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聖樹の国の禁呪使い  作者: 篠崎芳
聖樹の国の禁呪使い えくすとらっ!
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Ex4.「壊神の旅(4)」【ヒビガミ】


 ヒビガミが馬車のあった場所へ戻ると、ミドンたちが待っていた。


「おぉご無事でしたか、ヒビガミ殿!」


 ミドンが駆け寄って来る。

 辺りの野盗の死体が増えた様子はない。

 ここへ辿り着いた野盗はいなかったようだ。


「例の血狂いも始末してきた。他の野盗は戦意を失って逃げ散ったらしい。これでとりあえず、道中の危険は去ったと言っていいだろう」


 もし再度襲撃して来ても、あの程度の実力と数の残党なら、バダックらでも片づけられる。


「あの《血狂いアンナ》を倒しちまったのか。あんたとんでもねぇ人だったんだな……色々失礼なことを言って、ほんと悪かったよ」


 まいったとばかりにバダックが頭をかく。


「ヒビガミ殿」


 頭に包帯を巻いたヒューイが気落ちした様子で話しかけてきた。

 そのヒューイの傍らには不安げなアリサが立っている。


「このたびはなんとお礼を言ったらよいか」

「構わねぇさ。バダックとやらには言ったが、おれの目的地がどうもこの辺りらしくてな。手元の情報では、もう少し先だったはずだが」

「今回の護衛の前金を含む報酬は、ヒビガミ殿にお渡しいたします」

「殊勝なことだが、いらねぇよ。金には困っちゃいねぇからな。まあおれに恩義を感じているのなら、そこの人の良い商人を無事に目的地まで届けてもらおうか。おれは予定を変えて、ここで馬車を降りる予定なのでな」

「……わかりました。命に代えても、ミドン殿は無事送り届けます」


 ほぅ、とヒビガミは思った。


 ――言葉に違わず、命を賭ける覚悟ができたか。


 ヒビガミがすでに礼を断った話はバダックから聞いたのであろう。ヒューイもこれ以上の礼の申し出はするつもりがないようだった。また、ミドンもこれ以上の感謝の押しつけは逆に礼を失しかねないと感じたようで、必要以上の感謝の弁は述べなかった。


「あの、ヒビガミ殿……俺は、傭兵に向いていないのでしょうか」


 出立の準備を整えている中、ぽつりとヒューイが零した。


「戦いに身を置くには……俺は、甘すぎるんでしょうか」


 ヒューイに満ちていた以前の覇気は消え失せていた。

 無力を痛感したここでの一幕が、彼の心に暗い影を落としたか。

 彼の問いには縋るような響きがあった。


「想像力の欠如という意味では、甘すぎるかもしれねぇな」

「…………」

「とはいえだ。別の見方をすりゃあ、甘かろうが善良だろうが、問題なんざ何もないとも言える」

「……問題が、ない?」

「己らが間違っているのは、善良だからではない」


 ヒビガミは腕を袖の中に忍ばせ、言った。


「ただ、弱いからだ」

「弱い、から」

「例えばその者の強さの源が善性であるなら、おれも余計な手や口は出さん。身の程を弁えずに振りかざされる善性や、強さの足を引っ張る善性には少々厳しいがな」


 まあつまりだ、とヒビガミは続ける。


「ひたすら甘きに傾こうとするなら――己の考える善性を貫きたいなら、ただ強くなればいい。単純な話だ。その者が誰よりも強いのならば、極論、想像力の欠如すら些末な問題でしかなくなる。どんな相手でも蹂躙する力が善性に依拠しているのなら、むしろどこまでも甘く、善良になるべきだ。覚えておけ。戦いに身を置く者の罪は、ただ一つ――」


 地面に並べられた傭兵たちの死体を、ヒビガミは眺めた。


「現時点の己の力量に、甘んじることだ」


「己の力量に、甘んじる……」


 かつて終末郷時代を共に過ごした者たちの幾人かを頭に思い浮かべつつ、ヒビガミはその言葉に、小さく昏い非難を込めた。


「伸び代を持ちながら今の己の力量に甘んじる者を、おれは唾棄する」

「……ありがとうございます、ヒビガミ殿」


 決意めいた顔で俯き、ヒューイは力強く拳を握り締めた。

 もちろんヒビガミがヒューイの問いに答えたのは、未来の敵となる可能性を秘めた芽に水をやっておこうと考えたためである。

 今回の件を経た影響か、ヒューイには新たな伸び代が芽生えていた。ヒビガミからすれば、このまま育って自分の領域にまで伸びてくるならばよし、というわけだ。


「ところで一つ、己らに聞きたいことがある」


 この場にいる全員へ向け、ヒビガミは問うた。


「この辺りに何か……そう、名を轟かせる実力者の話などはないか? 真偽定かでない噂話でもいい」

「噂話でしたら、一つ聞いたことがありますけど……」


 自信なさげに挙手したのは、アリサ。


「ほぅ、どんな噂だ?」

「その……東国で名を馳せた若き刀士集団がある時なんらかの理由で国を追われ、のちに海を渡り、ミドズベリアへ逃げてきたという話を聞いたことがあります」

「ふむ」

「それで、これはもう地方の説話みたいなものらしいのですが……彼らがこの辺りの山に隠れ住んでいるという話を、その……劇作家だった父から」


 劇作家、のあたりでアリサの声は小さくなった。空想に耽りがちな作家特有の妄想域を出ない話、とでも思っているのだろう。


「そういやアリサはこの辺の出だったな」


 バダックが言った。アリサが頭を下げる。


「すみません、信憑性のない話で」

「いや、謝るこたぁねぇさ。話せと促したのはおれだ」


 当人は謝ったが、場所的な関連があるからと、ここで口を噤まず生真面目に説話を口にした彼女の善良さは、褒められるべきものであろう。


「それに、今のは少し興味深い話でもある。礼を言う」




 ミドンらと別れた後、ヒビガミは茂みの中へと足を踏み入れた。

 あの《血狂いアンナ》の向こう脛に最初の蹴りを放った直後、鋭い感覚をもたらした発生源が遠ざかって行くのをヒビガミは感じた。

 しかし数ベウ(数秒)後には、まったく位置がわからなくなってしまった。

 だからその後アンナの言葉に耳を貸してやったのだが、もし気配が消えていなければすぐにでもアンナを殺し、気配を追ったであろう。


 ヒビガミの口端が、自然と綻ぶ。


 ――このおれに正確な位置を悟らせねぇとは、戦意の消し方をよく分かってやがる。


 アンナを殺しヒューイたちのもとへ戻る途中、自分のものではない刃傷によって殺されている野盗の死体を十数体目撃した。

 ヒューイらのもとへ辿り着いた野盗が一人もいなかったのは、途中で何者かに切られたからだったのだ。

 血液が数か所の木の幹に飛び散り、付着していた。

 手並みは鮮やかの一言。

 無慈悲ではあるが、ヒューイたちの実力では決して達しえぬ太刀筋。


 そして今、ヒビガミはその現場へと戻って来ていた。


 ――国を追われた刀士の集団、か。


 所詮、小さな地方にのみ伝わる説話と捉えることもできる。


『あ、あれはあやかしのたぐいなのか? それとも、まさか――』


 切った野盗の一人が口にした言葉。あの言葉の後に続いたのは、あるいはこの地方に伝わる説話にまつわる言葉だったのか。

 しかし周囲を歩いてみても、あの気配に巡り合う気配はなく。


 ――あやかしのたぐいであっても、おれは歓迎なのだがな。


 ヒビガミは仕方なくこのまま山を下った先にある麓の村へ赴き、一度情報を集め直すことにした。ノイズから渡された紙片の束にも、その村の地下書庫を訪れてみるべきだと書かれてあった。

 別段、急ぐ旅でもない。

 保存食は多少の手持ちがあるし、野山での寝起きも慣れたものである。

 どの道今日中には麓の村へ着くはずだ。

 ヒビガミは主道へ戻ろうと、一度小道に入った。

 空に雲が集まり始めていた。

 ひと雨くるだろうか。

 小道をしばらく行くと、薄汚れた衣服を身に着けた三人の男が折れた枝を集めている姿があった。野盗には見えない。

 藁束を背負い、泥のついた頭巾を着けている。麓の村民だろうか。


「何か?」


 ヒビガミが近寄ると、男の一人が立ち上がった。続き、他の二人も立ち上がる。

 最初に立ち上がった男は若く、好青年然とした人物であった。


「おや、着流しですか。この辺りでは珍しい格好ですね」

「ほぅ? 東国の服装を知っているか」

「それはもう、こちらでも有名ですから。そこらの村民でも、多少の学があれば知っておりますよ」

「…………」

「ところで……あなた様は刀士で?」

「そんな立派なもんじゃねぇさ。おれは、流浪者だ」


 ヒビガミは、ふむ、と唸る。


「そう言う己らは、麓の村民か?」

「はい。火にくべる枝を集めに。それに、この辺は美味い山菜が採れるのです」


 一拍置き、ヒビガミは問うた。


「その藁束の中には、何が入っている?」


 三人が視線を交わす。一番若い男が温和な笑みを浮かべる。


「山刀でございます。草木生い茂る道を行くには、これが大層役に立ってくれますので」

「随分と長い山刀だ。普通はもう少し、短いものだが」

「長い方が便利なこともありましょう」

「では聞くが、なぜ――」


 ヒビガミは顎鬚を撫でながら、問いを投げた。



「生い茂った草木を切るための山刀から、人の血のにおいがする?」



 空気の流れが止まったがごとき錯覚が、場に走った。


 実は彼らに近づいた際ヒビガミは看破していた。

 短い袖から覗く剛健な腕。

 ふくらはぎの鍛え抜かれた筋肉。

 ただ畑を耕すだけの生活ではああいった筋肉のつき方はしない。

 もう少し不均質なつき方をする。

 三人はヒビガミとやや距離を取ると、それぞれが藁束を手に取った。


「まさか追手がここまで来ているとは、参りましたね」

「どうするね、ヒョウゴ?」

「そりゃあ、やるだろう」


 ヒビガミは口端を吊り上げた。


「期待に添えず悪ぃが、おれは追手とやらではない。おれは人斬り集団の噂を耳にし、仕合うべくここへと来た」


 バッ、と三人が藁束から鞘に納まった刀を取り出す。


「キドさん、僕にはこの人が嘘をついている風には見えません」

「の、ようだが……しかしアマノよ、この男やる気だぞ」

「うぅむ、この男には野性があるな。誰かの飼い犬になるような男には見えん。腕に覚えのある武芸者と見て、よさそうか」

「はは、なら今日は大漁ですね」

「少し待てアマノ。この男……できるぞ。それも、相当」

「見ろ二人とも。鳥肌が出た。これほどの使い手には、東国でも出遭わなかったぞ」

「ならさっきのあの辺の死体……十中八九、この人の仕業でしょうね」


 あの辺の死体。

 野盗たちの死体のことか。


「粗雑な太刀筋の印象でしたが、あくまでそれは、印象の話……その実は天賦の才と、積み重ねた鍛錬によって生み出された、珠玉の剣技……それもおそらく、実戦で培われた剣」


 ヒビガミが切った野盗の刃傷だけで、アマノという男はヒビガミの剣の質をほぼ正しく言い当てた。

 アマノと呼ばれた男が、構える。


「ほぅ?」


 ――あの構え、居合いか。


「キドさん、ヒョウゴさん……さっき強そうなのを二人に譲ったんだから、まずは僕がやらせてもらっていいですよね?」

「仕方あるまい」

「うむ、譲ろう」


 アマノが構えたまま、無邪気に笑む。


「ありがとうございます!」


 爽やかな調子だが、発せられる剣気は獰猛な肉食獣のそれである。

 ヒビガミは好ましく感じながら、聖剣を構えた。

 遠くで、重々しい雷音が轟く。


「名を、うかがっても?」

「ヒビガミだ」

「ヒビガミさん、ですか。僕は、無幻越刀流《八刀絵巻》が一人、アマノと申します」


 ヒビガミの眉が、ぴくっ、と動いた。


「無幻、越刀流だと?」


 暗さが僅かに増し、小雨がぱらつき始めた。

 細い雨に打たれるヒビガミの口元が、緩やかな弧を描く。


「カカ……ったく、こんなところにまで足を運んでみるもんだぜ。まさか、あの伝説の一派と巡り合えるとはな。そもそも実在していたこと自体、驚きではあるが――」

「おや、ヒビガミさんは無幻越刀流をご存じで?」

「馬鹿を言え。東国の刀士の歴史に少しでも触れてりゃあ、ミドズベリアの者でも一度は出会う名だろうに。この大陸で言う《終末女帝》みてぇなもんだ」


 ただし、このミドズベリアにおいて、東国の、それも刀士の歴史を紐解くのに熱心な者などそう多くはない。だから、この大陸での無幻越刀流の知名度は決して高くはないだろう。


 雨足が、勢いを増す。


「だが伝説の一派であるがゆえ、その名を騙る者も、後を絶たなかったそうだが――」

「では――」


 アマノが腰を深く沈める。


「試してみれば、よろしいかと」


 ふん、とヒビガミは上機嫌に鼻を鳴らす。


「下手な言葉に逃げねぇところがもう本物だと語ってるようなもんだぜ、アマノとやらよ」


 脚の筋肉に力を込める、ヒビガミ。


「こいつは《無形遊戯》に、感謝すべきかもしれねぇな」


 二人は暫し、無言で向かい合った。

 一足で互いの刃が届く距離である。他の二人が加勢する気配は皆無。あくまで、一対一の勝負を望んでいるようだ。しかも、


 ――こいつの望みは、死合い。


 アマノという男には、命を賭す覚悟があった。

 命を失うことを恐れていない。

 だが、勝利への意志は強い。

 つまり、命を粗末にしているわけではない。

 命の重さを知りつつ、しかし、その重い命を戦いに迷いなく賭けられる精神も備わっている。


 ――生粋の武人というわけか。


「無幻、越刀――」


 アマノの柄を握る手の人差し指が、浮いた。

 何かの兆しか。



「《瞬殺剣・蹄渡り》」



 技の名、だろうか。


「技の名を口にするのが奇妙ですか? しかし我が無幻越刀流では、技を出す前にその名を口にするのが、流儀なのです」


 劇芝居ならともかく、実戦において技名を口にする行為は愚の骨頂と言える。

 ご丁寧にこれから自らの放つ技を明かす間抜けなどいない。口頭による詠唱自体が発動の鍵となっている詠唱呪文は仕方がないとしても、剣技や術式の名を口にするのは、戦う者のする行為ではない。

 むしろ勝つだけが目的なら技というものは極力、秘するべきなのだ。


 技に名がつく場合は、大別して二種類ある。

 一つは自らの流派の名に箔をつけるため技を編み出し、名づける場合。

 そしてもう一つは、その技を目にして心を揺さぶられた者が勝手に名づける場合である。

 ただ例外として、東国では《魂込め》という概念が存在すると、ヒビガミは聞いたことがある。これはあえて技の名を威勢よく叫ぶことで、技自身に己の命の一部を込め、より技の切れが増すという概念である。


 だが無幻越刀流は、そのどれにも当てはまらぬ理由から、あえて技の名を先に述べるようだった。


「己の磨き抜いた必殺剣……その技の名を先に知られた程度で防がれるならば、それはもはや、必殺剣でもなんでもない。つまり――」


 アマノの口元から、笑みが消失。



「先に名も名乗れぬ必殺技など――必殺技に、非ず」



 それが無幻越刀流の流儀です、とアマノは結ぶ。


 以後、互いに言葉はなくなった。

 微動だにせず、両者構えたまま。


 そして雨が、あがった。


 訪れたのは静寂。


 雲間から、輝く白色が覗く。


 差し込む光がヒビガミの聖剣の刃に煌めき、刃の上を鈍く走った。


 この間も両者は、静止した状態に身を置いていた。


 静謐な時の中、一等長く伸びた頭上の枝の先から大きな雫が、ぽたり、と落ちる。


 その陽光に輝く珠雫が地面の石に落ち、弾けた瞬間――



 鞘走りの音と風切りの音が、示し合わせたかのような機で鳴った。



 最初に地面へ落ちたのはヒビガミの、着流しの生地。


 切り裂かれた着流しの向こうには……薄皮一枚ほどの傷が、走っていた。


「なるほど、これが……無幻、越刀流か」


「……お見事」


 アマノは、わき腹を深く切り抉られていた。

 その傷はあまりに深い。

 優秀な治癒術式の使い手でもこの場にいなければ、助かる見込みもないだろう。


「己ら二人の中に、治癒術式を使える者は?」


 ヒビガミの尋ねに、キドとヒョウゴは否定の言で答えた。

 そもそも彼らは術式自体使えぬらしい。

 地面に剣先を突き立て、アマノが膝をつく。

 わき腹の血の勢いは止まらず、彼の顔面からは血の気が失せていた。


「ふ、ふ……」


 その笑い声を発したのは、死の淵にあるアマノ。


「ヒビガミ、さん……これ、ですよ……僕、はね、これ、を――」


 そこまで言って、アマノは息絶えた。


 伝説の名に足る力量であった、と言えるだろう。

 切れ味の保証された妖刀の一つでも持たせれば、以前ヒビガミが戦ったあのソニという四凶災とも、十分渡り合える実力だったかもしれない。


 ――このような実力者が、まだミドズベリアに隠れていたとはな。


「ヒビガミ殿」


 アマノの死を見届けた後、キドが言った。


「我ら無幻越刀流を探していた、とおっしゃっていましたな? 我らとしてはこの場で続けて勝負と行きたいところなのですが……隠れ里への案内役が、必要でしょう」

「ふむ」


 キドの説明では、その隠れ里には他にも腕に覚えのある者がいるらしい。


「まあもう一人ここでやってもよさそうなのですが……一対一になってしまうと、これはもう、おそらく我慢ができそうにない。ですから我ら二人で互いを抑え合い、けん制しつつ、まず一度隠れ里までご案内した方がよいかと思いまして」

「おれとしては、願ってもないことだが」

「では決まりですな! おいヒョウゴ、アマノの遺体を担いでくれ!」

「わかっているだろうが、キドよ――」

「わかっている! 途中で交代しながらだ」

「うむ。わかっていれば、よい」


 ヒョウゴがアマノの死体をひょいと背負うと、他の荷物を背負ったキドが、ヒビガミに笑いかけた。


「少々歩く必要がありますが……ヒビガミ殿、腹など空いておられませんか?」

「大丈夫だ」

「もし休息が欲しいのであれば、出立を遅らせても構いませんが」

「いや、それも構わん」

「そうですか。では早速行きますか、ヒビガミ殿」


 なかなかに奇妙な連中だ、とヒビガミは思った。

 あの死体の扱いぶりから見て、彼らにとってアマノという男が好ましい存在であったことは察せられる。

 だが、アマノの死そのものを嘆き悲しむ様子はない。どころか、悲哀の欠片すら窺えない。感傷もない。であるのに、アマノに対する温かみは確かにある。


「アマノの《蹄渡り》が、ああも鮮やかに破られるとはなぁ」

「おそらく踏み込んだ際の、雨に濡れた土の微妙な変化から、軌跡を読まれたな」

「おまえもそう見たか、ヒョウゴ」

「剣の速度そのものが相手より劣っていたのも、もちろんあるだろうがね」

「まあ、あれほどの実力の持ち主とやれたんだ。アマノもさぞ幸福だっただろう」

「しかし思い返せば、アマノは良い男だったな。人だけは容赦なく斬れるんだが、それ以外となると、虫も殺せん男だった」

「はは、そこが奇妙とも言える男だったな。こうして目を閉じると、楽しい思い出が蘇ってくるようだぞ」

「それはともかく、今おれは武者震いが止まらんのだ、キドよ」

「……心配するな、おれもだ」


 先を行く二人が、背後のヒビガミを一瞥した。しかもそのアマノを斬り殺したヒビガミに対して敵意を持つどころか、向けてくるのは期待の念である。


「それにしてもヒビガミ殿はお強いですな。この大陸の武の界隈では、相当名のある戦士なのでは?」


 一部の者以外の間ではほぼ無名に等しいだろう、と答えると、彼らはその言葉を素直に受け取った。


「はっ、はっ、はっ! では我々は、この巡り合せを天に感謝せねばなりませんな! これほどの無名の武芸者とこうして出会えるとは、なんという幸運!」

「ふっ、ふっ、ふっ! 今日はなんとも良き日だな、キドよ!」


 この調子である。

 アマノという男にしても不思議なところがあった。死にゆく中にありながら、言葉を紡ぐ際に発せられていたのは、感謝の念であった。

 といっても彼らは、死にたがりというわけでもなさそうである。


 彼らは死に未練こそないが、命の価値は熟知している。


 ――見ようによっては、実に清々しい連中とも言える。


 雨を吸った土の上を歩きながら、ヒビガミはこの先へ待つものへの期待に、口元を綻ばせずにはいられなかった。





 外伝のヒビガミ編も終盤です。

 あと二話ほどで本筋の方へ戻る予定ですので、もう少しだけおつき合いいただければ幸いでございます。


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