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聖樹の国の禁呪使い  作者: 篠崎芳
聖樹の国の禁呪使い えくすとらっ!
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Ex6.「壊神の旅(6)」【ヒビガミ】


 このまま前へ駆け、すれ違いざまに一閃――そう見せかけたヒビガミの動きに、ヒョウゴは反応しかけた。


 けれどもヒョウゴはすぐに相手の動きが騙しであると看破。

 しかしその気づきに要した一瞬こそが、彼の致命的な隙となった。


 攻撃の型を鮮やかに急変転したヒビガミが、刀を斜めに振り降ろす。

 ヒョウゴの刀が下方へ弾かれる。

 その前身が、がら空きになる。


「――はは」


 ヒョウゴが、笑いを発した。


「お見事」


 ヒビガミの、瞬速の刃撃。


 斜を描く、速刃の一閃。

 ヒビガミの戦闘感覚は、ヒョウゴに産まれた一瞬の隙を完全に捉えていた。


 身体から血を噴き出し、ヒョウゴが地に膝をつく。

 荒い呼吸を吐くヒョウゴ。

 導くように、彼は傷を負った腕を屋敷へ向ける。


「さ、あ……次へ……この、勝負は……おまえの、勝ちだ」


 目的は死合いであって、殲滅ではない。

 勝負は決した。

 言葉に頷きを返すこともなく、ヒビガミは無言で屋敷を目指す。

 語らずとも、互いの意思は通じていた。


 屋敷の門の前に到着。

 目鼻立ちのくっきりした好男子が、門の向こうの砂利道に立っていた。


「参りましたね、こいつは」


 手ぬぐいで頬を拭いながら、男は苦笑した。


「あのアマノの《蹄渡り》を破ったとキドさんから聞いて、並大抵の腕ではないと思ってはいましたが――」


 男が手ぬぐいを足元に落とす。

 形の良い顎を撫で、男が目を閉じた。


「これはとんだ凄腕が、やって来たものだ」


 男が片目を開ける。


「前口上は無用でしょう……ではやりましょうか、ヒビガミさん」


 男は間合いの手前まで歩み寄ると、刃を抜き、鞘を放り落とした。


「某は八刀絵巻が一人、《藁溺れ》のカキザキと申す」


 男の顔から、緩みが完全に消失する。

 男――カキザキは片足を一歩引き、脇構えの姿勢をとった。


「貴殿との果し合いを、所望する」


 対するヒビガミは刀を上げ、八相の構え。


「望むには及ばん。そのつもりで、おれはここへ来たのだからな」


 じりじりと互いに、距離が詰まっていく。

 先に動いたのは――カキザキ。


 捻りを加えた、豪速の突き。


 足を軸にして身体の角度をずらし、ヒビガミは突きを回避。

 当然、これでカキザキの攻撃は終わりではない。


 カキザキ――下段から逆袈裟。

 ヒビガミ――上体を後方へ倒し回避。

 カキザキ――逆袈裟から手首を巧みに捻り方向を変え、二度目の突き。

 ヒビガミ――刃でカキザキの刀を弾く。

 カキザキ――繰り出すは、二段構えの突き。


 カキザキの突きは回数を増すごとにキレが増していた。


 ヒビガミが三度目の突きを捌くと、カキザキは砂利に足底を滑らせ、距離を詰めてきた。

 そこでカキザキの体勢が、斜に傾いだ不思議なものへ変わる。


 ――くるか。


 ヒビガミは両手で、刀を握り込む。


 その時、角度のためであろうが、カキザキの刀がその身体に隠れた。

 同時にカキザキの表情も、消失――



「《一刀忘我・川流れ》」



 カキザキから表情と共に、剣意が消え去った。

 果し合いの緊張感だけではない。

 刀の存在がその場からなくなった、と言っても過言ではない。


 刹那、放たれる突き。

 その突きには、個人の意が微塵も介在していなかった。

 ただ刃という物体が、その先に存在する人間へと、凄まじい勢いで迫っているだけだ。


 忘我の突き。


 そう、まるでただそこに自然としてあり続ける、そんな川の流れのような――



 がきっ、とヒビガミは刃の腹で突きの軌道を逸らした。


「!」


 防がれたと気づいたカキザキが驚きを顔に表す。

 驚くのも仕方あるまい、とヒビガミは賞賛の念を抱きながら思った。

 この突きを防げる者など、そう多くあるまい。

 最後に会った時点でのキュリエ・ヴェルステインでも、この突きを見切るのは不可能に思えた。サガラ・クロヒコは不明だが、この突きを防げると断言できる人物は、一部の第6院の者を除けば、あのソギュート・シグムソスくらいであろう。


 必殺の突きが不発に終わった直後も、カキザキは上段から斬撃を浴びせてきた。

 技の直後に驚きの相こそ走ったが、動揺として引きずらないのは、さすがは無幻越刀流の者。

 ヒビガミは両手で握り込んだ刀で、カキザキの刀を弾き飛ばす。


 上へ振り抜いた後、腕に力を漲らせ、上段から袈裟斬り。


 カキザキを、斬り伏せる。

 血を撒き散らし両膝を砂利に突くカキザキは、微笑んでいた。


「たまん、ねぇなぁ……この人、の、剣……」


 どすどすどすっ!

 大きな足音が、屋敷から響いてきた。


「どりゃぁぁああああ! 八刀絵巻が一人《乱れ喰い》のセンナミ! ここに参上じゃぁい!」


 厚刃の刀を振りかぶった大柄な男が、屋敷から飛び出してきた。


「カキザキよ! おまえさんの《川流れ》を防いだモンが、ついにうちの流派以外からも出てきたのぅ!」

「うる、せぇ……勝てよ、センナミ」

「おぅ、もちろんじゃぁぁああい! どりぇぇぇええええ!」


 ぶんぶんと大柄の男――センナミが、大刀を振り回す。


「どりゃあ! どりゃあ! どりゃあぁぁああああ!」


 普通、こういった威勢の良い掛け声は体力を無駄に消耗する上、斬り合いにおいてはせいぜい相手を怯ませる程度の効力しか持たない。

 自信を持てない者が自身を鼓舞するために発する場合もある。


 だが、このセンナミという男はその枠に当てはまらなかった。


 掛け声が、攻撃時の呼吸として絶妙に機能しているのだ。


「うりゃあ!」


 がきっ!


 刀を受け止めたヒビガミの足が、砂利道の上で一歩、後退した。

 それほどの膂力だった。

 しかしこのセンナミという男、ただの力自慢ではない。

 繰り出される剣斬の一つ一つは、その豪気な様に似合わず、常に繊細な駆け引きを要求してくる。


「うはは! やるではないか、おぬし! ふん! ふん! ふぅん!」


 これほどの腕力の持ち主とも、なかなか出会えまい。

 一撃一撃が、とにかく重い。

 攻撃の際の呼吸も、体重の乗せ方も、文句のつけようのない技量。


 センナミはヒビガミが捌くのを諦め、回避へ移るのを待っていた。

 この馬鹿力に根負けし、相手が躱そうと動いた瞬間、狙い撃ちするつもりなのだ。

 おそらくはこれが、この男の得意な戦法なのだろう。


「むぅ!? おぬしわしの意図を読んでおるな!? がははは! あっぱれ! ならば――」


 センナミが上体を後方へ引き、刀を片手に持ち替えた。

 一方のヒビガミは、手に僅かな痺れが走っていることに喜びを覚える。

 まさに、剛腕と呼ぶにふさわしい相手。

 センナミは下半身を深く落としている。

 攻撃はやんだものの、隙らしい隙はないに等しい。



「《悪打ち・音刃痺れ》」



 カチッ、と音がした。

 そして音の直後、センナミの刀の刃に小さな穴が出現。

 刃の内に仕込まれていた板状の鋼か何かが横滑りして現れた穴、だろうか。


 センナミが後ろに引いていた右足を出し、踏み込む。


 踏み込みに合わせて放たれた、上段からの豪刃。


 奇妙な軌跡と、奇妙な音。


 ヒビガミの視界が僅かに揺れる。

 先ほど感じたものと違う種類の痺れが、腕にあった。

 センナミの刃を受けず、ヒビガミは躱す選択を取る。


「なるほど。刃の穴が楽器のように音を発し、その音を耳にした者に、痺れの効果をもたらす技か。カカ……一体、習得するのに何年かかったことやら。頭が下がる」

「わしの技を……一目で、見切るとはのぅ」


 この技に対しヒビガミが回避を選んだのは、正しい行動であった。

 センナミの刀は、その刃と相手の刃が響き合うと、その効果はさらに跳ね上がるのだ。

 ヒビガミは刀の様子を見て、これを予測していた。


 躱すのが正解か?

 受けるのが正解か?


 序盤の打ち合いの駆け引きは、この思考の迷路へ引きずり込むための布石であろう。


「本当は……剣で受け止めてくれた方が、ありがたかったんじゃが、のぅ……」


 ヒビガミはセンナミの技で痺れを覚えていた。

 しかし痺れがあろうとも、センナミに返し刃を見舞っていた。

 腹から血を流すセンナミは、口端から血を流している。


「まっこと、強き男じゃ……よい、果し合い……じゃった」


 前のめりにぐらついたセンナミが、そのまま砂利の上に倒れる。


「さあ、ヒビガミさん……皆が、待って、おります」

「キド、も……家から刀を持ってくる、と……」


 まだ息のあるカキザキとセンナミが、ヒビガミを屋敷の中へと促す。


 ヒビガミは砂利の上を進み、屋敷の中へ踏み入った。





 中も東国風の作りだった。

 広々とした木造の屋敷である。

 光沢感があり、磨き抜かれた廊下。

 その廊下には、東国特有の障子戸が並んでいる。

 所々柱や梁が不恰好なのは、彼らの本職が大工ではなかったからか。


 廊下の奥の陰に、人影。

 その人影は、闇に紛れるようにして佇んでいた。


「あっしは八刀絵巻が一人《腐れ外道》のナガレと、申しやす」


 人影が明るい位置に姿を現す。

 細身の男。

 痩せ細っている、と言ってもいい。


「アマノ殿、ヒョウゴ殿、カキザキ殿、センナミ殿……皆様、大変お強い武人でございました……果たしてあっしに、代役が務まりますかねぇ?」


 土気色の顔。

 落ちくぼんだ瞳。

 その頭はほとんど禿げ上がっている。


 けれど目に宿る光は、純然たる刀士のそれである。


 謙遜してはいるが、その実力はこれまで相手をした八刀絵巻と同等か、あるいはそれ以上。


「ヒビガミだ」


 ヒビガミは下段に構えつつ、名乗った。


「話はすでに通っているようだな」

「へい、望むところで」


 ナガレが刃を抜く。

 短めの刀だ。

 前屈み気味の、奇妙な構え。

 その時、


「おいらも交ぜてくれや!」


 障子戸が蹴り飛ばされ、八重歯を光らせた長髪の小男が現れた。


「キリヤ殿」

「ナガレさん、こいつぁ一対一で死合う相手じゃねぇって。三対一くらいで、ちょうどいいんじゃねぇかい?」


 目つきの鋭いキリヤという男の手にしている刀は、刃に対して柄がやたらと長い刀であった。


「ふん、おれは何人相手でも構わねぇぜ……己らが相手なら、どういう戦法を取られようが受け入れるつもりだ」


 構えを解かぬまま、ヒビガミは言い放つ。


「そう思えるほど今は、気分がいい」


 ははっ、とキリヤが笑う。


「だってよ、ミドウさん?」


「ほっほぅ……では、三人でやるとしますかねぇ?」


 髭を濃く生やした熊を思わせる糸目の男が、キリヤの背後からずいと出てきた。

 このミドウと呼ばれた男は武器を手にしておらず、空手だった。


 キリヤとミドウが、左右に並び立つ。


「おいらは八刀絵巻の一人、《穴》のキリヤだ。よろしくな」

「同じく私は八刀絵巻が一人、《踊り臓物》のミドウと申します。ああ、得物は持っておりませんが――」


 しゅっ、とミドウが手刀で空を切る。


「これが、私の《刀》ですので……その点はどうぞ、お気になさらず」


 その奥には、前屈の構えを取るナガレ。


 放つ闘気が、三人とも並の気ではない。


 熟成され、ついには完成された、一つの刀士の形。


 つぶさに観察してみれば、身体の鍛え方、呼吸、戦意の放ち方……どれもが高い水準で磨き抜かれているのがわかる。


 ――これが、八刀絵巻。


 堪えが利かないようなことを、八刀絵巻の者が言っていた。

 だがそれは、ヒビガミも同じ。


「さあ――」


 ヒビガミも戦気を、漲らせる。



「死合おうか」



 ごくり、とキリヤが唾を呑む。


「すっ、げぇ……あの刀士さん、どんな美女より《色香》があるぜ」


「あのような者と戦って死ねるなら、私も本望ですなぁ」


「ひひっ……あれと対峙して武者震いしておられるお二人の方が、あっしにゃすごいと思えますがね」


 三人がいよいよ、動きの前兆を見せる。


 最初に動いたのは、ナガレ。


 低姿勢のまま前衛の二人の間を通り抜け、突進してきた。

 その短い刃の痙攣的な《ぶれ》は、どこからどう打たれても防御ができるよう備えるための動き。

 ナガレが突きを繰り出す。

 ヒビガミは身を引くが、ナガレは逃がさない。

 突きを懐の前まで引き込むと、ヒビガミは刀を降りおろし、突きを落とした。

 転じ、斬撃でナガレの喉を掻っ切ろうとするが、


「せぇい!」


 キリヤの突きが伸びてきて、攻撃を防がれる。

 下方から、ナガレの斬撃。

 しかしその連係のとれた攻撃を、ヒビガミは巧みに躱していく。


 ミドウの姿が、消えている。


 気配。


 障子戸を突き破り、ミドウが飛びかかってきた。


 ヒビガミは刀を振る。

 ミドウは、衣服の下に装着していた鋼製の小手で斬撃を防いだ。

 防いだミドウの目が、大きく見開く。


「な、なんという強烈な一撃……っ! やはりこのお方は、只者ではない!」

「いやぁ最高だねぇ!」


 突進してきたのは、キリヤ。

 その構えは通常の下段よりも、さらに下段。

 加えて彼の背の低さによって、それはほとんど、床を這うような姿勢だった。



「《狂奔・穴突き地獄》」



 素早く左右に滑りながら、斜め下方から、変幻自在の突きが襲いかかる。

 基本として連続での突きは手数が多くなる分、気合を込めたひと突きに対し、その一撃一撃の威力が劣っていることが多い。

 しかしこの突きには、一撃一撃が必殺になりうる気が籠っていた。

 さらに、キリヤの持つすばしっこさと身体の小ささが合わさり、者によっては、この動きに翻弄されているうちに気づけば討ち取られていたという結末を迎えるであろう。



「《細道探し・指奪い》」



 ナガレが飛びかかって来た――と錯覚した次の瞬間、ナガレの姿は、斜め前方にあった。

 先ほどの錯覚は飛びかかると見せかけただけの、騙しの動作。

 ナガレの短刀の狙いは、ヒビガミの指。

 今の彼の瞳には、指しか映っていない。

 この攻撃が成ると断じた直後、彼の意識は、指だけに注がれた。


 意識の先鋭化。


 それこそが一撃の成功確率を高める。



「《非剣・皮剥ぎ》」



 背後から迫るは、ミドウ。

 手刀の形が消えていた。

 否――今は、彼の指一本一本が《刀》。

 彼は今十本の刀を手にしているに等しい、とも言えるか。


 ヒビガミは、


 僅かにできた隙を突いてキリヤを蹴り飛ばし、


 刀を握るナガレの指を二本斬り裂き、


 最後に身体を捻り、ミドウの喉に手刀を叩き込んだ。



 それでも三人は、怯むことなく反撃に出てくる。


 ミドウの速撃の貫手を峰で叩き揺らすと、ヒビガミは、姿勢の崩れた相手の身体を逆袈裟に斬り上げた。

 この一撃で、ミドウは伏す。


 ナガレが、落ちた二本の指をヒビガミの両目へ目がけ投擲。

 しかし本当の狙いは、指の傷口の血でヒビガミの視界を奪うことだった。

 投擲した指は、意識を逸らすための道具。

 ヒビガミはミドウを斬った刀を戻し、その刃で血を受けた。


 どんな手を使おうと、卑怯とは思わない。

 互いに生命を差し出した戦いにおいて《卑怯》の二文字は、存在してはならない。

 もしその二文字を振り払うものがあるとすれば、それは強者のごく個人的な美学――ただ、それのみであるべきだろう。


 ナガレは次にヒビガミの足の腱を狙ってきたが、ヒビガミの刃に、手首を落とされる。

 顎を蹴り上げられ、ナガレの顎の骨が砕けた。

 ナガレが意識を失う。


「うぉらぁぁああっ!」


 キリヤが、全体重を乗せた飛び蹴り。


 ナガレは他に意識を払えぬほどの実力者だった。

 もしこれまで戦った八刀絵巻の強さに序列をつけるなら、ナガレは、これまで死合った中で最も強いと感じた、カキザキに匹敵するつわものだった。

 そのナガレに意識を取られて注意を払い切れなかったヒビガミは、キリヤの蹴りで吹き飛ばされる。

 障子戸を突き破り、ヒビガミは、廊下から畳敷きの部屋に転がり込んだ。


 そしてキリヤの追撃と、同時――


「ひぇぇ……ま、間に合ったぁ〜っ!」


 逆側の障子戸から、長刀を手にしたキドが現れた。


「よろしいですかな、ヒビガミ殿?」


 キリヤの攻撃を避け、立ち上がりながら、ヒビガミは嗤って答える。


「もちろんだ」


 キドが刀を、低く持つ。


「では、改めて――」


 あれがキドの構えらしい。


「八刀絵巻が一人……《笑い啄木鳥》のキド、参ります」


 傍らから、キリヤが《狂奔・穴突き地獄》を繰り出してくる。


「そらそらそらぁ! つーか遅ぇよ、キドさん!」

「すまんね。さぁて、一気にいくかいな……無幻、越刀――」


 畳に刃が触れるか触れないかの、下段の構え。

 キドは畳に、片膝を突いていた。



「《雲隠れ・嘴通し》」



 超低空からの上下を切り替えた、逆刃の突き。

 それは芸術的とも呼べる、実に綺麗な一突きだった。

 技を放つキドは笑っていた。

 それが《笑い啄木鳥》の所以か。

 キドの突きは、ヒビガミの肩の上を微かに削った。

 しかしヒビガミも鋭い突きを放っており、キドは肩の脇を刃に貫かれている。

 どっ、とキドの顔に汗が噴き出してくる。


「か、叶うなら……この刀を持ったヒビガミさんの放つ《嘴通し》……一度、見てみたいもの、ですな……」


 倒れ伏す間も、キドの笑みは崩れなかった。

 息をつく間もなく、先ほど斬り払ったキリヤが猛撃をかけてくる。


「楽しいっ……おいら楽しいぞ、ヒビガミさん!」


 ヒビガミにはわかった。


 これまで戦った無幻越刀流の誰もが、この戦いを楽しんでいた。

 世には戦いを嘆く者も多い。

 戦いの結果を嘆き、時には、相手に恨みを持つ者も多い。

 終末郷から出て大陸を渡り歩いていた頃、ヒビガミは思った。


 窮屈だ、と。


「礼を言うぞ――無幻越刀流」


 飛び起きると同時に描かれた、鮮やかな半月の刀閃。

 その煌めく刃は、戦いの中でさらに洗練されていた必殺の技を連発するキリヤの胴を、音もなく斬り裂いた。


「すっ、げぇ……最、高……」





 ヒビガミは一つ呼吸し、息を整える。


 こうして息を整えたのは、いつぶりだろうか。

 脇腹の肉はキリヤの技で、僅かに抉り取られている。

 指にはナガレの技で、浅い切り傷ができている。

 左肩の一部は、ミドウの技で皮が薄く剥げ落ちていた。



「ふむ……これで八刀絵巻は、全部――」



 ヒビガミが廊下に出ると、



「門で倒れていたカキザキから、話はお聞きしました」



 太い声。


 玄関口に体格の良い男が一人、立っていた。

 背に大きな荷袋を担いでいる。


 それは、聳え立つ岩を思わせる大男だった。

 着流しの上からでも、その筋肉の量が凄まじいことがわかる。

 年は、三十後半から四十半ばといったところか。


 腰には、刀を差していた。


「私は無幻越刀流の師範をしている、ヒヤマという者です。過去には《豪剣》のヒヤマ、などと呼ぶ者もおりましたが」


 男――ヒヤマが、廊下に上がってくる。


「なるほど。師範は、八刀絵巻に含まれていなかったか――」


 両者が廊下で、対峙。


 しばらくするとヒビガミの口から、くく、と笑いが漏れた。

 その笑いは、次第に大きくなっていく。



「カカ……カカカ、カカカカカカカカッ!」



 ヒビガミは、刀を捨てた。


 腰に差している《無殺》の柄を、握る。


「ったく……」


 ビキ、ビキ、ビキ、と顔面に脈動が走っていく。


 身体中に黒い感覚が脈打ちながら巡っていく。


 眼球が、熱を持つ。


「期待はしすぎるなと、言い聞かせてはきたが――」


 《無殺》を抜き、構える。




「まだ己のような者が、この世に隠れていたとはな」




 凶貌なる嗤いが、そこにはあった。


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