凄惨な遺体を見ても、撫子の落ちた首を見ても、態度を変えなかった。それにほのかは驚く。
「南雲……いや、あたしは一応撫子様の誘拐の責任者だったからで……」
「お金もらっているので、依頼料くらいの働きはさせてください。朱明様の活躍で、我々まだ本領発揮できていません」
そうきっぱりと他の拝み屋たちも言う。
そもそも、このような依頼を引き受けてくれた女の拝み屋の肝が据わってない訳がなく、そうでなかったら五行の一族の一画を滅ぼす手助けをしたいなんて言う正気の沙汰ではない依頼を引き受ける訳もないのだ。
友情第一の南雲に、拝み屋たちの存在。たまらずほのかは頭を下げた。
「ありがとうございます……」
かくして作戦は最初からガタガタに終わってしまったが、まだ最大の任務である瑞樹家族滅が待っている。南雲の出した伝達の返事を待ち次第、彼女たちも移動を開始することとなった。




