第41話 及第点
「……あーあ。雑魚が群がってさぁ」
エルファテスが空中から静かに右手をかざす。彼の周囲の空間が、目に見えない「拒絶の波動」となって拡張していく。
【防御を禁ず】――。
その見えない因果の網がアルスたちの身体を捉えた瞬間、誰もが自身の肉体から「身護る」という概念そのものが剥ぎ取られるのを感じた。皮膚の一枚、筋肉の一片に至るまで、大気中に漂う微細な砂塵の擦過傷さえも直接肉体の深部へと到達するような、異常な無防備状態。
「 ……! だが、それがどうしたッ!!」
オルフェアが吼えた。彼は自身の肉体が無防備化していることなど一顧だにせず、大地を爆破するように蹴り上げ、空中へ向かって跳躍した。
狙うは椅子に座るエルファテス。
大鉄塊の大剣が、エルファテスの脳天を目がけて一直線に振り下ろされる。
「ルルカ」
「はーい!」
エルファテスの短い呼びかけに応じ、銀翼の少女ルルカがオルフェアの軌道上に割り込んだ。彼女から、禍々しいまでの漆黒の光がブレード状に具現化し、オルフェアの大剣と激突する。
――ガキィィィィンッ!!!
空中での凄まじい力の拮抗。
ルルカの可憐な身体からは想像もつかない、竜王の遺伝子がもたらす圧倒的な怪力が、オルフェアの質量を押し返す。
「アハハハ! 魔力もないのにすっごく硬いね! でも、これならどう!?」
ルルカの背後の銀翼が、無数の光の羽矢へと変貌し、至近距離からオルフェアの全身へと降り注いだ。
防御を禁じられた肉体。その光の羽が突き刺されば、オルフェアといえどもひとたび肉塊に変えられかねない。
「――させるかぁぁぁッ!!」
地上から、巨大な影が飛び上がった。
オルクスである。彼はオルフェアの特訓によって培った、無駄のない跳躍でオルフェアの死角へと滑り込み、自身の大斧を盾のように構えて光の羽矢の群れを強引に横から叩き落とした。
「……ぐ、おぉぉッ!」
防御概念を奪われているため、光の破片がオルクスの肉体を容易く切り裂き、鮮血が舞う。しかし、オルクスの瞳から光は消えない。
「オルクス! てめぇ、何やって――」
「死ぬために盾になったんじゃない! お前に習ったんだ、あいつの元へ届けるためだ! 行け、オルフェア!!」
オルクスの咆哮。その肉体を足場にするようにして、オルフェアは空中でさらに加速し、エルファテスの眼前へと肉薄した。
「……しつこいね」
エルファテスが初めて椅子から立ち上がり、その龍の鱗に覆われた左手で、オルフェアの大剣の刃を直接掴み取った。
――バチバチと、エルファテスの左手から放たれる『ジャッジ』の術理が、オルフェアの腕の筋肉を内側から破壊していく。
「が、はっ……あ゙ぁ゙ぁ゙!!」
「いかに絶対的な質量を持とうが、僕の手に触れた瞬間、その運動エネルギーそのものを無駄として審判する。君の負けだ、戦神」
そのとき、エルファテスの背後の空間から、銀色と漆黒の螺旋が爆発した。
アルスである。
彼はヒューガの方術結界によって気配を完全に隠蔽し、オルフェアとオルクスが作り出した最大の隙を突いて、エルファテスの死角へと潜り込んでいた。
残された黒い左腕。
そこには、ナルクから奪った『腐敗の核』が、アルスの残りの寿命を喰らいながら不気味に脈動している。
「【神簒・概念反転】――」
アルスの左拳が、エルファテスの背中へと突き立てられた。エルファテスの【防御を禁ず】の権能。それはアルスたちを無防備にする絶対の理。
だが、アルスはあえてその「無防備」を受け入れた状態で、自身の体内に蓄積された『ナルクの絶対腐敗』を、エルファテスの体へと直接逆流させたのだ。
防御できないのは、アルスだけではない。
【神簒者】によって術式のベクトルを強制的に反転された瞬間、エルファテス自身もまた、己の権能によって『絶対の無防備』状態へと叩き落とされた。
「は……なっ、に……っ!?」
エルファテスの細い目が、初めて驚愕に見開かれた。アルスの左拳から放たれた黒い泥のような腐敗の瘴気が、エルファテスの龍の鱗を、肉を、骨を、内側からボロボロと灰へと変え始める。
「が、はっ……! 僕の、身体が……腐食していく、だと……!?」
「エルファ!?」
ルルカが叫び、アルスを排除しようと極光の刃を振り下ろす。しかし、その刃の軌道上に、今度はルーシェの放った『魔力解体の矢』と、アルベラの『混沌の魔障』が完璧な連携で絡みついた。
「――そこを、動かないで!!」
ルーシェの矢がルルカの銀翼の一片を射抜き、解体された魔力が空中でおぞましい爆発を起こす。
アルベラの紫黒の魔障が、ルルカの視界と自由を完全に奪い去った。
「くっ、この、蟻の糞どもがぁぁぁ!!」
ルルカが狂ったように暴れるが、その足留めとしては十分だった。
「アルス! これでトドメを刺しな!!」
地上で血の筆を掲げるヒューガの叫びと共に、エルデブラの大地に描かれた神代の陣から、金色の九頭の光龍が咆哮を上げながら立ち昇り、背中を貫かれたエルファテスと、それを固定するアルスの肉体ごと、一斉に噛みついた。
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エルデブラの古代尖塔が、光の奔流によって完全に消滅した。白と黒、金と紫のエネルギーが渦巻き、世界の理が激しく書き換えられていく。
激しい爆炎が収まり、エルデブラの地に再び静寂が戻ってきた時、そこには凄惨な光景が広がっていた。
「……はぁ、……はぁ、……がはっ……」
アルスは地面に膝を突き、残された左腕から大量の黒い血を流していた。彼の肉体は、ヒューガの九頭龍とナルクの腐敗の反動で、もはやいつ塵に変わってもおかしくないほどの限界を迎えている。
だが、彼の視線の先――。
聖の一席、エルファテスは、左半身を完全に失い、ボロボロの姿で空中に辛うじて浮いていた。彼の傲慢な顔は、屈辱と怒りで激しく歪んでいる。
「……まさか、この僕が……人間に、これほどの傷を負わされるとはね……」
「なーに油断してんのよ!エルファ! もういいわ、一度引き上げるわよ! こいつら、口だけじゃないわ!」
「此処で下がるのは癪に障るけど……」
ルルカが、片方の翼を失いながらもエルファテスの身体を支え、空間の裂け目へと飛び込んだ。
「チッ……アルス。次に会う時は……君たちの因果ごと、世界の果てへ消し去ってあげるよ」
エルファテスの呪詛のような言葉を残し、二人の『聖』は空間の彼方へと消え去っていった。
完全なる撃破には至らなかったが、世界を支配する『晩餐会』の最高戦力を相手に、満身創痍の復讐者たちは、明確な「勝利の傷痕」を刻み込むことに成功したのだ。
「……ハ、ハハ。……やった、な……」
アルスの唇から、乾いた笑いが漏れる。
オルフェアは大剣を肩に担ぎ直し、全身から血を流しながらも、アルスの元へと歩み寄った。
「あ゙ぁ゙? まぁ、及第点ってところだな、隻腕のガキ。……てめぇのそのイカれた根性、エルナにも見せてやりたかったぜ」
「だが、あれは本気ではないな………」
オルクスもまた、傷だらけの身体で立ち上がり、アルスの隣へと並ぶ。
ルーシェ、アルベラ、ヒューガ。
誰一人として無傷の者はいない。誰もがボロボロで、地獄の底を這うような惨状。しかし、崩災都市エルデブラの鉛色の空を見上げる彼らの瞳には、かつてないほどに強固な、世界そのものを簒奪するための「不滅の意志」が、美しく、そして禍々しく燃え上がっていた。
「行くぞ……」
アルスの残された左拳が、灰の風の中で強く、強く握り締められた。彼らの復讐の旅路は、真の世界の崩壊へと向かって、さらに加速していく。




