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山野神也とスバル先生が帰宅したのは、俺とセシルが学園に戻った三日後だった。
早速神也に多少の皮肉を込めて「久しぶりに恋人と会えてどんな気分なのかい?」と、揶揄うように俺が言うと、普段あまり表情を崩さない神也は満面の笑みを湛え「とても嬉しかった。名前も知らぬ町でスバルを待つ時間も、見知らぬ田舎の道をふたりだけで歩くのも楽しかった。なにより今までにない程に熱く、スバルと愛し合えたのは素晴らしく刺激的だった」
「そりゃ…良かったな。で、俺達の部屋はどうする?神也はスバル先生のところへ戻るかい?」
「いいや。私は理解したのだよ、レイ。好きな人と離れて過ごす時間は辛いけれど、それを忘れるぐらいに再会の喜びは大きいのだな。つまり、いつも満足しているとそれに慣れてしまって、愛することや愛されることの大切さを忘れがちになる。だから、少し距離を置いてスバルと付き合おうと思うのだ。その方がお互い求め合う熱情が高まるからな。だから、寂しさはあるけれど、このまま別々に暮らそうと思う」
「あ…そう」
別々ったってスバル先生の官舎まで、歩いて五分もかからないのに、神也があまりに真面目な顔で言うから、俺も思わず吹き出してしまった。
「ところで、レイの方はどうなのだ?」
神也が笑う俺を睨むので、俺はアーシュからもらったキャンディを渡し、許しを得た。
「セシルとの事なら、めでたく恋人同士になれたよ」
「そうか…。それで、どうするのだ?」
「え?」
「これからのふたりの未来をレイは描いているのか?」
「…」
絶句せざる得ない
相変わらず神也は鋭い。
そうさ、一番考えなきゃならないことは、俺とセシルのこれからの事だ。
恋が成就したからって浮かれてばかりではいられない。
わかってはいるのだが、決断するのは難しい問題だった。
冬近い学園に、俺の平穏な日常が戻ってきた。
勿論、細かい事情は様々あるし、追試のテスト勉強にも頭を抱えなきゃならない。
でも俺の隣には一番大事で大好きなセシルが居るし、同室で親友の神也も何かと頼りになる。(かなりのお世辞を加えておく)
図書室で試験勉強をするというセシルと別れて、俺はひとり林の向こうに聳える塔に向って歩き出す。
主に「イルミナティバビロン」の集会の為に使われるこの塔の入り口は、普段は鍵がかけられている。だけど、俺には入口のエレベーターから昇る必要はないんだ。
魔力を使って、自分の身体を浮かせて、ゆっくりと塔の屋上を目指す。
誰にも干渉されず、ひとりきりであの魔方陣の中で思考したい…と、望んでいたにもかかわらず、行きついた屋上には先客があった。
屋上の床に描かれた魔方陣の真ん中で、アーシュが大の字になって寝転がっていたのだ。
後悔する間も無く、アーシュは俺の姿を見つけると、右手を上げて俺を手招きした。
俺は仕方なく、アーシュの下へ近寄った。
「よくここに居ることがわかったな」
「別に…アーシュに会いにきたわけじゃないよ」
「へえ~、じゃあ、ここに何の用だ?」
「ここはクナーアンへのゲートだって教えたのはあんたじゃないか。俺だって独りになりたい時はあるんだよ。色々とさ」
「ホームシックって奴なんじゃないのか?…イールが恋しくなった?」
「そりゃ、アーシュの方だろ」
「そうさ。だからここでこうしてイールの声が聞こえないかって、精神を広げている」
「…イールさまと話せるの?」
「ああ、レイもやってみろ」
「…」
俺は疑心暗鬼しながらアーシュと同じように、仰向けになって隣に寝転び、深呼吸をして精神を統一した。
「…なにも感じない…」
「当然。本当はイールの声なんて聞こえるわけねえのさ。だってここはクナーアンには遥かに遠い…。でも、ついクナーアンを…イールの匂いを探したりするのさ」
「…そんなに恋しければ、すぐにでもワープして会いに行けばいいじゃないか」
「おまえねえ、簡単に言うけど、異次元へのワープってのは、相当の魔力を使うんだぜ?今のレイの魔力を全力注ぎ込んだとしても、次元を超えてクナーアンに行くことは到底無理」
「…そうなの?」
「なんだ?簡単に行けると思ったのか?」
「…うん。だって…ルシファー先生はたびたび行き来してるし…」
「セキレイは特別だ。あいつはもともと異次元をワープする能力に長けているんだ。昔…幼くて魔力も弱かった俺が、クナーアンからセキレイを呼び寄せたのも、セキレイが次元の狭間を通過しやすかったからだろうなあ」
アーシュは両腕を枕にしながら、澄み切った大空をじっと見つめている。その横顔からは彼が何を考えているのか…俺には全く読み取ることは出来なかった。
「ねえ、アーシュ…」
「なんだ?」
顔だけを俺の方に向けてくれたアーシュの視線に、俺はすこし焦った。
「お、俺がクナーアンに戻れないって言ったら、イールさまは…悲しむかな?」
「そりゃあまあ、落胆すると思うが、俺達クナーアンの神さまってのは、民がどこにいても幸せであるのなら、喜ばしいと思うことにしているのさ。だからイールもレイが自ら選ぶ道なら、いくらでも応援するだろうな」
「そう…なら、ありがたいな…」
「なんだよ、自信なさ気だなあ~。恋人がそんな顔じゃセシルも不安になるぜ」
「だって…本当に自信がないんだもの。これでいいのかって…ここに居て、セシルの傍にいることが本当にセシルの為になるのかって…」
「セシルの為だとか逃げ口上を盾にするんじゃねえぞ。おまえが選んで歩く道だ」
「わかっているけど…」
「どちみちどこを歩こうが簡単じゃねえさ。クナーアンで生きるのも、このカオスなアースで生きるのも…苦悩と失敗と不安の連続なんだよ。でもさ、きっと…そう、楽しいのさ。間違いない」
「…アーシュ…」
「実はさ、俺はおまえがここを選んでくれたことを歓迎しているんだ」
「どうして?」
「色々とさ…。未来を予測すると俺の代わりに頼りになる後継者が多い方が、安心なんだよ」
「俺の代わり…って?」
「話せば長くなるから掻い摘んで説明するとだな。俺はいつまでもここにいないから、俺がいなくなった後はちゃんとおまえらでうまくやってくれ…ってことだ」
「…意味わかんねえし。いなくなるって何?」
「だから説明すると長くなるって言ってるだろ?」
「説明してくれなきゃわからないし…アーシュがいなくなるって…。もしかしたらクナーアンに戻って、こっちに帰って来ないって意味なのか?」
「まあ、その解釈で間違ってはいない」
「どうしてっ!今みたいに行ったり来たりして…いいじゃん。アーシュがいないと俺…」
「寂しい?」
いたずらっ子みたいに俺を揶揄うアーシュが憎たらしい。そんなの寂しいに決まっているだろう。
「なあ、レイ。ハーラル系の言い伝えは知っているだろう?すべての惑星の二神は天の皇尊ハーラルの命により不死の命を持つ…」
「うん」
「だけどアスタロトは不死であることに嫌気がさして、人間に生まれ変わった。それが俺。だから俺はクナーアンの神さまだけど、不死じゃない」
「それはわかるけど…」
「ハーラルはアスタロトが許しも得ずに勝手に人間に生まれ変わったことにマジキレしたのさ。当然だ。今までのルールを破ったのだからな。アスタロトの罪は重い。だから俺とイールはその罪を負わねばならない。つまり…人間よりは遥かに短い寿命しか与えない…それがハーラルの罰だ」
「…」
「贖罪の日がいつ来るかは、俺もイールもわからない。どちらにせよ俺達は一心同体で、俺が死ねばイールも死ぬ」
「そんな…そんなの酷いよ…」
「誰だっていつかは死ぬし、アスタロトにとって死は憧れでもあったんだ。ハーラルは罰だとは言うが、本当は許しをくれたんだよ。俺とイールの望むままに…。だから残されたおまえたちが悲しんではならない。俺とイールが死ねば、クナーアンにとっては新しい二神の誕生を迎えることになる。そして、この星は…文字通り人間たちの努力が試される時がくるのだよ。どんな未来にしても人間が選ぶ世界だ」
「俺は…俺はクナーアンの人間だし、この星の未来なんか…」
「関係ない?愛する者が住む地上なのに?」
「だって…」
アーシュが俺の前からいなくなるなんて…そんなの…嫌だ。絶対に…。
「おいで、レイ」
アーシュは寝たまま、俺に両腕を伸ばした。俺は起き上がり、寝ているアーシュの身体に覆いかぶさった。
アーシュの腕が俺の背中を抱く。アーシュの手が俺の頭を撫でる。
自然と涙が溢れてくる。
「馬鹿レイ、泣くんじゃないよ。もうすぐ十六になるんだろ?おまえを拾った頃に比べたら、随分と大きくなったじゃないか…泣き虫レイ…」
「嫌だよ…アーシュが死んじゃうなんて…絶対…嫌…」
「…ったくね。俺、誰からも愛されちまっているからなあ。いなくなるって知ったら、この世は悲鳴だらけのパニックさ。だから口外は禁物。特にベルやセキレイや俺を愛してやまない奴らには刺激が強すぎるだろ?…まあ、どうしてもって時はスバルかキリハラに相談しろ」
「ふたりは知ってるの?」
「ああ、そうだよ。レイには少し早すぎたけれど…おまえを見込んでのことだと知っておくれ。…おまえは特別な子だからね、銀色のレイ」
「…」
悲しいけれど嬉しい…こうしてアーシュの胸に抱かれて頭を撫でてもらっていることが…嬉しくてたまらないんだ。
「ねえ、アーシュ。俺の事が大事?…神也よりも?」
「なんだよ、嫉妬しているのか?」
「…」
俺は小さく頷いた。
「馬鹿だね~。クナーアンの神さまの俺にとって、レイは大切な民のひとりであり、天の王学長としては大事な愛し子だ。世話の焼ける養い子で頼りになる弟子の魔術師…だろ?おまえが一番可愛いよ。神也よりもどの生徒よりも…レイが一番可愛いに決まってるさ」
「…」
アーシュの嘘つき、と詰ってやろうと思ったけれど、嘘でも一番可愛いと言ってくれることが嬉しくて涙が止まらなかった。
「…俺…頑張るよ、アーシュの期待以上の魔術師になって、この星をより良き未来に導けるように…みんなと頑張る…」
「…頼りにしてるよ、俺の可愛い銀色のレイ」
アーシュは俺が泣き止むまでの相当な時間、俺を抱いて、ずっと頭を撫でてくれた。
「おい、クソガキ、頼むから陽が落ちるまでに泣き止めよ」と、叱るのも構わず、俺はアーシュを離さなかった。
Epilogre そして、今…
私の世界には、多くの大切な者が居た。
恋人や友人たちと共に生き、目的に向かって歩き為すことが、自分の生き甲斐や喜びとなった。
私は幸福の意味を知る者だ。
クナーアンに生まれ、アースを旅する私にとって様様な災いは常に目の前に立ちはだかった。しかし、私は残酷に屈しないし、安寧に胡坐を掻いたりはしない。
私はアーシュの教えに従い、充分に人生を楽しんでいる。
アーシュが語った「未知なる世界」を、私は懸命に生きている。
どんな苦境も私を殺すことはできなかった。
私を抱きしめたアーシュの温もりが、光射す道を導き続けたからだ。
挫けようとする度に、アーシュは少し揶揄うような笑いを湛え、私の名を呼ぶ。
「泣くんじゃねえよ、銀色のレイ」
アーシュが居なくなった世界でも、私の還る故郷は…アーシュだった。
2015.3.20




