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非エス三原則のハットを破り、フラチに恋慕るユリとユラ ~大正から令和へ受け継がれる百年の掟を打ち破らんと、二人の乙女が愛を誓う~  作者: 団田図


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第13話 寮母の導き

 深夜の汐留寮。消灯時間を過ぎた静寂の中、天海ユリは自室を抜け出し、薄暗い談話室に一人立ち尽くしていた。

 壁に掛けられた『非エス三原則』の額縁。かつてはこの冷たい墨文字がユリの心を無残に縛り付けていたが、今のユリの瞳には以前のような絶望の濁りはない。遠く離れたさぬきの地で戦う八千草ユラからの秘密の暗号が、ユリの魂に再び雄飛としての熱い炎を灯していたからだ。


「……こんな夜更けに、何をしているの」


 背後から響いた冷たく厳しい声に、ユリはハッと肩を震わせて振り返った。

 そこに立っていたのは、小柄な体にピシッと着物を着こなした寮母の重村静江だった。鷹のように鋭い視線が、暗闇の中でユリを射抜いている。過去に幾人もの若手が私心や情に流されて追放されていくのを見てきた彼女の見回りは、いかなる隙も逃さない。


「申し訳ありません、重村先生。少し、目が冴えてしまって……」


 ユリが頭を下げる。しかし、静江はいつものように厳しい叱責を浴びせることはなかった。彼女はゆっくりと歩み寄り、ユリの涼しげな目元をじっと見つめた。


「最近のあなたの舞台、見違えるように良くなったわね。あの抜け殻のようだった日々が嘘みたいに。でも、今のあなたからは……誰かを強烈に想う、執念のような熱を感じるわ。危険なほどにね」

「っ……」


 ユリは息を呑んだ。氷室マネージャーに感づかれれば命取りになる秘密の熱情を、この厳格な寮母にまで見透かされているのかと身構える。

 だが、静江の口から紡がれたのは、予想だにしない言葉だった。


「私がこの劇會に二十歳で入會した時、創設者であるお二人……琴子様と蘭様から、直々に指導を受けたことがあるの」


 静江の瞳が、ふと遠い過去を懐かしむように和らいだ。


「あのお二人の間には、誰も立ち入れない圧倒的な絆があった。……私がなぜ、この寮で鬼のように細則を徹底させているか分かる? 情に流されてルールを破り、無残に夢を絶たれていった子たちを、もう二度と見たくないからなのよ」


 静江の言葉には、厳しさの裏に隠された深い愛情と悲哀が滲んでいた。


「でもね……今のあなたの本気の苦しみと、それを乗り越えようとする危うささえ感じる魂の輝きを見ていると、どうしても昔のお二人と重なってしまうの。あなたのその類まれな才能をあと一歩で開花できる状況を見過ごすわけにはいかないの」

「先生……」


「四国へ行きなさい」


 静江はキッパリと告げた。


「創設者のお一人である蘭様に会うの。今のあなたなら、何かの答えが見つかるかもしれない」

「えっ!」


 ユリは目を丸くして驚いた。琴子と蘭といえば、大正時代にこの華ノ乙女ノ歌舞劇會を創設した伝説の存在である。


「蘭様は、まだご存命なのですか?」


 静江はふっと肩の力を抜き、小さく笑い声を漏らした。


「勝手に殺めるんじゃありません。百十六歳の今でもピンピンしていらっしゃるわ。……私から話を通しておくから、次の休みに香川へ向かいなさい」


 それは、百年の歴史を持つ劇會のルールの番人である静江が、初めて掟よりもユリの可能性を信じ、そっと手を差し伸べてくれた瞬間だった。


 +++


 数日後。雲一つない青空が広がる帝都・東京の空港。

 ユリは目深に帽子を被り、搭乗ゲートのベンチに座ってスマートフォンの画面を愛おしげに見つめていた。

 画面には、ユラからの可愛らしいスタンプとメッセージが並んでいる。


『今日は待ちに待ったお休み!ユリも東京の舞台がお休みだなんて、奇跡みたいね。一日中、電話で話そうねって約束、忘れてないわよね?』

『ああ、忘れるわけないだろう。俺もすごく楽しみにしてる。今は少し用事があって外に出ているから、また後で連絡する』


 ユリは指先を滑らせてそう返信した。嘘をついている胸の痛みよりも、これから起こる奇跡の再会への期待で、心臓が早鐘のように鳴り響いている。


 実はこの日、ユラがさぬきの稽古で丸一日の休みをもらえたと聞いたユリは、自身のスケジュールを何とか調整し、全く同じ日に休みをもぎ取っていた。

「一日中電話で話す」というのは、ユラを喜ばせるためのただの前フリだ。ユリは静江の手引きによって蘭の元へ向かうという大義名分を得たが、その前にどうしても果たしたい目的があった。

 それは、ユラをサプライズで驚かせ、直接そのぬくもりを抱きしめること。


 いつもは大胆に愛を求めていくユラに振り回され、リードされてばかりの不器用なユリだが、今回ばかりは自分から動きたかった。理不尽に引き裂かれ、遠く離れた地で寂しさに耐えながら戦ってくれている愛しい人へ、誰よりも早く駆けつけたかったのだ。


『ご搭乗のお客様にご案内いたします。高松行き――』


 アナウンスが空港内に響き渡る。

 ユリは立ち上がり、搭乗ゲートへと歩みを進めた。雄飛としての重い鎧を今は少しだけ脱ぎ捨て、ただ一人の女性として、愛する人の元へ向かう足取りは驚くほど軽い。


(ユラ、待っていろ。……電話越しなんかじゃなく、直接お前に好きだと伝えるから)


 飛行機がごう音を立てて滑走路を飛び立ち、青い空へと吸い込まれていく。

 眼下に広がる雲海を見下ろしながら、ユリの胸には、画面越しではない本物のユラの声と、その柔らかな感触への激しい渇望が渦巻いていた。百年の掟に隠された真実が眠る四国へ。そして、何よりも愛おしいユラの待つさぬきの地へ、ユリの思いを乗せた翼が真っ直ぐに進んでいく。

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