第8話 演説と祝辞
仮設の舞台に、新たな王とその家族が並ぶと、民の歓声が波のように広がった。風にたなびくコルレド王国の旗と、色とりどりの花々に彩られた舞台。
穏やかで華やかな祝祭の日にふさわしい光景だった。
「我が愛するコルレドの民よ」
新王レオナール三世の、よく通る声が響く。場の空気が引き締まり、ざわめきが静まりかえった。
「我が王国は、大国に挟まれた地にありながらも、代々の王たちが民を想い、調和を重んじ、争いを遠ざけてきた。豊かな大地と静かな港、山と湖に恵まれ、わたしたちは平穏を享受してきた」
ミリアは隣で語る父の横顔を見ながら、心のどこかで少しずつ気が逸れていくのを感じていた。
(お父様の声はやっぱり堂々としてる。でも演説って長いな……)
目の前にはぎっしりと人が詰めかけ、舞台を見上げている。
手を振る者、拍手を送る者、じっと見つめる者。誰も彼もが笑顔だった。
明るくて、優しくて、期待に満ちていて……それなのに、なぜか、少しだけ、遠い。
たくさんの目がこちらを見ている。けれど、ミリアにはみんな「同じ顔」に見えた。
(いつもそう……お祝いのたびに、みんな笑ってくれる。でも……)
それが少し寂しいと、初めて思った。
彼らは自分を「王女さま」と呼び、見上げてくれる。
手の届かない存在として、きらきらした目で見ている。
そのまなざしは嬉しいもののはずだった。けれど、どうしてだろう。
胸の奥が、少しだけつめたくなる。
「そして今日、我が后とともに、新たな時代を刻むことを誓おう。王家は、これまでも、これからも民とともにあり続ける」
拍手が沸き上がり、王妃が膝を曲げて小さく一礼し、民衆に向けて手を振った。
続けて、王がゆっくりと手を差し出した先に、ミリアがいる。
「この国の未来を託すにふさわしい者、王太女アデレード・ミリア・カンザ。王家の血を継ぎ、民と国を思う者である」
また、拍手。讃える声。ミリアは少し目を伏せて、背筋を伸ばしたまま膝を曲げて礼をし、王妃と同じように民衆に手を振る。
(ちゃんとできた、と思う。うん……今のところは)
その音の波に包まれながらも、胸中は複雑だった。
みんなの視線は温かいのに、違和感が拭えない。
名前を呼ばれ、祝福されながらも、ひとつの塊としての「民」と感じてしまっている。一人一人にあの花灯りのような願いがあるはずなのに。出会った少年たちのような人生があるはずなのに。今はみんな同じ顔。
わたしはあの人たちのことを、まだ、何も知らない——
(でも、お父様がいる。お母様も。だからきっと大丈夫)
ミリアはもう一度微笑んだ。
それが誰に向けられたものなのか、自分でもよくわからないままに。
その後、城に戻ると今度は庭園での祝宴。
挨拶の列は、思いのほか長かった。
最初に姿を現したのは北東の大国、ラストリア王国の大使だった。豊かな髭を蓄えた大柄の老紳士で、格式を重んじるその一礼は実に厳かだった。
「陛下、そして王太女殿下の御即位を、心よりお祝い申し上げます。我が国にとっても、変わらぬ友誼のしるしでありますれば」
(あっ……そうだった)
ミリアは思い出した。ラストリアの何番目かの王子は婿候補だったはず。祝辞が終わって礼をする。
次は北西の大国ヘルガン帝国の特命使節。痩せぎすで表情の読めない男だった。ヘルガンは軍拡主義で周辺の国々を緊張させている強大な軍事国家。ラストリアとの小競り合いもしょっちゅうだと聞いている。
使節は口角だけを持ち上げてこう言った。
「王家の慶事、まことにおめでたく。陛下のご演説、武威に満ちた素晴らしいものでした。我が国もまた、安定の時代を迎えておりますれば――」
言外に「こちらも万全である」と匂わせるような言い回し。
隣で父が軽く笑って応じるのを見て、ミリアは(こういうの、ほんとに駆け引きなのね)とぼんやり思う。
そのあとは国内の有力貴族たち。重鎮たちの重い言葉は、祝辞というより“宣伝”に思えた。
「いやぁ、見事な式でございましたな。我がレイモンド領にも誇らしい日でございます」
「陛下のお治めになる時代の始めに、我が娘を社交界に出せること、誠に幸運と存じます」
「貿易の拠点である港町にも、どうか変わらぬご関心を――」
コルレド王国の各地の有力者が、順々に王と王女の前へと進み出る。
その言葉の端々に、「我が家」「我が領地」「我が派閥」の利益がそっと忍ばされているのを、ミリアは感じていた。しかし、それがどう絡まり合っているのかまではわからない。
(でも、たぶん全部まるっとまとめて、お父様はわかってのよね。私も少しは……)
と思ったものの、列の後半に差しかかる頃には、もう誰が誰だったか記憶が怪しくなっていた。
名前、役職、領地、目的――みんな何か言ってた。きっと大事なこと。
だけど。
(だめだ、集中力が……)
挨拶が終わったと告げられたとき、椅子に沈み込みたい気持ちをなんとか抑えて、笑顔のまま背筋を伸ばす。
やっと、食べ物のお皿に手を伸ばそうとしたその時――
「姫様、お召し替えでございます」
と、侍女のひとりがそっと声をかけてきた。
(……まだ? まだなの?)
これが終わりじゃなかったことを思い出して、思わず口元が引きつる。
その時――「しゃんとしなさい」マグリット女官長が肘でミリアの腕を軽くつついた。
「顔に出てますわよ、姫様。まだこれから夜もあるんですからね」
「……わかってます」
ミリアは小声で返事をしながら、心の中でそっとため息をついた。
(お父様の隣に座って、みんなの話を聞いて、王太女としてふるまうのって……想像してたより、ずっと大変)
まだ日は落ちていない。
でも、これから夜が始まる。舞踏会。ダンス。婿候補たち。
くるくる回って、笑って、またくるくる回って――
(私、ほんとに、がんばれるのかしら……)
侍女に促されて、ミリアは控え室に入った。




