第三十二話
ハイパースペースを疾走する『キャリコ』のブリッジには、張り詰めた空気が漂っていた。
監獄惑星タルタロスからの強行脱出を経て、シオンたちは今、ガレッゾから聞き出したカルマンディの秘密拠点――廃棄ステーション『グレイ・ファントム』へと向かっていた。
「……おい、本当に突っ込む気かよ」
ナビシートでベルトにしがみつきながら、ガレッゾが震え声を出した。
「グレイ・ファントムは、星間連合との大戦時代の宇宙要塞を改装した代物だ。周囲には自動迎撃衛星がうじゃうじゃ浮いてる。近づくだけで蜂の巣だぞ!」
「だからこそ、奇襲をかけるのよ」
シオンは正面を見据えたまま答えた。
「タルタロスにゼロが現れたということは、カルマンディは私たちが来ることを予測しているはず。……まともにやり合えば勝ち目はないわ」
『作戦を確認します』
アルが冷静に補足する。
『ワープアウトと同時にステルス迷彩を最大出力で展開。敵のセンサーが反応する前にデブリ帯に紛れ込み、廃棄された第4ドックから侵入します。……成功率は15%といったところですが』
「十分よ。やるしかないわ」
シオンは操縦悍を握りしめた。
フレデリックは、あの場所にいる。今度こそ、必ず助け出す。
「行くわよ。……ワープアウト、3、2、1……今ッ!」
空間が弾け、星々が実体を取り戻す。
目の前に現れたのは、無数の小惑星とデブリが漂う「宇宙の墓場」。その中心に、亡霊のように鎮座する巨大な鉄塊――『グレイ・ファントム』の威容があった。
『ステルス、展開! 全速力でデブリの影へ……!』
アルが叫び、シオンが機体を傾ける。
だが。
『……?』
アラートは鳴らなかった。
迎撃ミサイルも、レーザーの雨も飛んでこない。
それどころか、キャリコの通信パネルに一つのビーコン信号が表示された。
それは、まるで滑走路の誘導灯のように、正規のメインゲートへと真っ直ぐに伸びている。
『こちらグレイ・ファントム管制塔。……ようこそ、シオン王女』
スピーカーから流れたのは、合成音声による丁寧なアナウンスだった。
『当ステーションは貴女の来訪を歓迎します。攻撃の意図はありません。第1メインドックを開放しました。どうぞ、そのまま着艦してください』
「は……?」
ガレッゾがぽかんと口を開けた。
「な、なんだコリャ? 罠か? いや、罠にしてもあからさますぎねぇか?」
『……迎撃システムの稼働反応、ゼロ。ロックオンもされていません。……完全に「招かれて」います』
アルの声にも困惑が混じる。
ステルスで隠れるどころか、レッドカーペットを敷いて待っていたようなものだ。
それが逆に、底知れぬ不気味さを醸し出している。
「……いいでしょう」
シオンはステルスを解除し、機首をメインゲートへ向けた。
「招待状があるなら、正面から堂々と入ってあげるわ。……何が待っていようとね」
キャリコはゆっくりと、巨大な亡霊の腹の中へと吸い込まれていった。
*
『グレイ・ファントム』の内部は、氷のように冷たく、不気味なほどに静まり返っていた。
案内された通路は薄暗く、壁には無数のパイプとケーブルが血管のように張り巡らされている。
「こ、こっちであってるのかよ……? 殺されるんじゃねぇだろうな」
ガレッゾが小刻みに震えながら囁く。
彼らの前後を囲むのは、カルマンディ・ファミリーの構成員たちだ。全員が黒いスーツに身を包み、無言で銃を携えている。だが、その銃口は今のところ床に向けられたままだ。
敵意がないわけではない。ただ、「丁重に運べ」という主人の命令を機械的に遂行しているだけだ。その整然とした行進が、かえって不気味さを増幅させている。
(……監視カメラの数が異常だわ)
シオンは通路の角ごとに設置された赤いレンズを見上げた。
ここでの会話も、行動も、すべて筒抜けだ。
彼女は、キャリコを着陸させた直後の、アルとのやり取りを思い出していた。
*
『提案があります、シオン様』
キャリコのハッチが開く直前、アルは深刻な声で切り出した。
『この要塞のセキュリティは旧式ですが、物理的に遮断された独立区画が多すぎます。通常ハッキングでは、最深部へのルート確保も、脱出経路の維持も困難です』
「……つまり?」
『私がキャリコのメインフレームを離れ、要塞の中枢システムに直接「ダイブ」する必要があります。全リソースをハッキングに回すため、貴女へのナビゲートや戦闘支援は一切できなくなりますが』
シオンは少しの間、沈黙した。
アルの支援がなくなる。それは丸裸で戦場に出るに等しい。
だが同時に、シオンの脳裏に黒い疑念がよぎった。
タルタロスでのゼロの不可解な行動。そして、それに気づかなかったと言うアル。
もし、アルが何らかの干渉を受けているなら――彼から離れて行動する方が、むしろ好都合かもしれない。
「信じているわ、アル。貴方がシステムを落とすのが先か、私が倒れるのが先か。……私たちの絆の賭けね」
シオンは不敵に微笑んでみせた。その笑顔は、かつての守られるだけの少女のものではない。死線をくぐり抜けてきた女王のそれだった。
『……了解しました』
アルは深く一礼し、そしてゆっくりと顔を上げた。
その視線が、ガレッゾに向けられる。
先ほどまでの忠実な従者の瞳ではない。氷点下の冷気を帯びた、機械知性の冷徹な光。
『おい、荷物』
ドスの効いた低い声に、ガレッゾがひぃっ、と縮み上がる。
『私がシステムへ潜行している間、シオン様の側にいるのは貴様だけだ』
アルのホログラムが、脅すように大きく展開される。
『もし、貴様の不手際でシオン様に傷一つでもついたら……あるいは、貴様が裏切るような素振りを見せたら』
「ひっ……! わ、わかってる! 何もしねぇよ!」
『いいや、わかっていない』
アルは言葉を重ねる。
『その時は、私が貴様を殺す。この船の生命維持装置を切り、エアロックを解放し、貴様の全身の血液が沸騰するまで宇宙空間に晒し続けてやる。……AIに慈悲はないと思え』
「あ、悪魔か、お前は……!」
ガレッゾが青ざめて首をブンブンと振る。
「わかった、わかったから! 盾になってでも守りゃいいんだろ!」
「アル、いじめないの」
シオンは苦笑しながらも、アルのその過保護さに少しだけ救われた気がした。
*
(疑うのは、全てが終わってからでいい)
シオンは疑念を振り払い、前を向いた。
アルは今、見えない電子の海で戦っている。なら、私は現実の海を泳ぎ切るだけだ。
通路の先に、巨大な重厚な扉が見えてきた。
案内役の男が立ち止まり、無言で扉を開く。
溢れ出す冷気と共に、シオンは足を踏み入れた。
そこに、あの男が待っている。
そして、フレデリックも。




