表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖樹の国の禁呪使い  作者: 篠崎芳
聖樹の国の禁呪使い えくすとらっ!
162/284

Ex7.「壊神の旅(7)」【ヒビガミ】


「聞けば、果し合いが望みとのこと」


 荷袋を降ろし、ヒヤマが刀を抜く。


「カカ……話が早くて、助かる」


 ヒビガミの肉体変化にも動じた様子はない。


 穏やかと言える佇まいだが、放出されているヒヤマの鋭い剣気は隠しようがない。

 戦いを好む者が持つそれは、相手が強者であればあるほど抑えようがなくなるものなのだ。


 刀を持つヒヤマの印象は、川の濁流で磨かれ、果てには光沢すらも放つ玉石。

 ヒヤマが、すっ、と刃を前へ突き出す。


 正眼の構え。


 力は入れ過ぎず、抜き過ぎず。

 奇をてらった構えではない。

 いわゆる中段。

 東国の刀士の多くにとっては、基本的な構えの一つでもある。


「不思議なものですな」


 ヒヤマが落ち着いた声で言った。


「人を斬れぬ刀を手にした相手が、今まで剣を交えたどの相手より、脅威と映る」


 ヒヤマの刃先がごくわずかながら、揺れている。


 全身が、総毛立つ感覚。


「剣に曇りが、微塵もねぇ」

 この感覚は、サガラ・クロヒコの伸び代を見つけた時以来と言っていいほどの、歓喜によるもの。

 にぃ、とヒビガミは嗤う。


「――上等だ」


「疾ッ」


 先の攻勢を仕掛けたのは、ヒヤマ。

 鮮やかな踏み込み。

 半月を描く斜めの一閃。

 刀の腹で受けるヒビガミ。

 ヒヤマの突き。

 音を寄せつけぬ、静を極めた刺突。

 先の一閃と絡めた、豪と静の急激なその落差。

 並みの刀士では瞬時に対応しきれまい。

 しかしヒビガミはこれを、僅かな余裕を残し回避。

 ヒヤマが刃を上下逆さに反転。


 二度目の突き。


 どこか大蛇が咬みつく様を彷彿とさせる、轟速の突き。

 蛇噛の突き、とでも呼ぼうか。

 ヒビガミはその突きを、下方へいなす。


 恐るべきは一つとして騙しの攻撃がないことだ。

 その斬撃のどれもが落命の確率を宿していた。

 彼の動作一つ一つが、洗練の極致に達しているのだ。


「なるほどな。例の新国主とやらが追手をいくら送り込んでも、これでは討ち取れぬわけだ」

「ですが、好敵手を得られぬ年月は静かに、剣に生きる者を討ち取ります」

「同感だ」

「だからこそ――あなたには、礼を言わざるをえない」


 下段からの、ヒヤマの斬閃。

 ヒビガミは上段から、受けて立つ。


 刃と刃が、ぶつかり合う。


 斬り結び、

 鍔迫り合い、

 甲高い刃音を、響かせ合う。


 豪と剛。

 技と業。


 両者の衝突は、刀戦における現在の頂点と呼んでも、あるいは差し支えないかもしれない。

 刀技というその一点においては、まず間違いなく、過去ヒビガミが出会ってきた中で最強の男。


 完成された剣。


 伸び代こそサガラ・クロヒコには遠く及ばないが、この極致にまで辿り着いたヒヤマには、素直に賛辞を贈りたい気分であった。

 果たしてこの豪剣があの《黒の聖樹士》とやり合ったなら、どちらに軍配が上がるか――


 刃火を散らしながら、激しく打ち込むヒビガミ。


 火花散らす烈交が一瞬、止む。


 しかしそれはあくまで一瞬。


 互いに一呼吸置き、再び、打ち合いが始まる。

 腰を引いてからの、ヒヤマの乱撃。

 その斬襲のすべてをヒビガミは弾き、捌く。

 静まる廊下を、清冽なる剣音の響きが満たす。


 その時――


 ヒヤマの顔に、豪の相が表出。


 表情自体に大きな変化はない。

 厳めしい表情のまま。

 けれど感ずる者は、感ずることのできる――




「――――――《双龍》――――――」




 まるで、空を斬る音すらもが、その技に喰われたかのようであった。


 ヒビガミの腕に、一筋の傷が走る。


 みしっ、と木の廊下を軋ませ、ヒヤマは正眼の構えに戻った。


「さすがでございますな、ヒビガミ殿」

「そいつはおれの台詞だぜ、ヒヤマよ」


 今ほどヒヤマが放った技。

 動作は二つ。


 一の斬と、返し刃。


 ただ、それだけの技ではある。

 だが――


「二撃が、一撃に感じられた」


 ヒビガミは刀を握る腕をだらりと下げ、そう言った。


 あの《双龍》という技はおそらく、二撃の威力と速度をヒヤマ自身が絶妙な力加減で調整し、放つ技。

 もしその調整が攻撃ごとに変更されたなら、受ける方は攻撃ごとに対応を変えなくてはならない。


 ヒヤマが一歩後ろへ下がり、正眼の構えに戻る。

 真っ直ぐな背筋。

 歪みなく、芸術的なほど均整のとれた構え。

 研鑽の果てに生み出された基礎とは、これほどまでに尊く、美しいものか。


「見破りましたか、《双龍》の絡繰りを」

「絡繰り自体を見破るのは、簡単だ。他の門弟どもに比べりゃあ、その絡繰り自体は驚くほど単純な技と言える……しかし単純ゆえに、付け入る隙もない」


 突き詰めれば基本とは、合理の塊。

 根の理を極めた剣は、その果てに、枝分かれした応用を超える。


 そもそもこの死合いは、理の戦い。

 純粋な力と力のぶつかり合いだけでは終わらない。

 互いに理を読み合い、互いに相手の理を超えようとする、そんな死合いだ。

 この領域でやり合える者は、そういない。


「心、技、体。どれもが一級品だ。もし己が妖刀あたりを持たせた八刀絵巻とあの四凶災討伐に出向いていたなら、半分くらいは殺せたかもしれんな」


 あの学園で死んでいた男を殺すのだけは、さすがに難しいかもしれないが。


「四凶災の名は私も聞いたことがあります。しかしその言い振りだと、すでに四凶災は――」

「ああ、倒された」


 正確にはヒビガミが生かしたソニという男がまだ生き残っているかもしれないが、あのベシュガムという男が死んだ今、恐怖の代名詞としてその名を轟かせた四凶災の名は、有名無実化したと言えるだろう。


「さて、強者との語らいも好むところではあるが――」


 前屈の姿勢を取り、腕を脱力させるヒビガミ。


「そろそろ、続きをやろうか」


 ヒビガミの構えに、明確な型は存在しない。

 何もかもが、一時流動。

 言い換えれば、常に新たな型がヒビガミの中で生まれていると言ってもいい。


「――疾ッ!」


 ヒヤマの、疾風の突き。


 ヒビガミ――鍔で軌道を逸らす。

 ヒヤマ――《双龍》。

 ヒビガミ――二撃を弾く。

 ヒヤマ――二段構えの《双龍》。

 ヒビガミ――旋回しながらの円閃で逃れる。

 ヒヤマ――後退し正眼に戻る。

 ヒビガミ――反撃。

 ヒヤマ――三発目の《双龍》。


 どの《双龍》もやはり威力と速度が異なっている。

 加えてこの技は、軌跡も毎回変化する。

 基本始まりは正眼からだが、最初の一太刀の直後に《双龍》が来る時と、いきなり正眼から《双龍》が来る時がある。

 しかもこの《双龍》は、攻防一体の技であった。

 その組み合わせも自由。


 攻と防。

 攻と攻。

 防と攻。

 防と防。


 この四つを自由に放つことができる。

 そこに威力、速度、軌跡の変化までもが加わるのだから、いわば《双龍》は無限の剣技とも言える。

 しかしその四種の《双龍》が活きるのも、戦いの中で一瞬にして組み合わせを作り上げられるヒヤマの、その神速の判断力があってこそ。

 さらにヒヤマは、その体力も並ではないと思われる。

 おそらく徒歩で里の外からあれだけの荷物を背負ってきたのだろうが、疲労している様子がない。

 この男に体力での消耗戦を仕掛けるのも、分が悪いであろう。

 ただヒビガミはこの死合いを、そんなつまらぬ戦いに持ち込むつもりは毛頭ない。


 無限の刀道を持つ二匹の龍――《双龍》。


 絶技と呼ぶに値する、豪の刀技。


「面白ぇ。ふむ、ならば――」


 ヒビガミは二歩後退し、《無殺》を鞘に戻した。

 腰を落とし、身体を斜めに構える。


「こちらも一つ、少し面白いことをしてみようか」

「居合い、ですか」


 再びヒヤマは、正眼の構えへ。


 ヒビガミは俯いたまま、腕に力を込める。


 しん、と静まり返った廊下。


 床を打ち鳴らす、両者同時の踏み込み。


 ヒヤマの《双龍》。


 ヒビガミの、




「《瞬殺剣・蹄渡り》」




 わき腹にヒビガミからの一撃を叩き込まれ、骨にヒビが入ったと思われるヒヤマ。

 そのヒヤマが最初に口にした言葉が、門弟の技の名であった。


 しかし《蹄渡り》をくらい《双龍》から戻ったヒヤマの構えは、未だ崩れず。

 ヒヤマの《双龍》によって肩口にごくごく浅い傷を負ったヒビガミは、前方に刃を二振りした直後、斜め前方へ疾駆した。

 瞬間的に、意識を先鋭化。

 メきッ、と鈍い音が続いた。

 ヒビガミの《無殺》が、ヒヤマの指の骨を強打したのだ。



「《細道探し・指奪い》」



 技の名を口にしたヒヤマが一つ深く息を吐き出し、柄を握り直す。


「これは、たまりませんね。あれらが苦労して会得し、研ぎ澄ました必殺の技を、まさか再現するとは。いや、どころか技の精度は弟子たちよりも増している」

「武器に依存した《音刃痺れ》と、あのカキザキという男の《川流れ》、そして己の《双龍》あたりは、付け焼刃で真似できそうにはねぇがな」

「すぐに実戦で使える質に高められるのも、あなたの天性の才と、たゆまぬ努力の結晶による賜物でしょうな。今日このような敵と出会えたことを、私は天に感謝したい気分だ」


 重い攻撃を受けたヒヤマの表情に、変化はない。

 どころか、そこにあるのは笑み。

 確かに彼は負傷している。

 しかし彼の心は、今なお不動。

 剣に生きる豪の者。

 まさに、剣豪と呼ぶにふさわしい男。

 傷を負いながらも、未だ清流のような穏やかさで正眼の構えを取るヒヤマの姿は、見る者が見れば美しくすら映るだろう。


「――疾ッ!」


 ヒヤマが、斬り込んでくる。


 おそらく、傷を負った部分以外に技の負荷を任せているからであろう。

 繰り出す刀撃の冴えが、鈍る気配なし。

 否。

 どころかその技の冴えは、さらに増し――



「――――――《双龍》――――――」



 ヒヤマの鈍く煌めく刃の一撃が、ヒビガミの膝の脇を切り裂いた。


 今の双斬にはヒヤマが今まで見せた《双龍》の中で、格別なキレがあった。


 黒血が一筋、宙に舞う。


 ヒビガミの膝が、がくんっ、と折れる。


 ヒヤマは顔色一つ変えず、追撃。


 防と攻の《双龍》。


 ここで勝利を確信して安易に攻と攻の《双龍》を出してこないのが、ヒヤマの慢心のなさを物語っている。

 この男は勝利への道筋を、甘く値踏みしていない。


 ヒビガミの下段からの振り上げを、ヒヤマの防の龍が、打ち落とした。

 この激震の振り下ろしを刀で受けたヒビガミは、床に膝を突く。

 そしてついに、攻の龍がヒビガミの身体を捉え――




 ドツッ。




 超低空からの上下を切り替えた、逆刃突き。




「む、ぐ……っ」


 ヒヤマの左肩を、ヒビガミのひと突きが砕いた。

 今度はヒヤマが床に膝を突く。


「なる、ほど……一連の動きはすべて、キドの編み出したあの技――《雲隠れ・嘴通し》に繋がっていた、と」


 立ち上がるヒビガミ。

 逆に膝を突く側となったヒヤマは、顔から脂汗を滲ませながら、静かに目を閉じた。


「この勝負、ヒビガミ殿の勝ちです」


 正座すると、ヒヤマは刀を脇に置き、両手を膝にのせた。


「この片手で勝てるほどあなたは甘い相手ではない。これで、決着でしょう。もし望むのなら、私の命を奪うなりなんなり、どうぞお好きなように」


 三か所に重い打撃を受けながらも、ヒヤマの佇まいは崩れなかった。

 あの汗の量からして、実際は相当な痛みを覚えているはずである。

 カカッ、とヒビガミは笑い、刀の棟で自分の肩を叩く。


「まったく、その無幻越刀流の潔さは買わざるをえんな。あの終末郷の連中ですらつまらん命乞いに走る者はいる。なのに己らは、誰一人として命乞いをする気配がない。どころか斬られた後に、称賛や感謝の言葉を吐きやがる……なあ、キドよ?」


 見るとキドが這いずって脇の部屋から、上半身を出していた。


「師範とヒビガミ殿の果し合い……これを見なけりゃ、死ぬに死ねませんよ。それに……ヒビガミ殿の《雲隠れ・嘴通し》……惚れ惚れする一撃でした」

「己の自慢の刀は使わなかったがな」

「いえいえ……ヒビガミ殿には、どんな技であろうと、その《無殺》という刀が良く似合いなさる……ふふ……しかしあのヒビガミ殿の美しい《嘴通し》が基本になってしまうと……あの技を編み出した当人としては、かたなしですなぁ……」

「己が思いついてなけりゃあ、あの技は生まれていない。おれはあくまで、拝借したにすぎん」


 顎鬚を撫でながら、ふん、とヒビガミは鼻を鳴らした。


「技ってやつは結局、最後まで生みの親のもんだ」






 本日23:50~23:59頃に「壊神の旅」最終話を更新予定です。


 なんとか間に合うよう、頑張ります(汗

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ