第57話 恐れと対策
「ふぅ……なんなのだあれは。あれが“ゼラー”だと言うのなら、今まで見てきた“ゼラー”とは全く別の生き物だぞ」
エパナはメヒーシカと伴に自室に戻り、深い息を吐いた。本日の解散を宣言してから、既にしばらく時間が経っている。立場上、様々な挨拶や社交辞令も多いのだ。しかし、今彼女の心に疲労感を与えているのはそれらが原因ではない。先程、僅かな時間だったが対峙した“ゼラー”こそが、エパナの心に強烈な印象を残していた。たったあれだけの会話だったが、その内に籠る迫力と気迫に、エパナは何事もないように装うのがやっとだった。
「あの目……私を……路傍の石か虫けらのように見ていた……虚勢やはったりではなく、本気であいつは、そう思って私を見ていた……」
エパナが発言すれば“ゼラー”でなくとも返答には気を遣う、あるいは緊張する、そして場合によっては下手を打ち、弱点をさらすこともある。若くして一国の女王たる彼女には、それだけのプレッシャーをかける力はあった。だがあの男は、まるでそよ風を受けるがごとく何でもない態度で、彼女の質問を受け流した。思い出すだけでも気分が悪くなる。そんな風に扱われたのは生まれて初めてだった。
「大丈夫ですか?顔色が酷いことになってますよ?」
「そうか、美人が台無しだな」
メヒーシカが心配そうに尋ねる。強気で冗談を返したが、声が震えてしまっているのは自分でも分かった。
「それで、今日一日隠れて観察していたそなたの意見を早く聞かせてくれ」
「そうですね。今まで彼と出会ったときはどれも一瞬の出来事でしたし……じっくりと振る舞いを見ることができたのはありがたかったです。――最後はばれかけましたが」
「やはり最後振り返ったのはそなたの気配を感じたからかな?」
「さあ、でも何もされていないということは、エパナが見ていたと思ってくれているかもしれません」
エパナはメヒーシカを天井裏に潜ませていた。メヒーシカ自身も気をつけてはいたが、エパナも自ら、王族しか知らない隠し部屋の位置を再確認し、絶対にばれないよう点検に点検を加えていた。だからこそ、彼が帰る瞬間、エパナもメヒーシカもほんの少し気のゆるみができてしまったことは否定できなかった。それがヒカルに伝わったのかは分からないが、最後に彼が振り向いたときには冷や汗が出た。慌てて視線をぶつけ、もう一人の観察者のことはばれないようにしたはずだったが、果たしてうまくごまかせたか。
「対立関係になりうる私が彼のことを見ているのは――不躾ではあるがぎりぎり不自然ではないからな。そう思っていてくれることを祈ろう。それで――奴のことはどう感じた?」
「やはり魔導石持ちというよりは、本人そのものが力を持っていると考えるほうがよさそうですねぇ……ジロー殿下との間に何が起こったのか見に行ければより確実だったかもしれませんが……」
ダッカスの王弟の様子を思い出す。いつもは傲慢で他人を見下したような態度を取っているあの男が、城島ヒカルと一悶着あってからはまるで化物に怯える子供のように落ち着きをなくしている。少しヒカルに見られるだけで震えだすのだ。余程の体験をしたことは想像に難くなかったが、その内容は誰にも喋っていなかった。
「周囲にいた人間の証言によると、いきなりヒカルがジローとその従者の手を握ったと思ったら、そのまま三人は消えてしまったらしい」
「ありえるのは移動魔法――ですか、しかしどこまで行ったのやら、ただでさえ三人という人数を動かす移動魔法、しかももし、三人そろってダッカスまで行ったとしたら――」
「おいおい、いくらなんでも冗談が過ぎるだろう。ここからダッカスまでいったいどれくらいの距離があると思っている?」
「だからこそです。レベル100の魔導石があっても足りませんが、レベル999を越えているなら可能かもしれません」
「――結局はその結論に落ち着くか」
「……はい」
二人揃って溜息を吐く。まるで通夜か葬式のような空気だった。
「――例の魔法の準備は?」
「私自身は使えるようになりました。試してみます?」
「よし、じゃあこれでどうだ?」
エパナは幻影の魔法を使って、テーブルの上に小さな炎が灯っているよう、メヒーシカに見せる。
それを見たメヒーシカが一呼吸置き、布切れを持って幻影にかざすと、実際にその布切れは燃えだした。ただの幻影なら起こらない現象だ。
「――すごいもんだな。最初聞いたときは否定したが、よくよく考えると使い道も多そうだ」
「今は考えている余裕ないですけどね。彼に対して効果があるかどうかです……」
「……そう、だな。とにかく焦ってはだめだ。チャンスは一度と思っておいた方がいい。機をじっくり待ってくれ」
「はい、分かりました」
瞳に炎を映したまま、メヒーシカは答えた。




