2話 依頼主、葛城一美
2話 依頼主、葛城一美
8月11日、09時45分。
葛城邸の応接室にて。
壁に飾られた、美術の教科書に載っていそうな数々の絵画。
天井から吊り下げられたガラス細工の照明。
幾何学模様の描かれた分厚い絨毯。
庶民には縁の無い物で満たされた応接室にて、真と御堂の二人が座り心地の良いソファに座って依頼主を待っていると、ノックの音が聞こえ、ゆっくりと扉が開いた。
「お待たせしました。申し訳ありません。お呼びした私が遅刻するだなんて」
扉の側に立っていたのは、葛城一美。
髪を後ろで縛り、パステルカラーのワンピースを身につけ、大学生と言われても通用するような、あどけなさも持ち合わせた美しい女性だった。
葛城一美が何度も頭を下げながら入室し、二人の前でもう一度深々と頭を下げた。
「謝らなくてはいけないのは私達です。予定より早く着いてしまったものですから」
一美は「失礼します」と言いながら、身体を労わるように、慎重にソファに座った。
「早速ですが、名前と年齢、それから職業をお聞きしてもよろしいですか? 依頼の話をする前に、必ず確認する決まり事なので」
「は、はい。私は葛城一美。23歳です。去年出来たばかりの『サンフラワァ』という名前の、アパレル会社の社長をしています」
「分かりました。それでは、依頼の内容と依頼した理由の確認をします。
”葛城財閥の当主であり、葛城一美さんの御父様でもある葛城歳三さんが亡くなった件について、警察が発表した自殺という見解に納得がいかないから捜査をして欲しい”。
以上で、間違いないですか?」
「はい。御父様が自殺なんてするはずがありませんし、おかしな点が色々あって。まずは」
続きを話そうとした一美に向かって、真はアイコンタクトを送った。
「すみません。私のやり方として、物事は時系列順にお聞きしたいのです。ですので、歳三さんが亡くなった日の出来事を順番にお聞きしたいです」
「わ、分かりました」
一美は軽く咳払いをした。
「私は朝から自室に籠もって打ち合わせや資料の作成をしていました。『朝も昼も食事はいらない。夕食は欲しい』と、伝えてあったので、夕食までずっと一人で自室にいました。
我が家では、18時30分から皆で夕食と決まっていまして、”18時30分に一階の奥にある食堂に全員集まりました”。19時30分には皆食べ終わっていたと思います」
「全員というのは? 具体的に教えてください」
「御父様の歳三、弟の伸二、私。そして、使用人の花巻ウメ子と如月あやの。かかりつけ医の草野先生」
そこで、一美の言葉が詰まった。
「えっと、すみません。草野先生の名前がタツローなのは覚えているのですが、漢字は分かりません。とにかく、その六人です」
「構いませんよ。それで、夕食の間、もしくは前後に、変わった様子の人はいませんでしたか?」
「いなかったと思います」
「なるほど。続けて」
「夕食を終えてからも、私は自室に籠もって仕事をしていました。他の人がどうしていたのかは知りません。
いつも通りであれば、使用人のウメ子とあやのが夕食の片付けをし、御父様や伸二、草野先生は自室もしくは診療室に向かうと思います。診療室というのは、草野先生の休憩室も兼ねていますので。
異変があったのは、夕食後の”20時20分頃です。
銃声が二回聞こえた”のです。最初の銃声の後、少し間を開けてもう一度」
「なるほど。ちなみに、その音が銃声だと、どうして分かったのですか?」
一美は、バツが悪そうな表情を浮かべた。
「御父様は『コレクションだからといって、使わないのは良くない。銃ってのは、たまには使ってやらないとな』と言って、窓を開けて何も無い方に向かって撃つ事が、たまにあるんです。
その音とそっくりだったので、銃声だと思いました」
隣で御堂が「おいおい。そりゃ犯罪だぞ」と頭を掻きながら呟いた。
「なるほど。かなりの問題行動ですが、話の本筋から反れるので今は控えましょう。
それで、銃声が聞こえた後、一美さんはどうされました?」
「”普段は夜中は撃たない”ので、多少気になったのですが、御父様は気まぐれなところがありますので、部屋の確認には行きませんでした。その時も、私は自室で作業を続けていました。
それで、えぇと、21時ぐらいだったと思います。ウメ子が突然私の部屋を訪れて『歳三様が倒れている』と言ったんです。それで、急いで御父様の部屋に行ったら、銃で撃たれて血を流して」
一美は震える手で口元を覆い、目をカッと開いて過呼吸気味になった。
一美の呼吸が落ち着いたのを見計らって、真は口を開いた。
「なるほど。いくつか気になる点があるのですが、質問してもよろしいですか?」
「は、はい。もちろん。私に答えられることであれば」
「夕食の時の歳三さんには、特別変わった様子は見られなかった。
21時頃、花巻ウメ子さんに呼ばれて部屋に行くと、歳三さんが血を流して倒れていた。間違いないですか?」
「はい。間違いありません」
「分かりました。それでは、歳三さんの部屋の様子はどうでしたか? どんな些細な事でも良いので教えてください」
「えっと、”御父様はバスローブ姿で、本棚に寄りかかるように床に座っていました”。バスローブには血が付いていました。後から教えてもらったのですが、左胸と左脇腹を撃たれていたそうです。
それで、”御父様の近くに拳銃と血の付いたナイフが落ちていました”。”他に印象に残るような目立つ物はありませんでした”」
言い終わってから、一美は「すみません」と謝った。
「大事な事を言い忘れてました。御父様の部屋の”両開きの窓が開いていて、庭仕事用の大きなハシゴが外から掛けられていました”」
真の隣で「外からハシゴが掛けられてた!? 犯人が使ったに違いない」と、御堂が叫んだ。
真は御堂を無視して「なるほど。ハシゴが掛けられていたということは、歳三さんの部屋は二階にあるのですか?」と訊ねた。
「はい。”御父様と私と弟の部屋は二階にあります”。食堂や診療室等は一階にあります」
「窓というのは、人が出入り可能な大きさですか?」
「はい。”大人でも十分出入り出来る”と思います」
「なるほど。後で部屋を見せていただくことは可能ですか?」
「はい。大丈夫です」
「次の質問です。警察の発表では、ナイフについて一切触れていなかったのですが、当時の事情聴取ではどのような話をされたのですか?」
「”御父様の身体にナイフによる傷が無かった”事と、”警察が調べる前に、あやのが誤ってナイフを綺麗に洗ってしまって、付着した血液の分析が出来なかった”という話をしました。
ですが、警察の方たちが帰る頃には、ナイフは事件と関係がないみたいな話をしていました」
「なるほど。如月あやのさんが、何故ナイフを洗ってしまったのか知っていますか?」
「わ、分かりません。私が、草野先生を呼びに行っている間に洗ってしまったみたいなんです。
もしかしたら、弟の伸二が洗うように言ったのかもしれません。血の付いていたナイフは、葛城家の家紋が彫られた特別なナイフなので、汚れていたのが気に食わなかったのかもしれません」
「そのナイフ。普段は、歳三さんの部屋に保管されているのですか?」
「はい。御父様は剣や銃を部屋に飾っていまして、その中の一つです」
「なるほど」
真が腕を組んで考え込んでいる間に「被害者の身体に傷が無いのなら、ナイフに付いていた血は犯人のモノじゃないのか!? 血の分析が出来れば犯人を追い詰められたのに!」と、御堂が自らの推理を口にした。
「そ、そう思いますよね? 私もそう思います。先に言っておきますが、”私も弟も、使用人の二人も、草野先生にも、ナイフによる傷はありません”。
だから、私達の中に犯人はいないんです。
”ナイフによる傷を負った犯人は、誰にも見つからずに何処かに逃げてしまった”のです」
「どういう事なんだ!?」と声を上げる御堂の横で、真は目を瞑り、ゆっくりと深呼吸をした。
犯人は外部の人間だろうか?
それとも?