第159話:スライム職人の朝は王都でも早い——
スライム職人の朝は早い——
午前四時前。ウニリィは日が昇る前のいつも通りの時間に目が覚める。
ここは王都の大邸宅、ミドー公爵家の客間の寝室である。最上級の羽毛布団はふわふわで、枕だってウニリィの頭を優しく支えてくれている。自宅の寝具とは大違いだが、それでもこの時間に目が覚めないということはないし、逆に眠れないというほど繊細でもない。
ウニリィは、緩慢な動きでベッドからおりて、寝巻きから作業着に……。
「……作業着も持ってくれば良かったかも」
秋深く朝は辛い。ふかふかの布団が恋しい。だが彼女は壁際へとよどみない動きで壁際に向かうと、壁に飾られた宝石に手をかざした。すると部屋の闇を切り裂くようにランプの明るい灯がつく。魔道具である。
「これはすごいよねー」
ここは公爵家であり、宮廷魔術師の実家である。最高品質の魔道具が無数に配されているのだった。
ウニリィは動きやすい服装に着替えはじめる。
磨かれた大きな鏡に、白いたおやかな女性の裸身が映る。
だがその柔肌には脇腹のあたりに大きな傷痕があった。古く、薄れてはいるが、広範囲に肌の色が変わっている。かつてスライムの酸を浴びてしまい、ただれてしまったものだ。
ノックが数度。入ってきたのはウニリィにつけられたメイドの一人である。
「失礼します……もう起きていらっしゃるのですね」
「あ、おはようございます」
貴族の朝は遅い。なんなら午前四時は夜会帰りの時間であり、起きるような時間ではない。こんな時間には使用人だってそうそう起きてこないのだ。
「お手伝いいたしますね」
「いいですのにー」
着替えを手伝うのもメイドの大事な仕事である。メイドはウニリィの着替えを手伝い、髪に櫛も入れた。
作業着はないが、革手袋だけは庭師から借りていて、それを装着する。
「じゃあ行ってきます」
「いってらっしゃいませ」
ウニリィはメイドのお辞儀に送られて部屋を出る。手にしているのはやはり魔道具のカンテラ、家にあるのとは明るさが違うし、持ち手の豪華さも違う。なぜカンテラの把手に彫刻がしてあるのか……ウニリィはそう思いながら廊下を進む。
長く美しい廊下も、今はまだ闇に沈んでいる。オバケとか出てきそう……ウニリィはぶるっと身を震わせた。
時折、夜番の使用人らにすれ違い、挨拶を交わす。初日はぎょっとした視線を受けたり、慌てられたりもしたが、ここ数日で慣れたものである。
ウニリィは通用口から庭に出た。本当はこれだって客に使わせるものではないが、この時間に正面玄関は閉じているので、無理を言って使わせて貰っているのだ。
美しい庭園もまだ闇の中だ。人型や動物型に刈り込まれた木々、トピアリーというのだとウニリィは先日知ったが、昼に見るとかわいいのだが、闇の中、手にしたランプの明かりに照らされると影が怪物じみて恐ろしい。
ウニリィはおっかなびっくり庭を横切っていく。
そして瀟洒な噴水の脇に、こんもりと緑色の小山が鎮座しているところにたどり着いた。 連れてきたウィンドエレメントスライム将軍であるが、寝ている間は分裂しておくように命じてある。なので、小山は無数のスライムたちが重なり合ってできたものだ。
ウニリィはそれを見て言う。
「異常なし」
白い息と共に、可愛らしい女性の声が響く。ウニリィのいつも通りの言葉ではあるが、一般的に庭にこれだけの数のスライムが発生していたら事案でしかない。
大きさは30cm前後。縦にはつぶれていて、まるでパン種の小麦粉を練った塊か、あるいは東方のカガミモツィなる食物が積み上げられているかのようである。
スライムであった。
ウニリィはカンテラを噴水の脇に置くと、小さな声で言う。
「みんなー。朝よー」
王都の夜も明けぬ時間である。大声で叫ぶわけにもいかなければ、ここには銅鑼もない。スライムを起こすことはできないのか。
「ふんぬっ」
だが、ウニリィは両手に魔力を込めて打ち合わせた。音はろくにしない。
魔力の波動が放出されて空気がぐわんと揺れる。スライムたちの表面が振動にぶるぶると波打って、うにょんと緩慢に動き出した。
謎の技だ。スライムを起こそうとしたら、なんかできるようになったのである。
「はいおはよー」
ウニリィはかがみ込むと、スライムを脇から持ち上げるように両手で掬い上げて、空中でくるりと回転させて壁に投げつけた。
ぱぁん、と音が響く。
スライムがもぞり、と動いてその場をどく。
ウニリィは次のスライムを拾い上げる。
「おはよう」
ぱぁん!
「おはよう」
ぱぁん!
気を使っておはようの声がけは小声である。だがウニリィのスライム投げが快音を響かせることは隠しようもなかった。
公爵家の近隣では、未明に何やら折檻のような音が響くという噂が立ち始めている。
このあたりは高級住宅地で、この音を聞いた人間が少ないのは幸いであったといえよう。
「……おはよう」
ウニリィが作業を続けていると、男から声がかけられた。
「あ、ヴェラーレさん、おはようございます!」
公爵家の三男であり、ウニリィの婚約者に立候補したマグニヴェラーレである。
彼はまだ眠そうに半眼で、長い銀の髪がまだ乱れている。
ぱぁん!
「朝から精がでるね」
「もう習慣ですからね」
ぱぁん!
「手伝おう」
マグニヴェラーレもスライムを掴むと、壁に向かって投げつけた。
ぱぁん!
ぱん!
2つの音が重なって響く。
二人でやれば作業も早い。そもそもここにはスライムの1/4しか連れてきていないのだ。
起きたスライムたちは重なって一匹の大きなスライムに変わる。
ふにょん。
「はい、おはよう。食事は後でお父さん持ってきてくれるから」
ふよふよ。
ウニリィとマグニヴェラーレはスライムとわかれて屋敷に戻る。
「ウニリィ嬢もクレーザー殿もたいしたものだ」
「いえ、なんか人のお屋敷で好き勝手しちゃって申し訳ありません」
まあ、普通の男爵令嬢は公爵家の庭にスライムを放し飼いにしないし、普通の男爵は早朝の公爵家の調理場でスライムの餌を作らないのだ。
「じゃあまた後で」
「はいっ!」
マグニヴェラーレはウニリィの肩を抱いてこめかみのあたりにそっと唇を落とす。
「ぴえっ……!」
ウニリィは小さく悲鳴をあげて逃げていった。







