第5話 1日の終わりと
「あぁ~。気持ちい~」
まるで中年男性のような口調でメアは現在の心境を吐露する。現在、メアは入浴、それも一番風呂を楽しんでいた。夕食後入浴についての話になり、リューク達から一番最初にメアが入浴するべきだと提案されたのだ。当然ながらメアは最後でいいと言ったのだが、リューク達は半ば無理矢理メアを一番最初に入浴させた。
「しかし、湯船はまだいいとしてシャワーまであるとは思わなかった。この世界は既に水道が整備されているのか? ただ常識だったら聞くのはまずいよなぁ。まあ既に怪しまれてそうだが」
メアがこの浴場に入ってまず目についたのがシャワーらしきものだった。栓らしきものをひねるとちゃんとお湯が出る仕組みになっていたのだ。これにメアは大層驚いた。この世界にもシャワーがあるのかと。
「こういったものも、勇者がやったのかねえ……」
夕食の際、メアはそれとなくプレイヤー達についての情報を聞いた。メアがリューク達から得た情報は、神話の時代に凄まじい力を持った者が突如現れたというもの。人々に降りかかる災厄を振り払い、人類の守護者として君臨したという勇者の話だ。それを聞いてメアは確信を持つ。自分より以前に、この世界に来たプレイヤーがいることに。
「そのプレイヤーが日本語を広めたと考えるべきだな。そして、勇者の末裔の一人がリュークか」
勇者についての話を聞いていくうち、リュークはその勇者の末裔の一人だということも、本人から聞かされた。勇者は多くの妻を持ち、子孫を多く残したという。そしてその勇者の血筋の末端に、リュークという名が刻まれているのだ。
「リュークもハーレムだし、血筋は争えないということかね」
メアは憎々しげに毒づく。女になったことにより、男の夢でもあるハーレムを作れなくなってしまったという、嫉妬の念がその口調からありありと見て取れた。
湯船から上がり、メアは大きな姿見の前に立つ。姿見の曇りを手で払拭すると、そこには全裸の美しい少女が立っていた。まだ幼さを残しつつも、大人の女性としての色香を放ち始めた顔。そしてその顔に不相応な豊満な肢体が絶妙な妖艶さを醸し出している。
「はぁ…… 俺の理想を詰め込んだんだから俺にとっての絶世の美少女であることには間違いないんだが、やっぱ女になるとなぁ。”卒業”も出来てないし」
メアは女性になったことを再確認する。男としてあるべきものがなくなった、滑らかな曲線を描く下腹部を眺めながら。
「うじうじしていても仕方ない。風呂からあがるか」
十分に入浴できたメアは、ため息とともにそのまま風呂場を出て、脱衣場で客室から持ってきた少々大きめな寝間着を着込む。そして自分が風呂を出たことを報告するために食堂へと向かった。
「お風呂先にいただきました」
メアが食堂に入ると、リューク達4人は席に着いて歓談していた。
「あっ、メアさん。お風呂どうでしたか?」
「とても気持ちよかったです。ありがとうございました。しかし良かったんですか? 私が一番で」
「問題ないよ。僕らはその……何かと時間がかかるからね」
「ちょっとリューク…… メアがいるんだから今日は別々でしょうが……」
リュークは何か言いづらそうに顔を少し伏せ、イザベラやリリーといったリュークの妻たちはみな顔を赤らめる。その反応を見て元男であるメアは一瞬で察した。
「あっ…… その…… 私は部屋に籠ってますのであとはごゆっくり…… では、おやすみなさい」
左の頬と瞼をピクピクさせながらメアは何とか言葉を絞り出す。内心ではリュークへの嫉妬と羨望を渦巻かせて。
捨て台詞さながらにそのままメアは軽く頭を下げると、食堂を出て自分に宛がわれた客室へと赴く。リリーに案内された時よりも幾分早く客室に着くと、そのまま中へ入りベッドに倒れ込んだ。
「後は寝るだけか。今日ほど濃厚な日は間違いなくないな」
人間と人間以外の種族、そしてそれらが住まう都市、そして目の前で当たり前のように行われた殺人。どれもがメアの脳裏に焼き付いていた。
「そして何より、俺がメアになるなんてな」
天井につりさげられた、何らかの方法によって発光している明かりに手を翳す。前世よりも1回り小さい、白く美しい手。一見すればか弱い少女だが、実際は前世の自分を遥かに凌駕する身体能力の持ち主。それがメアという存在。
「明日も忙しくなりそうだ。とっとと寝るか」
果たして睡眠をとる必要のない体で眠ることが出来るのかという疑問を抱きながら、目を瞑る。そしてそんな疑問に答えるかのように、メアはすぐに眠りに落ちていった。
♦
「行ったわね」
時は僅かに遡り、メアが自分に宛がわれた客室に向かった直後。イリアはメアが客室に行ったことを確認するかのように呟いた。
「彼女、リューク様の事が好きということではなさそうですね」
「そうですね。好きというよりは感謝しているという感じでしょうか?」
「好きでないとなると…… 怪しいわね」
メアがいないところで、誤解が解消された瞬間であった。当然、誤解が解かれてしまえばメアはなぜここにいるのかという話になる。リューク本人から経緯は聞いてはいるものの、リュークの立場などから鑑みてどこかの間者ではないかという疑念があるのだ。
「君達は少し警戒しすぎじゃないかい? メアは悪い人間には見えないよ」
「リュークは甘いのよ! 確かにあなたはとても強いけど、あなたの立場を鑑みれば、いつ狙われてもおかしくないんだから!」
普段通りの表情で言葉を発するリュークとは対照的に、リュークの向かい側に座っているイリアは顔を歪ませ、そして少しの怒気を孕ませてリュークを咎める。しかしその怒気を孕んだ言葉には、彼を心配する気持ちで満ちていた。
「私も彼女が危険な人物には見えませんが……」
リュークと同じ意見を述べるのは、リュークの隣に座っているイザベラ。3人がそれぞれはっきりとした意見を持っている中、リュークの対角線上に座っているリリーだけは違った。
「私も違うとは思いますが……ただ……」
「ただ?」
1人煮え切らない様子のリリーに、イリアは理由を尋ねる。
「リュークさんに何かあったりしたら大変ですから、こっそりメアさんの実力を探ってみたんです」
彼女の種族は獣人。獣人は身体能力が優れており、さらに生存本能が人間よりも高く彼我の実力差を計る事にも優れているのだ。
「そしたら…… 分からなかったんです」
「え?」
リリーは少し声を震わせて結論を述べる。それに驚いたのはリュークとイリアの2人。リュークとリリー、イリアは元々冒険者であり、初めて知り合った場所も冒険者ギルドだった。冒険者ギルドで知り合った3人はパーティを組むようになり、今に至るのだ。リリーの能力に幾度となく助けられた2人が驚きを露わにするのは仕方のないことだった。それだけ2人はリリーの能力を信頼しているのだから。
「リュークの実力も把握できるリリーが……?」
実力を計れないということはそれだけ実力がかけ離れているということでもある。その事実を突きつけられ、イリアは信じられないという顔でリリーを見つめる。それも当然だ。彼女達にとって”最強”とはリュークの事なのだから。もちろん、リュークよりも強い存在がいるというのは彼女達も分かっている。それでも、自分達の夫が一番であってほしいというのは至極普通の反応だろう。
「はい。リュークさんを見れば勝てない存在であることがはっきりと分かります。ですが、彼女は違った。何も感じない。何も感じられない。まるで深淵をのぞき込んでいるような気分でした。見れば見るほど、メアさんの存在自体が遠くなるような」
「なるほどね。彼女は僕よりも強いのか」
「待って! 何か魔法による幻惑かもしれないわ!」
未知に対する恐怖をところどころに滲ませながら事実を述べるリリー。その事実を受けてもやはり淡々としているリューク。そして何らかの魔法による幻惑だと主張するイリア。そんな中、今まで口を閉ざしてただ成り行きを見守っていたイザベラがここで口を開く。
「でしたら、確かめてみればいいのではないでしょうか?」
「確かめる?」
イザベラは怪訝そうな表情で見つめるイリアを見つめ返し、小さく頷く。
「メアさんは冒険者登録なされたのでしたよね? でしたら実力を見るという名目で模擬戦でもしてみればいいのでは?」
「ああ、メアの実力を見るというのは僕も考えていたんだ。明日一緒に依頼を受けようと思ってたから」
「彼女がどこかの間者だったりしたら、この夜に襲撃してくる可能性もあるのよ」
「リュークさんを始末したいなら、盗賊まがいの3人と対峙している時や依頼で遠出している時が最高の暗殺タイミングだと思うのですが? それに私達を狙っても”旨み”なんてないでしょうし」
「私達を人質にとって言う事をきかせるっていうパターンも……」
「戦力的な意味で考えれば、彼女がいればリュークさんはいらないのでは? 政治的な意味でも、リュークさんを狙うくらいならもっと中核に近い方を狙うと思います」
「そ、そうかしら……?」
イザベラの言葉を完全に消化できずに、相変わらず首をかしげて悩むイリア。そこにリリーが口をはさんだ。
「とりあえず、現状出来ることと言えば様子見ぐらいだと思います。下手に手を出して余計な諍いを起こすのはつまらないですから」
その言葉に他3人が頷く。1人だけいまいち納得しきれていない様子ではあったが。