その15
第2回目の「ミコト姫」イベントは、前回にも増して盛況だった。
イマジカ本社と会場ホールがある“サイオン・スクエア”の外には、開始前からダフ屋のチケット狙いのファンが大勢詰めかけて来ていたので、急遽、ビル前の広場に3つの大型ディスプレイが設置された。
社長室の窓から外を覗いていた玲香が、すでに衣装に着替えいていた紗由に言う。
「紗由ちゃん、すごい人よ! ミコト姫に会いたい人が、ほら、あんなにたくさん」
「ダメだよ、玲香。気づかれたら押しかけてくるぞ、あいつら」苦笑する賢児。
「じゃあ、あっちのおまどね。じいじも、きて」
紗由は、同様に大王の衣装に身を包んだ保の手を引っ張る。
「こら、紗由。どこ行くんだ。うろちょろしたら、ダメだろ」
紗由は社長室を出て、同じフロアの少し離れたところにある、ガラス張りのロビーに立ち、階下を眺めた。
「ねえ、じいじのパーティーみたく、たくさんだよ」
「けっこう、いるなあ…。この前の紗由と同じ衣装の子もいるぞ」保も興味深そうに覗き込む。
「あ。あのおにいさん、手ふってるよ。ほら」
そう言いながら、紗由が手を振り返すと、その彼の周囲の人間が同心円を描くようにどんどんと上を見上げ、歓声と共に紗由に向かって手を振りはじめた。
そして、隣にいる、王様の衣装を着た人間が保だと気づいた人間が叫ぶ。「西園寺保だ!」
歓声は一層大きくなり、保も手を振るが、紗由を抱き上げ、一瞬で背を向けた。
「まだ、手ふってるよ、じいじ」
「こういうのは、出し惜しみぐらいがちょうどいいんだ」
そう言って、会場へのエレベーターへ向かう保を見ながら、後ろにいた賢児と玲香は顔を見合わせた。
「嫌がっていた割には、けっこうノリノリだな」
「政治家の言うことは、一枚岩ではないということでしょうか…」
* * *
スタッフ控え室では、進、西川、哲也、中山の4人が打ち合わせをしていた。
「今回は、保先生や梨本先生もいらっしゃる。ミスは許されない」
進が言うと、3人は一様に頷いた。
「寸劇の途中、私の判断したタイミングで、鐘を鳴らして会場を暗転させる。もし、森本がキャストの誰かと至近距離にいたなら、キャストをすぐに隔離しろ」
「わかりました。森本とキャストが近づいた時点で、一番近い会場通路に待機します」中山が答えた。
「紗由さまには、ステージの最前まで出てもかまわないと言ってある。衣装が全開モードになる時は、黒子が必要だ。それは私がやる」
「では、私は森本の隣の席に」西川が言う。
「隣だと露骨過ぎませんか? 逆にマークされるかもしれませんよ」
「大丈夫よ、哲也さん。私、“激マヨ”持ってるし。龍さまはお優しいから鼻の穴だったけど、私は目と耳…いざとなったら、ズボンの中にももみ込んでおくわ」微笑む西川。
「うわあ…」思わず声を出す中山。「…あ…すみません」
「ほどほどにしておけよ。正当防衛であっても、やりすぎは保さまにご迷惑がかかる」
「…冗談ですから、ご心配なく。激マヨの力を借りなくても十分対処できます」西川が少し不機嫌そうに答える。
「でも未那さん、どうして激マヨをお持ちなんですか? 非売品ですよね」哲也が尋ねる。
「…この前、紗由様たちが秘密会議にいらした時に、“たまたま”居合わせたものだから、おやつをお出ししたら、充くんが割引券と激マヨをくれたんです」
「二度目のナンパか。頑張るなあ…」感心する中山。「…あ…すみません」
「では、後は随時、マイクで連絡しあいましょう。遠山さんにも指示してあります」
哲也が言うと、メンバーは所定の位置に付いた。
* * *
会場では、ミコト姫達の舞台が繰り広げられていた。
一度はさらわれたドラゴン王子が無事救出され、敵方への報復を考えていた王子の元へ、サイオン大王が現れるシーンだ。
「では、どうしたらいいのですか、おじいさま…いえ、サイオン大王」
「いいかい、ドラゴン王子。争いは、さらなる争いしか生み出さない」
「それは私への戒めかね、サイオン大王」
「ナーシモ王!」
「あれ、梨本前総理だ!」誰かが叫ぶと会場が一気にざわついた。
「えー、悪役で出てるの??」
「ちょっと、これ、週刊誌の記事まんまじゃん!」
さらに会場は盛り上がり、「サイオン!」「ナーシモ!」「ミコト!」と声が飛ぶ。
「確かに私は、戒めの言葉を受けるべきことをしてしまった…」
「あなたを責めているわけではない。ご自分でもわかっているように、あなたは権力欲に溺れ、国の民や大切な人たちを危険な目にあわせてしまいそうになった。だが、あなたは気づき、悔い改めようとしているではありませんか」
「それは…あなたや、姫や王子が、私に気づきを与えてくれたからだ…」
その時、舞台中央に現れたミコトが会場に向かって叫んだ。
「でておいで、モーリン! おまえにも、いいたいことがあるはずです!」
一瞬、しーんとする会場。しかし、やがてざわつき始めた。
「無理だよ、ミコト。奴は卑怯者だ。おめおめと出て来られるわけがない」ドラゴン王子が言う。
「…馬鹿馬鹿しい余興など、相手にしている暇はない」
会場内で、黒尽くめの男がすっくと立ち上がった。
「おお…モーリンか」サイオン大王が言う。「そなたの人生こそが、馬鹿馬鹿しい余興ではないか」
「かっこいいなあ、親父…」賢児が小声で呟く。
「アドリブですよね。さすがです。絵になります…」玲香も同意する。
サイオン大王はさらに続ける。
「余興に付き合っている暇がないのは、こちらも同じ事。そなたに奪われた“龍の輝石”は、すべて我が手元に取り戻した。もう、そなたにできることはない」
「何を…」
戸惑う男に迫るように、ミコトは舞台の一番前に歩み出た。いっそう、ざわつく会場。
それに合わせるかのように、ミコトの衣装に付いていたマントの左右が円形に成形されていき、バックで大きな光り輝く円になった。
「うわっ。小林幸子みてえ!」思わず観客が叫ぶ。
「アドヴァン、これをモーリンに」
ミコトが木彫りの像を後ろにいた進に渡すと、進は舞台を降り、男の下へ走り、その像を渡した。
「何だ、これは」ミコトに向かって、叫ぶ男。
「しるしです」
「え…?」
「あなたがそれを、ぶじにもっていることができたら、いっかげつごに、あなたのほしいものを、それとこうかんで、さしあげましょう」
「それは…」
男がミコトを見つめていると、鐘が鳴り、しばらくして会場が暗転した。ざわめく会場。その声がピークに達した時、電気がついた。
だが、舞台の登場人物、そして男も姿を消していた。
「えーっ! どうなるんだよ、続き!」会場から声が上がる。
「ミコト姫ーっ! どこー??」
ヒートアップする会場を見回す大きな目のように、ライトがぐるりと一周した。最後にライトが当たったのは司会ブースで、賢児がマイクを握っている。
「続きは一年後、作品の中にお答えを用意いたします。それまでに、またこうしたイベントをご用意させていただきます。よろしければ、ご来場ください。本日は、どうもありがとうございました」
賢児が深々と頭を下げると、会場から声が出る。
「1年待てないよー!」
「社長~何とかしてくださーい!」
「皆様のご要望にお応えすべく、鋭意努力いたします。本日は、特別に追加イベントとして、サイオン大王、ナーシモ王との握手会をご用意しております。お気軽にご参加ください」
「前総理と今度の総理かよ…うわあ。お気軽って相手じゃないじゃん」
「姫じゃないけど…すげえっ!」
会場が興奮に包まれたまま、賢児は加奈子にバトンタッチし、彼女が特設イベントの説明に入った。
* * *
イベント会場を早足で出て行こうとする女性に、涼一が声を掛けた。
「やあ、久しぶりだね」
「あ…」
「そんなに驚くことないだろ。父親が愛娘の舞台を見に来るのは当然だと思わないかい」
「ご無沙汰してます…」女性は頭を下げた。
「それとも、今、声を掛けられるとまずかったのかな?」
「いえ、そんなことは」そう言いながらも、女性の視線はあちらこちらへと泳いでいる。
「お兄さんなら、僕も一緒に探そうか?」
「え?」女性は涼一をじっと見つめた。
「それから、これ」女性に紙袋を差し出す涼一。「いいよねえ、このリンゴのおもちゃ。中に果物や青虫の布製おもちゃも入ってる。正面が透明だから、興味をそそるよねえ」
「そ、それは、“ミコト姫”へのプレゼントで…」
「それなら、“目のついた果物”は、やめておいたほうがいいな。こっちには、それを探知できる目がいくつもある。
…そういう情報が行ってないところを見ると、お兄さんやお父さんからは、あまりちゃんとした話を聞いてないのかな?」
「何のことでしょう。…私、急ぎますので、失礼します」
涼一は歩き出す彼女を遮った。
「力になるよ。今の君だけじゃ、もう八方塞だろう?」
「先生…」
「もう、父のほうで調べはついている。君も巻き込まれた口だろうから、事態を収束させようじゃないか。お兄さんのことも心配だろう?」
「私…」戸惑う女性。
「じゃあ、行こうか……実歌さん。不要な物は抜いておいたから、改めて姫にこのりんごをプレゼントしてくれないかい」
涼一が言うと、実歌と呼ばれた女性は、小さく頷いた。
* * *
「ねえ、紗由。さっき森本に渡したあれ、何?」賢児が尋ねる。
「翔太くんの、わらわちゃん」
「影童? 翔太、大丈夫なの、それ…」玲香も心配そうだ。
「大丈夫やないかもしれへん」
「翔太…」玲香が翔太に歩み寄る。
「あの子のお清めの力より、森本のどろどろのほうが強かったら、あの子は、辛い思いすることになるかもしれへん。でも、あの子は、それを承知の上で、行くて言うてくれたんや」翔太が拳を握りしめた。「あかんことを止めるための、第一歩や」
「翔太が決めたんなら、童が良しとしたなら、それはきっと正しいんだわ。無事に戻ってくれることをお祈りしましょう」
「だいじょうぶ。わらわちゃんは、つよくてやさしい子だから」唇をキュッと結ぶ紗由。
「それと紗由、一ヵ月後にあげると言ってたのは、何なの?」
「いい、おとうさん」
「何、それ」
「にせもののおむこしゃんには、いい、おじいさまをあげたでしょう? それとおんなじ」
「彼のお父さんて、紗由ちゃんの知ってる人なの?」
「保先生と仲良しさんや」
「え!?」
賢児と玲香は顔を見合わせ、さらに翔太を凝視した。
* * *
木で出来た子どもの像を渡された森本は、イベント会場近くの公園のベンチで、紗由の言葉を頭の中で何度も反芻していた。
“俺の欲しいもの…?”
森本は影童を見つめながら考えた。
“普通の父親…だろうか。それから、普通の…”
ハッと自分の思いを否定するかのように、頭を振る森本。
“どうしたんだ。俺としたことが。…でも、何だろう。ずるずると、胸から何かが出てくるようだ”
「パパー!」
少し離れたところで、小さな男の子が父親目掛けて走っていく。連休最終日の今日は、親子連れも多い。
森本は、少し悲しそうにその光景を眺めながら、ベンチを立った。
* * *
イベント会場の控え室で、紗由がまだ衣装のままでジュースを飲んでいると、涼一が入ってきた。
「賢児、玲香さん、お疲れ様。…紗由、かっこよかったぞぉ」
「兄貴。…ん? そちらの方は?」
「あ! りんごのおねえさんだ!」
「こんにちは…紗由ちゃん」小さな声で挨拶する。
「こちら、葉山実歌さん。僕の大学の留学生…というのは仮の姿で、留学生の生活支援事業会社の元社長。森本くんの妹さんだよ」
「涼一はん。もういっこ抜けてます」翔太が紗由の横で言う。
「ああ、そうそう。…小宮山先生と三咲さんの娘さんだよ」
「え…?」
賢児と玲香は再び顔を見合わせた。
* * *
実歌は、皆の前で話し始めた。
「父と母は、父が奥様と結婚する前から、関係がありました。小宮山家の書生をしていた父が婿入りした後も、父は母との関係を断たず、兄と私が生まれました」
「小宮山先生、そんな大胆なタイプには見えないけどなあ…」心底驚いている賢児。
「見かけで人を判断なさってはいけません。あの人は、怖い人です」
「具体的に、どういうことですか?」涼一が尋ねる。
「父は、愛人スクープを自らマスコミに売りました。しかも私をダミーに使って」
「何でそんなことをなさったんですか?」玲香が聞いた。
「父はそのスキャンダルについて、公には何も発言していません。後々、はめられたというスタンスを取って、復活するつもりなんです」
「復活ということは、うちの父をいったん総理に据えてから、引き摺り下ろすということですね?」
涼一が尋ねると、実歌はしっかりと頷いた。
「自分ではアメジストを“開け”ない。保先生のところに安全な形で渡ったアメジストを、安全な形で奪取しようと考えていたんです」
「こう言っては何ですが、西園寺保サイドには、稀代稀なる“弐の命”西園寺華織がいるんですよ。考えが甘過ぎませんか?」涼一が言う。
「父は…所詮、そういう意味では一般人です。兄や私のように、その関係の教育を受けたわけではありません。
私は兄と違った形での教育も経験しているので、いろんな形で説明をしたんですけど…梨本先生もそうですが、知らない人間というのは、自分の都合のいいように、その力を解釈しているんです。説明しても、うまく伝わらなくて…」
「でも、お兄さんは、お父さんに付いているんですよね?」
「違います」
「え?」
「兄の頭にあるのは、父への復讐です」
「復讐?」
「父は、4年前、母をフリージア学園理事長と結婚させました。フリージア関連で大隅先生が教育していた子どもたちの情報を入手するためです。…まあ、理事長は、元々女性に興味のない人で、いわゆる偽装結婚です。母で2度目になります。
一方、小宮山の父は、兄や私を認知もせず、でも大隅先生に力を認められた途端、掌を返したように近づいてきて、自分の野心のために利用しようとした。
兄は、そんな父に服従する振りをして、最終的に、どんでん返しを狙っているんです」
「これから、具体的に何をしようと?」
「…わかりません。私のことが週刊誌に出て以降、兄は私との通信を断ちました」
「それをきっかけに、あなたにも知らせないぐらい、危ういことに手を出していると…?」
「はい。ですから、私なりに状況を探りたいと思いました。私が西園寺家の周囲を張っていれば、兄も父も、もしかしたら母も、何らかの行動を起こすだろうと」
「留学生事業に携わっていたので、まずは留学生を装って、僕に近づこうとしたんですね」涼一が言う。
「そうです」
「じゃあ、どうして中途半端に姿を消したの?」
「それこそ…紗由ちゃんに実際に会ってみて、その力が中途半端なものではないと理解したからです。大隅先生によれば、龍くんはそれ以上、それをサポートする宿の人間、“類まれなる龍の子”も傍にいて、華織さんは、それをさらに上回る存在だとのこと。私はそこまで命知らずではありません」
「賢明な判断だね。どうしてお兄さんに、それができなかったものか」
「…いえ、兄は私以上にわかっています」
「じゃあ、何で?」
「森本がつぶれたら、それはそれで小宮山先生は、手足を奪われたことになる」
「龍!」
部屋に入ってきた龍に、一同の視線が集まる。
「とうさま。おねえさん、ちゃんと言ってるじゃない。森本の最終目標は小宮山先生への復讐だって。自分が一番の手下になって、最後のところでこっちにつぶされれば、目的は達することができる。
つぶされずに何とか行ったとしても、つぶされた振りをして、小宮山先生を引き摺り下ろせばいい。自分たちのことを、それこそマスコミに売ればいいんだよ」
「ええ、おっしゃる通りです、龍くん。…でも、最初から、そんなことを考えていたわけではないと思います」
「と言うと?」涼一が尋ねる。
「兄は兄なりに、父の力を判定していました。所詮、2番手の人だと。それを父に少しずつ知らしめようと。
でも、父はどんどん権力欲を増していく上に、華織さんは、いつまでたっても自分をつぶしに来ない。兄は焦ったんです。
それで、梨本先生を利用して、事を大きくしようとしました。ちょうど、大隅先生が自分の“子どもたち”の力を試したがっていたのを利用して」
「でも、それに気づいた大隅氏はお兄さんを破門した」
「ええ。でも、兄は止めませんでした。梨本先生のこうもり的な性格を利用して、うまく取り入ったんです」
「その挙句に、自分と同じように家族との関係で苦労する子を作ってたら、世話ないわなあ」不機嫌そうに言う翔太。
「その通りです。そして兄は、龍くんを危険に遭わせるような真似をして、華織さんを怒らせようとしたんです」
「うん。確かにそれは成功したみたい。おばあさま、ものすごく怒ってるもん」龍が言う。
「そうですよね…本当にすみませんでした」
「まあ、僕も謝らないといけないかも。激マヨ、鼻に塗りこんじゃったし。あれねえ、ちょっと舐めただけでも、すんごく辛かったんだよ。大変だった」
「…そのぐらい、仕方ありません。気になさらないで下さい」苦笑する実歌。
「で、伯母さんが…遠まきに眺めていた結果が、そろそろ集約がされるだろうってことなんだね? 君はそれを心配して、再び僕の前に…僕に見つかる危険も承知のうえで現れた」
「はい」
「はい!」紗由が元気に手を挙げた。
「はい、紗由ちゃん」玲香が指名する。
「さゆ、こみやませんせいに、アメジストちゃんのつかいかた、おしえてくる」
「え?」涼一と賢児が声を上げる。
「グランパに、これ、かりてきたし」
紗由が紫の風呂敷包みを取り出し、にっこり笑った。
「あはは! それはいいや」その包みを見つめると、途端に笑い出す龍。
「紗由ちゃん…」翔太が難しい顔で紗由を見つめる。
だが大人たちは、二人の反応を不思議そうに見つめるものの、その真意はわかりかねていた。
* * *
「どういうことなんだい、西園寺くん。プレジデント・ストーンを預かって欲しいだなんて」
小宮山は自宅リビングに運び込まれたアメジストを横に、怪訝そうな顔で尋ねた。
「すみません、せっかくいただいたものですのに、面倒なお願いを申しまして。ですがこの子が、どうしてもそのほうがいいと言いだしまして…」
保は傍らでクッキーを頬張る紗由の頭をなでた。
「ははは。紗由ちゃんが言い出したのかい」
穏やかな笑顔の小宮山。
「何だか、よく事情がわからないが、まあいい。先日まで家にあったものだ。
でも、いいのかい? 仮にもプレジデント・ストーンだ。次期総裁と目されている君の手元にあって然るべき石だよ。」
「先生。私も紗由に言われて考えたんです。子どもの思いつきと言えばそれまでですが、私は先生の下で勉強を重ねてこられたおかげで、当選を重ねることも出来ました。
もし、私が今後、大舞台に立つことがあるとすれば、それはひとえに先生のお陰です。私の行く末を先生に見守っていただくためにも、この石は先生にお預かりいただくほうがいいのではないかと」
「そんなことは…。君がここまで来たのは、君の努力の結果だよ」
「せんせいのおかげだと、おもいます!」紗由が話に割って入る。「だから、さゆがおれいに、この子たちとなかよくなるほうほうを、せんせいにおしえてあげます」
「仲良くなる方法…?」小宮山の口元が、少し緊張する。
「むずかしいから、れんしゅうしないと、だめだけど…」
「いやあ、可愛いねえ、西園寺くん」小宮山が笑い出す。「それで紗由ちゃん、この子たちと仲良くなると、どうなるのかな?」
「かみさまは、この子たちをかわいがっているので、かみさまとなかよしになれます。おねがいをきいてくれます。たろちゃんとなかよくなると、さゆとなかよくなれるのと、おんなじです」
「たろちゃん?」
「うちで飼っている犬です」
「ああ、なるほどね…。そうか、そうだねえ。皆仲良しのほうがいいに決まってる。神様と仲良しになれたら楽しいだろうしねえ。じゃあ、紗由ちゃんに教えてもらうことにしようかな」
「はい!」ニコニコと笑う紗由。
「こら、紗由。わけのわからない事を言うんじゃない。…先生、すみません。私たちはこれで失礼しますので」保が小宮山に頭を下げた。「ほら、紗由、帰るぞ。先生、それではよろしくお願いいたします」
「あ、いや、西園寺くん。もう少しいいじゃないか。せっかく来てくれたんだ。…ねえ、紗由ちゃん。もう少し、遊んでいけるよねえ?」とびきり愛想よく尋ねる小宮山。
「うーん。じいじのいうこときかないと、かあさまにおこられちゃうから…」
紗由がうつむいた時、保のスマホのバイブレーターが鳴った。
「どうぞ、西園寺くん」
「すみません、先生。ちょっと失礼いたします」
いったんリビングの外に出て行く保。
「ねえ、紗由ちゃん。別の日でいいから、先生に石と仲良くなる方法を教えてくれないかい?」
「はい」紗由は大きく頷くと、リュックの中をごそごそと探し、紫の風呂敷包みを取り出した。「じゃあ、こんどさゆがくるまで、これ、もっててください。ふだんは、ポッケにいれておいて、ねるときも、だいじにだいじに、まくらのよこにおいてくださいね」
「…これは何だい?」
「さゆは、すぐにおしえてあげたいんだけど、いちじしけんにごうかくしないと、だめなんです」難しい顔で言う紗由。
「これを持っていることが、一次試験なのかい?」
小宮山が包みを広げようとすると、紗由が止めた。
「…あ、いまみたら、だめです。じいじに、ばれちゃいます。ないしょですから」紗由がドアのほうを気にしながら、口に人差し指を当てる。
「わかったよ、紗由ちゃん。二人だけの秘密だ」
小宮山の言葉に紗由が頷くと、電話の終わった保が部屋に戻って来た。
「失礼しました、先生。明日の委員会の時間が変更になったようで、連絡が」
「そうかい、お疲れ様」
「準備を早目にしないといけませんので、今日はこれで失礼させていただきます」
「そうか。そういうことなら、仕方ない。また、時間が出来たら、ゆっくり遊びに来てくれたまえ」
「はい、ぜひ。…ほら、紗由、おうちに帰るよ。先生にご挨拶なさい」
「先生、さようなら。クッキー、ごちそうさまでした」ぺこりと頭を下げる紗由。
「紗由ちゃん、また来てね。先生、待ってるからね」
小宮山は優しく微笑み、二人を見送った。
自分の書斎に行き、鍵をかけると、先ほど紗由がくれた包みを開ける小宮山。そこには、木でできた、羽の生えた子どもの像があった。
“これは、もしかして…?”
小宮山は、以前聞いたことのある“羽童”の話を思い出した。
“命”をサポートする“宿”にあるという子どもの像。それは“宿”の守り神のようなもので、不思議な力を持つという。
「こんなもの、いったいどこから…?」
そして、紗由は何のために自分にこれを渡したのかを考えた。特に何か仕掛けがしてあるようにも見えない。所詮、子どものやることだ。保護者たちに隠れて何かしたかっただけかもしれない。いや、待てよ、でも…。
いろいろと考えようとする小宮山だが、なぜか、うまく頭の中がまとまらない。
“アメジストは、やはり力が強いんだろうか。疲れたのかもしれないな…”
小宮山は、ソファーに座ると、人形を風呂敷に包みなおし、着物の胸元に入れ、うとうとと眠り始めた。
* * *
帰りの車の中、保が紗由に尋ねた。
「紗由、いつまで小宮山先生にあれを預けておくつもりなんだ?」
「おそうじが、すむまで」
「いつ済むんだ?」
「それは、かみさまがきめるの」
「なるほどな。でも、お前、先生に教える約束したんだろう?」
「こんど来たら、おしえるっていった」
「…来ないつもりなのか?」
「うーん。グランパのわらわちゃんを、もらいにこないといけないから…」
「そうだな。童も大変だ」保が紗由の頭をぽんぽんと撫でる。
「翔太くんのわらわちゃんね…くるしそうだったの。翔太くんも、ないてたのわかった。とおくだけど、わかったの…」紗由が悲しそうにうつむいた。
「紗由…」
「だから、かみさまにおねがいしたの。翔太君のわらわちゃんを、たすけてくださいって。そうしたら、グランパにおねがいしなさいって、いわれたの」紗由が保を見上げる。
「そうか…。神様の思し召しなら、きっと全てうまく行く」
保は窓の外を見ながら、紗由を抱き寄せた。
* * *
翌月は充のお誕生日会が、「さけみつる」で開かれていた。紗由ら子どもたちとその保護者はもちろんのこと、賢児と玲香、和歌菜までもが参加して、総勢20名ほどになっている。そして、華織や保も後から来るかもしれないということもあり、店は貸切となっていた。
「それでは、おいわいに、みつるくんがケーキをはこんできます!」
紗由が大きな声で言うと、真里菜たちが大きく拍手をする。
「誕生日なのに、本人が一番働いてるよなあ、さっきから」賢児が涼一に尋ねた。
「そうだな。テーブルセッティングから、大人たちへのお酌まで、ずっと動き回ってるもんな」
「ええんです、あれで」
隣に来た翔太が言う。
「子どもが手伝ういうのを喜ぶ大人ばかりではないですから、僕もそうですけど、大丈夫そうな人を選んで、じっちゃんたちがええよて言うたらお手伝いするんです。
充んとこは、お酒入りますからな、最初は平気でも途中からあかんようなってくるとか、いろいろあるんですわ。こんなふうに、好きなだけお手伝いできるの、充はうれしいんです」
「そうか…大変なんだね、客商売の子どもっていうのも」涼一が頷いた。
「でもさ、まりりんに、けっこう、こき使われてるよな…」
「まあ、そういうの好きやし」疲れたように笑う翔太。
「やっぱり、充くんはまりりんが好きなのか?」
「強いおなごが好きなんやろなあ。ゴージャスな感じやと、もっとええ言うか…」
「なるほどねえ…」
涼一と賢児は、和歌菜の前に並べられた幾つもの皿とコップを眺めながら頷いた。
* * *
“何でここなんだろう…?”森本は不思議そうに「さけみつる」の外に出された“本日貸し切り”の札を眺めていた。
紗由からの手紙を受け取ったのが、一昨日の夜。屋上で自分を蹴り飛ばした、あの男からだった。
「紗由さまのご招待だ。ありがたくお受けするんだな。…激マヨは塗り込んだりしないから、安心して来い」
男はそれだけ言うと姿を消した。
“彼女から、この人形を渡されて、ちょうど一ヶ月…”
考えてみると、彼にとって、この一ヶ月は不思議な一ヶ月だった。ずっと緊張した生活を送ってきて、睡眠時間も4時間がせいぜいという生活だったのに、やたらと眠るようになった。起きている時も、何か頭がぼーっとしている。
最初はその感覚に苛立ち、人形を壁に叩きつけたり、それを悔いて撫でてみたりと、感情の起伏がやたらと激しくなった。
そして、それは少しずつ、なだらかな起伏となり、徐々にそれが嫌な感じのものではなくなって行った。
今となっては、温泉に入った後に体を休めている時間のように、ふんわりとした気持ちのものとなっている。
その流れの全てが、この人形、おそらく“宿”の守り神である、この木像のせいなのだろうということは彼なりに理解していた。
時折、自分のトラウマを抉るような鮮明な夢にうなされたりすることもあったのだが、なぜか、その後には、浄化されたかのように、気持ちが落ち着いていく。
“私たちを悪いことに使わないでください”という言葉も、やさしい叱責のように思えた。
とりあえず彼は、人形を手放そうと思ったことは一度もなく、この一ヶ月を過ごしていた。そして、彼は最近よく、紗由から投げられた言葉を思い返していた。
“俺の欲しいもの…”
森本はもう一度入り口を見つめた。
「おや、森本さん。お久しぶりですねえ」ビールケースを持って外に出てきたのは、充の父親だった。
「…ご無沙汰してます」頭を下げる森本。
「あ、どうぞどうぞ。伺ってます。西園寺さんに用事があるとかで、お寄りいただくって」
「ええ、まあ…」
「今日、実はうちの息子の誕生日会になってまして、ちょっとやかましいかもしれませんけど、皆さん2階にいらっしゃいますから、上がって下さい」
「ありがとうございます」森本は再度頭を下げると、少し緊張した面持ちで店に入った。
「おや、森本さん」充の祖父が挨拶をする。
「お久しぶりです」
「ん?」ケーキを2階に運ぼうとしていた充が森本をじーっと見つめた。
「おじいちゃん! こやつ、姫のてきでござるぞ!」
「こら、充!…すみません、森本さん。失礼しました」
「…充くん。僕は今日、姫に呼ばれて来たんだ。…これが招待状」
森本が充に手紙を見せた。そこには紗由の字で招待の内容が書かれている。
「“みつるくんちに、きてください。やくそくのものを、おわすれなく。さゆ”…おおっ! ひめのてがみじゃ」
「お誕生日おめでとう、充くん。用事が済んだらすぐに失礼するから、ちょっと2階におじゃましてもいいかな」
「…いいでござるよ」
充はじーっと森本を見つめながら、2段に重ねたケーキの箱を抱きかかえた。
「手伝うよ」森本は、充の腕から上に乗った箱を取り、さらにそれぞれの箱のふたを開けた。「このほうが、皆喜ぶよ」
「…おおきにでござる」
充はケーキを大事そうに抱えなおし、階段を登っていった。
「おまたせしました!」充が大声で扉を開けた。
「あ、きたきた」真里菜が勢いよく振り返る。
「わあ。きれいなケーキねえ」夕紀菜たちも声を上げてケーキを眺める。
「おいわいのケーキでござる」
充は、そう言って手前のテーブルにケーキを置き、さらに後ろの森本が持っていたケーキを受け取ると、それもテーブルに置いた。
「ケーキおっきいねえ」駆け寄る紗由。
「紗由ちゃん…」
森本が思わず声をかけるが、ケーキを切り分けるためのナイフが手元に残っており、角度によっては、紗由に向かって凶器を持っているかのようにも見えた。
「紗由!」
涼一が飛び出し、紗由をすくい上げるようにして、森本の前に立ちはだかる。
「…大丈夫だからな、紗由…」
じりじりと下がる涼一に、部屋中、一瞬緊張が走る。
「え? いや、これは…ケーキの…」慌ててテーブルにナイフを置く森本。「違いますから…」
「あ。ナイフ。いま、きりますゆえ」
充は、森本が置いたナイフを取ると、せっせとケーキを切り分け始めた。
「とうさま。さゆがよんだの。だいじょうぶだから」
紗由は涼一の腕から降り、すたすたと森本の前に行き、彼に言った。
「さ、紗由…」戸惑う涼一。
子供たちは皆ケーキに釘付けだが、大人たちは緊張して様子をうかがっている。
「ごきげんよう」紗由が挨拶する。
「ご、ごきげんよう…」
「翔太くん、きて!」
紗由に呼ばれた翔太が、紗由と森本のもとへ行く。
「たぶらかすさん、翔太くんに、わらわちゃんをかえしてください」
「わらわちゃん…?」
「このまえ、さゆが、あげたでしょう?」怒ったような顔になる紗由。
「あ、ああ…この人形…」
森本は、紗由に言われるままに、胸元から影童を取り出し、翔太に渡した。
咄嗟に、奪い取るように童を受け取る翔太。
「…大丈夫やったか?」涙目で童を抱きしめる。
「思ったより、大丈夫そうね。よかったわ」
「あ!」思わず叫ぶ翔太。
「おばあさま!」紗由が、現れた華織に抱きついた。
「ごきげんよう、皆様。遅くなりまして、失礼しました」
「失礼します」保も後ろから現れた。
「まあ…先生っ!」
和歌菜の上ずる声を耳にした充が、不機嫌そうな顔でケーキを切りながら、そばにいた奏子につぶやく。
「じいじせんせいは、ケーキなしでいいでござるな」
「うん、いいとおもう。じいじせんせいのぶんは、きっと、さゆちゃんががたべるから」にっこり微笑む奏子。
「マドモアゼル、そうじゃなくて…」
悲しそうな顔になる充のもとに、真里菜がやってきて、ぽんぽんと肩をたたいた。
「おばあちゃまは、じいじせんせいにむちゅうだからねえ…。きょうは、とくべつに、まりりんのケーキあげる。げんきだしなね」
「あねご…! いつもとられてるおやつ、きょうはかえしてくれるのでござるな!」
お礼のつもりで言った充だが、うまく伝わらず、真里菜の怒りを買い、キックされる。
「歩さん」
「は、はい」
華織からいきなり名前を呼ばれて戸惑う森本。
「あなたは、これから別のところへ行ってください。下の車で送らせますから」
「え?」
「紗由が約束しましたでしょ? 一ヶ月、あの人形を持っていられたら、あなたの欲しいものを差し上げると」
「それは…」
「いらないなら、あげませんけど」紗由が両手を腰に仁王立ちしている。
「そうよ。紗由の気が変わらないうちに、行った方がよろしくてよ」
華織と紗由の言葉に、森本はためらいながらも階段を急いで降りて行った。
森本が店の外に出ると、黒塗りの車が停まっていた。運転席から進が出てきて、後部座席のドアを開ける。
「どうぞ、森本さま」
「あ…」
「ご案内いたします」
森本は、警戒した面持ちで車に乗り込んだ。
「どこへ…?」
「そんなにご緊張なさらずに。…これから、紗由さまのお約束を果たしに参ります」
「僕の欲しいものが、どうしてあの子にわかるんだ」少しムッとしたように言う森本。
「自分にもわからないものを、わからせてくれる。それが紗由さまなんです」
「……」
「そして、自分がわかっているものを、さらにわからせるのが華織さまです。その部分は、お覚悟を」
進はアクセルを踏み入れた。
* * *
伍ノ巻 終 続いて 陸之巻 その1へ




