其之16 女給と子爵令嬢
「ごめんなさいね。突然、お訪ねして」
そう、わたしに淡々と頭を下げてきたのは、あの酉田屋の跡取り息子・坪井豪太の婚約者、大和撫子な子爵令嬢・神宮寺夕紀子さんだった。
彼女は、あれから丸1日経った夕方、銀嶺台女学校の制服のまま、純喫茶「ともしび亭」にやって来た。
もちろん、あの廃神社で御供していた侍女さんも引き連れて。
しかして、タツさんという、その侍女さんが、当店の女将・千代子さんに、「お嬢様が是非にとおっしゃられて」と、夕紀子さんが女給の紗江と2人きりで話したがっている旨を簡潔に説明したようだ。そのうえで、タツさんは、ご主人である夕紀子さんを気遣い、今は席を外していた。
だから、わたしは、まだ勤務中なんだけど、千代子さんから「こっちのことは気にしなくていいからね」と優しく送り出されて、女給エプロン姿のまま、夕紀子さんに対面する形で客席のソファーに座っている。
それも、あの、先端流行男女に大人気なステンドグラスの席だ。
なぜなら、この席は、奥にあるし、半個室みたいになっているから。
そして、わたしは、内心、ヒヤヒヤしていた。
だって、わたしは、豪太を嫌っているけど、アイツに口説かれているのは間違いなくて。
でも、傍から見ると、女給のわたしの方が、婚約者がいる成金子息に横恋慕しているふしだら女に見えてしまう。
なんといっても、世間様では、「女給」というと、風俗喫茶で働いている「そういう女性」達の印象が強すぎるから。
なので、わたしも居たたまれなくなって。
ガタッと席を立つなり、
「ごめんなさいっ! わたしっ、何にもしてませんっ!! 浮気とか絶対誤解ですっ!!」
と、思いっきり、90度のお辞儀でペコペコ、平謝りした。
すると、夕紀子さんは「……??」と、ぽかんとしていて。
「まあ。そうなの……。それは残念だこと」
「はいっ! 残念ながら、わたしは、アイツに揶揄われているだけのただの田舎娘で……っ」
反射的に答えたところで、今度は、わたしが「え?」となった。
夕紀子さんは、嫌味でもなく、本当に困ったように頬肘をつき、はあ、と溜息をつく。
「貴女と豪太さんがそういう仲なら、わたくしもやっと婚約破棄できると思いましたのに」
「はい? こ、婚約破棄……っ??」
わたしはますます分からなくなった。
「……お、お2人は、ご結婚間近なんですよね?」
「ただ周囲が盛り上がっているだけよ。わたくしにその気はなくてよ」
「えっ。それなのに、昨日は逢引を?」
「お父様に釘を刺されたのよ。わたくしは愛想がなさすぎるから、『このままでは、また破談になりかねない。もう少し、お相手にご奉仕して来なさい』と。急遽、勝手に逢引の予定を入れられたの。わたくしは、いっそ雲隠れしてしまいたかったのだけれど。その前にお兄様に密告されて。まんまとお父様に先手を打たれたわ。『おまえは我が神宮寺家に泥を塗る気か』と」
「はあ。え? いえ……、あの……、『また』??」
「そう。『また』よ。わたくし、これまでに98回もお見合いに失敗しているの。豪太さんが99回目のお相手で。だけれど、わたくし、他にお慕いしている御方がいらっしゃるから。叶うものなら、今度こそ、こちらからお断りしてしまいたいのよ」
ツンとして、夕紀子さんは独白した後、カフェオレを1口、上品に飲んだ。
すると、その味に感動したのか、「無」の顔が、一転、ぱあっと明るくなった。
そして、フフッと微笑む。
すごく無邪気な可愛い顔で。
けれど、ぽかんと呆気にとられたままのわたしと目が合うや、夕紀子さんは、ハッと恥ずかしそうにためらって。サッとまた「無」の顔に戻った。
わたしもおずおずと夕紀子さんに尋ねてみる。
「あの……、えっと。さしでがましい事かもしれませんが。お慕いする御方がいらっしゃるなら、お父様がたに正直にお打ち明けになられたら?」
「無理よ。だって、坪井家と、わたくしのお父様が、先走って、もう結納まで済ませてしまっているもの」
夕紀子さんは不貞腐れたような顔をする。
これに、わたしは「あ」と。
あの時、夕紀子さんが豪太の許婚だと名乗った時の情景が蘇った。
(……そっか。夕紀子さんは、ホントは豪太と結婚したくないのに、それを認めたように言わなきゃならなかったから、悔しかったんだわ)
つまり、「許婚がわたしと浮気してる」って思って怒った訳じゃない、と。
合点いったように、わたしが「ふむふむ」と1人で頷いていると――。
「先日だって、早めのお食事をご一緒し終えた後、もう帰るつもりだったのよ。元々、そこでお別れする予定だったし。豪太さんも何かお早く帰りたそうになさっていたから。だけれど、ふと、どなたかに呼ばれた気がしてね――」
「え?」
「それで、わたくし、豪太さんに申し上げたの。『あなたのご実家、このお近くなんですよね? 是非、ご訪問させていただきたいわ』と。わたくし達、婚約していても、お会いするのは、いつも外で。結納以外では、お互いの家を行き来することなどなかったから」
夕紀子さんは冷ややかに言うと、また、1口カフェオレを飲んだ。
わたしもごくりと息を呑んだ。
「『呼ばれた』って誰に? それでどうして、酉田屋に――」
わたしの問いかけに、夕紀子さんは眉をピクと動かすと、カタとカップをソーサーに置いた。
そして、スッと華ちりめんの名刺入れみたいなものを出す。
その中から、おもむろに取り出したのは、金糸の梅結びに翡翠の珠と金の稲穂飾りが一連なりになった根付だった。
わたしも「わぁっ!」と顔を輝かせる。
「カワイイ! 綺麗ですね。帯飾りか何かですか?」
「知らなければ、そう見えるかもしれないわね。でも、それは『御守り』なのよ」
「え。お、御守り? ――って。あの……、お、お母様や、お祖母様に何かのご記念に戴いた、とか? そういう感じの??」
「いいえ。まさか。それは、とある神社でご授与していただいたものよ」
「えっ。神社!? 嘘ウソッ! こんなにカワイイ御守り戴ける神社なんてあるんですかっ??」
「そうね。いえ。『ある』というより、『あった』という方が正しいかしら」
「え。『あった』……?」
「……」
わたしが困惑して眉根を寄せると、夕紀子さんは、スッと鼈甲の根付板を裏返した。そこには、「■■稲荷大明神」と、一部がこそげたみたいな神社名が入っていた。
わたしもドキリと目を見張る。
「稲荷……」
「そう。この前、貴女がわたくしを見かけたとおっしゃった、あの『御社』よ」
夕紀子さんは深い溜息をつく。
「けれど、無くなってしまった。わたくしがコレを戴いた時は、こぢんまりとながら、由緒正しき古社殿があったのに。そして、その所為なのか、この御守りからも、元から刻印されていたお名前まで消えてしまった……」
「え。き、消えた!?」
わたしはあんぐりとする。
元々記されていた文字が消えるなんて。
そんなことってある!?
すると、夕紀子さんは、ちらとわたしの顔を見た。
「貴女――。何か書くものはお持ち?」
「あっ! は、はいっ!! 備忘録でしたら、ここに……っ」
わたしはいつも持参している更紙の備忘録と鉛筆を出し、夕紀子さんに手渡す。
「ありがとう。ちょっと、お借りするわね」
そう夕紀子さんは告げると、さらさらと、何かの文字を備忘録に記した。
まもなく、それをわたしに見える向きにして、備忘録と鉛筆を返却してくれる。
「元は、この御名が入っていたのよ」
「……。【彩迦】稲荷……」
声に出した途端、ぽうっと、わたしの胸の――膻中の辺りが熱くなった。
(じゃあ、もしかして、『あのヒト』の本当の名は――)
思うや、わたしは心臓が破裂しそうになるほど動悸が速くなった。
そして、「神格」の剥奪と同時に消えてしまった「真名」――。
よくよく考えたら、只事じゃない。
知りたい気持ちがフツフツ湧きながらも、わたしは、どこか聞くのが怖い気がしてしまった。
<執筆後記>
天真爛漫な紗江とクールな夕紀子は、案外、良いバディになるかもしれませんね。そして、忘れていけないのが、謎多きおキツネ様……。
次回は、そんな、かのヒトの過去がちょこっとだけ明らかになります。
※夕紀子が再登場したので、一応、告知をば再び。
彼女のお話が、プロモ短編として、先月8/21(金)に投稿済です。
まだ未読で、お気になられた方は、是非ぜひ、こちらもご覧ください。
☆『いわくつき令嬢は連敗中』【https://ncode.syosetu.com/n2941mq/】
(本連載の前日譚です。話としては独立してますが、ところどころ内容がリンクしています)
※こちらの短編ですが、なろうランキング
2026/08/22(土)[日間]現実世界〔恋愛〕短編 18:00-19:00更新 56位
2026/08/27(木)[週間]現実世界〔恋愛〕短編 04:00-07:00更新 100 位
に入っていました!(拙作の中で1番の好成績です)
ご評価くださった方、感謝御礼申し上げます!!
こういったことは、本当にありがたく、執筆の励みになります。
いかんせん、評価されないままだとランキングにも入れず、誰の目にも触れないまま、他投稿作の山に埋もれがちな風潮には、どうにもやるせなく、悲しいところがあるのですが。
当方も良作をお届けできるよう頑張りますので。
皆様、これからも応援よろしくお願い申し上げます。




