第3話 170人 対 5000人②
1567年7月 筑紫地方 勝尾城
赤目の名前は『島』というらしい。「島殿、それは無茶だ」と爺に言われた案に従って、日没とともに俺たちは搦め手から出立した。
俺は残るように言われたが、俺が行く事に意味があるのだ、とか適当に言って無理矢理に参加した。
だいぶ疑いの目で見ていたな。元の体の持ち主はそんな勇ましい事は口にしない子供だったのかもしれない。
細い獣道、すれ違いが出来ないほどの道を月明りだけで歩くのは大変だった。おまけに重い具足を着ている。
会話をしながら歩いて情報を聞き出そうと思っていたが、そんな余裕はなく、転ばない様に付いていくのが精いっぱいだった。
他のメンバーは余裕があるように思える。俺だけ子供だもんな。
汗を滝のように流しながら無心で前の人間に付いて行く。
降伏の使者は明日の朝に出立させることにした。
降伏を遅らせて島の案に乗ったのは、生き残ることが出来た時に島を味方にできると思ったからだ。
生き延びたとしても自分の名前もわからないような状況は危険だ。
狂ったと排除されかねない。
島は戦いたがっていた。それに乗る。そして一緒に戦う。この共通の体験は俺の優位に働くはずだ。
島の案は矢が届く崖上まで侵入して、おそらく敵大将がいるであろう占拠された館に火矢を打ち込むことだった。
距離にして3町。今は風向きも強さも良好らしく、館の東側にある薪詰み場に火が届けば大いに混乱させられるだろう、ということだった。
支城で唯一陥落していない砦(若山砦と言っていた)に寄って人数を増やして総勢二十人。もう道すらないところをかき分けながら進んでいく。
黙って歩いていると頭の中でいろいろ考えてしまう。火事を起こすだけではパンチが弱くないか。
同じ戦場で絆を深める狙いだったが、これではほとんど移動するだけだ。親父は降伏したのに安直で愚かな判断をしているのではないか。
今の体は俺のではないのだから、そもそもこんな心配は不要ではないか。
なぜ俺はここで息を切らせて必死に歩いているんだろうな。
少し落ち着いたせいで色々な考えが頭に浮かぶ。
俺は前世では精一杯生きた。後悔がなかったわけではない。西洋式帆船の復元は完璧に成功させたかったし、他にもやりたいことはあった。
だがそれなりの満足感もあった人生だったのだ。未練なんてない。あのまま死んだ方が良かった。
なんで幽霊になって戦国の子供に取り憑いているんだ。
目の前の道は暗い。先が見えない輪廻のようだった。
輪廻転生はお釈迦様の考えだったな。また現世で苦しめるなんてあんまりではないか。
どうしようもない人生への理不尽さ、運命というものへの怒りを感じる。
ふと自分の怒りは本当に自分のものか疑問に思った。体の元の持ち主の精神が残っていて、父母が自害したことに憤っているのではないか。
そう思うと怒りは頭の中ではなく、若い体の底から湧き上がっているように思えた。あまりにも環境が変わりすぎている。
気持ちが明らかに付いていけていないと思った。
イライラが止まらない。
一度死んだのだ。また死んでもいいがこの気持ちを誰かにぶつけたかった。自分が味わっている理不尽さを誰かに浴びさせてやりたい。
「若様、着きましたぞ」
島の小声を聞いて顔を上げると少し開けた場所に出た。月明りの中、崖下の向こうに知った気がする館が見える。
そして崖は土砂崩れが起きたのか、脆い土が表面に出ているようだった。
「館から城まで道が二本ありましたが、こちら側の道は敵の侵入を防ぐため崖を崩して埋め申した。崩れた崖に近づきたくないのか館裏は敵兵が少ないようですな」
嬉々としている。順調なのだろう。
意図的に崩したという脆くなっている崖の下を見ると、確かに近くに敵兵はいないようだった。
「もう少し下がったところで半刻だけ小休憩しまする」
島がそう言って皆を下がらせ腰を下ろすように声をかけた。倒れた木が椅子にするのにちょうどよく、そこに座る。
俺は肩を落として休みたかったが平気なフリをした。情けない弱いところを見せるのはよろしくない。
竹筒に入ったぬるい水を一口飲む。竹のカスが混じっていた。不味い水だ。イライラした胸のざわつきは消えない。
もう自分の中の覚悟は決まっていた。だが一人ではできない。
「島、おぬしは父上が腹を切ることになって無念であったか」
「は?」
「父の遺体の前で随分と落ち込んでいるように見えた」
涙目で目が赤くなっていたしな。
島は少し考えこんで間を置きながら話し出した。敵陣の近くだから小声だ。だが一言も聞き逃してはならない。今からやる事に島を巻き込みたかった。
「土地を追われ殿と共に周防に逃れた時、毛利が援助してくれているとはいえ、某は筑紫に戻れるか半信半疑でござった。しかし殿は決して諦めませんでしたな。若様は覚えて御座らんかもしれませぬが、必ず帰れると殿から力強く言われたのを覚えております」
こちらに来て初めて聞いた【筑紫】、【毛利】という言葉を頭に刻みつつ相槌をうった。島がまた口を開く。
「周防で兵を整え博多を荒らした後、天拝山城に退却した我らに敵が押し寄せ申した。これを防いだところ、諦めた敵が夜間に退却を開始したのですが、その動きを読んだ殿は今晩のように夜のうちに山道を分け入って先回りしましてな。侍島という場所で奇襲をかけて多くの敵を討ち取ったのです。四倍を超える敵に完勝でござった。あの時は嬉しゅうございましたな。それがこのような事になり」
ふぅ、島がため息のようなしみじみとした深い息を吐いた。
「そうですな。無念でござるな」
すると横にいた兵士が口をはさんできた。
「恐れながら私も同じ気持ちでございます」
知らない一般兵から口をはさまれ、どう答えればいいのか俺が戸惑っていると、島がその様子を見て助け舟を出してくれた。
「ここに来た兵は皆周防から侍島まで共にした猛者でござる」
なるほど、俺以外はみんな同じ気持ちなのか。
少し考えこんでいると島がこちらを見ていた。島だけではない。
月が陰り、闇があたりを包み込んだ。暗闇の中で光る複数の眼。兵士たちの眼だ。
俺たちの無念が子供のお前にわかるのか。お前は俺たちと同じなのか。お前はワレワレなのか。
こちらを見る兵士達の無言の圧力を感じた。
同じにならなくてはならない。無念の気持ちを胸に灯す。
この体にはお前らの大将の血が流れているのだ。
俺は暗闇の中に光る眼を一つ一つ見渡して立ち上がった。
風向きが変わって逆風になった。こちらの声が風に乗って敵に聞こえる心配はない。少し大きな声でも大丈夫だろう。
だが矢は届かなくなった。火矢を仕掛ける襲撃は失敗だ。
「皆、聞いてくれ。父に対する長年の忠義、誠に大義であった。だが父ははからずも身罷られ、我らの夢は再び消えようとしている。それは余所者らが我らの土地に土足で上がり込んできたからだ。筑紫は昔から我らの土地だ。二度も余所者らに取られてなるものか」
おそらく親父は筑紫氏だ。福岡と佐賀の県境の要所を支配する小さな国人衆。
「今、目の前に敵がいる。手が届くすぐ先だ」
崖下へ指を差すと突然に強い雨が降ってきた。
雨音が兜に響く。もう大声を出しても敵に聞こえる事はないはずだ。いや大声で言わなければ。
「父のために死ねるか!」
「喜んで命を投げ捨てまする」
「某もです!」
口々に答える兵に頷いて見せる。
「崖を下って館に強襲をかける! 勇気あるものは立ち上がるのだ!」
『おぉ!』という声が上がり、島の他おそらく全員が立ち上がった。やはりコイツらこの期に及んで敵に一矢報いたいのだ。
「皆の者、若様は我らの武勇が見たいそうだ。殿に続いて若様まで失えば我らの恥ぞ」
体が熱くなる、雨がぬるく感じた。
「狙うは斎藤、敵将のみだ」
俺が言うと島が答えた。
「斎藤が館で寝泊まりしているかは五分五分ですが?」
「かまわん、天に命運を預ける。だが天は我らの味方ぞ。恵みの雨だ。雨音で我らが来たことに気づくまい。声を出すなよ。寝所まで一直線だ」
うなずく影がいる。
「出立前に大事な話がある。斎藤は可能な限り殺すな。捕縛しろ」
「生け捕るのですか?」
「そうだ。殺せば敵は追い払えよう。だがその後にまた敵が来るぞ。今回のように、もっと数を増やして。そうならぬように敵と話し合わねばならん」
斎藤は大名じゃない。ただの重臣だ。
桶狭間の戦いの今川とは違う。
「話し合いですと!」
俺の言葉に兵の一部から驚きの声が上がった。
「そうだ。そうして敵に、わかった筑紫はお前たちのものだ、と認めさせねばならぬのだ」
「ですが殿を殺した敵と交渉などと……」
島だけでなく周りの兵も動揺している。勝負所だ。
「よく聞け。父上が自害したこと、筑紫を奪われそうなこと、どちらも無念だ。だが真に無念なのは筑紫が奪われることだ。筑紫が奪われる事態になった故、父上は自害したのだ。思い違いをしてはならぬ」
ゆっくり、力強く話しかける。
頼む、説得されてくれ。
「父上の無念を晴らそうと思うならば筑紫を奪われてはならんのだ。かたき討ちに心を奪われることは父上の無念を晴らすことにはならんぞ」
「それは…」
兵士の口調が弱々しくなった。畳み掛けねば!
「今の我らは弱い。このままでは人質を取られ、傀儡を立てられ、本当の意味で筑紫は我らの物ではなくなってしまう。理不尽な要求を跳ね返すこともできん。そうしたことにならぬよう、敵の喉元に刃を近づけ、筑紫は我らの物だ、と声高に言わねばならんのだ」
「しかし、それで敵が認めますかな」
島は疑っている。それもそうだ。だが手持ちがない。これ以上は理で説得することはできない。
「周防では筑紫に帰れるか半信半疑だと言っていたな」
「………」
「必ず筑紫を我らのものとしてみせる。俺を父上だと思って着いてきてはくれぬか」
雨脚が更に強くなってきた。
島は黙っている。先ほど横で口を挟んできた兵が身を乗り出してきた。
「若様、俺は」
「まて、某が言う」
雨の中、島は座りなおして胡坐をかくと頭を下げてきた。
「お命お預けいたしまする。ご命令くだされ」
いつの間にか周りの兵も座って頭を下げていた。
心の高揚感が高まる。
皆の頭が上がったのを雨の中感じ取ると俺は宣言した。
「斎藤を生け捕りにしろ!」
「はっ! お任せくだされ」




