其之26 わたくしの残念な許婚 〔夕紀子サイド〕
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その日、わたくしは、日本橋の百貨店を訪れていました。
例によって、酉田屋さんと我がお父様が仕組んだ、許婚との逢引です。
お相手の豪太さんは、高等学校の学生さんですけれど、この日、彼は試験だか何だかで学校が早く終わる予定であったらしく――。
たまたま、わたくしが通う銀嶺台女学校もまた、学校行事の都合で半日授業だったものですから、そのような日程にされてしまったのです。
とはいえ、よもや、逢引場所が日本橋の百貨店とは――。
子爵令嬢のわたくしはともかくとして、商家の跡継ぎである豪太さんにしてみれば、百貨店は商売敵だと思うのですけれど。
まあまあ、百貨店には、富裕層にも評判の食堂も入っており、敵情視察をかねての、遅めのランチをご一緒に、といったところでしょうか。
けれど、見栄っ張りの豪太さんはというと。
「いやあ。あの食堂は値段の割にイマイチだったなあ。やっぱり、オレや夕紀子さんみたいな上級国民には、もっと老舗の銘店の方が良かったですかね?」
「そうでしょうか。わたくしは、あのお味も悪くありませんでしたけれど」
わたくしは、スンと「無」の顔で答えました。
なんだか、豪太さんの「上級国民」という言い回しが、どうにもさもしい、というか。それ以前に、華族令嬢と成金子息を同列に語らないでください、と鼻についてしまったというか。
そうして、この豪太さんの品性の無さはそれにとどまらず。
百貨店の衣料品売場へ行くと。
「ハァー。まぁ、こういうのも悪くはねえんだけどさぁー。コレでこの額かい? ボッタクリじゃねえの? やっぱり、酉田屋の品揃えの方がいいなあ」
なんて、ろくに御品定めもせずに、必要以上にお店の商品を扱き下ろしたり。
また、宝飾品売場へ行くと。
「ウッヒョー! 純金の鷹? ああいうの、酉田屋の店先に置いても良さそうだなぁ。うわ。こっちにゃ、ずいぶんとでっけぇダイヤがあらぁ」
などと、ただ豪太さんばかりが目を皿のようにして、浮かれ調子でいて。
「へへ。どうです? 夕紀子さん。オレはアンタの許婚ですからね。なんでも欲しいものを買ってあげますよ。酉田屋にゃあ、ジャブジャブ使っても次々と金が湧いてくる【打ち出の小槌】がありやすからね」
とか、よほど儲けてらっしゃるのを御伽草子になぞらえて、我が神宮寺家より資産があるように振舞ってきます。
確かに、我が神宮寺家が、「名ばかり華族」といってもよいほど、現在、金策に困っているのは事実なのですが。
というより、最近、我がお父様が株で大損したことで、裕福な酉田屋さんに借金――要するに、わたくしと豪太さんとの婚約を盾に、もろもろ付け込まれてしまっている、というのが、事ここに至る現状であって。
(だからといって、恩着せがましく、それをわざわざ口に出して、許婚を跪かせようとするなんて。まったく醜悪な殿方)
なので、わたくしもツンとして申します。
「わたくし、黄金も宝石も興味ございませんの」
「あ。あー。そりゃ、また……。い、いや。華族のお嬢様ってェのは、やっぱ器がデッケェや! すっげェなあ。下等民の女なら、こういうの見るだけで、大ハシャギするんスけどね~っ」
豪太さんは苦笑いしながら頭を掻かれました。
さっきの「上級国民」もそうですが、今度は「下等民」だなんて。
この人はいったい人間をなんだと思ってらっしゃるのでしょう。
そんな風に、わたくしは、この口ぶりにも違和感を覚え、眉をしかめました。
「まあ。そうなのですか? では、豪太さん、許婚以外の女性と、このような場所にいらしたことがございますの??」
「うっ……!」
豪太さんは、たちまち、気まずそうな顔になりました。
「あっ。いやっ……。ああっ、そうだっ。か、華族のお嬢様なら、劇場とか、動物園とかの方が良かったですかねぇっ? こんなチンケな百貨店なんかより」
「……」
豪太さんは見るからにうろたえています。
誤魔化そうとしているのが明白です。
豪太のご実家の酉田屋さんより、この百貨店の方が遥かに大規模なのですが。
それをかように馬鹿にできる根拠は、いったい何処にあるのでしょう?
しかして、わたくしが気に入らなかったのは、この許婚の浮気性だとか、逢引の訪問先が百貨店だから、ということではありません。
(ここから目と鼻の先の場所には、蘇芳屋さんがある。本日なら、きっと、あそこに庚興さんもいらっしゃる。ああ。わたくしは、どうせなら、こんなふざけた殿方でなく、あの御方とご一緒したかった……!)
そう。わたくし、子爵令嬢・神宮寺夕紀子と、蘇芳屋社長・九鬼庚興さんは、本当に数奇なる運命に導かれたもので。
わたくし達は、なんと、【合わせ鏡】と【夢路】が交錯する夢幻の中で、奇蹟の出逢いを果たしていた。
その事実が判明したのは、この豪太さんとのお見合いが成立した後。
わたくし達は、それから何度も睦まじき忍び逢いを重ねて、いまや、名実ともに想い合う男女の仲なのですが――。
(ああ……今すぐ、貴男に逢いたい。庚興さん……!)
わたくしは、幼き頃より心通わせた愛しの君の姿を思い浮かべました。
夢幻の逢瀬では、愛しの君は、わたくしと同い歳であったのですが。
過去も未来も混在する【合わせ鏡】の異質な環境では、どうにも【時空のねじれ】みたいなものが存在したらしく――。
現実には、庚興さんは、わたくしより十歳もお年上の殿方でございました。
けれど、いざお逢いして、「ああ。この御方だ!」と。
わたくしの内なる心が共鳴いたしたのです。
しかしながら、このわたくしのささやかな現実逃避を、豪太さんは不機嫌だと捉えたようで。
「よ、よし! じゃ、今から上野に行きやしょうっ。まだ、動物園も開いてる時間ですし……」
「はあ」
現実に引き戻されたわたくしは、まったく残念な気持ちとなりました。
閉園間近の動物園など、気忙しいだけで、むしろ、その支度を始めている動物園の職員さん方にもご迷惑なのではないかしら? と、気になりますし。
たとえば、わたくしの名【夕紀子】にちなんで、「不忍池にて舟遊びに興じながら、まだ淡く白き夕月を共に眺めましょう」などと誘われる方が、まだ、しっとりとした情緒があるというものです。
(庚興さんなら、そのようにきっと――。やはり、豪太さんでは子供っぽすぎますわ……)
この豪太さんは、どうにも1人よがりというか、己の都合しか考えない御人で。
わたくしが不快感をあらわにしても、強引にご自分を押し通そうとします。
まるで、ご自分が、なんでも欲しいままに手に入れられる、王者であるかのお振舞いで。そのくせ、華族など、世の成功者――「本物」に対しては、劣等感というか、嫉妬というか、そういうものを持ち合わせていて。
それらに対し、姑息でせせこましい方法で蹴落とそうとする邪悪な心根の持ち主なのです。
だからこそ、わたくしのような没落寸前の華族令嬢は、手っ取り早くそれらしき称号を手に入れられる、寄生先――いえ、乗っ取り先といったところなのでしょうか。
我が神宮寺家の爵位を継がれるのは、長男である、わたくしの6歳上のお兄様・透眞さんであって。その継承には男系男子という血筋のくくりがあるため、娘婿である豪太さんには、当家の爵位が渡ることはないのですが。
豪太さんにしてみれば、子爵令嬢と結婚したあかつきに、現・子爵である義父、また、この義兄を無力化できれば、或る程度、実権操作が出来るのでは?
――と。そういう企みを持っている可能性が高い。
なぜなら、平安時代に、時の帝の外戚となった藤原氏が摂関政治をおこない、栄華を極めたように。
まずは、華族の姻戚として、閉鎖された上流階級社会に這入り込み、そこで密に築いた人脈を元に、政治・経済における特権や推薦を勝ち取っていく。それを何度も繰り返して、徐々に味方を増やしていけば。
その後、本当に、例外として授爵できる見込みもあるかもしれない。
また、たとえ、授爵叶わずとも、華族の姻戚であり、且つ、有力者の御用商人という立場を得た上で、財を肥大化できれば。
晴れて、財閥の仲間入りにもなれましょう。
実際、酉田屋さんは、飛ぶ鳥落とす勢いで儲けてらっしゃいますし。
ただ、その出自の関係で、今は、どれだけ利益を上げても、権力者に軽んじられるところがありますから。
左様に考察いたしますと、つまりは、我が神宮寺家は酉田屋の「踏み台」。
とはいえ、そんな風に、どれだけ財を成しても、親族内がギスギスして、いずれ憎み合うようになっては、明らかによろしくありませんし。とても幸福になれるとは思えません。
(叶うものなら、時を戻して、もっと早く庚興さんと出逢いたかった……)
元々、我が神宮寺家は、霊感のある令嬢にまつわる不吉な噂の所為で、旧知の華族仲間にも爪弾きにされつつありました。
それがために、わたくしも、なんだか御家に申し訳なくて、人身御供のつもりでこの縁談を受けざるを得なかった側面もあったのです。
ゆえに、今更、悔やんでもどうしようもないというか――。
などと、あれやこれや気落ちしているうちに、豪太さんは、強引にわたくしを百貨店の外に連れ出しました。ただ、わたくしも、取り立てて行きたい場所や用事もなかったので、それを上手く断る手立てが見つかりません。
すると――。
「……ッ!」
不意に、豪太さんの動きが止まりました。
ちょうど、上野に移動するために、酉田屋が所有する車へ乗り込もうと、駐車場へ向かって歩いていた時でした。わたくしは急に立ち止まられるなんて思いもよりませんでしたから、そのまま、止まった豪太さんの背にぶつかりました。
「……あっ。申し訳ありませ――」
「……何だよ。紗江のヤツ! あんなどこの馬の骨とも知れねェ男に【女の顔】しやがって……!!」
(……? 紗江さん??)
わたくしは、忌々しそうに顔を歪める豪太さんの視線の先を追いました。
そうしたら、確かに、そこにいらっしゃったんです。
丸眼鏡を掛けた書生らしき美青年と、頬を真赤に染めて嬉しそうに歩く、女学生らしい女袴姿の神谷紗江さんが――。
ご両人は、どうやら、1つ向こうの路地から出てきたようでした。
その方向に、わたくしは心当たりがございました。
だって、そこは、わたくしが何度も通い慣れた場所――わたくしの愛する九鬼庚興さんが営む蘇芳屋さんが建つ路地の方向でしたから。
そして、また、霊視眼を持つわたくしには、その書生さんが何者なのか、一目で分かりました。
(……あれは、彩迦稲荷の――!?)
そう。あの書生さんは、わたくしに、あの縁結び守りを授与してくれた、人間ならざる「あの御方」でした。ただ、わたくしが見えた時と異なり、狐耳狐尾もなく黒髪短髪で、明らかに人間の若者に化けておいでです。
(あの御方……、単に紗江さんに取り憑いてらっしゃる訳ではないのかしら?)
少なくとも、霊感のない豪太さんにすら視える姿で現れている、ということは、普通の亡霊やアヤカシと異なります。
ただ、あの縁結び守りのおかげで、わたくしは庚興さんと出逢えていますから、紗江さんというよりは、「あの御方」が庚興さんの元を訪ねたと考えた方が、どうにもしっくりくる感じがいたしました。
(だけれど、そうだとしたら、あの御方は、何のために庚興さんに――?)
わたくしには皆目見当もつきませんでした。
<執筆後記>
今回は、夕紀子メインの短編未読の皆様にもわかるよう、諸説明を入れたので、ちょっと長くなってしまいました。
だからといって、途中で分割しても、ブツ切れなワケワカメ状態になるので。
そして、徐々に複雑になっていく人間関係……。
次回は、ちょっとした修羅場回です。




