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その3


 前日、仕事で遅かった賢児は、眠たそうにダイニングに出てきた。


「おはようございます。賢児さま。今日は母屋のほうですので」

 玲香が言うと、賢児は思い出したというふうに頷いた。

「ああ、そうだったな。話があるとかで…親父が言ってた」

「どうやら、フォーメーションBのようですよ」玲香が、いたずらっぽく笑う。

「伯母さんのお出ましか…また何か、不思議世界の早朝レッスンというわけか」


「そのようですね…伯母様がいらっしゃるから、あんな夢見たのかしら」

「夢?」

「最初、大勢の人間が手をつないで輪になっているんです。その輪が解かれて…一人になって…次の扉を開いたら、教会でした」

「教会?」

「はい。そこで何と、大垣さんと梨緒菜さんの結婚式が執り行われているんです。びっくりしました」玲香が首をすくめる。

「哲ちゃんと梨緒菜ちゃん?」

「何か唐突でびっくりしちゃったんですけど…まあ、とにかく、ダイニングへ参りましょう」

 玲香は微笑むと、賢児の腕を引っ張った。


  *  *  *


 ダイニングではすでに賢児と玲香以外の全員が揃っており、和江がティーポットをテーブルに置き、部屋を後にしようとしていたところだった。

「和江さん。お手数だけど、朝食が終わるまで、どなたがお見えになっても、お断りしてちょうだいね。いつものように、手前のシャッターも降ろしておいてください」

「承知いたしました、奥様」

「うーん。本当にいい香り。やっぱり和江さんが淹れてくれるお紅茶が一番だわ」

 華織が微笑むと、和江は嬉しそうに頭をさげ、部屋から出て行った。


「おはようございます」

 和江と入れ違いに、賢児と玲香がダイニングに入った。

「お待たせいたしました」玲香が頭を下げる。

「シャッターまで降ろすなんて、今朝は西園寺保探偵事務所の秘密会議なの?」

 笑いながら華織に尋ねる賢児に、紗由が椅子から降りて駆け寄ってきた。

「そうだよ。にいさまと、さゆがね、ゆめでちょうさしたの」

「何の調査だ?」紗由を抱き上げる賢児。


「あのね、りおなちゃんのおっぱいは、てっちゃんのなの」賢児の耳元で、紗由が小声で囁く。

「え?」

「紗由と僕、同じ夢を見たんだ。哲ちゃんと梨緒菜ちゃんの結婚式の夢」

「それって…」

 説明する龍を、玲香が驚いてまじまじと見つめた。

「その夢、玲香も見てるんだけど…」

 賢児は低い声でつぶやくと、紗由を降ろし、玲香を席に座らせた。自分も着席し、華織のほうを見るが、華織は満足げに紅茶を口に運んでいる。


「玲香さんは夢で何か受け取ることって、よくあるの?」涼一が尋ねた。

「いいえ…」

「夢は、おなかの子たちが見てるのよ」華織が涼一に説明する。

「そうですか」玲香がにっこりと笑った。「おなかの赤ちゃんたちも夢を見るんですね」

「皆が同じ夢を見たってことは、正夢なの?」賢児が華織に尋ねた。

「哲也くんのこと、一番知ってるのはあなたでしょ、賢ちゃん」

「哲ちゃん、その手のことは話さないっていうか、聞くと嫌がるからさ」

 賢児が口を尖らせると、玲香が補足する。

「そうですね。大垣さんの話題は社内でよく出ますけど、その手の噂は不思議なくらい出ません。私が知っている範囲でも、4年ぐらい前に一度だけですね。しかも、それは誤解だったんですけど…」

「噂あったの?」賢児が驚く。

「ええ、まあ…」玲香が躍太郎をちらりと見る。


「私のほうから話そうか」躍太郎が話し始めた。「玲香さんが制作部でバイトしていた頃のことだ。あるバイトの女性が揉め事に巻き込まれてね。当時、その件を梨緒菜ちゃんが手伝ってくれていたんだ」

「梨緒ちゃんが手伝うってことは、男女関係がらみの案件?」 賢児が聞くと躍太郎が頷く。

「ハニートラップだったみたいでね。相手は得意先の男性だ。彼女は秘書の補佐をしていたから狙われたんだろう」

「きなくさい話だな…」賢児が眉間にしわを寄せた。

「哲也くんは、そのバイトの子の相談によく乗ってたようだから、それを誤解されたんじゃないかな」


「なるほどね。…でも、玲香も知ってるってことは、社内的に有名な話だったわけ? 初耳なんだけどな」

「いえ、大垣さんと高橋部長と私が、あるお店で偶然目撃しちゃったんです。彼女と彼が口論になったかと思ったら、彼女が彼をビンタして、グラスのビールを頭から彼に注いで、店を後にしたところを。大垣さんから口外厳禁と釘を刺されましたから、社内で知っていたのは躍太郎伯父様と私たちだけだったと思います」


「なるほどねえ。その頃から梨緒ちゃんと付き合ってたのかもなあ…あ!」賢児が急に大声で叫んだ。

「何だよ、賢児」涼一が怪訝そうに見る。

「まずいよ。和歌菜おばさま、きっとまだ勘違いしてる」

「…あ。まずいです、確かに…」

 賢児の言葉の意味に気づいた玲香が眉間にしわを寄せた。

「どうしたんだい?」

 保が尋ねると、賢児が溜め息をつきながら答えた。

「前に哲ちゃんと俺が和歌菜おばさまから見合いを薦められてたときに、哲ちゃん、“女性に興味がない”って言って断ってたんだよ」

「そうしたら久我さまは、“賢児さんのことは、おあきらめなさい”とおっしゃって、行きつけのお店の美容師さんを紹介してくださったんですよね」


「哲也くんも、ややこしい逃げ方をしたもんだなあ」保が笑う。

「それでも律儀に男性を紹介してやるところが、“らしい”世話焼き加減だよなあ」感心する涼一。

「細かいフォローに卒のない方だから」周子も頷く。

「でも、今さら嘘でしたっていうのも、ぎくしゃくしそうだよなあ」

「じゃあ、久我さんを説得する準備でもしておくか」

 保が賢児を慰めるように言うと、華織が言った。

「今回はさほど揉めないと思うわ。…正確に言えば、近々、久我家が散々揉めそうな気配だから、そこで哲也くんが活躍すれば、だいたいOKね」

「伯母さん、よその家のことまで降りてくるの?」賢児が聞く。

「いいえ。久我家予報は、いろんな情報を分析した結果よ。“命”の力じゃないわ」


「さゆも、ぶんせきしたよ! りおなちゃんのおっぱいは、てっちゃんのだったよ。みぎも、ひだりも、りょうほうだよ!」

「紗由、分析の意味わかってるのか?」再び聞く賢児。

「しらべることだよ。さいおんじりょういちけんきゅうじょでも、やってるよ」自信満々に言う紗由。

「すごいなあ、紗由。そんな難しいこともしてるんだなあ」でれでれ顔の涼一が、紗由の頭をなでた。

「このまえも、ぶんせきしたよ。とうさまのがっこうにいったときね、とうさまが、どんなおんなのこにニコニコするか、ぶんせきしたの」

「さ、紗由…」思わず周子に目をやる涼一。

「おもちろかったあ」


 ニコニコ顔の紗由の話を遮ろうとして、涼一が話題を変える。

「そ、それでさ、久我さん家が揉めた時の、哲也の活躍どころって何なんだろうなあ。法律的な揉め事なら、梨緒菜ちゃんが解決しそうだし、そもそも、二人が交際していて、賛成されているのが前提でなければ、久我家のことに哲也が口を差し挟めるわけはないよな」

「とうさまはね、おめめがキリってした子がすきなの」紗由が容赦なく話題を戻す。

「へえ…そうなの、紗由。いい子ね、よく見てて」目が笑っていない周子が口元だけ微笑む。

「とうさまは、かあさまに似た子に、ニコニコしちゃうんだね」龍が助け舟を出す。「かあさまのこと、思い出しちゃうのかな」

「うん。そ、そういうことだな」

「あら。そんなことも、ないんじゃないかしら」まんざらでもなさげな周子。


「つぎにすきなのはねえ、まりりんみたく、せくしーな子だったよ」

「ふうん…そうなの、紗由」周子の表情が途端にきつくなる。

「あ、ほら、周子さん。紗由の言うセクシーは、所詮まりりんなわけだし。今どきの女子大生のセクシーなんてさ、スカート短かったり、胸の開いた服着てるぐらいだからさ」

「賢児さま…フォローになってません」小声でつぶやく玲香。

「れいかちゃんの、つぎのつぎぐらいに、おっぱいぽよよんだったよぉ」うれしそうに首を傾ける紗由。

「あら、いいわねえ、とうさまは。そんな人たちに囲まれてお仕事できて」

「とうさまは、おしごとだいすきなんだよ!」

「紗由…」涼一が涙目になる。


「周子さん」見るに見かねた保が助け舟を出した。「夫が若い女性に囲まれた職場にいるのは、あまり気持ちのいいものではないかもしれないが、涼一は周子さんや子どもたち、日々の暮らしを大切にしているのは確かだ。ただ、こいつは昔から、なぜかもてるし、八方美人なところがあるからなあ。子どもの目からしたら、誤解されるかもしれない。気をつけろよ、涼一」

 保の言葉に、何度も頷きながら涼一が言う。

「そうだよ、周子」

「おねえさんたちより、かあさまのほうがきれいだよ」紗由が言う。

「そりゃあ、そうだろ。周子さんより綺麗な人なんて、そうそういるもんじゃないよ」

 賢児は言い終わると即座に玲香のほうを見る。玲香が、よくできましたと言わんばかりにしっかりと頷いた。


「あ、あのさ、で、何で紗由は兄貴の学校に行ったの?」

「ああ、実はな、幼稚園で親の仕事してるところを絵に描く宿題が出たんだよ」

 涼一が賢児に、目で“ありがとう”の合図を送る。

「じゃあ、仕事場見学だったんですね」

「あのね、さゆね、ゼミにでたんだよ!」

「ゼミ?」

 華織、躍太郎、保、賢児、玲香が声を揃えて紗由を見る。

「そうなんだよ」にこにこ顔の涼一。「研究室を見学に来て、ゼミの前に大垣さんに迎えに来てもらうことになってたんだけど、事故渋滞で時間に間に合わなくてさ。ちょうど助手の女性も休みだったから、面倒見てもらえる人がいなくて、教室の隅に置いておいたんだ」


「紗由が黙って置いておかれるとは思えないけどなあ」賢児が言う。

「いっぱい、はつげんしたよ。はつげんていうのはね、おしゃべりすることなんだよ」

「そうなんだよ。たまたま、通常の授業じゃなくて、学園祭のゼミの出し物の相談だったりしたものだから、紗由の意見がけっこう尊重されてさ」

「何になったわけ?」

「テーマは“いつでもどこでも美味しいお菓子を作る”だ」

「はあ?」眉間にしわを寄せる賢児。


「紗由はな、いつも美味しいお菓子を食べられたら幸せだって言うんだ。だから、皆でそれを実現しようということになった」

「それ、学園祭なんだろ? それでいいわけ?」

「そこだよ。学園祭ならではの、自由なテーマ設定が許されるわけだ。紗由の言うように、いつでもどこでも、となると、普通に携帯しているもの、どこにでもありそうなもので、おいしいお菓子が作れるかということなんだ。

 そこで、科学の力を利用するわけだ。例えば、T = mv2/rという式をお菓子作りに応用する場合…」

「…ああ、わかった。というか、方程式はいいから、次に進もう」


「次も何も、さっき言った通りさ。紗由の意見に啓発された学生が、テーマを創出したということさ」

「きれいなおねえさんが、きめたの」紗由が頷く。

「紗由、この場合は、きれいとか、きたないとかは関係がないんだ」少しばかり声が上ずる涼一。

「でもね、おいしいおかしをたべにきたおひめさまは、どくりんごにやられちゃうかもしれないんだって」

 紗由が目の 前のサラダに添えられていたりんごを、むしゃむしゃと食べた。

「毒りんご? きれいなお姉さんが、そう言ったの?」華織が尋ねる。

「うん。かみのけの、ながーい、おねえさん」

「とうさまの一番好きなお姉さんのこと?」

 周子が確認すると、紗由は首を横に振った。

「ううん。いちばんと、にばんじゃない、もっととしうえの、べつのきれいなおねえさん」


「…ああ。長髪ってことは、交換留学生の彼女か。この間は見学だったんだ。正式なゼミ生じゃない。それに、きれいなって言ったって、周子と変わらない年齢だぞ。向こうで博士終わってきてるし」

「涼一さん的には、私と変わらない年齢だと、“きれい”じゃいけないんでしょうか…?」

 周子の目が笑っていないことに気づいた涼一が固まると、華織が助け舟を出した。

「で、その方、今どうなさってるの? 涼ちゃんのゼミに入ったの?」

「いや。うちのゼミは今定員いっぱいだから、見学だけ。行き先は助手に聞けばわかるかもしれないけど…」


「華織伯母様。それは、“おとぎ話には要注意”ということなんでしょうか」

 玲香が自分のお腹に触れながら尋ねると、華織は微笑んだ。

「そうよ。今日のテーマは“おとぎ話には要注意”、まさしくそれよ。双子ちゃん、また、いい反応しているようね」

 華織はぐるりと皆を見回すと、昨日、瑞樹や玲香から報告のあった件をはじめ、皆に気をつけてほしい点を説明し始めた。


  *  *  *


「お義父さん。お願いがあるの」

 弥生は大隅の元を尋ねるなり、そう切り出した。

「…お前から、おとうさんなんて呼ばれるのは久しぶりだな」大隅は弥生と目を合わせぬまま言う。

「ええ。切実なお願いなものだから」

「何だ」

「言わなくてもわかってるとは思うけど、無駄な争いはやめてほしいの」

「お前、何か受け取ったのか?」大隅がゆっくりと尋ねた。

「受け取らなくても、わかることだわ。あなたは子どもたちを、自分が教育した子どもたちの力が、どれほどの物なのか、試したくて仕方がないんでしょう?」

「ああ、そうだ。それで?」

「華織さまの周囲にいる子どもたちを巻き込まないで。…もちろん、翔太も」弥生は大隅を睨みつけた。


「それは無理だな。猛が言うところによれば、いずれ、王子と姫のほうから試合を申し込んでくるんだそうだから」

「じゃあ、断って下さい」

「断る理由がないよ」

「じゃあ…政治の変動に、玲香や翔太や、西園寺家の人たちが巻き込まれないように、少なくとも、あの一派の動向を封じてください」

 弥生はそう言うと、大隅の腕を掴んだ。目には涙が浮かんでいる。


「弥生…お前、やっぱり何か受け取ってるんだろ?」

「あなたにとって幸せなことなど、何も受け取っていません」

 弥生はそう言うと、足早に部屋を後にし、大隅はその後姿を、ただじっと見つめていた。


「おじいさま…」

 か細い声で、一人の少年が大隅に呼びかけ、弥生が出て行ったのとは別のドアから入ってきた。

「…猛か。どうした?」優しく微笑む大隅。

「あの人、清流の子のおばあさまでしょう?」

「ああ、そうだよ」

「あの子が巻き込まれないようにって、泣いちゃうんだね。あの子のこと、大好きなんだね…」

「私もおまえのことが大好きだよ、猛。本当のおじいさまじゃないと、駄目かい?」

「ううん。ありがとう」

 大隅は猛を膝の上に抱えて抱きしめた。猛はうれしそうに笑ったが、本当は血のつながった祖父にこうしてもらいたいのだろうと思うと、心が痛んだ。


  *  *  *


 日曜の朝、華織の説明を受けた紗由は、月曜日に真里菜と奏子に事情を伝え、火曜日には西園寺保探偵事務所の秘密会議を緊急開催することにした。

 だが、幼稚園帰りに紗由が真里菜と奏子を連れて行った会議場所は、西園寺邸ではなく、サイオン・イマジカの社長室だった。


「え? ちょ、ちょっと、伯母さん! 仕事中なんだよ、困るよ。伯母さ…」

 受話器を見つめて深く溜め息をつく賢児の顔を玲香が覗き込んだ。

「どうなさいました?」

「紗由たちが、ここで会議をするって。そんなこと言われても、まだ就業時間中なんだぞ。こっちだって忙しいのに…」

「ええと…今日はもう来客はありませんね。5時から、企画室のメンバーと打ち合わせがあるだけです」

「うーん。だったら、少しぐらい紗由たちの相手をしていても、何とかなるかな」


 賢児が頭をかいていると、ドアがノックされ、大垣が現れた。

「賢児さま。紗由さまがお見えです」

「…早いなあ。はい。通してください」

 大垣が後ろを振り返ると、ドアを開いている腕の下を通って、3人娘が紗由を先頭にして部屋の中へ入ってきた。

「こんにちはぁ!」

「おじゃましまーす」真里菜と奏子が声を揃える。

「みなさん、いらっしゃい」

「どうしたんだよ、紗由。会議なら、家でやればいいだろう?」

「だって、じいじのおへや、かべがみなおしてるから、はいれないんだもん」

「そうか。親父の部屋、直してたんだっけ。…でも、自分の部屋でやればいいじゃないか」

「さゆちゃんが、ここを、ひみつの“あとりえ”にするってきめたんです!」奏子がにこにこしながら賢児に訴えた。

「あ…そう…なんだ」


「賢ちゃんのおもちゃばこも、あやしいからね。ひみつにいいかなっておもったの」真里菜が頷く。

「まりりん。ここは、おもちゃ箱じゃなくて、仕事部屋です。お仕事中なの、賢ちゃんは」

「だいじょうぶです。まほうのシートで、みえなくなるから、きにしないでください」にっこり笑う奏子。

「…はい」

 賢児が渋々返事をしていると、玲香がワゴンを押してきた。

「おやつ、これでいいかしら…」

 取引先からもらった煎餅と紅茶を出すと、紗由はじーっと煎餅を見つめ、やがてこっくりと頷いた。

「これは、おいしいおせんべい」

「さゆちゃん、たべないのにわかるの? すごーい」両手を口の前に持ってきて、驚く奏子。

「おんなのカン」きりっとした表情で紗由が奏子を見つめる。


「女の勘ていうのは、俺が思ってたより、対応範囲が広いんだな」

「まあ、この場合、食いしん坊な女の勘でしょうね」


 3人娘はひとしきりお茶とおやつを堪能すると、魔法のシートを部屋の真ん中へ敷き、そこに上がって本題にとりかかった。

「それでは、さいおんじたもつたんていじむしょの、きんきゅうかいぎをはじめます」

 紗由が宣言すると、真里菜と奏子が真剣な表情で頷いた。

「きょうの、みはりをほうこくしてください」紗由が真里菜を見る。

「まりりんは、みつるくんをみはりました!」

「すごいね、まりりん」奏子が何度も頷く。

「どうでしたか?」

 紗由が聞くと、真里菜がゆっくりと答えた。

「みつるくんは、さゆちゃんをみはってました」

「わあ…」口に手を当て、驚く奏子。


「それって、見張ってる意味ないだろ…」小声で囁く賢児。


「そうですか。わかりました。…かなこちゃんは、どうですか?」

「あの、かなこは、すももぐみにくるひとを、みはりました」

「だれが、きましたか?」

「おとなりのせんせいがきました」

「なにか、いいましたか?」紗由の質問は続く。

「さゆちゃんのおうちは、どこにあるのか、ききました」

「なんて、こたえたんですか?」

「さゆちゃんちは、ひろーい、こうえんのなかにありますって、いいました」にっこり微笑む奏子。

「さゆちゃんち、こうえんだったんだ…」びっくりする真里菜。

「そうなのかなあ…。よく、わかんないや」紗由が腕組みをする。


「ほかには、だれかきたの?」今度は真里菜が尋ねる。

「りゅうくんが、さゆちゃんにわすれものをとどけにきました!」うれしそうに叫ぶ奏子。「おとなりのせんせいに、“いもうとのさゆに、なにかごようですか?”っていいました」

「ふうん。じゃあ、おとなりのせんせいとしゃべったことと、にいさまとしゃべったことを、もういっかい、ぜんぶいってください」

「えーと…」

 奏子は一生懸命思い出しながら、その時の会話内容を説明し始めた。


  *  *  *


 火曜の午後、すもも組の園児たちは、ふわふわのタオルボールを投げっこしながら、楽しげに遊んでいた。

 ひとりの子が投げたボールが部屋のドアのほうまで飛んで行ってしまったので、それを奏子が拾いに行き、ボールを投げた子のほうへ投げ返した。

 だが、皆のところへ戻ろうとした奏子は、廊下に佇む男性の姿に気づき、窓を開けて背伸びすると、廊下を覗き込んだ。

「こんにちは」奏子が男性に挨拶をする。

 男性は、最近、妊婦だった保育士の代理で隣のクラスに来ていた保育士だった。

「こ、こんにちは」

 奏子の身のこなしは、子どもらしからぬ静かなもので、あまりバタバタと音をさせることがない。そーっと覗かれた保育士は、声を掛けられるまで彼女の存在に気づかなかったため、奏子にこえを掛けられ、びくっとした。


“かなこは、よそからくるひとを、ちゃーんとみはらなくちゃ”

 探偵事務所の一員として、役割をきちんと果たさねばと思った奏子は、保育士をじーっと見張った。

「みんな、楽しそうに遊んでるねえ。かなこちゃんも行かないのかい?」

 チューリップの名札に描かれた名前を見ながら、保育士は話しかけた。

「せんせいは、あんずぐみにいなくていいんですか? おしごとしなくて、いいんですか?」

「う、うん。今はお休み時間なんだ。だから、他の組の様子はどうなのかなあと思って、見学に来たんだよ」

「じゃあ、おへやにはいってください。どうぞ」首を傾けて微笑む奏子。

「いやいや、ここで大丈夫だよ。ありがとう、かなこちゃん。…そうだ。かなこちゃんは、誰と仲良しなのかな?」

「さゆちゃんと、まりりんです」

「さゆちゃんは、真ん中で遊んでいるあの子だね」

「…そうです」振り返って確認した後に答える奏子。


「さゆちゃんのお家はどこなのか、かなこちゃんは知ってる?」

「ええと…」

 そう聞かれた奏子は、しばし考え込んでしまった。

“さゆちゃんち”というのは、車に乗って行くと着く場所なのだ。どこにあるかと言われても困る。だが、先生が知りたいのだろうと思った奏子は一生懸命に考え、ある考えに至った。

 紗由ちゃんちは、お庭に出ると、花や木や畑がずーっと遠くまで広がっている。そして皆で遊べる場所だ。それは公園と同じじゃないだろうか。奏子は確信を持って答えた。

「さゆちゃんちは、ひろーい、こうえんのなかにあります」

「公園?」

「はい。みんなであそびます。はじっこはとおいので、かなこは、いったことがありません」


「そうなんだ。いいねえ、広くて。で、紗由ちゃんなんだけど…」

 保育士が言いかけたとき、後ろから龍が現れた。

「妹の紗由に、何か御用ですか?」

「あ! りゅうくん!」嬉しそうに叫ぶ奏子。

 龍は奏子に微笑むと、保育士の付けている名札に目をやり、畳み掛けるように言った。

「僕は紗由の兄の西園寺龍です。“すずき”先生」

「い、いや…実は先日、サイオン・イマジカのイベントで紗由ちゃんのこと見てね、先生ファンなんだよ、ほら、コンテストのCMキャラクター“ミコト姫”の…」少々気まずそうに言う“すずき”。

「そうなんですか。年末の発売イベントにまた紗由が出るかもしれませんよ。また来てくださいね」微笑む龍。


「そうなんだ!…いいこと教えてくれてありがとう、龍くん」

 小さくガッツポーズをする“すずき”の腕に青いものがはめられているのを見た龍は言った。

「先生…その左手にしている腕輪、きれいですね」

「ああ、これかい? 姫のファン仲間にもらったんだよ。その人、イマジカに出入りしている業者でね、何でも年末に出るソフトにはこれがアイテムとして出てくるらしいね。試作品として作ったものがいくつかあるそうで、そのひとつなんだっていう話なんだ。モニターとして着けてみてということだったんで、ガラじゃないけど、付けてるんだよ」

 少し興奮した様子で話す“すずき”。

「そうなんですか。いろいろとありがとうございます」


「あ!」

 奏子が小さく叫ぶと二人が振り向いた。

「ごめんなさい。まちがえました…」うつむく奏子。

「…あ、そうだ。また新しい試作品とか出たら、先生に送るよう、叔父に言っておきます」

「本当かい!?」

「はい。“すずき”…下のお名前は何ですか? イベントの参加者名簿でチェックしてもらいますので」

「“とももり”だよ。あ…そうだ…最近ね、その、引越ししたんだよ。今、住所書くね」

 保育士は胸ポケットの手帳を破り、鈴木トモモリと名前を書き、住所を沿え、龍に渡した。

「わかりました。何かありましたら、ご連絡します。僕は紗由に忘れ物を届けに来たので、これで失礼します」

「ありがとう。よろしくね」


 龍は“すずき”に一礼すると、部屋のドアをノックして入って行った。二人の会話をじっと見つめていた奏子も、それを追うように窓から部屋に戻る。

「楽しみだなあ…」鈴木は笑いながら、あんず組に戻って行った。


  *  *  *


 奏子の話を聞いていた賢児は、取り急ぎ龍に連絡をしたほうがいいかと思い、デスクの電話に目をやった。

「危険人物という意味では間違ってないけど、オタク系もしくはロリコンなのかな。それはそれで要注意か…」

「そうですね。機関より、やっかいな部分もあるかもしれません…」

 玲香の言葉に、賢児が溜め息交じりに受話器に手を掛けたところ、胸ポケットのスマホが鳴った。画面には「龍」の文字がある。


「ああ、龍か。ちょうどよかった。今、電話しようと思ってたんだ」

「今日の先生のことでしょう? 今は紗由が龍の玉を持たされているから、大体のことはわかってるよ」電話の向こうで龍が淡々と話している。

 “龍の玉”というのは“命”が持っている石のひとつで、天珠という楕円形のものだ。

「へえ…そうなんだ…」少し驚き加減の賢児。


「後で、彼が住所氏名を書いた紙を渡すね。それでね、賢ちゃんにお願いがあるんだ」

 華織からの指示で、龍から“お願いがある”と言われたときには、深く聞かずに従ってほしいと言われていた賢児は、素直にそれに従った。

「何だい?」

「お願いは3つ。一つは、まりりんに、哲ちゃんと梨緒菜ちゃんとのこと、確認して欲しいんだ。それから、紗由に双子ちゃんと話をさせてほしい。奏子ちゃんは、この電話に出して」

「…ああ、わかった。とりあえず、奏子ちゃんに電話を変わるよ」


 賢児は奏子の名前を呼びながら、あちらこちらを探す素振りをした。魔法のシートに乗っている間は、“見えない”設定だからだ。

「あれえ…いないのかなあ。龍から電話なんだけどなあ。どうしよう。切っちゃおうかなあ」

「ねえ。賢ちゃんが、かなこちゃんのこと、さがしてるよ。おでんわ、龍くんからだよ。いったほうがいいよ」真里菜がアドバイスする。

「うん。ちょっと、いってくるね」

 奏子はシートを降りると、賢児のほうへ一目散に走った。


「あの、かなこのこと、よびましたか?」

「ああ、奏子ちゃん。探してたんだよ。来てくれてよかった。龍がね、奏子ちゃんとお話したいって言ってるんだ」

 賢児が電話を奏子に差し出すと、奏子は、そーっと受け取り、耳に当てた。

「もしもし。かなこです」


 奏子に電話を渡した賢児は、玲香に小声で“紗由をお願い”と言うと、真里菜のほうへ向かい、声を掛けた。真里菜もシートを降りてきて、紗由も続いた。

「まりりん…ちょっと、秘密の調査をお願いしたいんだ。引き受けてくれるかなあ?」

 その横では、玲香が紗由の耳元で何かを囁いている。

「だいじょーぶ。まりりんは、せくしーすぱいだから、なんでも、おっけー!」腰に手をやり、ポーズを取る真里菜。

「そうか。よかった。実は、梨緒ちゃんと哲ちゃんのこと、調べてほしいんだ」

「あれ? てっちゃんなら、さっきいたでしょう。じぶんできけばいいのに」

「うん…まあ、そうなんだけど」

 真里菜の鋭い指摘に苦笑する賢児。だが、直接聞いたときの哲也の嫌そうな顔を想像して、小さい声で言った。


「やっぱり、まりりんに聞くのが一番かなあと思ってさ」

「しょうがないなあ。りおちゃんの、どんなこと、しらべてほしいの?」キリッとした表情になる真里菜。

「梨緒ちゃんは哲ちゃんのお嫁さんになるの?」

「うーん。およめさんになるじかん、あるかなあ?」首をかしげる真里菜。

「何で?」

「うちはね、じけんがおきるんだって。りおちゃん、いそがしくなるっていってたよ」

「そうか…」

「てっちゃんに、ちょうさしてみる!」

 真里菜は、先ほど部屋に案内してくれた哲也を探そうと、ドアから一目散に出て行った。

「まりりん! ちょっと待って。おい!!」


 慌てて後を追う賢児を、紗由がじーっと見つめながら、玲香に言った。

「賢ちゃん、ちょうさがへたっぴだね」

「そうねえ」苦笑いする玲香。

「ああいうときはね、“まりりんも、お花まくかかりになって、ドレスきるんでしょ? いつなの?”ってきけば、きっと、りおなちゃんにおでんわするのに」

「そうねえ」今度は大笑いする玲香。

「ねえ、れいかちゃん。ふたごちゃん、きょうはいっぱい、おはなししてるよ。ママとパパにはやくあいたいんだって。ママがうたったおうたも、ふたりでうたってるよ」

「そうなの? うれしいわ、教えてくれて」微笑む玲香。


「きのうは、おはなしできない日だったから、きょうはいっぱいなのかなあ」

「お話できない日というのは…難しい言葉で言うと、“禁忌日”ということかしら?」

「うん。それ。おばあさまも、にいさまも、かみさまとおはなしできない日。みんなのおはなしも、きこえない日」

「紗由ちゃんは、いろんなことを知っているのねえ」

 そう言いながら、玲香は思った。“命”か弐の位の者にしか、その日は訪れない。お腹の双子は今から禁忌日に引っ掛かる存在なのだ。

「さゆはね、いろんなこと、おぼえて、れんしゅうしないといけないの」

「紗由ちゃんは、おばあさまの跡を継ぐの?」


 紗由は“命”にはならないと以前聞いていた玲香ではあったが、紗由の力はどんどん増しているように見えたし、その影響は奏子や真里菜にも及んでいるように思え、いくぶん疑問に感じていたのだ。

 龍が将来“命”になることは、本人が言っていた。翔太は“宿”の跡取りとして、彼をサポートする立場になるであろうことも、やはり本人が自覚している。

“では、紗由ちゃんは…? 彼女の力は何のために育ち続けるのだろうか?”

 玲香には、わからないことばかりだった。

 機関の再編成が一通りの形で決着を見て以降、紗由や龍、そして翔太へも、“教育”の度合いは増している。結局、この子たちはどこへ行こうとしているのか。生まれてくる子どもたちのことも含め、もう少し情報が欲しいという気持ちが、自分の中で日に日に増していくのを玲香は感じていた。


「おばあさまのあとは、おうまさんがつぐの」

「ああ、そうね。風馬さんが継ぐのよね」

「さゆはね、にいさまや、しょうたくんや、ふたごちゃんたちのおてつだいをするんだよ」

「お手伝い?」

「あのね、みことのおしごとは、ひとりだとじょうずにできないの。おばあさまぐらい、すごくないとむりなんだって。だから、みんながじょうずにおしごとできるように、さゆがおてつだいをするの」

「なるほどねえ…役員数人分の秘書を一度にやってるようなものかしら」

「おりこうさんで、いいこでないと、なれないの」

「紗由ちゃんは、とってもお利口さんだし、元気ないい子だから、大丈夫ね」


 玲香が紗由の頭を撫でながら、自分の双子たちはどうなるのだろうかと、改めて思った。龍よりも力の強い子たちになると華織が言った“この子たち”は…。

「さゆが、ふたごちゃんのこと、まもってあげるから、だいじょうぶだよ!」

 紗由が笑顔で言うと、お腹の双子が玲香のお腹を蹴った。

 そして、まるで玲香の心を見透かすかのような紗由の言葉に、玲香は自分がもっとしっかりと気持ちを持たなければと思うのと同時に、まだ、たった4歳ではあるけれども、紗由に任せておけば大丈夫なのかもしれないと思った。


  *  *  *


 ADの高橋が出先での交通機関のトラブルに巻き込まれ、戻りが遅くなりそうだというので、夕方5時からの企画室の打ち合わせは翌日に行われることとなり、賢児は玲香と一緒に5時過ぎには会社を出た。

 通常、運転手が賢児と玲香を送り迎えするのだが、今日は賢児が運転をして帰ることにした。家に着く前に、今日の3人娘の言動について、玲香と二人で確認しあっておいたほうがいいと思ったからだ。


「まりりんちゃん、大垣さんに“調査”したんですか?」

「びっくりしたよ。哲ちゃん、あっさり認めた」

「彼女と結婚なさるおつもりなんですね」

「今夜、二人で親父のところに行くらしい」

「展開速いですね…」玲香が驚く。

「もう2年ぐらい付き合ってるらしいよ。やっぱり玲香が言っていた事件のあたりからだ。展開、速いんだか遅いんだか」

「その間、どなたも気づかなかったんですか?」

「俺が気づかなかったんだから、誰も気づいてないと思ったんだけどなあ…」

 賢児の言葉に、あなたが気づくのはどう考えても一番最後だろうと思った玲香だったが、とりあえずそれは口に出さずにおいた。


「最初に気づいたの、和歌菜おば様らしい。しかも付き合い始めてまもなく」

「どうしてお気づきになったんでしょう」

「梨緒ちゃん、指輪とか時計とかブレスレットとか、その手のものを一切着けなかったのに、ある時、右手の薬指にパールの指輪をしてたらしい。それで、おば様が問いただしたんだと」

「えーと、それは、パールの周りに粒ダイヤをあしらったものですよね。私たちの結婚式の時にもなさってました」

「そうそう、玲香、言ってたよな。梨緒ちゃんの指輪がステキだったって。…ん? そういえば、あの日、哲ちゃんがしてたタイピンもパールにダイヤで…」

「賢児さま、あの時ふたりに“お揃いだね”って言ってましたよね!」

 顔を見合わせる二人。

「ダイヤとパールの組み合わせが流行ってるって梨緒ちゃんが答えて…」

「二人なりのアピールだったんですね…」溜め息をつく玲香。


「で、問いただされて、梨緒菜さん、どうなさったんですか?」

「梨緒ちゃんは答えました。まだ付き合い始めたばかりで、結婚話が出ているわけではありません。ママは私の相手の家柄にこだわりがあるのはわかっているけど、たぶんその人はその条件には満たないでしょう。だから紹介するつもりはありません」

「久我様は何て?」

「ケンカになって、翌日、梨緒ちゃんはアメリカに戻った」

「まあ。じゃあ、その件は2年間、タブーでスルーといったところだったんですか?」

「そういうことだな。おば様としても、しばらく様子見といったところだったんだろう」


「…でも、その間、梨緒菜さんの相手だと知らずに大垣さんに見合いを薦め、大垣さんは事もあろうにゲイを装った。うーん…」

「普通はメチャクチャまずいはずなんだけど、ここからが哲ちゃんの運のよさだよ。哲ちゃんに紹介した美容師の話から、おば様は相手が哲ちゃんだと知ったみたいだ」

「美容師さんですか?」

「哲ちゃんは紹介された時に、美容師に自分はゲイじゃないからって謝って、お詫び代わりに、そこの美容室を使うようになったらしい。

 で、けっこうウマがあって、一緒に飲みに行ったりするようになって、彼というか彼女というか、その美容師に話したらしいよ」


「梨緒菜さんとのことをですか?」

「うん。結婚したい相手がいるんだけど、いいとこのお嬢様で、親はやはりいいお家の男性に嫁がせたいと考えているし、自分じゃたぶん結婚を許してもらえない。

 彼女は親思いだから、反対されたらきっと結婚はしないだろう。相手の親が許してくれるようにと、精一杯努力はしてきたつもりだけど、どうしたらいいんだろう、って」

「大垣さんが愚痴モードだなんて、よっぽどですよね」

「だよなあ。でも、その美容師は梨緒ちゃんのことだとピンと来て、おば様に探りを入れたらしい」

「すごい展開ですね」


「でも、あのおば様に探りを入れるだなんて自殺行為だ。逆に根掘り葉掘り聞かれるはめになったんだなあ」頷く賢児。

「で、梨緒菜さんの相手が大垣さんだと知って…」

「そこで揉めるかと思ったら、そんなこともなくてさ。おば様も美容師に愚痴モードだったらしいよ。

 家柄なんて当てにならない。長女の婿は使用人の息子だけど、うちのために一生懸命尽くしてくれているし、娘も孫も幸せに暮らしている。

 それなのに実の息子ときたら、どうしようもないって」

「瑞樹さんの努力が認めていただけているのは、よかったですけど、俊さん、何か揉めていらっしゃるんでしょうか」

「伯母さんの言っていた久我家の揉め事と関係ありそうだな。ていうか、そっちが大変な様子なので、梨緒ちゃんのことは、とりあえず横に置いておくぐらいの感じだったらしいよ」


「じゃあ、久我家の問題とやらが片付けば、意外とすんなり進むかもしれませんね」

「まりりんはフラワーガールをやるってさ。梨緒ちゃんと自分のドレスを考えてるって言ってた」

 玲香は、さっき紗由が言っていた言葉を思い出して、くすりと笑った。

「ん?」

「いえ。何でもありません。可愛いでしょうね、まりりんちゃん」

 玲香は、お腹の子どもたちが“そうだね”と言ったような気がして、お腹を優しく撫でた。


  *  *  *


 帰宅後、賢児が書斎に戻ると、龍が借りていた鉱物図鑑を返すからと言ってやってきた。

「賢ちゃん、ありがとう。すごく面白かったよ。普段使っている石のこと、今までよく知らなかったから、勉強になった」

 楽しそうに言う龍に、賢児は顔を覗き込むようにして笑った。

「おまえみたいな天才児でも、普通に図鑑は楽しいもんなんだなあ…。ところで龍。昼間、紗由たちが話してたことで気になったんだけどさ…」

「あのブレスレットのことなら、心配いらないよ。奏子ちゃんが封じ込めた」先回りして答える龍。

「奏子ちゃんが?」


「おばあさまが言わなかったっけ? 奏子ちゃんはけっこう上手な石使いなんだ。僕は昨日、禁忌日だったから、手を出さなかった」

「奏子ちゃんが代わりにやったってことか?」

「代わりにっていうより、勝手にかな。妙な石を見たら“確認”するように、四辻のおじ様と誠さんに躾けられてたみたい」

「英才教育だなあ」

「どんな“命”の血筋でも、石を使える人間のサポートは必要なんだ。翼は今そっちの担当じゃないしね。疾人おじ様か奏子ちゃんがやらないといけない」


「そうか…。でも、封じ込めるってことは、よろしくないシロモノだったってことだよな」

「盗聴器みたいなものだよ」

「それを使えなくしたわけ?」

「ううん。僕の言い方が悪かった。ブレスレットが聞けるボリュームを何倍にも上げたんだ。雑音もいっぱいで、ちゃんと聞こえなくなる」

「そんなことができるんだ、奏子ちゃん…」驚く賢児。


「自覚はないと思うよ。ブレスレットが誰かと話してるのが聞こえちゃったんだね。

 向こう側の相手が聞こえづらいって言ったから、聞こえるようにしてあげたんだよ。彼女の石を近づけて。

 でも、あれっていい手だ。勉強になったよ。以前、機関側の水晶を通信妨害しようと思って、おばあさまたちとあれこれ考えたんだけど、あの時、その手に気づいてたらなあ」

「解決法は意外なところにあったっていうわけか。奏子ちゃんの場合、“聞こえないですか? ちょっと待ってくださいね。今、奏子が聞こえるようにしますね”とかいう感じ?」奏子の口調を真似しながら、首を傾げる賢児。

「…賢ちゃん、僕にケンカ売ってる?」龍がぎろりと賢児を睨む。

「ち、違うよ。奏子ちゃんなら、優しいから、相手を思いやって、こんな感じかなあと思ってさ」手で額の汗を拭う賢児。


「ブレスレット自体は大したものじゃない。色はきれいだったけど人造石だったし。ただ、あの先生も言ってたけど、他にいくつも作られてるはずだから、賢ちゃん、調べておいてね」

「ああ。さっき確認したけど、“スズキトモモリ”という人間は、確かに先日のイベントに来ていた。ただ、あのイベントは抽選だったから、社内に内通者がいないと当選させられないな」

「取引先の人は抽選に関係ないの?」

「取引先枠はもちろんあるけど、配るチケット枚数だけ決めて、あとは先方に任せてある。彼はデータだと一般枠になってるから、抽選も管理も社内でやってた。

 ネット応募で13倍ぐらいの倍率だったようだ。まあ、オークションで売られたチケットもあるだろうけどな」

「先生の勤務は2週間前からだから、イベントの後に、うその名前を使ったかもしれないよ」

「そうだな…。ブレスレットの配布先も含めて、関わった人間をちゃんと確認しておくよ。でも、奏子ちゃんが封じちゃったとなると、向こうは次の手を打ってくるよな」


「今のところ、相手の狙いがはっきりわからないから、様子を見ろって、おばあさまは言ってた」

「龍も気をつけろよ。いくら“命”の力があって、頭がよくても、腕力じゃあ、しょせん大人にはかなわない」

「今の僕を誘拐したら、国中大騒ぎになるよ」

 にっこり微笑む龍を、賢児はじっと見つめた。

「…もしかして、親父、次の総裁選に出るの決まったのか?」

「そうみたい。さっき、楡沢さんから電話があって、かあさまが慌てて事務所に行ったよ」


 保が外務大臣の職について、早一年半以上の年月が流れていた。そして先日、現総裁の小宮山は女性問題でマスコミに大きく取りざたされ、立場が悪くなっていたこともあり、衆院解散を決めたところだった。

 外務大臣に就いた時点では、せいぜい次の次ぐらいだろうという下馬評だった保の総裁選出馬だったが、外交面で大きな成果を残し、評価も人気もかなり高まっていた。

 元々そのルックスでマダム層に大人気の保に、マスコミの逆風にさらされている民自党としては、頼らざるを得ない状況になっていた。


「選挙、ちょうど双子ちゃんたちが産まれる頃になるね」

「こりゃあ、久我家以上にバタバタしそうだな…」腕組みして天井を見上げる賢児。

「まだ変な奴らがうろうろしてるんなら、逆に皆が見てるから安心だよ」

「まあ、そうだが、油断は禁物だ。別の意味で危ない奴らが近寄ってくるかもしれない」

「うん。気をつけるよ。じゃあ、僕、宿題しないといけないから戻るね」

 龍はにっこり笑うと、書斎を後にした。


  *  *  *


 書斎に独りになった賢児は、しばらくぼんやりとしていた。

 最近、たまにこういう状態になることがある。特に、玲香のお腹に触れた後はそうだ。

 そして、今までの自分と違う何かが、もうひとつの平行したレールから湧き上がってくる感じがする。

 兄貴に話したら笑われて終わりだったが、“もうひとつ”だからと言って、見過ごすことはできない、それは、確固たる何かだ。自分らしからぬ、強硬な意思。賢児はそれを、うまく理解できずにいた。


「賢児さま、こちらですか?」

 着替えを済ませた玲香が入ってきた。気難しい顔の賢児に尋ねる玲香。

「どうなさいました?」

「玲香、何だか、また慌しくなりそうだよ」

「もしかして、お義父さまですか?」

「ああ」指摘され驚く賢児。

「お昼に会社のテレビにお義父さまが映っていたときに、この子たちが何だかにぎやかだったものですから」


「そうか…この子たちは敏感だな」玲香のお腹に触れる賢児。

「ふふ。いろいろ教えてくれるんです。お義父さまは…」

「総裁選に立つことが決まったらしい。周子さんがさっき事務所に向かったって、龍が」

「そうですか。いい結果になります、きっと。この子達も応援してますから」お腹を撫でながら微笑む玲香。

「いろいろと周囲がざわつくだろうけど、よろしくな」

「はい、おまかせを」玲香がはっきりと頷く。


「…ところで、それは紗由ちゃんのソフトの企画書ですか?」

 賢児の手元に目をやると、玲香は覗き込んだ。

「ああ、そうだよ。けっこう皆、乗り気みたいだな」

 紗由が先日のイベントでコンテストのCMキャラクターをつとめ、ステージで寸劇を繰り広げたところ、それがかなりの評判で、“ミコト姫”をメインキャラクターにしたゲームソフトを作ってはどうかという話が、イマジカの内外から持ち上がっていたのだ。

「でも、今日の会議で詰めることになってたストーリー案、ちょっと検討しなおそうかと思うんだ」

「どうしてですか? 姫がいろんな国の戦士たちに戦いを挑みに旅に出る。何と言うか、それっぽくていいと思いますけど」

「もう少し、現実に近づけてみようかと思ってさ」

「現実?」

「そう。現実。わけのわからぬ男が盗聴器を身に付けて姫の幼稚園に潜入したりする、そういう現実だよ」

 賢児は、不思議そうに見つめる玲香をよそに、スマホを取り出した。


  *  *  *


 男たちは、高速のパーキングで、フランクフルトを目の前に話をしていた。

「そうだったのか…。今日の時間は大丈夫なのか?」

「ええ。まだ2時間ほどありますから」

「いい形に収めろよ。命令だ」

「かしこまりました。必ず、ご期待に添えるようにいたします」

「当たり前だ。その先、交渉が決裂したら、承知しないからな」

「はい」

 言われた男は、はっきりとした声で答え、その場を立ち去った。


  *  *  *


「じゃあ、あの部屋にあったであろう“もう一冊のノート”の中身を紗由ちゃんたちに書かせるということなんですか?」玲香が問い質した。

「簡単に言えば、そういうことだよ。紗由たち3人娘と、ストーリーテラーの充くんが語る物語に、翔太の絵を入れてもらうんだ」

「でも、それを元にソフトが作られたら、こちらサイドが受け取ったことを、相手にわざわざ教えることになる可能性もあるわけですよね」

「教えるんじゃない。知らしめるんだよ。それで、相手がどう出るのかを見るんだ」

「おっしゃりたいことはわかりますけど…」いつになく戦闘的な姿勢を示す賢児に、玲香が戸惑う。


「それに、改めて考えてみたんだよ。あのダイアリーを俺たちが見つけたことの意味を」

「意味?」

「俺たちがそれを作ることに関わる必然性があるからじゃないのかな」

「関わる必然性…」

「早期に決着をみなければ、生まれてくる子どもたちに、降りかかってくる部分が増えるような気がする。親父がらみで状況も刻々と変わるだろう。そういう中でイニシアチブを取って危険を回避するのは親としての務めだ」

「もちろん、それはそうですけど…」


「だが、俺たちには“命”の力はないから、直接書く能力があるわけじゃない。誰かに書いてもらうしかない。もし、伯母さんがその役目なら、俺たちを通さなくても勝手にやるだろう」

「確かに…それはそうだと思います。私たちの促しなど、伯母様は必要とはしないと思います」

「俺たちの促しを必要とする人間たちを配置すればいいんだよ」

「でも、子供たちに何か動きをとらせるとすると、その分、彼らに危険も伴うのでは」

「子どもたちが自発的にやれば、伯母さんは彼らをガードする」

「そんなに簡単にいくものでしょうか?…」不安げな顔で賢児を見つめる玲香。

「心配するな。玲香は体を大事にしていればいい」

 賢児は玲香の額をつつくと、軽く唇に口付けた。


  *  *  *


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