その4
「玲香さん。日向ぼっこ?」
玲香が午前中の定期健診から戻って、西園寺家の中庭のベンチでのんびりしていると、後ろから涼一が声を掛けてきた。涼一は今日は大学の講義がなく、家にいたのだ。
「ええ。最近曇り続きでしたから、久しぶりにこの子たちにお日様を感じさせてあげようと思って」
「お袋も賢児が産まれる前、よくそこに座って、そうしてたなあ。
赤ちゃんが日焼けして産まれてきちゃうんじゃないかって僕が心配してたら、お腹に日焼け止めが塗ってあるから大丈夫よって」
「うふふ。お義母さまってば、楽しい方ですね」
「お袋も天国で楽しみにしてますよ。“双子ちゃん”が産まれてくるのを」穏やかに微笑む涼一。
「責任重大ですね」玲香も微笑む。
「いや、何だかんだ言って、女性はどっしり構えてますからね。むしろ、賢児のほうがテンぱっちゃってる」
「…そう…かもしれません」
「玲香さんは、戦闘モードの賢児を見たことがないですよね」
「あ、はい」少し緊張したように頷く玲香。
「玲香さんと会ってから、ドーベルマンは豆しばに戻っちゃったからなあ」にっこり笑う涼一。「でもね、イマジカの社長になってから半年ぐらいは、哲ちゃんと二人で、そりゃあもうピリピリしてて大変だったんですよ」
「前に龍くんから聞いたことがあります。龍くんや紗由ちゃんの前だと、ニコニコしてるけど、大人同士や一人の時は疲れた顔してたって」
「あいつは本当によく見てるなあ」苦笑する涼一。
「この子たちを守ろうとする気持ちの現れなんでしょうけれど、先行で攻めに行くという姿勢は、何だか賢児さまらしくないような気がして。無理しないでほしいなと思うんです」
「龍や紗由、周囲の子どもたちも、どうやら能力値が高まってるようだし、賢児としても、何かが起こるんじゃないかと警戒してるんでしょう。
今回、親父のことで世間の注目を集めることになると、別の次元でのややこしさも出てくるかもしれないし」
「確かに私もそう思います。…でも、この子たちは落ち着いています」玲香がお腹をなでる。「それに、紗由ちゃんがこの子たちを守ってくれると言いました」
「紗由がそんなことを?…じゃあ、大丈夫だ」涼一が声を出して笑う。「それに我々には、優秀な“弐の命”がついている」
「おっしゃる通りです」
「ただ、僕も賢児に関しては、ちょっと気になることがあるんです」
「何でしょう?」
「その子たちに触れると、強い“意思”のようなものが湧き上がってくるって言ってたんですよ。僕にも経験があるんです」
不思議そうに首を傾げる玲香に、涼一は説明した。
「紗由が最初に不思議なことを言い出したときですよ。妙にイライラして、周子や龍や…賢児にも心配をかけました。
今以上に状況が把握できなくて不安だったというだけじゃなくて、何か時々爆発しそうになるんですよ。湧き上がってくる何かというか。イライラだけでは片付けられない、何か確信に似たものなんです、それは」
「それは、その感情と衝動は、いつどういう形で収まったんですか?」
「伯母たちに再会したときです。親父のパーティー会場へ向かう車の中」
「あの時ですね。涼一さんがスッキリされたお顔だったので、納得の行く説明を伯母様がなさったんだと思っていました」
「伯母は、大まかなことしか話しませんでした。でもしばらくして、霧が晴れたようになったんです」
「伯母様の説明でないのなら、何が原因だと?」
「うまく言えないんですけどね…ただ、紗由と龍の力を理解できたように思えたんですよ」
「力を理解…」
「染み込むという表現が一番正確かもしれない。
もちろん、龍や紗由のような能力はないけれども、彼らのやっていることの道筋を体が覚えたというか、それまで不思議に思えた紗由の言動を、不思議とは思わなくなった。
それが紗由なんだと、そう思うようになったんです。きっと賢児も、その途中にいるんじゃないかと」
「そうですね。涼一さんがそういう理解を示してくださったら、賢児さんもだいぶ安心なさるんじゃないでしょうか」
「うーん。あいつとそういう話をするつもりはありません。僕がそんなに、あいつに優しいと思いますか?」
「では、どうして私にそんなことをお話されたんですか?」
「生意気な弟より、可愛くて聡明な義妹や双子ちゃんのほうが、話をわかってくれそうだったからですよ」不遜な笑みを浮かべる涼一。
「わかりました。ありがとうございます。茶飲み友達が必要なときには、いつでもお申し付けください、お義兄さま」
玲香が微笑むと、涼一は母屋のほうへ戻って行った。
涼一の後姿を見つめながら、玲香は思った。やはり涼一さんは、賢児さまのことをよくわかっている。今の賢児さまに、体験談とは言え、説教じみたことを涼一さんの口から話したところで、それこそ、どこまで“染み込む”かは心もとない。
たぶん涼一さんは、この子たちに、ご自分の体験の意味を確認して、それを賢児さまに伝えろと言っているのだ。
直接涼一さんの体験を伝えたところで、ある日、紗由ちゃんの力を自然に受け止められるようになりました、では現在の状況で役に立つとは思えない。
「仲良しさんでいいわねえ。パパと伯父様は」
玲香がお腹をなでながら立ち上がり、離れに戻ろうと庭を歩いていると、ふいに玲香の耳に声が届いた。
“じいじのいしがくるね”
“むらさきだね”
“パパのもだね”
“こどもだね”
「え?」
思わずお腹をおさえる玲香。念のため、周囲に人がいないかどうかを確認しながら離れに戻った玲香は、リビングのソファーに座ると、何かに吸い込まれるように眠りに落ちた。
* * *
「先生、夕べはありがとうございました。これからお忙しくなる時に、貴重なお時間をいただきまして恐縮です」
賢児の会社に訪ねてきた保に、大垣は深々と頭を下げた。
「息子同様の人間の結婚話のほうが優先度は上だよ。総裁選に関しては、どちらかと言えば周囲が動き回る話だ。私はいつも通り、行く先々で国民の意見を聞き、政治の道筋を考えるだけだからね」
「ありがとうございます」大垣がくすりと笑う。「ところで先生、今日はどのようなご用件で。賢児さまは今来客中で 応接室のほうに。あと10分程度で終わるかと思いますが…」
「いや。哲也くんに頼みがあって来たんだ。週末、姉さんの東京のマンションに荷物を届けてほしい」
「荷物…ですか」
「今日明日中には、小宮山総理からプレジデント・ストーンを、御殿場の別荘で受け取る手はずになっている。それが、総裁選立候補を受けた条件だからね」
「それを華織さまのところへ?」
「ああ。それから、これは一度には集まるかどうかわからないのだが、アメジストがいくつか必要らしい。こちらも、その都度お願いすることになるかと思う。面倒をかけて済まないが…」
「いいえ。とんでもありません。何なりとお申し付け下さい」
「それから、梨緒菜さんにもお願いしたいことがあるんだ」
「何でしょう?」
「小宮山総理の女性問題、うまく収めたいんだよ。総理は雑誌社を訴えるつもりでいるようなんだが、どうやら今回のリークには顧問弁護士も絡んでいたようで、この件は彼女の事務所に依頼するつもりのようなんだが、彼女は早々に日本支社勤務になるということだから、私のほうから別途詳しい調査をお願いをしたいんだ」
「リークだったんですか…?」
「だが、小宮山さんを辞めさせるのが最終目的とは思えないんだ。本来力を握っていたのは政調会長一派だし、次候補に挙がった私自身も小宮山派なわけだからね。
単なる女性問題の不始末で片付けられない気がするんだよ」
「華織さまには、そのことは…」
「“好きにすれば?”だそうだ」
「“きっちり調べろ”ということですね。承知いたしました。彼女に申し伝えます。私のほうからも別ルートで総理ご自身の側に調査の手配を」大垣が頭を下げる。
「じゃあ、少し待たせてもらおうかな。賢児の顔を見て…悠斗くんの顔も見ていくか。それから戻ることにするよ」
「悠ちゃんは益々元気ですよ。言葉もだいぶ増えて。賢児さまは…この頃、少し神経質になられているようです」
「ああ。紗由の時の涼一と同じだな」
「それはそうなんですが…少々、違うようにも見受けられます」
「どういうことかな?」
「あの頃の涼一さまと同様の原因なんでしょうが、最近の賢児さまには、まるで、別の人格がそこに現れるかのように感じる瞬間があります。涼一さまの場合、そこまでは…」
「そうか…。いつもすまないな、心配と面倒をかけるばかりで」
「いえ。そのようなつもりで言ったのでは」頭を下げる大垣。
「わかっているよ、哲也くん。これからも、出来る限り、あいつをフォローしてやってくれ。君が頼りだ」
「承知いたしました。何か気になることがありましたら、つぶさにご報告させていただきます」
「そうだな。進くんのほうにも、よろしく伝えてくれ」
「もちろんです」
大垣が低い声で言うと、賢児が社長室のドアを開けて入ってきた。
「…あれ? 親父どうしたの? こんなとこ、来てる場合じゃないだろ」
「ついでに決まってるだろ。次の打ち合わせ相手が、事故渋滞で遅れてるんだ。少し時間があるから、喫茶店代わりに寄っただけだ」
「ごめん。今日は玲香が検診日でこっちには来ないから、美味しいお茶は期待しないでくれよ」
「ああ、そうか。中国の有名霊能力者とやらが姉さんに贈った特別なお茶が、こっちに来てると聞いたんだがな。お前に淹れさせても、茶葉に申し訳ないな」
「はいはい。そうですね。お茶の味なんてわからないくせに、よく言うよ」口を尖らせる賢児。
「お前は、小さい頃からお茶が好きだったよなあ。麻美と一緒に、よくお茶を淹れてた」
「うん。お袋の、お茶を淹れているときの幸せそうな顔が好きだったなあ」微笑む賢児。
「麻美は、お前の幸せそうな顔が好きだったんだよ」
保はそう言うと、目の前のコーヒーを飲んだ。
「…こういう、普通のコーヒーも悪くない。要は、誰と飲むかなのかもしれないな。私は、お前が幸せでいてくれて、そういうお前と飲めるものなら、何でも美味しいよ」
「俺は幸せだよ。親父や皆のおかげで」
「じゃあ、ずっと、そのままでいてくれ。余計なことは考えずにな。お前が幸せでいることが、皆の幸せなんだ」
「うん。わかった」
「…ああ、もうこんな時間か。それじゃあ、私は失礼するよ。邪魔して悪かったな」
「いや。親父のほうこそ、当分大変そうだけど、無理するなよ。体、気をつけてな」
「ああ。到達する前に倒れたら、意味がないからな。四辻の轍は踏まない。ここまで来た以上は、あいつの分まで頑張って見せるさ」
「…そうだな。小父さんも、きっと見守っていてくれるよ」
「肩に乗ってそうで怖いな」笑い出す保。「だが、それなら心強い」
保は、賢児をじっと見つめて微笑むと、社長室を出て行った。
* * *
眠りに落ちた玲香は、広い庭から下を眺めていた。そこには、小学生と思われる姉弟がいる。
「大丈夫よ。私が守るって約束したから、神様は私に力をお与えになったんだわ。心配することじゃないわ」
「でも、おねえちゃん。ぼくなんだよ、来いって言われたのは、ぼくなんだ」
「代わりに私が行くことにしたの。何も心配はいらないわ」
「だって…だって…あんなにこわいんだよ。おねえちゃんだって、こわいでしょ? だめだよ、いやだよ、行っちゃいやだよ」男の子が泣き出した。
「泣いたらだめよ。男の子でしょう? おねえちゃんは大丈夫。だから心配しないで。その代わり、いい子にしているのよ。お父様やお母様に心配かけないようにね」
女の子は男の子を抱きしめ、そっとおでこに口付けると、明るく手を振りながら、黒塗りの車に乗っていった。
* * *
「じゃあ、ちょっと専務のところに行ってきまあす」
ADの高橋が浮き浮きとした様子で、打ち合わせの書類を抱え込む様子を見ながら、水木は声を掛けた。
「部長。専務のこと、押し倒しちゃダメですよ」
周囲の人間が一斉に頷いた。
「ん、もう! 会社でしないわよ!」高橋は、ぷんぷんしながら制作部を後にした。
専務室に行く前に、高橋は営業部の塩谷のところへ立ち寄った。
「しーおちゃん。とりあえず、結納無事に済んでおめでとう。お土産、もらいに来たわよお」
「ああ、進子ちゃ…高橋部長。わざわざ、ありがとうございます。これです、これ」
塩谷は引き出しから、菓子包みと封筒を出すと高橋に渡した。
「この封筒はなあに?」
「翔太からです。渡してくれって。“ミコト姫”の物語の登場人物だっていうことで」
昨日まで、加奈子とその母、そして自分の父親と、清流旅館に1泊2日で過ごして結納を済ませていた塩谷は、帰り際に翔太から頼まれたのだった。
「そう。ありがとう。これから専務のところにうかがうから、後でゆっくり拝見するわ」
「高橋部長。専務のこと、押し倒しちゃダメですよ」
「ん、もう! 何でみんなして同じこと言うのよ」
苦々しそうに塩谷を睨みつけながら、高橋は営業部から出て行った。
専務室や社長室のあるフロアへの直通エレベーターの中で、高橋は封筒を開き、それをじっと見つめた。
「なるほどねえ…。さすがは翔ちゃん」
高橋はフッと笑うと、うれしそうにその絵を封筒に戻し、少し大またで専務室の前にたどり着くと、そのドアをノックした。
* * *
続いて玲香が見たのは“けんたん”の夢だった。まだ小さい賢児が、悲しそうな顔で庭の一角をスコップで掘っている。
「賢ちゃん、どうしたんだい?」
「おじたん…。あのね、おはながしんじゃったから、おはかつくってるの」
「お花のお墓か…」男は賢児の足元にあった枯れた花に目をやった。
「おはかがあれば、てんごくにいけるよね?」男を見上げる賢児。
「ああ、行けるよ。賢ちゃんは優しいなあ。…じゃあ、お花が喜ぶように、小父さんの宝物を一緒に埋めよう」
男は賢児を手伝って穴を掘ると、枯れた花々をその中に入れ、胸ポケットから取り出した紫の石を、ハンカチに包み、花の上へのせた。
「ありがとう。おじたん」にっこりと笑う賢児。
「さあ、土をかぶせたら、お墓の場所が君らにわかるように石をまあるく置いておこう」
「うん!」
賢児は言われたとおりに一生懸命作業を終えると、男に手を引かれて屋敷へと戻って行った。
* * *
「まあ! 社長もいらしたなんて」小走りにソファーに近づくと、大垣の目の前に座っていた賢児の横にちゃっかりと座る高橋。
「こんにちは」賢児が微笑む。「僕はそろそろ失礼するので、打ち合わせよろしくお願いします」
賢児が立ち上がると、高橋は賢児の右手をぎゅっと握り、熱いまなざしで賢児を見つめた。
「社長。ちょっとお待ち下さい。これ、翔ちゃんが描いたんです。ご覧になって」
「翔太?」
不思議そうな顔で賢児が着席すると、高橋は抱えていた封筒から絵を取り出して賢児に見せた。
「昨日と一昨日、塩谷くんたちが結納で清流を使わせて頂いてたんです。それで、翔ちゃんがこれを私にって、塩谷くんに預けたんですの。“ミコト姫”の登場人物なんですって。よくできてると思いません?」
高橋が差し出した絵は3枚あった。1枚目には、白くふんわりとした服を着た、目のくりくりした優しそうな女性が描かれており、“ひめのメイドさん”と書かれている。
「どうやら、この“ひめのメイドさん”が、変身して姫を守る戦士になるらしいんですの。ちょっと奥様に似てません?」
高橋が脇から上の絵を抜き去り、2枚目を賢児に示す。
「へえ…ワインレッドに金をあしらった衣装がかっこいいなあ。これはつまり、ナニーがソルジャーになるってこと?」
「そういうことです。面白そうですよね。それから、これも」
高橋が見せた3枚目には、女王様らしき人物に、姫が紫の石を5つ差し出しているところが描かれていた。女性の後ろには“光の女王”と書いてあり、その横には紫の大きな石があった。
「“光の女王”…」
明らかにモデルは華織だろうと思われるその女王のドレスの下には、赤で“つづく”と書かれている。
「この“つづく”が気になりますねえ」大垣も覗き込みながら言う。
「“ミコト姫”のお話は、いつもの作家じゃなくて、別の人に書かせるということでしたけど、この絵、ヒントになるんじゃないかと思うんです。翔ちゃんの絵って、こう、物づくりに関わる人間を刺激する何かがあるんですよねえ」
「高橋さん。これ、しばらくお借りしてもいいかな」
「ええ、どうぞ」
「それから、度々申し訳ないんだけど、“ミコト姫”に関する会議は、全部来週以降にしてもらえないかな」
「…承知いたしました」
大垣が頷くと、賢児は絵を封筒に入れ、足早に専務室を立ち去った。
* * *
最後に玲香が見た夢は、部屋の中で男性と少年が話をしている夢だった。
玲香はテーブルの上に置かれた何かになっていて、そこから二人を見ている。だが、見えるのは彼らの胸元ぐらいまでで顔までは確認ができない。
「あれを欲しいと言われたんだ。だが、それだけを譲ることはできない。持ち主と一緒でないと、先方にとっては何の意味もない」
「僕は行きたくない」
「もう、決まったことだ。あいつらを助けてやれ」
「僕はイヤだ!」
玲香は少年にわしづかみにされて投げつけられたところで目を覚ました。
* * *
車に乗っていた周子は、和江と電話で話をしていた。
「周子さま。今、主人から連絡が入りまして、表の入り口付近と、敷地周囲の各所にマスコミがかなり集まっているようです。マンション側の入り口をご使用下さい」
「わかりました。ご連絡ありがとう、和江さん。当分うるさそうだけど、ごめんなさいね」
「とんでもございません。ご面倒がいろいろとおありでしょうが、出来る限りのことはいたしますので、何でもお申し付け下さい」
「ええ。ありがとうございます」周子は電話を切った。
「奥様。やはりマンション側からですか?」
運転席から周子に声がかかる。
「ええ、そちら側からお願いします」
周子は、隣の席でうとうとする紗由の頭を撫でながら頭を下げた。
西園寺家では防犯ルートの一環として、母屋のある敷地から通りをはさんで向かい側にある華織のマンションの地下から、地下道を通って敷地に入るルートを確保していた。
これは華織の父の代に、敷地内の一部を公道として売り渡すことになったため、マンションが元々あった場所から母屋のほうに地下道を作っていたのだ。
「しばらくは、こちらのルートで何とかなるでしょうが、マスコミはしつこいですからね。四辻様がお亡くなりになったときも、保様にかなりつきまとっていて。今回は保様が主役ですから、用心を重ねないといけないですね」
「そうですね。哲也さんのマンションルートと、後援会事務所ルートを適宜使い分けて下さい。その辺は高岡さんにお任せしますわ。私にはとても判断がつきませんから…」
西園寺家の母屋と華織のマンションを結ぶ地下道のほかにも、敷地裏手の事務所や、哲也の住むマンションからの地下ルートもあり、普段これらを使うことはなかったが、今回の保の総裁選出馬に伴い、こちらのゲートも開けてあった。
「承知いたしました。内閣側からも、華織さまからも随時ご連絡はいただいておりますので、適宜判断をさせていただきます。
…紗由さまや龍さまにまで影響が及ぶのは、お気の毒ですし、何とか日常生活に支障のないよう、勤めて参りたいと思います」
「ありがとうございます。頼りにしてますわ」
周子はそう言うと、西園寺家の正門辺りでたむろするカメラマンたちを、横目で眺めながら、シートにもたれかかった。
* * *
帰宅した周子からの内線電話で玲香は目を覚ました。
まだ少し頭がぼんやりしていたが、紗由が離れに遊びに行きたいということなので、母屋とつながる廊下のロックを解除し、ジュースとおやつを用意して、リビングで待ちながら、さっきの夢に思いを馳せていた。
“3つの夢…最初のはきっと、伯母様とお義父様ね。“けんたん”の傍にいた人は、顔がよくわからなかったけど、庭に出入りが出来る人だから、お義父さまのお知り合いかしら。声は何となく聞き覚えがあるし…。
そして、この子たちが話していた、「じいじの石が来る」「紫」「パパのも」「子ども」という言葉…。“けんたん”が埋めていた石は紫だった。
「じいじの石」というのは、その石のことなのだろうか。あの、伯母様の龍と対になっている龍の水晶以外にも、お義父様の石がある…?
そして、「パパのも」というのは、賢児さまにも石が来るということだろうか。確かに、静岡のお屋敷での儀式の時、賢児さまと私には石が与えられないままだった。
私は一応、清流で与えられている翡翠があるにはあるけど、華織伯母様に預けたきりで、手元には今何もない。
「子ども」という単語に至っては、何も考え及ぶものがない。この子たちが発した言葉なのだから、自分たちを指しているとは思えないし…。
最後の夢に至っては、まったくわからない。二人の声にも聞き覚えがないし…”
ぐるぐると頭を回る様々な思いの後ろに、何かすっきりしないものを感じていたとき、リビングのドアがノックされて、紗由が部屋をそーっと覗き込んだ。
「玲香ちゃん、ふたごちゃん、こんにちはあ!」
玲香の姿を見つけると、部屋に元気に入ってきた紗由は、真里菜や奏子とおそろいで作ったトレーナーを着ていた。
「こんにちは、紗由ちゃん。…そのトレーナー、お気に入りね」うふふと笑う玲香。
「なかよしのしるしだから!」
「そうねえ。3人はとっても仲良しさんだものねえ」
ソファーに座ると、紗由はじーっとおやつのチーズケーキを見つめた。
「どうぞ、召し上がって」
「いただきまーす!」目を輝かせて、チーズケーキを頬張る紗由。
「紗由ちゃんは、本当に美味しそうに食べるわねえ」
「あのね、こんどね、みんなでいっしょに、えほんをつくることになったの」オレンジジュースをごくりと飲む紗由。
「絵本?」
昨日の賢児の話を思い出した玲香は、一瞬緊張した面持ちになった。
「みんなで、じゅんばんに、おはなしをかんがえるの」
「まあ、面白そうねえ。絵本作ろうって、紗由ちゃんが考えたの?」
「ううん。賢ちゃんときょうそうすることにしたの。ミコトひめのおはなしね、賢ちゃんよりおもしろいの、かんがえるの」紗由がきりっとした表情で言う。
「まあ。賢ちゃんと競争なのね」
「まりりんと、かなこちゃんと、みつるくんにも、おてつだいしてもらうの」
「4人でお話を作るのね」
「えーとね、かなこちゃんは、しょきだから、おはなしをメモするの。まりりんはね、みつるくんをおとなしくさせるかかり」
4人のやりとりの様子を想像しながら、玲香は思わずくすりと笑った。
「充くんは何をするの?」
「みつるくんは、おはなしをつくるかかり。ゆめでおはなしをきいてるんだって」
「誰から聞いているの?」
「じょうおうさま」
「女王様…」
女王という単語から、玲香がすぐに連想したのは華織のことだったが、紗由が固有名詞をあげない以上、それにも何か理由があるのかもしれないと思いながら、玲香は質問を続けた。
「紗由ちゃんや、真里菜ちゃんや、奏子ちゃんは、女王様からお話を聞くわけじゃないのかしら」
「おんなのこは、みんな、じょうおうさまだから、きかないよ。じぶんでかんがえるの」
「なるほどね」ふふっと笑う玲香。
「でもね、まりりんも、かなこちゃんも、うーんうーんて、なって、あんまりすすまないの」
「じゃあ、紗由ちゃんが頑張らないとねえ」
「あのね、さゆもおはなしかんがえるけど、みつるくんのおはなしの、じゅんばんがいいかどうか、“ぶんせき”もするの」自信満々な顔で言う紗由。
「分析?…ああ、そのお話が合ってるかどうか、調べるのね」
「うん。“ぶんせき”したら、しょうたくんに、おでんわするの」
「翔太に?」
「しょうたくんに、えをかいてもらうの。えほんだから、えがないとね」こくんと頷く紗由。
「そうよねえ、絵本だものねえ。で、お話はもうだいぶ出来たの?」
「こまかいところは、これから」
紗由の大人びた言い方に、思わず笑い出す玲香。
「じゃあ、大まかなことは決まったのね」
「うん。さいしょとさいごは、きまったよ。あとはあ、だれをだしてあげようなかあって、かんがえちゅうなの」
「誰が出てくるのかしら。楽しみだわ」
「玲香ちゃんもでてくるよ。賢ちゃんも、ふたごちゃんもだよ」
「まあ、私も?」
「うん。いっしょに、わるいやつをやっつけるんやで」
ニーっと笑う紗由。どうやら、翔太の真似をしているらしい。
「ほな、気張っていこか」玲香も翔太の真似で答える。
「あとね、おはなしつくるの、“おんなのこちゃん”も、いっしょにやらないかなあとおもって、おさそいにきたの」
「この子も一緒に?」玲香が首を傾げる。
「おんなのこちゃんも、じょうおうさまでしょ?」
「あ…ええ、そう…ね」
「でも、この子たち、まだしゃべれないから…」
「玲香ちゃんが、しゃべるの。賢ちゃんでも、いいよ」
「じゃあ、賢児さまにお願いしておくわ」
そう言った後、玲香はなぜそんなことを言ったのか、自分でもよくわからずにいた。彼がこの子達の思念を読み取り、他者に伝えられるとでもいうのか。
玲香が、オレンジジュースをごくごく飲み干す紗由を見つめていると、周子がドアをノックした。
「ごめんなさいね、玲香さん。お休みのところを。まだ、玲香さんにお伝えしてない防犯関連のこと、お話しておこうと思って」
「はい。ありがとうございます。どうぞ」
「いま、おちゃをいれますね」
ソファーから降りて、すたすたとキッチンに向かう紗由を見ながら、玲香と周子は顔を見合わせて噴き出した。
* * *
「今度の会合、充くんも呼ぶのだったら、一度彼のところに行かないといけないだろうね」
躍太郎が部屋に入って来た時、華織は宝石類をいくつか磨いているところだった。
「そうね。嫌がるでしょうけど」
「まあ、仕方がないな。皆の話を総合しただけでも、充くんにはそれなりの役割があるのは推察できる。放っておくと、後でややこしいことになりそうだ」
「苦手なのよねえ、あの方、昔から」溜め息をつく華織。
「頑固だったからなあ」
「でも、話に聞く限りは、充くんて、とっても伸び伸びとしたというか、やんちゃなお子さんじゃなくて?」
「充くんという子は、どこか憎めないところがあるようだからな。さすがの彼も叱れないんだろう。翔太くんでさえ手を焼いているようだが、可愛がっていると聞いたよ。きっと、らしからぬ爺バカなんじゃないのかい」くすりと笑う躍太郎。
「じゃあ、その“爺バカ”ぶりでも拝見しに行こうかしら」
華織は、窓から漏れる日差しに石をかざすと、ゆっくり微笑んだ。
* * *
帰宅した賢児は食事を終えると、さっき高橋から入手した絵のことを玲香に切り出した。
「まあ。翔太がこんな絵を?」まじまじと見つめる玲香。
「ああ。昨日、塩谷くんが翔太から預かってきたらしい。この“ひめのメイドさん”、玲香に似てるよな」
「そう…ですか? そう言えば、さっき紗由ちゃんが、賢児さまと絵本作りの競争をしていると言ってました。充くんが女王様から話を聞いて、紗由ちゃんが分析して、その絵を翔太に描いてもらうんだそうです。
賢児さま、昨日の話の後、紗由ちゃんに指示なさったんですか?」
「いや。俺はまだしてないよ。それに、今の手順で言ったら、紗由たちが絵本作りを始めたのは、もっと前だろう」
「そうですよね…昨日の段階で絵が出来ているわけですから」
「俺たちが考えるまでもなく、紗由は“物語”を作り上げる気満々なわけだ」賢児が笑う。
「どうやら、そのようですね。双子の女の子にも、絵本作りに参加するよう、お誘いを受けました」
「へえ…。女の子だけなの?」
「はい。どうやら話は女王様が作るようで、女の子は皆、女王様なんだそうです」
「わかるような、わからないような…」腕組みをする賢児。
「ところで、この紫の石はアメジストでしょうか? あの夢で賢児さまが、どなたかから頂いていた石も、そうじゃないかと思うんですが…」
「夢の石、明日ちょっと庭を探してみるよ。えーと、家にはアメジストは他にあるんだっけ?」
「各自の石とされているものの中にはありませんね」
「関係者で持っているのは…」
「響子さんが指輪をお持ちです。と言っても、翼くんがまりりんちゃんにあげてしまったので、まりりんちゃんが持っているはずですが」
「ああ。あの、まりりんの宝物だな」
いつか真里菜が見せてくれた、ペンダントにして首に下げていた指輪を思い出す賢児。
「あとは…今は総理大臣のところでしょうが、四辻先生が元々所有されていたという、プレジデント・ストーン」
「あ。この大きい石って、もしかしてそれかな」
「かもしれませんね。でも、夢の石と、響子さんの指輪の他に、あと3つ石があるはずですよね」
「伯母さんに聞かないとわからないか」
「そうそう。話変わりますけど、今日、周子さんにレクチャーしていただいたんです、地下ルートのことをいくつか」
「ああ。そう言えば、何も話していなかったな。…ていうか、別ルートは緊急時じゃないと使わないし」
「びっくりしました。そんなにいくつも地下道がつながっているなんて。まるで市谷駐屯地あたりのシェルターですよね」玲香がくすりと笑う。
「だいぶ昔に作られたもののようだから、ここ数年で少しずつ修復してたらしい」
「そういう作業をなさる方って、やはり“命”関係者なんですか? それなりに守秘義務を守れる方でないと、まずいわけですよね。
特に今回のように、お義父さまが総裁選候補者になったりすると、そういうところから“命”関連の情報が漏れたら大変ですし…」
「うん…それに関しては、どうやら“命”関係者というか、機関の関係者になるのかな。そういう人が周囲にかなりいるらしい。兄貴がそう言ってたよ、伯父さんから聞いたって。要するに、うちにまつわる様々なことをこなすのは、そういう人たちだってことだ」
「使用人の方々もですか?」
「うーん。大垣夫妻は違うと思うけど、料理人の佐治さんとか、運転手の高岡さんや、メイドさんたちは、そうなのかもな。
あと家の関係者という意味では、税理士の金田先生、主治医の村上先生なんかも、そうかもしれない」
「金田先生って、伯母様のマンションの一室に住んでいらっしゃるんですよね。あそこは、高岡さんご一家もお住まいだし、あのマンション全体が怪しかったりして…」玲香がふふふと笑う。
「…それ、いいところ突いてるかも」
「え?」
「一種の社宅なのかもしれないよ、伯母さんや伯父さんが持ってるマンションは。一箇所に集めておけば、秘密保持もしやすいし」
「なるほど…。えーと、確か、お隣の伯母様のマンションの他にも、隣町に大垣さんが住んでいるマンションがありますよね」
「他にも都内に2つと、房総のほうにもある」
「メゾン・ド・サイオンですよね。順番に番号が付いていて…」
「一度、住人を調べてみようかな」
「伯母様に聞いてみたらいかがですか?」
「それじゃあ、つまらないよ」
子どものように拗ねる賢児に、玲香は思わずくすりと笑う。
「賢児さまってば、本当は西園寺保探偵事務所に入りたいんじゃありませんか?」
「あそこは所長が手が掛かるからイヤだ」
「どこでもトップというのは手が掛かるものですわ」
「…うちの会社のこと言ってる?」口を尖らせる賢児。
「さあ。大垣専務にでも、お聞きになってみたら」
玲香は微笑みながら、賢児の額に軽く口付けた。
* * *
「すみません。開店は5時からなんですよ」
入り口が開く音に振り返った店主が、足を踏み入れようとした客人に断りを入れる。
「存じてますわ。ですから、その前にお話をしたいと思いましたの」
すたすたと店に入ってくる華織の姿を見て、しばらくすると何かに気づいたように、ハッとする店主。
「“弐の命”…?」
「ええ。ご無沙汰しております、“壱の命”」
微笑む華織を見つめながら、店主は小さく溜め息をついた。
「充のことですか?」
「あら。相変わらずのセンサーですわね」不遜な笑みを浮かべる華織。
「充が毎日のように話してくれますよ。幼稚園で西園寺家のお嬢様たちと仲良くしていただいていることを。写真を見せてくれて、あなたの近親者であろうことは一目でわかりました。
それに最近は、“紗由姫”にまつわる不思議なことを言い出して、嫌な予感はしていたんです」
「まあ。“弐の命”に転身かしら? でも、それではまるで、私がお伺いしたのが嫌なことみたいじゃありませんこと?」
「あなたが幸せの使者とは思えませんのでね」
店主がうつむき加減に行った時、躍太郎が店に入ってきた。
「それは言いすぎじゃありませんか。お役目を途中で辞退されたとはいえ、元“壱の命”ともあろう方が」
「黒亀さん…」驚く店主。
「幸せの使者であったあなたに、不幸の使者であった“弐の命”の苦悩は理解し得ない」いつになく厳しい表情で言い放つ躍太郎。
「躍太郎さん…だめよ。ケンカをしに来たわけじゃないのよ。お願いをしに伺ったんだから…ごめんなさいね、“壱の命”…いえ、花巻さん。とりあえず話を聞いていただけないかしら」
「いえ…こちらこそ、言い過ぎました」花巻が躍太郎に一礼すると華織のほうに向き直った。「あと10分くらいで息子がくるはずです。できればそれまでに」
「承知しました」華織が頷く。
「それで、具体的にどういったご用件なんでしょうか」
「充くんにご協力いただきたいんです。…と言っても、もうすでに話は進んでいるようなんですけど」
「どういうことでしょう?」
「紗由が充くんも含めた仲良しさんたちとで、絵本を作ろうとしていますの」
「絵本…?」
「姫が悪者をやっつける話です。私たちが知っている様々な人間も登場するはずです」躍太郎が言う。
「どうやら、紗由が作り始めた単純な物語に、充くんが詳細を提示してくれているようなんですの。興味深いと思いませんこと?」
「弐の命…いえ、西園寺さんはそれを、充が“受け取っている”とお考えなんですか。単純な子どもの作り話ではなく」
「紗由と、充くんの師匠の翔太くん、そして龍。この3人が興味を示しているところを見ると、あながち絵空事とも思えません。翔太くんの力には、もうお気づきですわよね?」
「…ええ。清流にうかがったときに。あんなにドキドキしたのは久しぶりです。リタイア組の私にもわかるぐらいの、羽童の反応でした。
…と言っても、あれらは本物ではないでしょうが、彼らは翔太くんが近づくと光が増すんです。黒亀さん以来の“龍の子”だろうかと」
「ええ。久々の逸材ですのよ」微笑む華織。
「それに翔太くんは充のことをとても可愛がってくれていて、まるで本当の兄弟のように仲良くしてくれています」花巻も穏やかな表情になる。
「その翔太くんも加わっている絵本作り、充くんも参加することを認めていただけないでしょうか?」畳み掛けるように言う躍太郎。
「…幼稚園での子どもの遊びまで、私に止めることはできませんよ」苦笑する花巻。
「この先は、幼稚園ではなく、西園寺家のほうで作業をしてもらおうと思っています。私もその場を見たいので」華織が微笑む。
「それでご許可をいただきに伺いました」
「子どもが遊びに行く先の管理など、私ではなく親へ言うべきことでしょう」
「わかりましたわ。では、その都度、充くんのご両親のほうにご連絡をさせていただきます。おじい様のご許可はいただいたということで」
華織の言葉に、花巻は難しい顔をしたままだった。
「今、西園寺家には、私も含め“弐”の力を持った者が3人います。来年にはまた増えますし、子どもたちへ決定的な危険が及ぶことはありませんので、どうかご安心を」
「決定的には至らぬまでも、いろんなことが周囲には起きるということなのでしょうね」
「あいにくと、それは華織の責任ではありません」即座に答える躍太郎。
「そうですね。“命”たちの力を欲しがる奴らのすることでしょうから」小さな声で花巻が言う。
「ご心配はごもっともですわ。私だって、可愛い孫たちのことは心配ですもの。でも、今は私たちの時代とは違います。言われるがままに、我慢と苦痛を重ねることが、“命”の必要条件ではありません。伸び伸びと育って、力がその結果育ったなら、それを国のために役立てたいと本人が思ったなら、
そうすればいいだけです。それと…私のことを快く思わないのはけっこうですけれど、どうか、紗由のことまで悪く思わないでください」華織が頭を下げた。
「いえ、紗由ちゃんのことを悪く思ってなどいません。この前のお遊戯会のとき、私にも挨拶してくれました。かわいいお子さんです。
それに充は言ってました。彼女と一緒にいると元気になって、自分が何でもできるような気になると。現に、紗由ちゃんたちに遊んでもらうようになってから、明るい元気な子になりました。
今では少々元気が有り余り過ぎるぐらいですけど…」
「そう言っていただけると安心しますわ」華織は穏やかな顔で花巻を見つめた。
「おじいちゃーん!」
入り口から当の充が駆け込んできた。すぐに向き直り、充を抱き上げる花巻。
「おてつだいにきたよー!」
にこにこしながら言う充を、愛おしそうに抱きしめる花巻。
「そうか。ごくろうさん」
入り口には、充の父親が立っていて、華織たちに気づくと、すぐさま、いらっしゃいませと言って頭を下げた。
「こちら、昔の知り合いなんだ」
花巻が言うと、華織と躍太郎はていねいに息子にお辞儀をした。
「西園寺と申します。弟の孫が充くんと仲良くしていただいているそうで、びっくりしていたところですの」
「西園寺さんの…。こちらこそ、いつもありがとうございます。充、ほら、ご挨拶しなさい。紗由ちゃんのおうちの方だよ」
「ひめの?」
充は祖父の腕から降りると、華織の周りをぐるりと回り、顔をじーっと見つめた。
「よこのかおが、おなじじゃ!」
「よく言われます」微笑む華織。
「はなまきみつるでございます! ししょうから、さゆひめの、けーごをたのまれた、にんじゃでございます」敬礼のポーズをしながら充が言う。
「まあ。それはありがとう。紗由を守ってくれているのね。これからも、よろしくお願いします」
「ははーっ!」
「実はな、西園寺さんのお宅で、子どもたちのパーティーがあるそうで、充もお誘いいただいたんだよ」
「いく!」父親が返事をする前に充が答える。
「ありがとうございます。うるさくてご面倒をおかけするでしょうが、よろしくお願いしたします」
「お父様にご許可をいただけて、よかったですわ。今度の土曜日ですの。送り迎えはこちらできちんとさせていただきますので。また後日ご連絡させていただきます」
「開店前のお忙しいときに失礼しました」躍太郎が頭を下げる。
「それでは失礼いたします、花巻さん。久しぶりにお会いできてうれしかったです。充くん、またね。…あ、そうだわ」そう言うと華織は充の耳元で囁いた。「充くんはきっと、双子ちゃんの女の子ちゃんをお嫁さんにもらうわよ。お友達がね、そう言ってたの」
「は、はい!」
びっくりしつつ、うれしそうに笑う充を見ながら、花巻は深々と華織たちに礼をした。
「ありがとうございました」華織たちはそう言うと、店を後にした。
「躍太郎さん、ありがとう」
車に乗った華織はそれだけ言うと、しばらくの間、ただじっと窓の向こうの景色を眺めていた。
「疲れただろう。少し休むといい」
躍太郎が華織の肩を引き寄せると、華織は躍太郎にもたれかかり、静かに目を閉じた。
* * *
週末、東京の華織のマンションでは、子ども限定の“例会”が行われることになっていた。
召集されたメンバーは、龍、紗由、翼、奏子、大地、真里菜、翔太、充の8人、先日久我家で集まったのと同メンバーだった。
さすがに子どもたちだけで来るわけにもいかず、周子、夕紀菜、響子の母親3人組も同席だ。充は、彼の父親の店に顔を出したこともある夕紀菜がピックアップしてきていた。
まずは親たちに充の素性などを説明するため、リビングの隣の待合室で簡単な場が設けられた後、リビングのほうで全員が集合する形になった。
充には、この集まりのことは、姫を守る不思議な忍者の会で、ここで聞いたことは家に帰ってから秘密にするようにと、翔太のほうから説明してある。
それに対し充は、紗由姫を守る一番の忍者になりたいので、頑張って勉強すると答えていた。
「あと今日は、賢ちゃんたちも呼んでいるの。正確に言えば、玲香さんのお腹の子どもたちを招いたわけなんだけど」
華織が説明したとき、賢児夫妻が部屋に現れた。
「遅くなりまして申し訳ありません」
「伯母さん、ごめんね。会社に寄ってきたら、道を抜けるのに手間取っちゃってさ」賢児が頭をかく。
「まあ、しょうがないわね。昨日今日、あの周辺の混雑の理由の半分は保ちゃんでしょうから」
「親父、外交日程が入ってたから、総裁選立候補表明の会見してから、すぐに日本を離れちゃったしな」
「マスコミの人たちも、周囲に取材するしかないんでしょうね」玲香が苦笑いした。「今朝、うちの母のところにまで来たみたいです。ご親戚なんですかって。女性誌の取材のはずが、おじさん向けの週刊誌の記者が同行してたようです。そちらの取材はお断りしたようですが」
「まあ。うちの会社ですら、そんなことしてないのに…」少し不機嫌そうに言う夕紀菜。
「だよなあ。他の会社に情報渡すぐらいなら、瑞樹のインタビューでちゃんとした記事書いてもらうよ」賢児が言う。
「幼稚園のほうは、うちの義父の時で慣れているのか、大きな混乱はないようですわ」響子も話に加わってきた。「ただ、小学部のほうは龍くんのクラスに中等部からの見学者が殺到しているようですけど」
「すみません。方々をお騒がせしてしまって」頭を下げる周子。
「やだ、周子さん。私たち、先生の応援団なんだから。困ったことがあったら、いつでも言ってね」夕紀菜が言う。
「そうよ。こうなったからには、保先生には何としてでも勝っていただかないと」
「そうだよ、周子さん。龍や紗由の面倒だったら私たちも手伝うから、当分は保くんのフォローに専念しておくれ」微笑む躍太郎。
「あら? そういえば紗由が見えないけど…」部屋をきょろきょろと見回す華織。
「まりりんちゃんと奏子ちゃんもですね…」
玲香がぐるりと部屋を眺め回したとき、ドアが開き、紗由を先頭に3人が元気に行進しながら入ってきた。
「いちに、いちに、いちに、いちに…」
華織の前で、ぴたっと止まり、横3列に並びなおした3人は、華織に向かってお辞儀をすると、その場でくるくると回ったり、飛んだり、ポーズをしたりと、楽しげに踊りまわった。
3人娘の様子を、あっけに取られて見つめる大人たちをよそに、3人は再び華織の前に整列すると、大きな声で歌い出した。
「はー♪」
「じー♪」
「まーる♪」
「よー♪」
ぴたっと止まり、一斉に華織に向かって両手を差し出す3人に、充が「ぶらぼー!」と言いながら大きな拍手を贈ると、他の男の子たちもわけがわからぬままに拍手をする。
そして、当の華織が目をぱちくりさせている様子を、3人娘はじーっと見つめていた。
「さゆちゃん。はじまらないねえ」真里菜が唇をかんで、紗由を見る。
「もういっかい、おどったほうがいいかなあ」奏子も紗由を覗き込む。
「ここは、もうちょっと、ようすをみましょうか」
紗由が腕を組むと、3人は再び華織をじっと見つめた。
「今の、保先生の真似よね」くくくと笑う響子。
「幼稚園で流行ってるんでしょ、保先生の真似。楽しそう」夕紀菜も笑う。
「さ、紗由。今…何で踊っていたのかしら?」戸惑いながら尋ねる華織。
「おはなしはじまるよの、おどりだよ。おばあさまのおはなしのかいは、とってもだいじなのよって、かあさまがいったから、さゆ、おどりをつくったの」
「…ありがとう。じゃあ、お話の会を始めますから、皆、席についてくださいね」
「俺の勘だと、“お話おしまいの踊り”と、“おやつ食べるよの踊り”もあるな」賢児が確信したように頷く。
「“お・わ・りーだ・よー♪”と“い・た・だーき・まーす♪”ですね」玲香も同意する。
「じゃあ、どうぞ、玲香さん」
「え?」いきなり話を振られて驚く玲香。
「お話、あるでしょう?」
「は、はい」
「夢の話すれば?」賢児が促した。
「はい、それでは私の聞いた言葉と、私の見た夢の話を」
「ええ、どうぞ」
華織が言うと、玲香は先日庭で聞いた子どもたちの声と、3つの夢の話をした。
「そう。大変、興味深いお話だわ」華織が満足そうに頷いた。「夢に出てきた姉と弟は、お察しの通り、保ちゃんと私ね。今それがクローズアップされる意味は、私にもわからないけど」
「そうですか…」
「賢ちゃんは、紫の石をお花のお墓に埋めたこと、覚えてるの?」
「誰かと一緒に庭に何かを埋めたのは、おぼろげに記憶があるんだけど、場所まではちょっと…」
「賢児さまが、お庭を何箇所か探してはみたんです。でも、広過ぎてとても…」
「おばかさんねえ、あなたたち。石に反応する人間が、そばに二人もいるっていうのに…」やれやれといった様子の華織。
「あ!」顔を見合わせる賢児と玲香。
「そうか。龍か紗由に探してもらえばよかったんだ…。帰ったら、お願いするよ。広くてさすがに大変だろうけど…」
龍を見る賢児に、華織が言う。
「もう龍に掘り出してもらったわ」
華織が傍にあった箱から紫の石を取り出した。アメジストの原石だ。
「龍、夢のこと知ってたの?」
「僕たちのところにも夢が来てたんだ」
「庭全部探索したのか?」
「まさか」龍が笑う。
「にいさまったらね、すぐみつけちゃうんだよ」紗由がぷーっと頬を膨らませる。「さゆがね、ちょうさのために、きあいいれて、おやつたべてたら、たべおわらないのに、みつけちゃったの」
「紗由が食べ過ぎなんだよ。いつまでも食べてるからだろ」
「とちゅうで、おなかすいて、うごけなくなったらこまるもん」
「まあまあ」賢児が中に入る。「二人とも、どうもありがとうな。でも、龍もよく、すぐに見つけたなあ」
「小さい子が自由に出歩いてる場所だから、母屋と離れの間の中庭かなと思って探したら出てきた」
「へえ…。おまえ、西園寺保探偵事務所に入ったらどうだ?」
賢児が真面目な顔で言うと、さっきの巻き返しなのか、紗由が反論した。
「うけつけじょうのとこばっかりいって、おしごとしないよ、きっと」
「龍どのは、マドモアゼルにラブでござるからな」充が言う。
「そうだね。意外と役に立たないかも」
翼が奏子をちらりと見ながら同意すると、ムッとした顔になる龍。
「ミス・マープルみたいに、ロッキングチェアーに座ってたって、探偵はできるんだ。受付に座ってたってできるよ」
「うけつけは、かなこがやるから、だいじょうぶです! 龍くんは、いりません」
「…そうだね」
気を遣ったつもりの奏子から、結果的に探偵事務所参加を却下され、複雑な顔でうつむく龍。
「だいじょうぶでござる、龍どの。あさくさでは、にんじゃは、すごくいそがしいので、うちでやとうでござるよ」助け舟を出す充。
「ふうん、忍者かあ」まんざらでもないというように充を見つめる龍。
「おさらをはこんだり、こっぷをはこんだり、おしぼりもはこぶでござる」そう言うと充は、辺りをきょろきょろと見て、小声で囁いた。「…でんぴょうは、こっそり、いすのせなかにおくでござる」
「店員さんだあ」大地が口を大きく開けて叫んだ。
「ちがうでござるよ。てんいんにへんそーした、にんじゃなのであります」
「みつるくん。じぶんはにんじゃだって、おおきいこえでいうと、にんじゃなの、ばれちゃうじゃない。にんじゃって、かくれてるひとでしょ?」
真里菜が指摘すると、充はさらっと答えた。
「かくれてたら、あいてをたおせないでござるよ?」
「そうだけど…」不服そうな真里菜。
「うちのママは、かくれたままでも、パパのこと、たおせます」奏子がにこにこしながら言う。
「か、奏子…何言い出すの」響子が慌てる。
「ママはね、パパとけんかすると、おへやにかくれちゃうの」
「パパは元気なくなって、泣きそうになるんだよ」翼が補足する。
「うちは、ママがすぐ泣くよ。パパは溜め息ついてる。なあ、真里菜」
「うん。きぃつかうの、けっこう」頷く真里菜。
「へえ、そうなんだ。うちもだよ。ケンカの最中は、怖くてどっちにも話しかけられないんだ」
龍が言うと、紗由も同意する。
「じいじが、まあまあっていうんだよねえ」
「玲香ちゃんとこは?」大地が尋ねる。
「うーんとね、玲香ちゃんが、ぷいってすると、賢ちゃんが、ぎゅってして、ちゅってするから、なかなおりだよ」
「さ、紗由…」慌てて制止する賢児。
「皆、いろいろなのねえ。興味深いお話、ありがとう」
華織がくっくと笑っていると、龍が華織夫妻についても説明し始めた。
「おばあさまはね、ぷんぷん怒るけど、そのうち何で怒ったのか、わかんなくなっちゃうんだ。グランパが美味しい物を作ってくれると機嫌が良くなるから、あんまり心配はいらないんだけどね。グランパも、そういうところが可愛いって言うし」
龍の言葉に、華織が心なしか頬を染めながら、大きく咳払いをした。
「話を元に戻しましょう」
「は、はい。すみません、伯母様」周子が龍に目で合図する。
「周子さんが謝ることじゃないわ。子どもっていうのは、勝手なことを言う生き物ですから、全然気にしてません」
「かるーくスネてるな」
賢児が小声で玲香に囁くと、華織はじろりと賢児を見た。
「子どもの前で、ぎゅっとして、ちゅっとする人に言われたくありません」
「す、すみません…」
「まあ、いいわ。本題はこれから。龍が掘り出したこの石、賢ちゃんのものかどうか、確認させてちょうだい」
華織は賢児にアメジストを差し出した。
「は、はい…」
受け取った賢児の体がぴくっと反応する。
「どう?」
「何か…眉間がじんじんする…」目を細めてソファーに座り込む賢児。
「大丈夫ですか?」玲香が賢児の手を取った。
「確かに賢ちゃんの石のようね。躍太郎さん、賢ちゃんを隣の部屋で少し休ませてあげて。…玲香さんは、ここにいてちょうだい」
「は、はい」
華織の言葉に従い、躍太郎は賢児を隣の部屋へと連れて行った。
「紗由、僕たちも行くよ」
龍が言うと、それに従い、すたすたと部屋を出る紗由。
「あ、あの…」周子と玲香が戸惑う。
「血縁者でないとできない“調整”があるの。心配は要らないわ」
淡々とした様子で言う華織に、傍らで見ていた夕紀菜が緊張した面持ちになった。
「何か起きたんですか? どういうことなんでしょう?」
「夕紀菜さんは、まだちょっと不慣れね。でも、すぐに慣れるわ」
「はい…」それしか答えようがなく、うつむく夕紀菜。
「大丈夫だよ、ママ」大地が夕紀菜の手をぎゅっと握った。
「あ…」
しばらくすると、夕紀菜の不安はすーっと消えていった。
「ありがとう、大地」自分の体の変化を不思議に思いながら微笑む夕紀菜。「大地が手をつないでいてくれたら、楽になったわ」
「血縁者でないとできない“調整”があるんだよ、ママ」
大地は華織の言葉を繰り返すと、夕紀菜に向かってニッコリ笑った。
* * *




