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聖樹の国の禁呪使い  作者: 篠崎芳
聖樹の国の禁呪使い 第一部
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幕間17「遭遇(3)」【ジークベルト・ギルエス】


 何撃、刃を交わしたであろうか。


「うわっ、強い! ジーク、強いよ!? あれ? あっれれ〜?」


 ジークは、ソニの連撃を的確に捌いていた。

 が、そのたびに神経が削られていく。

 ソニの攻撃の速度は、目にも止まらぬ、と言っていいほどだった。

 それでもジークがどうにか捌けているのは、相手が剣を使っているからだろう。

 もしソニが剣を使用せず、あの鞭めいた長い腕から変幻自在の攻撃を繰り出してきていたら、こんな風に受け切ることはできなかったであろう。

 剣の攻撃には普通、一定の予備動作がある。

 その予備動作を見極め、軌道を読む。

 もちろん軌道予想は一本ではない。

 だが『剣以外の攻撃がない』とわかっているだけで、格段に読みがしやすくなる。


 加えて、キュリエから受けた剣術の稽古のおかげもあるだろう。

 セシリーがキュリエから剣を教わっている時、ジークとヒルギスも何度か稽古に混ぜてもらったことがあった。

 そう。

 あのキュリエの剣を何度か受けた経験があるおかげで、なんとかソニの攻撃の速度についていくことができている。


 剣のみでの勝負に持ち込めれば、食い下がることはできる。


「わわっ! まただ! また、弾かれたぞ!? す、すごい! すごいよ、ジーク!」 


 余裕のあるソニとは正反対に、ジークは顔面に汗を滴らせている。

 それでも、絶え間なく迫りくる攻撃を必死に捌き続ける。

 ぎりぎりの状態で捌きながらも、ジークは隙を探していた。


 隙を見計らって懐に飛び込み、水平に両目を斬り裂くか。

 股の下を抜け、そのまま足の腱を切るか。

 身長差を考えると、股の下を抜ける方が可能性は高いであろうが――やれても片方の腱だけだろう。

 となると、やはり目の方が可能性は高いか。


「ぼく、全力なのに……こいつは、すごいや! 全然、傷をつけられないもん! ああ、面白いなぁ! やっぱり人こそが、この世で一番の玩具だよ!」


 ジークは腕に違和感を覚えた。

 疲労が出始めたのだ。

 少しずつではあるがジークの方に疲労が蓄積しはじめていた。

 このままでは、ジリ貧――


『急な落差で、相手を崩すんだ』


 ジークは、稽古でキュリエに教わったことを思い出した。

 剣でソニの攻撃を受けた直後、ジークは柄を放さない程度に力を抜いた。

 すると、


 がくんっ、と。


「わ、わわっ!?」


 急な手ごたえのなさに驚いて膝が折れ、ソニが前のめりになる。


 ――今だ。


 眼前に迫るソニの顔。

 長い前髪が左右に散り、その両目が姿を現す。

 ジークは剣を片手に持ち替え、そのままソニの両目めがけて水平に剣を振った。


「――もう、いいや」


 ぞくっ、とジークの背筋に薄ら寒いものが走った。

 ソニの身体が途端、ぐにゃりと曲がる。

 軟体生物めいた動きだった。

 その動きで、ソニはジークのひと振りを難なく回避。


「マッソ兄ちゃんが言ってたんだ。勝負の決まりっていうのは、破るためにあるんだって――ね!」


 続けて飛んできたのはソニの音速めいた拳。

 拳が鳩尾を抉る。


「ぐっ、ふ……っ!」


 もし鉄の塊が高速で飛んできたら、こんな痛みを覚えるだろうか。

 鈍く重い激痛がジークの腹で、暴れまわる。

 くの字に折れるジークの身体。

 続けてソニの両腕が真っ直ぐに槍めいて伸びてきて、ジークの両肩あたりを貫かんばかりの勢いで殴打した。

 ジークはふき飛び、後頭部を石畳に叩きつけた。


「っ……く、そっ……」


 なんという威力か。

 人間の拳を受けた気がしない。

 ソニが、立ち上がろうとしたジークの腕を踏みつけた。


「ぐっ……!」

「……どんな方法であっても勝ちさえすればいい。これは、ベシュガム兄ちゃんが教えてくれたんだ」


 ニタニタ笑いながら、ジークを見下ろすソニ。


「だって、ぼくが負けるのはつまんないもんね。でも、ちょっとだけ楽しかったよ。ただ――」


 ソニがジークの左腕に、足底を激しく打ちおろした。


「ぐあぁ!」

「負けたんだから、罰は受けないとね?」


 左腕の骨が、砕けた。


「ぐっ……くっ……」

「よし!」


 ソニは落ちていたジークの剣を手に取った。


「今度は、腕を斬り落とすぞぉ!」


 純粋に邪悪な笑み、とでもいおうか。

 ソニが浮かべた笑みは、そんな形容をしたくなるような笑みであった。


「そしたら次の遊びに移ろう! 泣きわめいたりしないから、ジークは合格! 二度目の権利を与えるよ! さあ、もっと遊ぼう! ジークと遊ぶのは……うん、楽しいなぁ!」


 ソニの言葉を聞き、ジークは口の端を吊り上げる。


 ――まだ時間が、稼げるな。


 ソニはまだ自分に興味を失っていない。

 腕を切り落とした後、この『遊び』を続けるつもりだ。


 ――いいだろう。


 片腕でも当初の目的……目か足の腱は、やれる。

 できることなら、本当は仕留めたいところだが――


「骨が砕けちゃった腕は、もういらなーい! いらないものを〜、捨てましょう〜!」」


 ソニが地に膝をつき、剣を振り上げた。


 腕を切り落とされてからが勝負だ。

 ジークは襲いくるであろう痛みに耐えるべく、気を強く持った。


 その時だった。


 物陰から、何かが飛び出した。

 飛び出してきた者の目は、ただ一点、ソニの頸椎のあたりを捉えていた。

 纏うは一切の混じり気がない殺気。

 ただ殺すことだけを考えている、そんなぞっとするような冷たい表情をしていた。

 その人物の姿を認めたジークは、肝が冷えるのを感じた。

 そして、


 ――なぜ、だ。


 人影はさながら、暗殺者のごとく。

 ほとんど音を立てずにソニの首筋に、剣の刃を――


「あれれぇ? なんで、まだいるのかな?」


 長い腕が背後に伸び、迫る刃を操る主の手首を、掴んだ。


「――っ!」

「きみもまさか、ぼくと遊びたかったの?」


 にんまりと、ソニが笑う。

 手首を掴まれた人物が痛みに表情を歪め、剣を取り落とす。


「なぜ、だ」


 ジークは無事な右腕で身体を支え、起き上がった。


「なぜ戻ってきた……ヒルギス」


 しかしヒルギスにジークの言葉に答える余裕はない。

 ソニが左の手首をつかんだまま、ヒルギスの身体を持ち上げる。

 するとヒルギスの足が地から浮き、吊り下げられているような状態になった。


「ぅっ……」

「あはは、なんだ、きみも遊んでほしいなら言ってくれればよかったのに!」


 ヒルギスは苦悶の色を浮かべながらも、きっ、とソニを睨みつけた。


「おぉ、怖いなぁ……ふふふ、きみ、怖いね」

「――っ!」


 ぺきっ、という音がした。

 折った。

 ソニがヒルギスの右手の小指を、折った。


「あれ? 鳴かないぞ?」


 ヒルギスは歯を食いしばり、必死に声を上げるのを堪えていた。


「ふーん……きみ、我慢強いんだ?」


 ジークは落ちていた剣を取り、立ち上がる。


「やめろ! おまえの遊び相手は、おれだろう!?」

「こっちの亜人とも遊ぶんだよ。だから、邪魔しないで。それに……もうジークには一回、勝ったし」


 言いながら、今度はソニがヒルギスの薬指を折った。

 身体を痙攣めいて震わせるヒルギスの目に、涙が滲む。

 ジークはソニに切りかかった。


「だからさぁ、邪魔しないでってば」


 が、すぐに蹴りで吹き飛ばされる。

 地面に倒れ伏すが、ジークはすぐに手を突いて立ち上がる。


「なぜだ……なぜ戻って来たんだ、ヒルギス!」

「ジーク、あなた……死ぬ気だった、でしょ?」


 弱々しく、ヒルギスが言った。


「何?」

「……あなたが、死ぬ気だったから」


 ヒルギスが、ふっ、と微笑を零した。


「そんなあなたを置いていったら……セシリー様に、合わせる顔がないもの」

「だからといって、二人とも死んでしまえば――」

「わたしが、残るべきだった」

「なんだって?」

「元々わたしは……死んでいたような、ものだし」


 ヒルギスが、後悔の念を浮かべていた。


「……ごめん、ジーク」


 すまなさそうに、ヒルギスが笑った。


「怖かったの……」


 ヒルギスの目に、涙が溢れてくる。


「わたし、四凶災が怖くて……逃げ、た……」

「ヒルギス……」

「そんな自分が……後ろ、めたくて……」


 ヒルギスの頬を、涙が伝う。


「ごめん、ジーク……」


 ――平静そうな顔をしてはいたが……内心は、怯えていたのか。


 普段、ヒルギスは顔に感情を出さない。

 だが彼女も、実際はまだ年端もいかぬ少女なのだ。

 あの四凶災を前にしてすくみ上ってしまっても、誰も文句は言えまい。

 むしろ今まで表情や態度に出るのを抑えていただけ、立派といえるだろう。


 異次元の相手を前にしたら、まず恐怖を覚える。

 それが、普通なのだ。


 クロヒコやキュリエと一緒にいると、時々、恐れという感情を忘れてしまいそうになる。

 巨人討伐作戦の時もそうだった。

 聞いたところでは、ヒビガミとの戦いにおいても二人は物怖じすることなく立ち向かっていったという。

 彼らは強大な敵が相手でも怯えたりせず、立ち向かっていく。

 だが普通は強大な敵を前にしたら、まず怖いと感じるものだ。

 むしろ自分が恐怖を抱かなかったことの方に驚く。

 必死だったせいで、恐怖を感じる神経が麻痺してしまっていたのかもしれない。


 ――それでもヒルギスは恐怖を乗り越え、四凶災に立ち向かっていった。


 ゆえに、今は彼女が戻ってきたことを責める気分にもなれなかった。

 ただその勇気を、褒め称えたいと思った。

 だが――


 ぺきっ。

 ヒルギスの中指を、ソニが折った。


「――っ」


 痛みに耐えるように、きつく目を瞑るヒルギス。

 頬や額には脂汗が滲んでいる。

 ジークは気勢を上げ、ソニに斬りかかった。

 が、再び蹴りで振り払われる。


「きみ、知ってる?」


 ソニがヒルギスに問うた。

 ヒルギスが薄く目を開く。


「セシリー・アークライトの居場所……なんか、知ってそうな気がするんだけど。教えてくれたら……見逃してあげてもいいよ?」


 ヒルギスは見下したような、震える笑みを浮かべた。


「知ってても、あんたなんかに……教えるわけ、ないでしょ?」

「…………」

「少しは……自分で、考えれば?」


 ぺきっ。

 ヒルギスの人差し指が、折れた。


「……ぅっ!」

「きみ……腹立つなぁ。あれ? そういえば、きみ亜人かぁ!」

「……?」

「亜人って耳と尻尾を引っこ抜くと、面白いんだよね! できそこないの人間みたいになるんだもん! あははは、そうだった! それ、やってみよう!」


 初めてヒルギスの顔が、恐怖に染まった。


「ソニ・アングレン!」

「ん?」


 ジークは、ソニの名を叫んだ。


「何? 今は引っこ抜き遊びが先だよ? ジークは……後で」


 振り向くソニの表情は、明らかにジークへの興味を失っていた。


「おまえは、おれに一度も勝っていない」

「え? なんで?」


 ジークは不敵に笑い、剣を握った手で自分の胸を叩いた。


「おれが、生きているからな」

「……何、それ?」

「おれを殺せていない時点で、おまえの負けだ! ソニ・アングレン!」

「なんだよ、それぇ……!」


 ソニの声の調子が露骨に変化した。

 苛立ちが伝わってくる。


「なんなんだよ、それぇ!」


 ソニがヒルギスを投げ捨て、ジークに襲いかかってきた。

 ジークは身を翻し、手近な路地に逃げ込もうとする。

 が、あっという間に追いつかれてしまう。


「ぐっ!」


 ソニがジークを押し倒し、馬乗りになった。


「きみさ……ずるいんだよ、そういうのは」

「ジーク!」

「逃げろ、ヒルギス! 頼む! 逃げてくれ!」


 力一杯、ジークは叫ぶ。


「うるさいなぁ」


 ソニがジークの骨が砕けている左腕を、殴った。


「ぐあぁぁ!」

「もう負けてるのにさ……そういうの、すごくかっこ悪いよ、ジーク」

「……だったらおまえは、なぜ怒っている?」

「なんだってぇ?」

「勝ったと思っているなら、普通は……そんなに怒らないからな。おまえは心の中ではまだ、勝ったと思えていないんだ」

「ふーん」


 赤い前髪の奥にあるソニの目が、無感動に細められた。


「じゃあさ――死ねばいいよ」


 ――ここまで、か。


 ジークは、覚悟を決めた。


 ――あとは頼んだぞ、クロヒコ。


 次に浮かんだのは、セシリーの顔。


 ――セシリー様……どうか、ご無事で。


 ヒルギスは、逃げてくれただろうか。


「…………」


 最後に、ソニの静かな殺意に満ちた表情の向こうに見える青空を眺めながら、ジークは『彼女』の無事を祈った。

 と、



「カカカッ、どこかで見た顔かと思えば……そうか、己、あの時馬車から飛び出してきた、セシリー・アークライトの従者か」



 聞き覚えのある声が、した。


「ん? なんだぁ?」


 ソニが背後を振り向く。 


「帝国から禁呪の呪文書をいただいてふらりと立ち寄ってみれば……カカッ、なんとも、面白いことになっているじゃあないか」

「誰、きみ?」

「四凶災だな? お目にかかることができて、光栄だ」

「……だから誰なんだよ、おまえ!」


 ――あの、声。


 首を上げ、ジークは声の主を見た。


 連想した通りの人物が、そこにいた。


 東国色の強い、赤黒い服。

 腰に差した二本の刀。

 不気味に淀んだ瞳。

 野性的な無精髭。

 そして――忘れもしない、その底知れぬ笑み。


「ヒビ、ガミ」


 するり、と。

 ヒビガミが、刀を抜き放つ。


「すでに戦闘個体として出来上がっているであろう四凶災に、『無殺』もなかろう」


 桜色の刃の切っ先を、ヒビガミが、ソニへ突きつける。

 そして、ヒビガミが、


「さあ――」


 嗤った。


「死合おうか」

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