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13/25

第13話 中古ビデオショップの魔女

 佐藤健一は、中古ビデオショップというものに、あまり縁がなかった。

 映画を観るなら配信でいい。

 音楽もサブスクでいい。

 データはクラウドで管理すればいい。

 物理メディアは場所を取る。

 劣化する。

 探すのに時間がかかる。

 効率が悪い。

 そう思っていた。

 だが、健一の机の引き出しには外付けHDDがある。

 そこには、若い頃の自分が収集した映像や音声や、消したつもりで消していなかった何かが大量に眠っている。

 だから、物理メディアを笑う資格はない。

 データであれ、ディスクであれ、人間は恥ずかしいものをどこかに保存する。

 保存し、隠し、忘れたふりをする。

 そしてある日、人魚姫に開けられる。

 最悪の災害である。

「健一」

 ルナが、玄関でサンダルを履きながら言った。

「今日は、どこへ行くのですか」

「少し調べたい店があります」

「店」

「中古ビデオショップです」

 ルナは首を傾げた。

「びでお」

「映像が入った古い円盤やテープを売る店です」

「健一の大切な箱の、先祖ですか」

「嫌な言い方ですが、遠くはないです」

「そこに、海の魔女がいますか」

 健一は動きを止めた。

 昨日の夜、ルナは夢の話をした。

 暗い海の底に沈んだ古い店。

 笑うマダム・マリーン。

 声が戻ったなら、歌いなさい、と言った魔女。

 その名前を聞いた時から、健一の中で一つの場所が引っかかっていた。

 マンションから二駅離れた商店街。

 シャッターの下りた店が多い通り。

 その端に、古い中古ビデオショップがある。

 店名は、覚えていない。

 ただ、看板に青い貝殻のマークが描かれていた気がする。

 以前、ランニング中に前を通ったことがある。

 今どき珍しい店だ、と思っただけで入らなかった。

 だが、ルナが来てから考えると、あの店だけ妙に記憶に残っている。

 健一はリュックを背負った。

「分かりません。ただ、確かめます」

「私も行きます」

「危険かもしれません」

「私の契約のことです」

 ルナはまっすぐ言った。

「私も、知りたいです」

 健一は少し迷った。

 海の魔女。

 ルナの声を奪った存在。

 人間の脚を与えた存在。

 健一のHDDを教材にした可能性が高い存在。

 どう考えても、まともではない。

 だが、ルナを置いていくのも違う。

 彼女の人生に関わることだ。

「分かりました。ただし、俺から離れないでください」

「はい」

「水に注意」

「はい」

「店内で変な映像を見つけても触らない」

「健一の大切な箱の先祖でも?」

「先祖供養はしません」

 ルナは真面目にうなずいた。

 不安はあった。

 だが、行くしかない。

     *

 商店街は、昼なのに少し暗かった。

 アーケードが古いせいか、光が薄い。

 閉まったままの店が多く、看板だけが残っている。

 古い蕎麦屋。

 金物屋。

 クリーニング店。

 靴修理屋。

 ところどころに新しいカフェや整体院が混じっているが、通り全体には、使い終わった時間の匂いがあった。

 ルナは健一の袖を掴み、辺りを見回している。

「ここは、静かです」

「駅前より人が少ないですから」

「でも、何かが残っています」

「古い商店街なので」

「海の底みたいです」

 健一は少しだけ分かる気がした。

 かつて賑わっていたものが、沈んだあとも形だけ残っている。

 海底の沈没船。

 閉じたシャッター。

 誰も入らない店。

 そう考えると、この場所は確かに少し海に似ていた。

 目的の店は、商店街の外れにあった。

 看板には、色褪せた文字でこう書かれている。

【マリーン映像館】

 その横に、青い貝殻のマーク。

 健一は足を止めた。

「マリーン」

 ルナが小さく言った。

 店の入口には、古いポスターが貼られていた。

 映画、アニメ、演歌のライブ、よく分からない海外ドラマ、そして昭和のアイドル。

 どれも日焼けして、色が抜けている。

 ガラス戸の内側には、手書きの紙が貼ってあった。

【VHS買取強化中】

【DVD三枚五百円】

【海もの特集】

【あなたの忘れた声、あります】

 最後の一枚だけ、明らかにおかしかった。

 健一はルナを見た。

 ルナも、その紙を見ている。

 顔が少し青ざめていた。

「戻りますか」

 健一が聞くと、ルナは首を横に振った。

「入ります」

 健一はガラス戸に手をかけた。

 からん、と鈴が鳴った。

 店内は、外よりもさらに暗かった。

 蛍光灯はついている。

 だが、棚が高く、通路が狭く、奥まで光が届いていない。

 紙とプラスチックと埃の匂い。

 その奥に、かすかに潮の匂いが混じっている。

 右手の棚にはDVD。

 左手にはVHS。

 奥には古いテレビと、ブラウン管のモニター。

 床にはダンボールが積まれ、天井からは何の映画か分からないポスターが吊られている。

 そして、レジカウンターの向こうに、女がいた。

 年齢が分からない。

 四十代にも見える。

 六十代にも見える。

 濃い青のワンピースに、真珠のネックレス。

 髪は白に近い銀色で、きれいにまとめられている。

 派手ではない。

 だが、目だけが妙に若い。

 暗い海底で光る生き物の目だった。

 女は、こちらを見て笑った。

「いらっしゃい」

 その声を聞いた瞬間、ルナの指が健一の袖を強く掴んだ。

「マダム・マリーン」

 ルナが言った。

 女は楽しそうに目を細めた。

「あら。ちゃんと声が戻ったのね。よかったわ」

 健一は一歩前に出た。

「あなたが、海の魔女ですか」

「今は店主よ」

「答えになっていません」

「人間の男は、答えを急ぐわね」

 マダム・マリーンはカウンターに肘をついた。

「でも、嫌いじゃないわ。あなた、溺れていた時より顔色がいい」

 健一の背中に冷たいものが走った。

「見ていたんですか」

「海で起きることは、だいたいどこかに届くの」

「あなたがルナを陸に上げたんですね」

「彼女が望んだのよ」

 マリーンはルナを見た。

「そうでしょう、小さな姫」

 ルナは健一の袖を掴んだまま、ゆっくりうなずいた。

「私は、健一に会いたかった」

「ね。強制じゃない」

「声を奪ったのは」

「代金よ」

 マリーンはあっさり言った。

「商品には値段がある。人間の脚は安くないわ」

「それで、言葉の学習元を俺のHDDに?」

 健一の声が少し低くなった。

 マリーンは、にやりと笑った。

「あら、HDDだったの」

「知らなかったふりは無理があります」

「本当に知らなかったわよ。私は言っただけ。彼が大事にしている箱から、陸の言葉を学びなさいって」

「その結果がこれです」

「上出来じゃない」

「どこが」

「声は戻った。会話もできる。歌も歌える。多少、言葉が薄着なだけ」

「あなたまで言わないでください」

 ルナが小さく言った。

「健一、薄着ではなく裸ですか」

「今は分類しなくていいです」

 マリーンは声を立てて笑った。

「いいじゃない。人魚の姫が、陸の男の隠し場所から言葉を覚える。昔話よりずっと現代的だわ」

「笑い事じゃありません」

「笑わないとやっていられないわよ、恋なんて」

 恋。

 その単語で、ルナの肩が少し動いた。

 健一は話を進めた。

「契約の条件を教えてください」

「条件?」

「ルナは、何を代償に、何を期限に、どうなったら戻れるのか」

 マリーンの笑みが少しだけ深くなった。

「知りたい?」

「当然です」

「知ると、後戻りできないわよ」

「すでに後戻りできる状況ではありません」

「でしょうね」

 マリーンはカウンターの下から、古びたケースを取り出した。

 VHSのケースだった。

 背表紙には何も書かれていない。

 彼女がそれを開くと、中にはテープではなく、一枚の紙が入っていた。

 羊皮紙のような古い紙。

 だが、よく見ると、下の方に小さなバーコードが印刷されている。

 健一は眉をひそめた。

「ずいぶん現代的ですね」

「在庫管理は大事なの」

 マリーンは紙を広げた。

 そこには、見たことのない文字と、日本語のようなものが混ざって書かれていた。

 波のような線。

 貝殻のような記号。

 ところどころに、妙に読みやすい文字。

【脚】

【声】

【泡】

【恋】

【期限】

 ルナは紙を見て、小さく息をのんだ。

「覚えていますか」

 マリーンが聞く。

「夢の中で、聞きました」

「そう。では、人間の彼にも説明しましょう」

 彼女は健一を見た。

「ルナは、人間の脚を得た。代わりに、声を失った。でも声は完全に消えたわけじゃない。彼女が陸の言葉を学び、自分の言葉を得れば、声は戻る」

「もう戻っています」

「半分ね」

「半分?」

「今の声は、あなたの箱から借りた声よ。彼女自身の声ではあるけれど、言葉の骨組みが借り物なの。だから、ときどき壊れる」

 健一は黙った。

 確かに、ルナの声そのものは美しい。

 だが言葉は、健一のHDDに入っていた偏った教材の影響を受けている。

「完全に戻るには?」

「自分の言葉で、自分の恋を歌うこと」

 ルナが顔を上げた。

「歌」

「そう。人魚だからね。最後は歌に戻る」

 健一は腕を組んだ。

「それで、泡になる条件は?」

 店内の空気が少し冷えた。

 マリーンは紙の端を撫でた。

「期限は、次の満月まで」

「次の満月」

 健一はスマホを取り出しかけたが、店内で急に月齢を検索する自分を想像して、少しだけ嫌になった。

 マリーンが笑う。

「人間はすぐ調べるわね。あと二十日ほどよ」

 二十日。

 健一の喉が乾いた。

「その日までに?」

「彼女が、陸に残る理由を得られなければ、泡になる」

「陸に残る理由?」

「昔話風に言えば、愛されなければ、ね」

 ルナの指が健一の袖をさらに強く掴んだ。

 健一は、ゆっくり息を吐いた。

「曖昧すぎます」

「恋の契約なんて、だいたい曖昧よ」

「契約として欠陥があります」

「海の契約に、消費者センターはないの」

「なら、具体的に聞きます。誰に愛されればいいんですか」

 マリーンは健一を見た。

 それだけで答えは分かった。

 だが、彼女はわざわざ声に出した。

「あなたよ、佐藤健一」

 店の奥で、古いブラウン管テレビが一瞬だけ光った。

 映像は映っていない。

 ただ、青いノイズだけが揺れている。

 ルナは俯いた。

 健一は、すぐには言葉を出せなかった。

 愛されなければ泡になる。

 馬鹿げている。

 古すぎる。

 非合理的だ。

 条件として曖昧で、判定方法も不明。

 こんなものは契約ではない。

 呪いだ。

 いや、最初から呪いなのだ。

「俺が、どうすればいいんですか」

「それを私に聞くの?」

「聞いています」

「愛しなさい、と言えば愛せるの?」

 健一は黙った。

 言えない。

 愛という言葉は、健一にとって扱いづらすぎる。

 心拍数のように測れない。

 パワーメーターのように数値が出ない。

 練習計画のように積み上げれば結果が出るとも限らない。

 それなのに、ルナの命がかかっている。

「他に方法は」

「ないわけじゃない」

 マリーンは、わざとらしく棚の方を見た。

「昔話なら、王子様を殺してその血を浴びれば海へ戻れる、なんて方法もあるわね」

 ルナが青ざめた。

「しません」

 即座に言った。

「私は、健一を傷つけません」

「でしょうね」

 マリーンはつまらなそうに肩をすくめた。

「だから、あなたはここにいる」

 健一は眉を寄せた。

「からかっているんですか」

「半分」

「残り半分は?」

「心配しているのよ。これでもね」

 マリーンはカウンターから出てきた。

 足音がしない。

 床の上を滑るように歩く。

「小さな姫は、海を捨てて陸へ来た。足の痛みも、水への恐怖も、声を失うことも分かった上でね。でも、陸の男はどうかしら」

 彼女の視線が、健一に向いた。

「あなたは、自分が何を受け取ったのか、まだ分かっていない」

「命を助けられたことなら分かっています」

「それだけ?」

 健一は答えられなかった。

 マリーンは笑う。

「彼女はあなたに会いたかった。あなたの声を聞きたかった。あなたの隣を歩きたかった。だから陸へ来た。では、あなたは?」

「俺は」

 言葉が詰まる。

 ルナが健一を見る。

 責めてはいない。

 ただ、不安そうに見ている。

 健一は拳を握った。

「俺は、彼女を泡にするつもりはありません」

「それは愛?」

「責任です」

「便利な言葉ね」

「便利でも必要です」

「責任だけで、人魚姫は陸に残れるかしら」

 健一は言い返せなかった。

 責任。

 保護。

 命の恩。

 同居人。

 事情。

 検討中。

 自分が使ってきた言葉が、急に逃げ道に見えた。

 ルナが小さく言った。

「健一」

 健一は振り返る。

「私は、責任でも、少し嬉しいです」

 その言葉が、逆に痛かった。

 マリーンは、少しだけ表情を変えた。

 笑っているのに、目の奥が笑っていない。

「健気ね。昔から、人魚は損な恋をする」

「なら、なぜ契約したんですか」

 健一の声に怒りが混じった。

「損だと分かっていて、なぜ」

「人魚の願いを止める権利は、魔女にもないから」

 マリーンは言った。

「止めても、彼女は別の道を探したでしょうね。もっと悪い相手に頼ったかもしれない。だったら、私の店に来た方がまだましだった」

「まし?」

「ええ。少なくとも、私は見物する趣味はあっても、壊す趣味はないわ」

「かなり疑わしいです」

「疑っていいわよ。疑うのは、人間の数少ない長所だから」

 マリーンはカウンターへ戻り、紙をケースにしまった。

「条件は分かったでしょう。次の満月までに、ルナ自身の言葉で恋を歌うこと。そして、あなたがその歌を受け取ること」

「受け取る?」

「聴くことじゃないわ。受け取ること」

「曖昧です」

「恋だから」

「それで全部済ませるの、禁止できませんか」

「できないわね」

 マリーンは、棚から一枚の古いDVDを取り出した。

 ジャケットには、海辺で男女が向き合っている絵が描かれている。

 タイトルは聞いたことがない。

 だが、妙に安っぽいロマンチックさがあった。

「おまけに、これをあげる」

「いりません」

「観なさい。人間は教材がないと恋もできないでしょう」

「あなたに言われると腹が立ちます」

「あなたの教材よりは安全よ」

 ルナがDVDを受け取った。

「これは、恋の勉強ですか」

「そう。比較的、服を着ている恋の勉強」

「服を着ている」

「そうよ。あなたの今の歌詞よりはね」

 ルナは真剣にうなずいた。

 健一は頭を抱えたくなった。

 海の魔女から恋愛教材を渡される日が来るとは思わなかった。

 しかも「自分のHDDより安全」という評価は、反論しづらい。

「最後に一つ」

 健一は言った。

「ルナが泡になりかけた場合、止める方法は」

 マリーンの目が少し細くなる。

「本気で知りたい?」

「はい」

「抱きしめること」

 健一は固まった。

「……それだけですか」

「簡単でしょう」

「物理的な効果が?」

「あるわ。彼女が陸に残る理由を思い出せるなら」

「また曖昧な」

「でも、覚えておきなさい。人魚が泡になる時、言葉はほとんど届かない。歌も遅い。手だけが、間に合うことがある」

 マリーンの声は、先ほどまでと少し違った。

 からかっていない。

「その時に、理由だの責任だの検討中だの言っていたら、間に合わないわよ」

 健一は返事をしなかった。

 できなかった。

 ルナが、健一の袖を掴んでいる。

 その手が、少し震えていた。

     *

 店を出ると、商店街の空気が少し軽く感じた。

 しかし、健一の胸の中は重かった。

 次の満月まで、あと二十日ほど。

 ルナが自分の言葉で恋を歌うこと。

 健一がそれを受け取ること。

 できなければ、泡になる。

 馬鹿げている。

 なのに、笑えなかった。

 ルナは手にDVDを持っていた。

 表情は静かだった。

「ルナさん」

「はい」

「大丈夫ですか」

「分かりません」

「そうですよね」

「健一は?」

「俺も、分かりません」

 二人は商店街を歩く。

 ルナは、いつものように健一の袖を掴んでいる。

 だが、今日は少し力が弱い。

 考え込んでいるのかもしれない。

「健一」

「はい」

「責任は、嫌ですか」

 健一は足を止めた。

「嫌ではありません」

「私は、責任でも嬉しいと言いました」

「はい」

「でも、マリーンは、それでは足りないと言いました」

「……そうですね」

「愛とは、責任より強いものですか」

 健一は答えを探した。

 街の音が遠い。

 古い商店街のアーケードに、二人の足音だけが響いている。

「分かりません」

 健一は正直に言った。

「俺は、その言葉が得意ではありません」

「でも、知ろうとしますか」

「します」

 ルナは顔を上げた。

 健一は、彼女を見る。

「あなたを泡にしたくないので」

「それは責任ですか」

「責任もあります」

「他には?」

 健一は少し黙った。

 言葉に服を着せる必要がある。

 だが、着せすぎると、何も伝わらない。

「あなたがいなくなるのは、嫌です」

 ルナの目が揺れた。

「嫌」

「はい」

「困る、ではなく?」

「困る、でもあります。でも、それだけではないです」

 ルナは、健一の袖を少し強く握った。

「今の言葉は、服を着ていますか」

「たぶん」

「中は、見えますか」

「少し」

 ルナは、小さく笑った。

「では、覚えます」

 健一はうなずいた。

 商店街の出口に、空が見えた。

 午後の光が、古いアーケードの向こうで白く光っている。

 水の匂いはしない。

 雨の気配もない。

 それでも健一は、リュックの中のコートの重みを確かめた。

 何かあったら、抱きしめること。

 マリーンの言葉が、頭に残っていた。

 物理的な対策なら、健一は得意だ。

 だが、これは違う。

 ルナが陸に残る理由。

 それを、自分がどう受け取るのか。

 数値にはできない。

 予定表にも入らない。

 だが、もう逃げられない。

 ルナがDVDを見下ろした。

「健一」

「はい」

「この恋の教材、今日見ますか」

 健一はジャケットを見た。

 安っぽい夕焼け。

 砂浜。

 見つめ合う男女。

 タイトルの下に、小さく「涙のラスト三十分」と書いてある。

「安全確認してからにしましょう」

「また検討中ですか」

「検閲です」

「けんえつ」

「必要な作業です」

 ルナは少し考えてから、うなずいた。

「では、健一が先に見て、服を確認してください」

「恋愛映画の服を確認する係ですか」

「はい」

 健一は空を見た。

 海の魔女と契約条件を聞いた直後なのに、なぜ自分は安物の恋愛映画の検閲係になっているのか。

 それでも、少しだけ笑えた。

 ルナも笑った。

 その笑顔を見て、健一は思った。

 次の満月まで二十日。

 長くはない。

 だが、短すぎるとも限らない。

 少なくとも、彼女が笑っている今を、泡にするわけにはいかない。

 健一は歩き出した。

 ルナが隣に並ぶ。

 古い商店街の外へ出ると、東京の光が戻ってきた。

 少しまぶしいくらいだった。


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