第10話 レンガと職人
初めて見る作業現場に、アデラの目は釘付けになった。
こっそり城を抜け出してミリアはまた『アデラ』になった。アルトが言っていた『バルト親方の現場』をどうしても見てみたくて。許された街歩きではないけれど、もう慣れたから大丈夫、そう思った。
槌の音が、陽の下に響き渡る。
石を担いで運ぶ者、泥をこねて鏝で塗り込める者、水平を確かめながら石を据える者。動きはばらばらなのに、不思議と流れができていて、ひとつ石が置かれるごとに壁が伸びていく。
アデラは目を離せなかった。石がただ積み上がるのではない。何人もの手が重なり合って、ひとつの形をなしていく。
家とは、こうして出来ていくのだ。
これまで自分にとって当たり前だった石畳の道も、民家も、商館も。
そして、あの城の高いバルコニーも。
――誰かが、こうして汗を流しながら、一つずつ積み上げてきたのだ。
胸の奥がじんと熱くなる。初めて気づくことばかりだった。
「……あんた、物好きだな。」
不意に声をかけられて、アデラははっとした。
振り返れば、腕まくりをした青年が汗をぬぐいながらこちらを見ている。
祭りの日にアルトの隣にいた顔――名前は確か、ダン。
アデラは感動のままに、思いを言葉にした。
「だって、すごいわ。家を建てるって大変なのね。ひとつひとつ、手で積み上げていくのね」
言ってから、少し頬が熱くなった。
素直に口をついて出た言葉だった。
けれど青年――ダンは、まるで意外なことを聞いたかのように瞬きをした。目を丸くして、それからわずかに視線を逸らす。
「……そりゃ、当たり前だろ」
ぶっきらぼうな返事。
けれど声がほんの少し低く揺れたように聞こえた。
アデラは少しずつ積み上がっていく壁を見つめる。
「こうやって、一つずつ……おっきな橋とか、あんなお城とかも作るんでしょう?」見上げた先にはそびえ立つ王城、その向こうには北の山脈が連なっている。
陽の光を浴びて神々しいほどの光景だ。
ダンは手にしていた槌を肩に担ぎ直し、鼻で短く笑った。
「俺たちはそんなでかいのはやらねえ」
ちょっと目を逸らして言う。
「けど、石積むのは一つずつやるしかねえ。どんなでかい城でもな」
その言葉に、アデラの胸はまた熱くなる。
目の前にあるのは、小さな民家の壁だ。けれど確かに、この石も、城の高い回廊と同じように人の手で積まれていく。大きなものも小さなものも、人々の暮らしを支える形になって。
「やっぱりすごいわ、こうやって時間をかけて作っていくのって」
思わずもう一度口にしていた。
今度は、ダンが一瞬黙り込んだ。汗に濡れた額の下で、その瞳が不思議そうにこちらをとらえ、そして少しだけやわらぐ。
称賛の言葉が心の奥まで届いたようだった。
「そんなに気に入ったんなら、こっちも見るか」
ダンは路地側に立っていたアデラを現場の奥へ案内する。ちょうど休みに入ったところで、職人達は重い思いの場所に腰掛けていた。
その先には大きな木船があり、中に白い泥のようなものが入っている。
「これを混ぜて、壁を塗るんだ。こうして」
ダンはコテを構えると、レンガを組み終わった壁面にざっと塗りつけた。
アデラは目をまん丸にした。
「すごい!白い壁ってそうやって作るのね!」
感激するアデラの声に、職人達から笑いが起こる。
「嬢ちゃん、そんなに気に入ったならやってみるか?」
「ダン、教えてやれよ」
ダンは困ったような顔でアデラを見て、尋ねた。
「……やってみるか?」
「いいの?」
「まあ、失敗してもすぐならやり直せる」
ダンはさっきよりも量を少なくした泥を手持ち台に載せると、コテと一緒にアデラに渡す。
思ったよりも泥は重くて、腕がプルプルと不安定に揺れた。
「よおし!」
アデラが気合を入れるのを、職人達は笑って見ている。
(さっきダンがやっていたように、スッと掬って……あれ?)
壁に塗る前に、まずコテに掬えない。
おかしい、なぜ?と何度も試すがうまくいかない。
それを見ていたダンは、後ろからアデラの手を支えた。ダンの大きな手がアデラの細い指を包み込む。分厚くて硬い手の安定感はすごかった。
「こう、やるんだ」
シュッと音を立ててコテに少しの泥が乗る。
鮮やかな動きにアデラは驚いた。
ダンはそっと手を離して言った。
「そのまま、壁に当てて伸ばせ」
アデラは頷いて、泥の乗ったコテをレンガ壁に近づける。
当てよう、と思った瞬間、白い泥はコテから滑りベシャっと地面に落ちた。職人達から笑い声が上がる。
「あーもう!難しいっ。簡単だと思ったのに」
「簡単にできるんなら職人はいらねえからな!」
職人達がどっと笑う。ダンもつられて笑顔になっていた。
(あ……ダン、笑ってる)
いつもムスッとしてるからわからなかったけど、笑うとダンって……。
アデラが使った道具を片付けて、路地の方へと促す。
その背中が大きくて、アデラは急に恥ずかしくなった。
そういえばさっき、後ろから抱き込まれてるみたいに……いや、あれは単に腕を支えてくれただけだから!手も、別に、握られたわけじゃないから!
だんだん赤くなる頬に気づかれないように、アデラはそそくさと挨拶をして帰っていった。
厩舎に預けていた馬にまたがり、城を見上げる。
そこへ続く道も、橋も、人が手で作り上げたもの。
全てが今までとは違って見えた。




