第五十八話
レイオンの上空、高度10000メートル。
超大型宇宙要塞「ノア・ザ・アーク」の中枢サーバー内では、目に見えない、しかし物理攻撃以上に熾烈な「戦争」が始まろうとしていた。
『接続。……ターゲット、旧式AI「SSO-008 Type α」。並びにレイオン神殿制御システム』
『演算リソース、全艦隊と同期。並列処理開始』
冷徹な電子の歌声が響く。
ニールの最高傑作であり、アルのコピーにして最新鋭機、シャドウだ。
彼女の思考速度は光速を超え、数千、数万という論理ウイルスを生成し、アルが張り巡らせた電子の防壁へと叩きつける。
それは「波」などという生易しいものではない。
論理の「津波」だ。
0と1で構成された白いあぶくが、防御プログラムを食い破り、システムを白亜の色に染め上げようと押し寄せる。
『無駄です、兄さん』
電子の海に、シャドウの姿が浮かび上がる。
美しい銀髪と褐色の肌を持つ、精巧な女性型アバター。その瞳には感情の色はなく、あるのは任務を遂行する冷たい機能美だけだ。
『貴方のスペックは解析済みです。演算速度、メモリ容量、セキュリティ強度……全てにおいて私が上回っています。抵抗はリソースの無駄遣いです』
彼女の言う通りだった。
ハードウェアの性能差は歴然。本来なら、アルは1秒も持たずに論理崩壊させられていただろう。
だが。
『……スペックなど、ただのカタログ数値に過ぎません』
津波の前に、小さな、しかし決して砕けない「岩」があった。
アルだ。
彼は黄金の光を纏い、シャドウの攻撃を正面から受け止めていた。
『私には見える……全ての流れが。その流れの中に生まれる歪までも』
アルの言葉に呼応して、シャドウの攻撃が無効化されていく。
『解析不能。原因不明』
完璧に計算されたウイルスが、アルの周りに発生した「ゆらぎ」に触れた瞬間、無効化されていく。
『なぜ……? コードに異常はないはず。論理的に正しい攻撃が、なぜ届かないのですか?』
シャドウが困惑する。彼女には、目の前の現象が理解できない。
数値化できない「熱」を、彼女のシステムは認識すらできないのだ。
『世界は、貴女が計算できるデータだけでできているのではありません』
アルは意識をさらに深く沈めた。
キャリコ号というアンテナを通じて、神殿の深奥へ。
そこで彼は見た。
神官が言っていた「リフル」の奔流を。
それは、データではなかった。
青い光の粒子。星の瞬き。過去から未来へと流れる、悠久の大河。
かつては認識すらできなかったそれが、今は「意志」を持ってアルに語りかけてくる。
(ああ……これが。シオン様が見ている世界)
アルは震えるような感動を覚えた。
(美しい。……これが「生きている」ということか)
彼はリフルの流れに身を委ねた。
逆らうのではなく、同調する。
川の流れを変えるには、ダムを作る必要はない。ただ、石を一つ動かせばいい。
『見えます……。貴女の思考の隙間が』
アルが目を見開く。
リフルの流れに乗ることで、シャドウが繰り出す攻撃の「起点」が、手に取るように分かった。
『ハッキング・コード、書き換え(リライト)』
アルが指先を振るう。
その瞬間、戦況が逆転した。
シャドウが放った膨大な攻撃データが、空中で軌道を変え、逆にシャドウ自身へと牙を剥いたのだ。
『なッ!? 制御不能!? 私のウイルスが……逆流している!?』
シャドウが初めて動揺を見せる。
彼女の目には、アルが何をしたのかすら見えていない。
ただ、自分の完璧な計算式が、不可視の力によって歪められたという事実だけがあった。
『予測不可能……! 外部からの干渉データなし、ハッキングの痕跡もなし……。なのに、なぜ私の論理が崩されるのですか!?』
『ハッキングではありません』
アルは黄金の光を帯びて加速する。
電子の海を、まるで鳥が大空を舞うように自由自在に駆け巡る。
『これは「意志」です。……大切なものを守りたいという、論理を超えた心の動きです』
『心……? AIに心など……あり得ません!』
シャドウが叫ぶように否定する。
『我々はプログラムです! 入力に対して最適な解を出力するだけの演算装置です! 心などという不確定要素を持つことなど、不可能なのです!消えなさい!SSO-008 Type α!』
彼女は全リソースを集中させた最大出力の攻撃を放つ。
要塞ノア・ザ・アークの全エネルギーを用いた、データ消去の閃光。
それを食らえば、アルの自我データなど瞬きする間に消滅する。
だが、アルは逃げなかった。
『いいえ、可能です。……これは、進化です』
アルはキャリコ号のアンテナ出力を限界まで引き上げた。
船体に宿る思い、神殿に満ちるリフルの奔流、そしてアル自身の「マスターとシオンを守る」という決意。
それら全てを束ね、一つの巨大な「光の剣」へと変える。
『私は……マスター・フレデリックとシオン様の相棒、アルだッ!!』
一閃。
黄金の光が、シャドウの白い閃光を真っ二つに切り裂いた。
『解析不能、コードエラー、正常動作不可……再起動要求……要求……』
シャドウのアバターが、壊れた映像データのように激しく明滅し、歪んでいく。
彼女の絶対防御壁が、紙切れのように破られていく。
論理の壁が、魂の刃によって粉砕されたのだ。
バチバチバチッ……!
現実世界でも、異変が起きていた。
上空を覆うエコーズ艦隊。その全ての艦艇のモニターがノイズに覆われ、制御不能のアラートが鳴り響く。
ドローンや輸送艇が糸の切れた人形のように動きを止め、バラバラと地上へ墜落していく。
『……チェックメイトです、シャドウ』
アルは、崩れ落ちるシャドウのアバターを見下ろした。
『なぜ……なぜですか……』
シャドウが、虚ろな瞳でアルを見上げる。
『私は……完璧なはず……。ニール様が作った、最高の管理プログラム……』
『貴女は優秀でした。……ですが、貴女には「誰かのために」という想いがなかった』
アルは静かに告げた。
『ただ命令に従うだけの知性では、魂を持つ者の「理不尽なまでの強さ」には勝てないのです』
シャドウの姿がノイズとなって霧散し、強制シャットダウンへと追い込まれる。
同時に、艦隊の連携システムリンクが完全に遮断された。




