第27話 神子は屠る
どれだけ歩いても景色が変わらない。アリウベラ洞窟への道は、ナルクの『停滞』によって永遠に続く泥濘と化していた。アルスが己の限界を悟り、膝をつきかけたその時――。
「……ねえ、おじさんたち。何して遊んでるの?」
不意に響いたのは、この腐敗した世界にはおよそ似つかわしくない、鈴を転がすような無邪気な声だった。顔を上げると、そこには一人の幼い少年が立っていた。
プラチナブロンドの髪に、吸い込まれるような碧い瞳。その小さな肉体からは、アルスがかつて経験した『聖剣』とも、現在の自身が宿す『魔』とも異なる、圧倒的なまでに「純粋」で「高純度」な魔力が溢れ出していた。
「……子供? なぜ、こんな場所に……」
アルベラが驚愕に目を見開く。彼女の千里眼ですら、その少年の「底」が見えない。少年は、毒蔦がのたうつ大地を、まるで花畑でも歩くかのように軽やかに進み、アルスの目の前で小首を傾げた。
「僕はリオネイル。ねえ、そこを通るなら、僕を倒していかなきゃダメなんだって。誰が決めたのかは忘れちゃったけど」
リオネイルと名乗った少年は、無垢な笑顔を浮かべる。だが、その背後に渦巻く魔力は、一瞬で周囲の『停滞』を食い破り、空間そのものを震わせ始めた。
「……リオネイル、と言ったか。お前、自分が何を言っているかわかっているのか?」
アルスは、右腕の毒を抑え込みながら立ち上がった。相手は子供だ。だが、その瞳の奥にあるのは、生物としての格の違いを見せつけるような、絶対的な強者の輝き。
「いいから、逃げろ。ここはもうすぐ、本当の地獄になる。お前のような子供がいていい場所じゃない」
「……逃げろ? あはは、おじさん面白いね。僕を心配してくれるの?」
リオネイルがパチンと指を鳴らした。その瞬間、空の色が「絶望」から「終焉」へと塗り替えられた。
「でも、ダメだよ。だって、おじさんたちは『壊れた世界』の一部なんだから」
少年が空を指差す。
雲を割り、天の彼方から現れたのは、数千もの魔力の塊。それは伝説に謳われる終末魔法――破滅魔法『メテオ』の連なりだった。
「なっ……一人で、この規模を……!?」
オルクスが絶叫し、巨大な斧を掲げて防衛姿勢をとる。ルーシェも矢を番えるが、空を埋め尽くす燃える魔力の弾丸を前に、その手は小刻みに震えていた。
「くっ……【略奪者】!!」
アルスは漆黒の魔力を全開にし、迫り来る隕石群を迎え撃とうとする。だが、リオネイルの放つメテオは、オーラの『光』のように美しくもなければ、ナルクの『毒』のように陰湿でもなかった。ただただ圧倒的な質量と熱量が、そこにあるすべてを「無」へと回帰させようとする、暴力的なまでの純粋さ。
――轟。
大地が爆ぜ、衝撃波がアルスたちの肉体を無慈悲に引き裂く。防御スキルは紙切れのように破られ、爆炎の中でアルスは、自分の身体が宙に浮くのを感じた。
「……あ、……がはっ……!!」
泥の中に叩きつけられたアルスは、溢れ出る血を吐き捨てながら、悠然と佇むリオネイルを見上げた。
ナルクの刺客か? いや、違う。
この少年には、ナルクのような「腐敗」への執着がない。むしろ、汚れたものを一掃しようとする、残酷なまでの「掃除」の意思。
(こいつは……聖騎士でも、魔王軍でもない……)
瀕死の意識の中で、アルスは理解した。
世界には、自分たちが知る『光』と『闇』の争いなど、些細な小競り合いとしか思っていない、第三の勢力が存在する。
そしてこの少年は、その勢力が送り出した「世界の剪定者」なのだ。
「……まだ、終わらせるわけには……いかないんだ……」
アルスは血に濡れた手を伸ばし、崩れ落ちたアルベラの体を守るように抱き寄せる。アリウベラ洞窟へ辿り着く前に現れた、規格外の「神鳴る幼子」。
アルスの復讐と救済の旅は、ここに来て最大の、そして最悪の壁に直面した。




