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ブラック九州戦国時代〜修羅の国の小大名に染まったら〜  作者: 逆川水府


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第27話 第一次佐賀城包囲網

1569年4月 肥前ひぜん 佐賀城  筑紫(ちくし)俊介広門(ひろかど)


 背振せふり山地の山桜が美しく映える

 戦国時代は実は禿山が多い。この時代の燃料が木であることと、戦乱で植林が十分にされていないことが原因であると思う。


 今見える山桜がある辺りは勢福寺がある所だ。流石に寺の周囲には木々が行き渡っていて禿山になっていなかった。


 祝言から約一カ月後、大友から招集がかけられ、大軍が集められた。


 その数はなんと四万。


 永禄十二年に四万もの兵を集めて戦えるのは、大友の他には毛利か上杉ぐらいだ。信長でさえようやく百万石になったくらいで三万が限界だろう。


 それに大友は領内の反乱が無ければもっと集められた。

 信長もそうだったが領内に裏切り者が出ながらも強かったのは、それだけ兵力を集められる地力があったからだ。

 

 江戸時代の大友は大名ですらない千石ほどの旗本まで落ちぶれるが、よほど悪い選択を進まなければそうはならない。同じ百万石以上の毛利も上杉も後世まで大大名として残っているのだ。


 よほど悪いこと、要は島津にボロ負けする事だが、未来がそうならないように動けばいいと思った。

 誠実に仕えて信頼を得る。そうすれば一定の発言力も確保出来るだろう。幸い筆頭家老の越前入道からの印象は良いと思うし、良スタートを切ったに違いない。


 それに流れとは言え大友重臣の娘と縁組しちゃったしな。飾らずに言えば情がわいている。

 俺ってこんなにチョロメンだったのか。ショックだ。他の女にこんな気持ちになった事はないから琴音だけだと思うんだが……。


 感傷に浸るのは止めて現実に戻るか。

 予定通り大友と龍造寺との戦が始まった。


 大友軍が軍勢を連れて佐賀城に向かうと、龍造寺に従っていた国衆たちは大軍を見て戦うことなく城を空けた。

 ほとんど戦闘をすることもなく龍造寺に残る主な拠点は佐賀城だけになり、龍造寺隆信(たかのぶ)は兵五千を集めて籠城策を取った。


 40000 VS 5000


 さっさと総攻めして短期で落とした方がいいと思うんだが、佐賀城を囲って三週間、だらだらと攻城戦が続いている。


 総大将となっている越前入道の考えはわかる。

 この後に控えているだろう毛利との戦に備えて兵を損ないたくないのだ。

 竜造寺ごとき適当に締め上げればいいくらいにしか思っていない様子だった。


 だけれどもそれは龍造寺の性質を無視して、石高とかいった表面しか見ていない見方だ。


 確かに国衆に見捨てられた龍造寺の石高は、大友の十分の一程度しかないかもしれない。

 しかし龍造寺家は文字通り龍なのだ。

 中途半端に傷つけて手負いにするとかえって危険な手合いだった。


 ここでちょっとだけ石高以外に家の傾向を考える。


 豊後ぶんごに拠点を構える大友は、瀬戸内海を通って行き来が活発だからか九州の中にあって比較的に都会風だ。戦国時代では九州の修羅っぽさが一番薄い。

 そのせいだろうか、九州の武士たちが見せる、捨て身の恐ろしさを軽く見ているように思える。


 手負いの虎ほど恐ろしい、たしか中国の諺だったはずだ。


 龍造寺家に手負いの虎と似たような所があるのは歴史を見ればわかる。龍造寺は何度も滅亡の淵に立たされているが、その度に相手を倒して復活している。


 例えば龍造寺が最も滅亡に近づいた時、お家断絶の憂き目にあったことがあった。 

 生き残ったのは92歳の老人と、寺の坊主になっていた子供、あとは女のみ。

 誰もが龍造寺は終わったと判断したはずだ。


 しかし情けで見逃してもらったこの時の老人、龍造寺家兼(いえかね)、現当主の曽祖父だが、自分の子供と孫が殺されると怒り狂って隣国の蒲池氏から兵を借り、なんと仇を取ってしまった。

 92歳だぞ!?

 そして残った坊主のひ孫を後継者に指名すると、最後のロウソクの灯が消えたようにポックリ逝ってしまった。

 作り話ではない。凄まじいエピソードだ。


 龍造寺と事を構える時は中途半端ではいけない。老人も子供も容赦なく息の根を止めるくらいの気概が必要なのだ。それを示した話だと思う。



「ここにいる間に桜はだいぶ寂しくなってしまったな。目を楽しませてくれていたが残念だ」


 俺の独り言を黙って聞いてくれているのは帆足はそく弾正だんじょう。俺に馬の扱いを教えてくれた師匠だ。

 俺たちは佐賀城の北門近くの境内けいだいの森の中に、騎兵を百五十を置いて二週間も身を隠していた。


 祝言の際に越前入道から希望の布陣を聞かれてリクエストしたのがこの場所だ。

 少数の兵を隠すのに丁度良く、敵城近くで様子を観察しやすい、それでいて何かあれば直ぐに動ける場所だった。


 ここで潜んで二週間、飯炊きの煙で人がいることはバレているだろうが、騎兵は林から出していない。

 馬のストレス軽減のために林の後ろで軽く走らせているが夜中にしているし、多少いななきが聞こえることがあるかもしれないが、多分、おそらく騎兵がいるとはバレていないはずだ。


 希望してここに布陣したのに何もなければ恥ずかしいので、鉄砲隊百人は島に付けて義父の斎藤殿に貸し出している。

 佐賀城攻めの激戦地である西大手門で、戸次べっき道雪と共に戦っているはずだ。


 定期連絡だと西大手門前の橋が敵に壊されてしまったので、水堀を土嚢どのうで埋めて一部を渡れるようにしたそうだ。

 島の鉄砲は敵の城に向けて撃って土嚢を運ぶ兵士の援護に活躍したらしい。


「贅沢な使い方をするよなぁ。他人の鉄砲だからって遠慮がない」

「島殿の鉄砲隊のことですか?」

「そうだ」


 鉄砲隊の運用は義父殿に任せてあるから、指示も義父殿からされているんだろう。俺も他人の金で高価な武器を使ってみたいと思ったよ。


 ただ義父殿の使い方なら死人が出るような事は無いだろうから、おそらく借りた兵に被害が無いよう配慮しながら、それでも最大効果を得られるよう運用した結果なのだと思う。普段の姿からは想像しにくいがしゅうとらしい配慮の仕方だと思った。


 種子島はメンテ無しで十発も撃ったら命中率、飛距離等が落ちてくる。援護に使ったなら何十発も撃ったはずだ。

 島が戻ったら聞いてみるか、何か俺に改良出来ることがあるかもしれない。


「土嚢による道ができたし、今頃は西大手門は激戦になっているやもしれないな」

「であれば何か動きがあるかもしれせんね」


 佐賀城には西大手門の他に北にも門があり橋も残っているが、これは非常に小さい搦め手だ。大友も攻めてはいるが大軍の利が活かしにくいので、北門は本格的な戦いになっていなかった。

 本命は西大手門だ。


 いつものように西大手門から戦の音が聞こえてきた。


「狙い通り龍造寺が動いてくれると良いのだが」


 そう呟いたら本当に動きがあった。


「殿、北門の門が開きました! 敵が打って出るようです」


 来たか!

 西大手門の戦の音に紛れて仕掛けてきたようだ。これを待っていたんだ。

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