その14
保の書斎には、小宮山の件で調べを進めていた梨緒菜が、これまでの結果を報告に訪れていた。
「三咲さんと、彼女のダミーになった女性の素性なんですけど、この前、先生がおっしゃっていた大隅さんという方につながりました」
「どういう関係なんだい?」
「三咲さんは大隅さんの教師時代の教え子です。梨本先生の秘書、御厨さんもそうでした。ダミーの女性は、森本同様、大隅さんの元部下です」
「三咲さんは私より少し下ぐらいだな。御厨さんは50代前半。大隅さんは今70代前半ぐらいか。40過ぎに教職を離れ会社を起こしたと聞いているから、年齢的には合うな。
…で、元部下ということは、今は違うんだね」
「森本という人と一緒に大隅さんのもとを離れています」
「それで彼女の行方は?」
「まだわかりません、森本も含め二人とも」
「それから、小宮山総理ですが、私に嘘をついていました」
「と言うと?」
「愛人の女性との付き合いは数年前とおっしゃっていましたが、正確には、二度目が数年前です」
「二度目?」
「はい。一度目は30年ほど前。周囲への取材によれば、どうやら子どももいたようです。男女一人ずつ」
「それはまた…」眉間にしわを寄せる保。「それで、その子どもたちの所在は?」
「不明です」
「そうか…。できれば総裁選の前に全部きれいに片付けておきたかったんだがなあ…。何だか不安要素が増えた感じだな」小さく溜め息を付く保。
「森本のほうは、ご心配には及びません。高橋さんが“ミコト姫”イベントの準備を進めています。森本が次のイマジカのイベントの時に現れるだろうと踏んで、仕掛けを用意なさっているようです」
「失礼いたします」噂の進が部屋に入ってきた。
「相変わらず、仕事が速いようだね、進くん」保が笑う。
「恐縮です。…梨緒菜さん、どうも」
「こんにちは。そうそう、先日は母がご迷惑をおかけしまして…」梨緒菜がぺこりと頭を下げた。
「とんでもありません」
「…何かあったのかい?」
「以前、哲也くんに紹介したという美容師を紹介してくださいました」淡々と答える進。
「進くんの好みに合わなかったのかね?」
気に入ったスタイリングをしてもらえなかったのかと思ったのか、進の髪型を眺めながら言う保。
「…ええ、まあ」
眉間にしわを寄せる進の姿に、梨緒菜が思わず笑い出す。
「母は高橋さんが、そちらの方だと信じているものですから…」
「ああ。そういうことか」くすりと笑う保。
「すみません。母もまったく悪気はないんですけど、何しろ、西園寺家と関わりのある人間に“世話”をして、無事にまとめるのがささやかな夢なんです」
「賢児さまの時に失敗していらっしゃいますからね」
「母をかばうわけではありませんけど、母がお見合いを薦めて失敗した人間は、皆幸せになってますわ。涼一さんも、賢児さんも」
「哲也くんもだね」
保が言うと、梨緒菜が済ました顔で言った。
「ええ。ですから高橋さんも、きっとお幸せな結婚ができますわ」
その言葉に保が大声で笑い出したが、梨緒菜はその意味をまだ知らずにいた。
* * *
「ねえ、紗由。“たぶらかすのおじさん”をやっつけるとしたら、紗由ならどうする?」龍が尋ねた。
「うーん…」腕を組んで考え込む紗由。
「紗由もあの小父さん、嫌いだよね?」
「うん。だいきらい」きっぱりと言う紗由。
「じゃあ、紗由ならどうやって懲らしめる?」
「さゆは…こらしめないよ」
「ん?」
「おじさんのすきなひとと、なかよしになる」
「ふーん…。嫌いな人の好きな人と仲良くするんだ。仲良くなって、どうするの?」
「おじさんとは、すぐになかよくなれないかもしれないから、そのつぎに、おじさんとなかよくする」
「大嫌いなのに?」
「いまは、だいきらいだけど、いつかはすきになりたいから」尻尾を振りながら部屋に入ってきたタロウを撫でる紗由。
「でも、相手は紗由のこと嫌いかもしれないんだよ。嫌いじゃなくても、紗由に悪いことしようとしてるかもしれない」
「でも、どっちかが、やめないとだめだよ!」
紗由が語調を強めると、驚いたタロウがキャンと泣いた。
「ずっと、きらいどうしだと、よつじのおじさまみたいに、なっちゃうよ。かなしいひとが、いっぱいになるよ。翼くん、またないちゃうよ。かなこちゃんも…」
目に涙を浮かべる紗由を、龍はぎゅっと抱きしめた。
「わかったよ、紗由。紗由の言う通り、どこかで止めないといけないんだ、こんなこと…」
「にいさま…」
「皆の力を借りよう。皆で何とかするんだ」
龍は、紗由の頭を撫でると、タロウを抱き上げ、部屋を出て行った。
* * *
「ねえ、進ちゃん。効果的な“おしおき”、考えてくれたかしら?」
「…華織さまのお怒りに見合うほどの“おしおき”は、あいにくとまだ…」
「そうねえ…こんなに怒りを覚えたのは、本当に久しぶりよ。保ちゃんが、ひどいことになりそうになった、あの時以来かもしれないわ」
「はい。承知いたしております」
進は深く頭を下げたが、それ以上何も言わない。
「おばあさま。その話、僕も入れて」
龍がリビングへ入ってきた。
「龍さま…!」
「こんにちは。進子おにいさん。また、おばあさまに困らされてるの?」
「あら。龍ってば、ずいぶんな言い方ね」
「ねえ、進子おにいさん。森本って人、家族はいるの?」
「大隅氏によれば、いないとのことですが、大隅氏のところへ来る前のことは調査中です」
「大隅さんが以前の経歴を調べてないとは思えないし、出し惜しみしているわね」
「ペットとか、宝物は?」
「何をするつもりなの、龍」
「彼は、僕を盾にして、じいじを脅そうとしたわけでしょう? だったら、こっちも相手の大切なものを使えばいいよ」
「誘拐に脅迫なんて下品なこと、したくないわ」
「違うよ。おばあさま」龍がくすっと笑う。「紗由の作戦を借りるんだ」
「紗由さまの…?」
「あのね、龍。これは…」
「“子どもの遊び”じゃないよね、おばあさま」華織の言葉を先回りする龍。「でも、まっとうな大人の論理が通用しない相手なんだよ。想像がつく作戦なんて、意味ないよ」
「まあ…そういう考え方も成り立つわねえ」華織が考え込む。
「華織さま。ここはひとつ、龍さまにお任せしてみては。フォローは私たちのほうでいたします。ただ、保さまの今後との絡みもございますでしょうから、期限はある程度区切らせていただくことになるかと…」進は、華織から龍に視線を向けた。
「うん。じゃあ、1ヵ月だけ、僕の好きなようにさせて」
「ちゃんと報告はするのよ」
「もちろん」
華織が小さく肩をすくめると、インターホンが鳴った。
「あら、もうこんな時間。…ちょっとお客様のお相手してくるから、あなたたちはゆっくりしていてちょうだい」
華織は部屋を出て行った。
「ありがとう、進子おにいさん。僕が言っても、きっと聞いてくれなかったよ」
「そんなことはございませんよ。華織さまは龍さまに全幅の信頼を置いていらっしゃいます」
「うーん、でも僕は、知ってる範囲だと5番目ぐらいかな。…それでね、さっき言った、森本の家族とか、恋人とか、見つかったら教えてくれる? 僕、会いに行くから」
「その相手にですか?」
「安心して。危ないことはしないよ。今の時期、じいじに迷惑かかったら困るし。…あ、そうだ、それとね、進子おにいさん。僕、思い出したんだ」
「何をでしょうか?」
「校舎でさらわれた時に現れた敵のボス。なぜだか石が、“味方だよ”って反応したんだ。その人、顔も声も隠してたけど、言葉がちょっと気になったんだよね」
「と、おっしゃいますと?」
「その人、“えらいわなあ”って言ったんだ。最初は褒められたのかなって思ったんだけど、後で思い返してみたら、“疲れるよなあ”っていう意味なのかと思って」
「そう思い直された理由は何なんでしょうか」
「加奈子さんと塩谷さんのお祝いパーティー、あったでしょ。充くんちでやったっていう。その時のビデオ、賢ちゃんが見せてくれたんだ。その中で、遅れてきたお兄さんがいて、“えらいわ”って言いながら入ってきたんだ」
「龍さまのご存知の方だったんですか?」
「イマジカのイベント、僕も何度か行ってるからね。…あの人、ダブルスパイなんでしょう? おばあさま、そういうの好きそうだもん。で、僕の推理だと、名前からして、たぶん“宿”の人」
龍はにっこり笑った。
「それとね、申し訳ないんだけど、今度の連休、運転手をお願いしたいんだ。ごめんなさい。おばあさまと言い、僕と言い、人使いが荒くて」
「いいえ、龍さま。やりがいのある仕事ですから」
* * *
「中山くぅん。ちょっと来て、ちょっと」
進が中山弾を手招きして呼び出す。
「だめよ、こんな写真。賢児さまのワイルドなビジュアルと、マイルドなメンタルのバランス、ぜーんぜん表現できていないじゃないの」
険しい顔で、新しいソフトの紹介インタビューのゲラを差し出す進。
「そうですか…うーん、頑張ったつもりだったんですけど…」
「ん、もう! 第三者の意見は、ちゃんと謙虚に受け止めなさい! それが最低限のルールよっ」
そう言うと進は、中山の肩を抱え込むようにして耳元で囁いた。
「潜入中に方言は使うな。それも最低限のルールだ」
「え?」進を見つめる中山。「は、はい…承知いたしました」
「えらいわあ。素直な子って、だあい好き」進は手をヒラヒラさせながら、自分の席へと戻って行った。
* * *
「ちょっと、みつるくん! なんなのよ、これ」
真里菜がノートをぱんぱんと叩きながら、充に詰め寄った。
「なにって…おはなしが、おわったんでござるよ」
「だーかーらー。どうして、こういうおわりかたになるの?
“つぎのひ、どうしたことか、ナーシモおうは、いいひとになりました。
ひめもおうじも、みないえにかえり、サイオンおうはひかりのだいおうになりました。
そして、ようせいのミーツンは、レイがうんだふたごのおんなのこを、およめさんにして、みんながおいわいをしました。めでたし、めでたし”」
「ハッピーエンドはおきらいか?」
「ああん?」眉間にしわを寄せ、充の胸元をつかむ真里菜。
「いやあん」充が泣きそうな顔になる。
「ねえ。かなこちゃんは、どうおもう?」
「…ふんいきのある、おはなしです」真里菜と目を合わせずに答える奏子。
「ほら! わけわかんないって、いってるじゃない!」
「だったら、じぶんでつくればいいのに…」小さい声で言う充。
「…もういちど、いってごらんなさい」真里菜がゆっくりと言う。
「ひいぃ…」奏子の陰に隠れる充。
「どうしたの、みんな」紗由がキッチンスペースから、クッキーの袋を抱えて現れた。
「さゆちゃん、どうにかしてよ。こんなおはなしのおわりかたって、ある?」
「どれどれ……うわあ、きゅうにおわっちゃったねえ」
「そうでしょう? なのにぃ、じぶんだけ、およめさんもらってるんだよ。どーゆーこと?」
「みつるくん、このまえも、ゆめのなかで、まこちゃんとばかり、おはなししてたよね」奏子が頷く。
「うん。“きーみは、とくべつなレィディだからさっ”っていってたね」髪を掻き揚げる紗由。
「それ…だれ?」真里菜が尋ねた。
「まことおにいさんのまねをする、みつるくん」
「…さゆちゃん。それじゃあ、チビまる子ちゃんの、はなわくんだよ」
「うわ。あかん。やってもうたわあ」頭を抱え込む紗由。
「ししょうだ!」
賢児の社長室を会場とした、紗由たちの例の会議の様子を横で聞いていた賢児は、気がかりな様子で彼らをチラチラと眺めていた。
「何か盛り上がってるようだけど、肝心の話、半端に終わったみたいだなあ…」
「そうですわね。でもまあ、子どもなんて飽きっぽい生き物ですし」進が淡々と言う。
「後は、こちらで話を膨らませましょうか」哲也が言った。
「うん…」
賢児は気のない返事をした。
充の作った話に微妙に沿った形で、子どもたちや石に関することは一応の決着を見たものの、保に関することが中途半端な気がして、気になっていたのだ。
“光の大王になりました”で済ませていいものなのかどうか、そして、相変わらず聞いても何も言わない華織も含め、賢児は何かが引っ掛かったままだ。
考え過ぎかもしれないが、玲香の石が来てからというもの、この“気になる感じ”が強くなっているようにも思える。
「賢児さま…?」
「え?…あ、すみません。何でしたっけ」
「イベントの件ですわ。前回のようにミニ寸劇を入れようと思うんですけど、いかがでしょう」
「そうですね。あれは前回も評判がよかったし」
「子どもたちが作った話では、ナーシモ王が悪者ですけど、さらにラスボスを置いたらどうかと思うんです。ラスボスがナーシモ王を裏切り、ミコト姫は仲間と協力して、敵だったナーシモ王を助けようとする。続きはソフトで…といった感じでいかがでしょう」
「それ、面白そうですね。お任せします」
「あと、もうひとつ、よろしいでしょうか」
「何でしょう?」
「光の大王役で保先生にご参加いただきたいんですが」
「親父に?」
「ええ。お忙しいのは存じておりますけど、総理になってしまわれたら、やたらなことはお願いできませんでしょうから、その前に」
「いや…聞いてみないと何とも」困惑する賢児。
「ラスボスへの戒めの言葉をぜひ先生にお願いしたいですわ。話題になりますわよ」
「では、その件は私のほうから先生に」哲也が言う。
「そうだね…そのほうが言うこと聞きそうだし」
「進子おねえさん! さゆ、またおひめさま、やるの?」紗由が進に走り寄る。
「やってくれるかしら?」
「うん。いいよ!」
「せっしゃもでます、大ししょう!」
「じゃあ、さゆ、ナーシモおうにも、こーしょーしとくね」ニコニコ顔の紗由。
「交渉って?」賢児が尋ねた。
「たくみくんのおじいさまに、おねがいしとく」
「紗由…まさかと言うか、やっぱりと言うか、ナーシモ王って梨本先生なの?」
「わるそうな、おかおでしょう? たくみくんには、やさしいんだけど、」
「おばあちゃまが、“たぬきじじい”だっていってました。きっと、たぬきのおうさまなんです」真里菜が話に入ってくる。
「あの、うちのパパは、“くえないやつ”だっていってました」奏子が言う。
「にんじゃのさとでたべたタヌキじるは、おいしかったでありんすよ」続ける充。
「本物のタヌキさんかどうかは、わからないわね」進が言う。「本物の肉はね、臭みを抜くのに一週間も土の中に埋めておくのよ。それでも、かなり癖があるし。でも、同じようにタヌキ汁と呼ばれているアナグマ肉の汁ものは、とっても美味なの。それから、こんにゃくを入れた汁物を、タヌキ汁って呼ぶこともあるのよ」
「へえ…」一同が声を上げる。
「あら、すみません。よけいな話でしたわ。まあ、“タヌキは食えない奴”っていうことで」微笑む進。
「すばらしいおマトメでございました、大ししょう!」充が進の手を取り、ぶるんぶるんと振る。
「確かに勉強になりましたが、紗由…お前のはちょっとなあ。親父が光の大王役で、梨本先生に悪の大王はお願いできないだろう?」
「あら。逆に面白いんじゃありません?
梨本先生、最近は現総理との確執が噂されて、人気も落ちているようですから、自ら悪役を買って出て、保先生を立てる形で太っ腹なところを見せていただければ、お互いメリットがあると思いますけど」
「おっしゃることは一理ありますけど、親父の口からはさすがに…」
「だから、さゆがいってくるってば」口をぷーっと膨らませる紗由。
「それも含めて、保先生にご相談をしておきます」哲也が言う。
「…確か、躍太郎さまは、梨本元総理と東大の同期でいらっしゃいましたわよね。そちらからお願いしていただくのも、よろしいかもしれませんわ」
「わかりました。前社長と保先生のお二人にご相談を」
哲也は笑いながら頷いた。
* * *
連休の前日夕方、翔太は念入りに清流の庭掃除をしていた。
“朝掃いたのに、もうこんなやで…”翔太は集めた枯葉をせっせと袋に詰めた。
「おーい!」
意外な声に振り向く翔太。
「龍! どないしたん?…ひとりか?」
辺りを見回すが、他の人間の姿が見えない。
「うん。お供がひとりいるけどね」
「“命”さま、今は東京やろ? こっちに何の用なん」
「これから神戸に行くんだ。その前に、翔太にちょっと相談したいことがあって」
「何や、改まって」
「あと、それとは別に、大隅さんのことで、弥生ちゃんに聞いておきたいこともある」
「弥生ちゃん、アトリエや。そろそろ仕事終わって、こっち向かうと思うけど」
「じゃあ、電話しておいてくれるかな。先にそっち行ってくる。終わったら、一緒に清流に寄るよ。ここで弥生ちゃんにいろいろ聞いてると、飛呂之さんが心配すると思うし」
「んー…せやな。じゃあ、電話しとくわ」
「サンキュー。じゃあね。また後で」
龍は手を振りながら、正門に横付けしてあった車へと走って行った。
車の中から男が出てきて、龍の乗る後部座席のドアを開けた。
「え!?」翔太は思わず声を上げた。
“あの人…?”
走り去る車に駆け寄った翔太だったが、車はもう姿が小さくなっていた。
* * *
「龍くん、いらっしゃい」
「こんにちは、弥生ちゃん」龍がうれしそうに駆け寄る。
「来てくれてうれしいわ。ありがとう。…そちらの方、高橋さんでいらっしゃいますよね。玲香や翔太がいつもお世話になっております」ゆったりと頭を下げる弥生。
「いえ。こちらこそ」進も挨拶を返す。
「彼のこと、翔太が言ってたの?」龍が進のほうを見た。
「いいえ。翔ちゃんは、龍くんがお供の方と一緒にお見えになるとだけ…」
「じゃあ、どうして知ってるの?」
「賢児さんと同じぐらい背が高くて、がっしりした、細い縁のメガネの精悍な二枚目がいるって、前から何人かに聞いてたから。
一人は大隅。華織さんの一般枠一番弟子だって言ってたわ。
それと玲ちゃんと翔ちゃんからもよ。玲ちゃんの親友の一人で、翔ちゃんの絵の先生。…玲ちゃんたちの前では、“そっち”の人のようだけど」弥生が微笑む。
「恐れ入ります」
「進子おにいさん、やっぱりいろいろ、おばあさまから伝授されてるんだね。その筋では有名なんだ」
「龍さま。その表現はご勘弁願います」苦笑する進。「弥生さん。私が華織さまの配下の者だということは、できればご内密に…」
「ええ、もちろんです。他の者にも話してません。ご安心ください」
「ありがとうございます。…玲香さんや翔太くんを騙していることは心苦しいのですが」
「翔太は、薄々気づいているとは思いますけどね。聞かないのが“ルール”だということも、わかってきているようですから、直接お聞きするようなことはないと思います」
「承知いたしました」
「玲香ちゃんには、双子ちゃんがしゃべっちゃうかもしれないね。まあ、玲香ちゃんのことだから、直接進子おにいさんに確認するだろうね」
「正直、今から戦々恐々です。玲香さんとの友人関係にひびを入れたくありませんし」
うつむく進に弥生が言った。
「娘を信じて下さい。高橋さんや、加奈子さん、塩谷さんとの関係、あの子はとても大切に思っています。何があっても壊れるようなものではないと思いますわ」
「はい。…ありがとうございます」進はもう一度頭を下げた。
* * *
正門前から聞こえた車の音に、翔太は慌てて飛び出した。
「おかえり…」
弥生にそう言いながら、翔太の目は車の中に進の姿を探そうとするが、中にいたのは助手席の龍だけだった。
「弥生ちゃん、龍の運転手の人は?」
「ご用事があるみたい。私が運転してきたの。…少し遅くなっちゃったわ。じゃあね、翔ちゃん。…龍くん! ごゆっくり!」手を振りながら、弥生が宿へ入って行った。
「ありがとうございました!」龍も車を降りながら手を振る。
「龍、あんな…」
「その質問なら、答えはイエスだよ」
「…後で詳しく聞いてもええのんか?」控えめに尋ねる翔太。
「今、答えるよ。進子おにいさんは、おばあさまの部下。いろいろ伝授もされてるようで、けっこう力もあるんだと思う。格闘技もばっちりだよ。僕のこと抱きかかえたまま、森本に回し蹴りくらわしてたし。
あとは…ゲイじゃないよ。僕も知ったのはつい最近」
「そっか…」翔太は腕組みして考え込んだ。「…進子ちゃん、やさしい人やから、俺や冷ちゃんに嘘ついてるの、きっついんやろうなあ…。龍、俺が知ってることは内緒な。この話は、これまでや」翔太は龍の目を見つめた。
「OK。じゃあ、僕が来た本題に入るね」
「隠し部屋行こうや。じっちゃんから、鍵預こうとる」翔太は龍を離れの奥に案内した。
「僕もさ、そっちのことを詳しくおばあさまに確認したことって、なかったんだよね」
「弥生ちゃん、そんなに知っとったんか…」
龍が話す内容に、翔太は聞き入っていた。
大隅が仕えていた澪の父親は、一言で言うなら、保護本能をくすぐるにもかかわらず野心家という、二面性を持った人物のようだった。
機関の長という立場での禁を破ってまで、何人もの女性と関係を持ち、問題視をされながらも、部下たちはまるで、手のかかる子どもの不始末に奔走するかのような毎日を、傍目にはむしろ嬉々としてやっているように見えたのだという。
彼の野心というのも、腹心の大隅からすれば、子どもがどんどん新しいおもちゃを欲しがるような感じで、部下たちの仕事の大半は、女性たちも含め、“捨てられたおもちゃ”の後始末だったのだという。
だが、彼が目のつけるおもちゃには、必ず特筆すべき能力があり、瞬間的にであれ、利益を機関にもたらすのも事実だった。そして彼の、どこか守ってやりたいと思わせる言動が、人を集め、注意深い大隅ですら、一種の虜にしていたのだ。
彼が機関の総帥になった時点では、一部条件付で、“命”同士の接触は許されていた。
だが、華織が“命”になった時、その驚異的な力を恐れて“命”同士の接触を禁じ、さらには華織自身を欲しがった。
華織はそれを拒み、“子ども”な彼は、華織にしっぺ返しをするかのように、一つの家から一時に“命”は一人だけという原則を破り、保をさらに“弐の命”に付けようともしたらしかった。
「それ、どないにして、避けたん?」
「彼に言ったんだって。あなたの未来を受け取ったけれども、私はその未来があなたにふさわしいと思うので、夢違えはしませんて」
「それ、体のええ脅しやん」翔太が笑う。
「相手はビビッて、その時は引き下がったみたいなんだけど、何かに付け、一緒に働いていた一門に嫌がらせをしてたらしいよ。
でも、おばあさまは“弐の命”だしね、先に受け取れるから、何ともなかったみたい」
「さすがやのお…。しっかし、娘の澪ちゃんや加奈ちゃんには悪いけど、大人気ないおっさんや」
「だよねえ。その後も総帥は、気に入った子に振られると、その一門に嫌がらせをしたり、お役を取り上げたりしてたらしい。
弥生ちゃんも、彼のこと振った人間の一人だからね、次に妹、澪ちゃんのお母さんに目を付けたんだよ。
でも、なんかね、その時は別の女性たちが手伝ってたらしいよ、澪ちゃんのお母さんをゲットするために」
「それって、俺が加奈ちゃんとデートするのを、紗由ちゃんが手伝うみたいなもんか?」眉間にしわを寄せる翔太。
「うん。彼がかなり本気になっちゃってたみたい。つまり…翔太の気持ちを引き止めるために紗由が…みたいなことらしい」
「さすがに、そこまでいくと、ようわからんわ…」クビを左右に振る翔太。
「で、その影響で、力のある“弐の位”も、どんどんはずされて、大隅さんは、さすがにこのままだと、“命”のシステムに破綻をきたしかねないと、危険に思ったらしいんだ。そこで考え付いたのが、第二の“命”育成機関」
「もしかして、あのパーティーは、そういう目的のものなん?」
「そういうこと。総帥がはじいた家の“命”や“弐の位”を一同に集めて、集団面接してたんだよ。見込みがありそうな子を、さらに再教育してたんだ。森本もそう。
三咲さんや、御厨さんは、元は教員時代の教え子だったけど、結果的にはそっちでも教え子ってことみたい。
同じ年度のパーティーの子が原則としてはクラスになってたようだけど、中には学年を超えてチームを組ませて、特別な教育をしていた場合もあったらしいよ。まあ、いずれにしても、僕的には3人とも大したことない」
「龍と比べて大したことある奴なんて、ようおらんわ」笑う翔太。
「それで、大隅さんにしてみれば、手の掛かる上司の不始末を始末するための砦として考え付いたものらしいんだけど、上司が最終的な不始末を起こす前に、その娘が起こしてしまって…総帥自身はちょっと壊れちゃった」
「…澪ちゃんの事件やな。それがきっかけで、総帥は引退したんやろ?」
「そう。で、別のグループから総帥が擁立されて、大隅さんは彼の元を…というより機関を離れた」
「自分の教育した子どもたちで、新しい勢力作るっちゅうことか」
「最初は純粋に、不条理に“命”の座を追われた子どもたちの能力育成スクールみたいなものだったんだと思うんだ」
「それが、段々と試してみたくなったちゅうことか」
「うん。…それも、弥生ちゃんの一言が引き金だったっていうんだ、弥生ちゃんは」
「何、言うたん?」
「あなたの教育程度じゃ、何の役にも立たない。“命”の足元にも及ばないって。だから弥生ちゃんは、自分のせいで大隅さんが意地になって…御役御免に追い込むような真似までして、子どもたちを集めて、“試合”に臨んだんじゃないかって思ってた」
「そないなこと…!」
「もちろん、弥生ちゃんの考え過ぎさ。後始末だけに追われていた人が、楽しいおもちゃを手に入れたら、遊びたくなるのは当然だよ。30年くらいかけて、やっとあのレベルまで来たってことだろうから。弥生ちゃんが何を言っても言わなくても、大隅さんは“試合”を僕たちに挑んだだろうし、それはこれからも変わらないと思う」
「そやな…」翔太は考え込んだ。
「なあ、龍。それが分かった上で、おまえ、何しようとしてるん?」
「森本を何とかしたいんだ」
「まあ、“命”さまも、かなり怒ってるようやしな。おまえ相手にスタンガン持ってたって、それだけで、あかんわ。名前出ただけで、ぴかぴかの色が、よう変わりよる」
「紗由に聞いたんだ。森本をどうやって懲らしめるかって」
「何て答えたん?」
「懲らしめないんだってさ。奴の大切な相手と仲良くなって、いつかは奴とも仲よくなりたいって。今は大嫌いだけど、どちらかが止めないと終わらない。また、翼や奏子ちゃんのように泣くはめになるって」
「そうか…」翔太がにっこり笑った。「さすがは、俺の紗由ちゃんや。…せやけど、その考えも、難しいとこあるよなあ」
「だよね」
「四辻先生の件、もし、あいつが何か関係してるんやったら、翼くんや奏子ちゃんにしてみたらカタキやで。そないに簡単に割り切れんやろ」
「僕もそう思う。でも、紗由の気持ち、僕は大事にしたいんだ。もしかしたら、四辻の二人とは離れることになるかもしれないけど、誰かが何かをしないと、同じことが起こり続けるだけだから」龍は唇をかんだ。
翔太もなかなか、うまい言葉が出てこない。奏子と離れるかもしれないと覚悟してまで臨むつもりなのだ。下手な慰めなど龍に通用するはずはない。
「森本の“仲良し”を探しに行ってくるよ」
「そのために神戸行くんか?」
「うん。三咲さんに会ってくる」
その時、内線電話が鳴った。最近、隠し部屋にも連絡手段を付けたのだ。
「じっちゃん? 何?…え? 予約入ったん?…そっちもかいな。うん、うん。いや、そっちは知らんけど…。わかったわ。おおきに」
「ごめんね。連休前で忙しいんだよね」
「三咲さんから、今、予約入ったで」
「え?」
「急なキャンセルがあった直後にやて。じっちゃんも、何か感じたみたいやな」
「…神戸に行く必要なくなっちゃったか」
「“命”さまも、これから清流来るんやて」
「はあ?」
「こっちの離れに泊まるて。グランパさんも一緒。あとな…」
「まだあるの?」眉間にしわを寄せる龍。
「紗由ちゃんも来るて」
「…だから、うれしそうだったんだ、今朝」龍は溜め息をついた。
「なあ、進子ちゃん、どないするん?」
「おばあさまのことだから、きっと勝手にどうにかしたよ」
「まあ…そうやろな」
「まったく。子どもの自主性は、こうやって芽を摘まれていくんだと、僕は思うよ」
龍は不機嫌そうに、目の前のクッキーを頬張った。
* * *
今日は涼一のゼミの飲み会だった。連休前日ということで、学生もハジケムード満載だ。
助手の川辺がお酌をしに涼一のところへやってくる。
「いいよ、いいよ、川辺君。いつもお世話になってるのは僕のほうなんだから」
涼一が、近くにあった未使用のグラスを差し出し、ビールを注いだ。
「すみません、先生」
「ああ。いい、いい。僕はいつもどおり手酌で行くから」
「あの、飲み放題メニューになくても、お好きなもの、注文してくださいね」
「うん。ありがとう」涼一は笑いながら答えた。“だよなあ。どうせ2万は置いていくんだし…”
「先生、たまには女子学生にお酌させてやってくださいよ。楽しみにしてる子、多いんですから」
川辺がウインクすると、涼一はうんざりした顔をする。
「メアドぐらい自分で聞いてくれよ。僕経由はNG」
「あはは。バレましたか」
「そういえば…以前見学に来ていた留学生の彼女、どうした? あの時、来月になったら論文要旨の添削と感想をって言われてて、あの時はメモ程度のものだけ受け取ったんだけど、連絡来ないんだよね、そういえば」
涼一はできるだけ自然に尋ねてみた。出掛けに紗由が言っていた「おねえさん、こんど、どくりんごもってくるね」というセリフが気になったからだ。白雪姫のビデオを見た後だったからなのかとも考えたが、涼一の頭に浮かんだのは、例の留学生の彼女のことだった。
それに前日には、保の書斎で偶然目にした、梨緒菜の事務所名での報告書類に、気になることも書かれていた。
「ああ、香港から来た彼女ですか?」
「うん」
「学校、来てないみたいですよ」
「え?」
「よくある…とは大声で言えませんけど、半分は、夜も体を張った仕事組だったって噂が」
「日本語も質問内容もしっかりしてたよなあ。普通の留学生だとばかり…」
「もったいない気もしますけどね。噂が本当なら」
「だよなあ…。メモがけっこう面白そうだったんで、そのうち一度、話をしようかと思ってたんだけど、それじゃあ、連絡先わからないか」
「えーと、履歴書に連絡先や保証人の住所があったはずですよ」
「そうか。ありがとう」
川辺にもう一杯ビールを注ぎながら、涼一は今朝の自分の疑念が確信に変わるのを感じていた。
* * *
翌日、華織が清流に着くと、龍が不機嫌そうな顔で部屋に出向いた。
「ごきげんよう、おばあさま」
「あら。龍はあまりご機嫌よくなさそうね」
「僕に任せるつもりがないなら、最初から止めればいいじゃないか。進子おにいさんにだって、中途半端に仕事お願いすることになって申し訳ないよ」
「進ちゃんなら、京都のほうでのんびり連休を過ごしてもらうことにしたわ。たまには家族サービスもさせてあげないとね」
「実家が京都なの?」
「うーん、ちょっと違うんだけど、まあ、それは追々ね…」
「ごめんよ、龍。お前のやろうとしていることを遮るつもりはないんだ」躍太郎がすまなそうに言う。「ただ、先日、華織のところに来た客人が、どうしても三咲夫人の話を聞いて欲しいと言ってきたものだからな」
「客人て誰?」
「御厨さんだよ」
「何であの人が…? 三咲さんと何か特別な関係があるらしいことは、わかってたけど…」
「特別って?」華織が尋ねる。
「まりりんが言ってたんだ。あの二人は、二人の時には匂いが変わるって。だから、特別な関係があるのかと思って」
「苦労を共にしてきたわけですものね…」
「同志以上の関係ということか」
「どういうこと?」
「その辺は、あなたがもう少し、大人になってからでいいわ」華織が意味深な微笑を浮かべた。
「そうやって、都合よく子どもにしたり、大人にしたりするの、やめてほしいな」むすっとする龍。
「そういう不条理を味わいながら、子供は大人になるものなのよ。…でも、あなたは幾つになっても、誰よりも大切な可愛い孫よ」
「おばあさま…」
「じゃあ、とにかく三咲さんに話を聞きましょう」華織は愛おしそうに龍の頭を撫でた。
* * *
三咲の部屋に華織たちが訪れると、ほどなく、翔太がお茶を運んできた。
「失礼いたします」
丁寧に頭を下げ、手際よくお茶と菓子を配る翔太。
「すごいでしょう? 翔太くんは1年以上も前から、こうしてお手伝いしているんですのよ」
「小学校に入った時から…ですか?」驚く三咲。
「庭掃除や花壇の手入れなら、幼稚園の頃からやってますよ」龍が補足する。
「…それは、おうちの方が、そうするようにと?」三咲が翔太に尋ねた。
「いえ。僕がやりたくて、お願いして、やらせてもらいました」翔太がにっこり笑う。「お客様が楽しそうにしてくれたら嬉しいですし、僕は七代目ですから」
「まあ…そうなの。素晴らしいわ」三咲が穏やかに微笑む。「やりたいことと、やるべきこと。この二つが一致しているのは、とても幸せなことなのよ。翔太くん本人にとっても、周囲にとっても」
「三咲さんは、一致してなかったんですか?」龍が聞く。
「難しい質問ね」笑う三咲。
「でも、今回お話していただく間に、その辺りは詳細なお答えをいただけそうね」
華織が言うと、三咲は小さく頷いて、話を始めた。
* * *




