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聖樹の国の禁呪使い  作者: 篠崎芳
聖樹の国の禁呪使い えくすとらっ!
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15.「第6院の蛇」


キュリエさんと前期授業の評価の話をしながら歩いていたら、広い廊下に出た。


「あれ?」


 見慣れた人物と、見覚えある人物が真っ先に目に飛び込んできた。


「シャナさんに、マキナさん?」


 あ、そうか。

 今日は他国の招待客の来訪日だったのか……。

 大聖場を見学にでも来たのだろう。

 気を張る必要がなかったのもあるが、キュリエさんと話していると他のものへ対する集中力が散漫になりやすい。

 二人きりだと、ほぼ気が彼女へいってしまう。

 だから目にするまで、彼らの存在を察知していなかった。

 少し、空気が張りつめている気もするけど……。


「クロ、ヒコ?」


 意外そうな顔のマキナさん。

 シャナさんは、よりによって今か、みたいな奇妙な顔をしている。

 来訪客を眺めつつ、尋ねる。


「マキナさんは、この方たちの案内役といった感じですか?」

「え? え、え……」

「なら、俺は下がった方がいいですね」

「待ちたまえ」


 呼び止めたのは、白いファーコートに似た服の女性。

 この暑気にあの服……暑くないのだろうか?


「左目の、その眼帯……例の禁呪使いは四凶災との戦いで左目を失ったと聞いている。まさか――あなたが、例の禁呪使いか?」


 俺はマキナさんを一瞥してから、答えた。


「四凶災を倒したのは聖樹騎士団ですよ?」

「といった偽の情報が、意図的に流されているようだがね」


 白い服の女性は帽子の鍔を上げながら、あてつけみたいな調子で言った。

 そして、彼女はマキナさんへ同意を促す視線を送る。

 もうわかっている、とでも言いたげな含みがあった。

 何者なのだろう?

 場の感じから察するに、帝国側の地位ある人間のようだが……。

 待てよ。

 事前に得ている情報と、照らし合わせるなら――


「ハハ、どうやら彼は余が気になっているようだね? 余も余を彼に知ってもらいたい。あなたから紹介していただいてもよいかな、マキナ嬢?」


 マキナさんがゆっくりと頷く。


「……かしこまりました」


 控えめな態度で、マキナさんが紹介する。


「この方はギュンタリオス帝国第一皇女、ヘル・ギュンタリオス様。そしてお隣が、同行人の――」


 同行人の名を口にするまで、僅かな間があった。


「ヴァラガ・ヲルムード殿よ」


 ヴァラガ・ヲルムード。

 彼が来るのは事前に知っていた。

 それでも、特別な感覚が俺の中に走った。

 この感覚の正体までは、まだわからないが。


 今のところ出会った頃のキュリエさんのような、人を遠ざける刺々しい空気はない。

 アークライト家の馬車を襲撃した際のヒビガミのような、迸る凄味もない。

 ロキアのような、道化的な奇怪さもない。

 ノイズのような、狂気じみた妖しい雰囲気もない。


 紳士然として、ヴァラガ・ヲルムードが一礼。

 見ればキュリエさんの表情は一切崩れておらず、クールなままだ。

 けれど彼らと鉢合わせしてからずっと、彼女の視線はヴァラガを捉えていた。

 思い返せば、ヴァラガもずっとキュリエさんを見ていた気がする。

 言葉を交わさずとも、すでに二人の間ではある種の意思の疎通が行われているようだった。


「それからこちらはルーヴェルアルガンの第一王子であられる、ギアス・ルーヴェルアルガン様」


 よろしくお願いします、とギアス王子が爽やかに微笑む。

 人がよさそうな好青年という印象だ。


「シャナトリスは――紹介の必要がないから、飛ばすとして……こちらがルーヴェルアルガンの神罰隊隊長、ローズ・クレイウォル殿」


 場における視覚的な威圧感では、このローズ・クレイウォルが圧倒していた。

 巨大な黒い鎧。

 鬼めいた角のついた兜はフルフェイス仕様なため、風貌まではわからない。

 だが滲み出る空気から只者でないのはわかる。

 ヒビガミや四凶災のような、獣じみた破壊的空気ではない。

 研ぎ澄まされた刃物を連想させる、静的ながらも鋭い空気。

 ローズ・クレイウォルはひと言も喋ることなく、黙然と佇んでいる。

 すると、こんっ、とシャナさんが黒い鎧を小突いた。


「すまぬな、クロヒコ。こやつは度を越した無口での。ヘル皇女にすら、まだひと言も口を利いておらんのじゃ」

「いえ、謝る必要はないですよ……ところで、マキナさん」

「何かしら?」

「こうなると……俺も、自己紹介をした方がいいんでしょうか?」


 今の言葉の調子には、禁呪使いである旨を明かすかどうかの疑問をのせた。

 すぐに察してくれたらしいマキナさんの瞳は、あなたに任せるわ、と語っていた。

 俺は客人たちへ向き直り、膝をつく。


「サガラ・クロヒコと言います。この王都にある聖ルノウスレッド学園に通う、聖樹士候補生です。そして――先ほどヘル皇女がおっしゃった、禁呪使いでもあります」

「ふっ」


 漏れた微笑みは、ヘル皇女のものだった。

 微笑み一つで彼女は語った。

 よくぞ余の質問に真っ直ぐ応えてくれた、と。





 これから客人たちは、マキナさんの案内で聖王へ会うべくルノウスレッド城へ向かうらしい。


「クロヒコには今度、時間のある時に改めてローズを紹介するからの。ふふふ、ワシはおぬしにまた会えて嬉しいのじゃぞ?」


 シャナさんがほとんどない胸を腰のあたりにぐいぐい押しつけてきた。


「ではまた落ち着いたらの、クロヒコっ」


 先を行くギアス王子を追い、シャナさんは《鎧戦鬼》を引き連れて廊下の奥へ消えて行った。

 ヘル皇女はすでにマキナさんと共にこの場から消えている。

 ただし一人、客人でこの場に残った者がいた。


「おまえはついていかなくていいのか?」


 キュリエさんが問うた相手は、ヘル皇女たちの消えた方角を眺めているヴァラガ・ヲルムード。


「心配ないでしょう」

「皇女も戦えるのか?」

「いえ、彼女には一切の戦闘能力がありません。腕っぷしで言えば、一般人よりやや弱いくらいですよ」

「なら余計おまえがついていくべきなんじゃないか?」

「同行した護衛は僕だけではありませんからね。四凶災や6院出身者でも襲撃してこない限り、大丈夫でしょう」

「ではもう一つ聞こう――なぜ、ここに残った?」


 ようやくヴァラガがキュリエさんへ向き直る。


「旧交を温めるというやつですよ。キュリエ・ヴェルステインには褒めるところしかありませんからね……ノイズやロキア、あの恐るべきヒビガミと違い、安心して話ができる」

「私は御免こうむりたいがな。おまえは昔から苦手だ」

「変わりませんね、君も」

「おまえは……少し変わった気がするがな。ところで《最弱》はどうした? 一緒じゃないのか?」

「ほぅ? 知っていましたか?」

「ノイズから聞いた」

「やれやれ、昔から《無形遊戯》の情報収集能力には驚かされて――ん? ではキュリエは、終末郷を離れた後でノイズと会ったのですか?」


 彼はこの王都でノイズがひと暴れした件を知らないらしい。

 キュリエさんがリヴェルゲイトの柄に手をかけた。


「つけたよ――決着を」

「まさか、あのノイズを下したのですか? 殺した……わけではないでしょう? ノイズが君に殺されたのなら、それはノイズの勝ちだ」

「ノイズ自身が負けを認めた。ただ、負けを認めた後でノイズは死んだよ。ほぼ自殺みたいな死に方だったがな」


 今のひと言に、ヴァラガの眉が反応する。


「死んだ……? あの、ノイズが……?」


 ヴァラガが口元を手で覆う。


「これは、また……複雑な気分ですね……あの殺しても死にそうにない《無形遊戯》が、まさか死んだとは……」


 今の彼の口元がどんな形をしているのかは、わからない。


「とどめを刺したのは、ヒビガミだったが」

「ヒビガミが? それも意外ですね。あの女なら、もしヒビガミを敵に回しても……勝ちはせずとも、生き残りはすると思っていました」


 そうか。

 ヴァラガはあの場にいなかったから、ノイズが死に至った経緯を知らないのだ。

 実際、ノイズはあの戦いでヒビガミの動きを封じていた。

 言うなれば、あの時ヒビガミは介錯役に過ぎなかった。

 だからキュリエさんの言葉通り、ノイズは自殺したに等しい。

 ノイズはあの時点で生きる意味を失っていた。

 もしあの場で彼女が生きるに足る理由が存在していたら、今もノイズは生きていたかもしれないが――


「ノイズの死の報告を聞いたら、おまえなら飛び上がって喜ぶかと思っていたがな」

「だからこそ複雑なのです。意外さからくる驚きと、吉報という歓びが交じり合って……非常に、奇妙な感覚です。どこから仕入れて来たのか見当もつかない膨大な知識の量、頭のキレ、術式使い、呪文使いとしての力量は、僕も認めていましたからね。精神は手遅れなほど壊死していましたが、能力自体は腹立たしいくらい高い女でした」

「私も意外だよ。ヒビガミもだが、おまえも相当ノイズを買っていたんだな」


 ヴァラガが不本意そうな顔をする。


「億が一にでも味方側につけられれば、あれほど心強い味方もいなかったでしょうね。ま、あの劇狂いの二流脚本家が他者に無償奉仕する姿など、僕には想像できませんが……しかし、やはり信じられないな。あのクソカス侵略者が、自ら負けを――」

「昔のように口調が素に戻り始めてるぞ」

「はっはっはっ、これは失礼。《害虫》の影を感じると過剰に防衛的になってしまう癖、今も抜けないんですよねぇ。僕も自分に困っています」

「フン、では一生困っていればいいさ。敗北を認めたところで、ノイズも根本の部分は変わらなかったようだしな」


 ヴァラガがポケットに手を突っ込み、優しげに微笑んだ。


「最初は変わっていないと感じましたが、少し君も変わった気がしますね」

「ああ、私は変わったよ。多くの者の影響を受けたが……何より、この男の影響が大きいかもな」


 キュリエさんが俺の隣に立つ。


「禁呪使い――サガラ・クロヒコ、ですか。彼が四凶災を倒した件は、やはり?」

「事実だ」


 訂正が必要だと感じ、俺は割って入った。


「といっても、四人中二人はキュリエさんとヒビガミが倒したんですけどね? キュリエさんの方は、ロキアの協力もあったみたいですし」

「ほぅ? 君はヒビガミとロキアを知っている?」

「い、一応は」


 話したのまずかったですかね、と視線でキュリエさんに問う。

 問題なかろう、とキュリエさんは無言で首を振った。


「そうですか、ヒビガミとロキアもこの王都を訪れていたと……ま、大方ノイズあたりが舞台をしつらえるべく集めたといったあたりでしょう」


 さすがは6院出身者。

 ノイズの性質をよく理解している。


「おまえの方こそなぜ帝国なんぞに腰を据えている? 見た感じ、皇女とはなかなか親しげな風だったが」

「腰を据える椅子が安定してさえいれば僕はどこだっていいんです。終末郷を出た後、手頃な椅子が帝国にあった。それだけです。まあ、終末郷と比べたらどこだって安定して映りますが」

「帝国からヒビガミが盗みを働いたと聞いた。その時、おまえは――」

「はっはっはっ、もちろん一目散に逃げ出しましたが何か? 6院の者なら、誰だって逃げ隠れするでしょう」

「そこは同意だが、ヒビガミはおまえと戦いたがっていたぞ」

「困ったものです。弱い者いじめなんて、彼も性格が悪い」


 キュリエさんが動いた。

 リヴェルゲイトを鞘走らせ、抜き放つと同時――


 ヴァラガの喉元へ、刃先を突きつけた。


 無抵抗を示すように、ヴァラガは両手を挙げている。

 動揺は、皆無。


「おやおや、穏やかでないですねぇ?」

「私が攻撃を直前で止めると察知できる人間を《弱い者》とは、よく言えたものだな」

「いやいや、実に幸運でした。キュリエ・ヴェルステインに慈悲の心がなければ、僕は死んでいたかもしれない。やはり君は優しい女です」

「痴れ言を」

「まあ、痴れ言ですが――」


 顎を僅かに上げ、ヴァラガが眼鏡の蔓に触れた。

 そのくすんだ銅色の瞳が捉えているのは、サガラ・クロヒコ。


「彼……禁呪使いも、只者ではない。本気で君が僕を傷つける意図がないのを彼は察知していた。程度の低い早とちり者ならこういう場面では大抵、つまらん動きを見せがちですが」

「フン、なんせこいつはヒビガミが己の宿敵と認めた男だからな。油断していると、痛い目をみるぞ?」

「今、なんと? あのヒビガミが? そうか……果てなき砂漠を行く彼が辿り着いたのは、伝説の禁呪使いだったわけか……ふぅむ、僕も少々彼に興味が出てきましたね」


 一歩、ヴァラガが下がる。

 興味を持ったと言うわりに距離を取るのは、少しちぐはぐな行動にも思えた。

 指で作った四角い空間越しに、突然、ヴァラガが俺の観察を始めた。

 十数秒が経ち、彼はゆっくり目を見開いた。


「……驚いたな。普通、人間には一つくらい褒めるべき点があるものなんですが、これは――」


 口元を歪めたヴァラガの頬に、冷や汗が一筋伝った。



「褒めるべき点が、何一つない」



 褒めるべき点が、何一つない。

 …………。

 彼の物言いにさほど違和感がないのは、なぜだろうか。


「ま、まあ俺は褒められた人間じゃありませんからね? 自覚はあります……」

「おまえなぁ……ここは怒っていいんだぞ?」


 ため息をつくキュリエさん。


「相変わらず自分への罵詈雑言に対して無頓着というか、寛容すぎるというか……しかし――」


 腰を落としその場で屈んだヴァラガに、キュリエさんが硬い視線を飛ばす。


「やはりと言えばそうだが、同時に、驚きもしている。おい、ヴァラガ」

「何か?」

「おまえにとって褒めるべき点が何一つない人間は、これで何人目だ?」

「七人目です。ノイズ・ディース、ヒビガミ、ロキア、エキルオット・シュヴァイザー、タソガレ、スカーヴィシャス・キリヒト……おや? 6院の関係者以外では、サガラ・クロヒコが初めてですか。なるほど、ヒビガミが宿敵候補と定めた人間だけのことはある」

「あいつのさっきの言葉は気にするな、クロヒコ。私にはよくわからんのだが――」


 刃を鞘に納めながら、キュリエさんが言った。


「ロキアやノイズによると、こいつの《褒めるべき点が何一つない人間》という評価は褒め言葉らしい。ヴァラガにとって脅威となる可能性のある人間に使われる表現、と聞いた。むしろ褒めるべき点が多い人間は、脅威でない相手という意味でもある。要するに――」


 カチッ、と鞘に刃を納め切ったキュリエさんがヴァラガを冷たい目で見据える。


「あいつにとってこの私は、脅威と感じるには足らん相手というわけだ」

「戦闘力だけなら十分君は脅威的ですがね。しかし君は比較的話が通じる方だし、筋の通った理屈であればけっこう呑み込んでくれる。ゆえに褒める点が多いわけです。いえ……キュリエ・ヴェルステインは、褒める点しかない珍しい人種でもある」


 皺を寄せた眉間に指を添え、ヴァラガはこの世を憂うような顔をした。


「ですが僕の小さな世界を破壊しかねない連中は人並外れた力を持つ上、絶望的なほど理屈が通じない――否、彼らは相手の理屈を通させない。禍々しいまでの、自己中心的存在なのです」


 ヴァラガが、指先で床を横になぞった。

 架空の横線が引かれる。

 まるで、境界線のようだった。


「僕の小さな世界へ侵略しなければ、基本、僕の方からは何もしません。ですが僕の世界を荒らす害虫は、全身全霊で駆除する必要がある。僕はとぐろを巻いて、大樹の根元で心地よく寝ていたいだけなんです。だけどその大樹は、僕にとってこの世で最も居心地よい場所でなければならない」


 ヴァラガは悲観の陰を湛え、床へ視線を落とす。


「この世には、無神経かつ無自覚なゴミカスが予想以上に蔓延っています。だからしんどい気分を必死に我慢して、害虫を一匹一匹ため息交じりに駆除していく必要がある。とすると――」


 ヴァラガの手の甲に血管が浮き上がり、コキッ、と鳴った。


「専守防衛とはいえ、駆除のための力も必要となるわけだ」


 血管が浮き上がっていない方の手で、ヴァラガが眼鏡にそっと触れる。

 レンズの奥で昏く淀む瞳に俺が見たのは、あのノイズや四凶災にも似た――狂気の色。

 にぃ、とヴァラガが禍々しく口の端を上げた。

 だけど――彼は、笑っていない。


「丹精込めて育てた僕の大樹に害虫どもが寄ってきたら、この《牙》で、問答無用に身体ごと噛みちぎる」


 ミシィッ、と。

 彼の手から、硬い木の枝が限界までしなったような不気味な音がした。


「いつだって僕はそうしてきたし、これからも、そうしていく」


 ヴァラガは腰を上げると、ふっ、と自虐的に微笑んだ。


「先ほど名を挙げた六人は少し例外ですがね。彼らは正攻法だと面倒な相手なので。サガラ・クロヒコ――君も正攻法では対処できない相手な気がします。だから……心から、君が僕にとって害虫とならないことを願っています」


 要するに今までの話は、警告と受け取ればいいのか。

 わかったような、わからなかったような話だったが……。

 まあ要するに、ヴァラガ・ヲルムードには極力拘わらない方がいい、という理解でよさそうだ。

 少なくとも、あのノイズや四凶災と似たニオイのする相手とお近づきにはなりたくない。

 聞いた感じ、キュリエさんはヴァラガから危険視されていないみたいだし。

 ならばトラブルも起きづらいはず。

 …………。

 今のところヴァラガ・ヲルムードは、敵とも味方とも言えない感じか。


 警告を発し終えたヴァラガが、背を向ける。

 うんざりした顔で、キュリエさんがため息を吐いた。


「ヒビガミは宿敵候補。ロキアは最高の邪悪になる可能性。ノイズはバケモノ。で、おまえは害虫候補ときたか。まったく……どいつもこいつも、クロヒコをなんだと思っているんだ」


 去ろうと身体を反転させたヴァラガが、振り向いた。

 くく、と彼は低く笑った。


「皆、綺麗に見解が一致しているように聞こえますが?」

「私は違うぞ」

「要は、精神の歪み方の問題なのです。君だけが6院の中でずば抜けて歪んでいなかった。だから君は、僕の世界にとって安全な相手です。逆にノイズなどは、救いようがないほど精神がねじ曲がっていた。あれは未来永劫救えない、クソ害虫女です」


 釈然としない顔のキュリエさん。

 ヴァラガの褒め言葉がいま一つ腑に落ちない様子だ。


「ノイズの性格がひん曲がっている点は同意するさ。しかし精神の歪みと言えば、今おまえが仕えているあの皇女もなかなか危ない印象だったがな。あの皇女はおまえにとって、害虫候補ではないのか?」


 印象だとヘル皇女も第6院出身者に劣らず、アクの強い人物だった。


「あー……ヘル皇女、ですか」


 ヴァラガが明後日の方向を眺め、眼鏡のフレームに手で触れた。


「あれは、ニセモノです」


 彼の口端は、嘲笑気味に歪んでいる。


「虚勢だけが取り柄の、小心な臆病者……大物ぶりたいだけの、大口女。ですが、彼女は今の僕の世界を構成する重要な部品の一つでもある。だからできるだけ大事にします。ただ……ニセモノのくせにいつもあんな具合なので、内外に敵が多くてね。あの虚勢皇女の振る舞いのおかげで、その命を守るのにもひと苦労ですよ」

「フン、今の発言は不敬にもほどがあるな? 私が皇女殿下に告げ口してやろうか?」

「どうぞ、ご自由に」

「余裕だな」

「はっはっはっ、あのヒビガミに比べれば帝国の連中など可愛いものですよ。そうですねぇ……ですがもしまかり間違って、帝国の連中が僕の世界を踏みにじろうとしたなら――」


 突如、ヴァラガの顔が変貌した。


 極端に細められた目の端が吊り上がり、口からは長い舌が覗いている。


 笑っているが、笑っていない。


「代償として――」


 その悪魔じみた奇怪なる表情こそ、彼の本質か。



「せいぜい分都市の一つくらいは、無様に毒死してもらわねぇとなぁ……?」



 それはまるで、蛇みたいな表情だった。


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