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その13


 玲香の夢の中では、双子はすでに生まれており、もう3歳ぐらいになっていた。言葉もだいぶ話せるようになっている。

「ママー。おいもとった!」

「あら、まーくん。すごいわねえ。大きいお芋さんが取れたわねえ」

 玲香が自分の手袋をはずして、男の子の頭をなでた。どうやら3人で畑で芋掘りをしていたようだった。

「まこも、とれたよ」

 女の子が小さいサツマイモを二つ抱え、笑顔でやってくる。

「あら、可愛いお芋さんねえ。まこちゃんみたいだわ」

 女の子をギュッと抱きしめる玲香。


「玲香ちゃん、こんにちは!」紗由が声を掛けた。

「あら、紗由ちゃん。こんにちは。皆も一緒なのね」

 現在の年齢のままの紗由たちに疑問を抱く様子もなく、玲香は皆に挨拶をする。

「さゆねえたん、おそいよ」女の子が言う。

「もう、おいもないよ」男の子が言う。

「さゆは、おいもとるより、たべるほうをやるから、いいよ」

「さゆねえたんは、いつもたべてばかりだから、とったひとがたべることにしたよ」

 男の子が言うと、途端に悲しげな顔になる紗由。

「しょうがないなあ。まこのをひとつあげるね」

 女の子が差し出すサツマイモを、紗由は嬉しそうに受け取った。

「ありがとう!」


「うしろのひと、だあれ?」女の子が玲香の石に気づいて尋ねた。

「えーとね、ママの古いお友達だよ」

 龍が答えると、玲香は石をじっと見つめた。

「あら…ずーっと、ずーっと前に会ったことがあるわ、その綺麗な紫の髪…そう、夢の中だったかしら」

「夢じゃない」石はぎゅっと唇を噛み締めた。


「夢じゃない…」玲香はしばらく考え込んだ。「もしかして、ずーっと昔に、清流の裏山で会ったのかしら?」玲香は 懐かしそうに石の顔を覗き込んだ。

「うん…」石は少し拗ねたように答えた。

「そう、久しぶりに会えたのね。…今までは、どうしてたの?」

「清流の石たちのいる箱の奥のほうにいて…一人だった」

「…一人。ずっと?」

「ずっと」

「そうだったの…ごめんなさいね。私、あれは夢だったんだと思っていたの。だから、あなたのこと探しにも行かなくて…」


 玲香は幼い頃、清流の裏山に一人で登った時のことを思い出した。

 誰かに呼ばれたような気がして、一人で入ってはいけないと言われていた裏山に登ったのだ。

“まいごにならないように、ひもをつれていこう”

 玲香は梱包用の紐を裏山へ続く庭にある木に結びつけ、紐を少しずつ出して、それをたどるようにしながら、山へと登って行った。

 だが、紐は途中でなくなってしまい、まだ天辺へ到着していなかった玲香は、その先は一人で行くことにした。

 しかし、すぐに道がわからなくなってしまう。日暮れも段々近づいてきた。


 心細くなった玲香が泣き出した時、女の人が玲香の前に現れた。顔は深く被った大きな帽子でよく見えなかったが、優しい声の人だった。

「これ以上、先へ行っては駄目よ。一緒に降りましょうね」

 玲香は、その人に手を取られ、元来た道を戻って行った。

 女の人は、清流の裏庭手前まで来ると、玲香に紫の石を渡した。

「お守りよ」

 震える声でそう言って姿を消した女の人のことが気になったものの、飛呂之が心配そうに自分を呼ぶ声に気づき、玲香はその石をポケットに入れると、一目散に清流まで駆け出した。


「その後は…とうさんの腕の中で、疲れて眠ってしまって…気がつくとパジャマになってたわ。着ていた服のポケットにも、あなたはいなくて…。だから、夢だったのかなって思ったの。ごめんなさいね、一人にさせてしまって…」

「夢じゃない。夢じゃないよ!」石はぽろぽろと涙を流した。「前のご主人様が、突然僕を捨てて、そのまま受け取ってもらえなくて、ずっと、ずっと寂しかったのに…」

「ごめんなさい。本当にごめんなさい…」玲香もぽろぽろと涙をこぼしながら、石を抱きしめた。「でも、これからは、ずっといっしょだから」

「本当…?」

「ええ、本当よ。…じゃあ、本当だっていう気持ちが、手からいっぱいいっぱい伝わるように、ハンドマッサージしましょうか」


 玲香がそう言うと、いつの間にか一同は賢児一家のリビングにいた。

 いつも会社で賢児にしているように、ぬるま湯で相手の手を温めたあとに、アロマオイルを自分の手と相手の手に伸ばし、優しくマッサージを始める玲香。

「最近、裏山のことをよく思い出していたの。でも、意味がよくわからなくて…」

「僕が呼んだからだよ」

「そうだったのね…。あのね、最近まで、賢児さまと私だけ、自分の石だと“命”さまに認めていただけるものがなかったの。でも、賢児さまの石は見つかって、私の石はどこにいるんだろうって、ずっと気に掛かっていたのよ」

「…僕、本当に一緒にいられるの?」

 石の問いに、玲香が笑顔で頷くと、今度は石も玲香の言葉を信じたらしい。その顔がパーッと明るくなった。


「まーくん、まこちゃん、今日は、この子がうちに来てくれたから、お祝いのパーティーよ!」

「まこ、もっとおいも、とってくる!」

「まーくんも、おやさい、とってくる!」

 双子たちは、それぞれに紗由と龍の手を取り、庭の向こうにある畑へと走って行った。ほかの子どもたちも一様に後に続く。

「僕が来てうれしい?」

「もちろんよ」玲香が石を抱きしめた。「うふふ。今日のメインディッシュは何にしようかしら。好きな食べ物はなあに?」

「ハンバーグ…」

 石は嬉しそうに笑うと、自分の胸に手を当て、そこから取り出した涙型の滴を玲香の額にそっと入れた。


  *  *  *


 カゴ一杯の野菜やら果物やらを抱えて帰ってきた子供たちは、玲香にそれらを渡すと、玲香が用意していたおやつを食べ始めた。

「仲直りできた?」翼の石が玲香の石に聞いた。

「…うん」恥ずかしそうに頷く玲香の石。

「じゃあ、このまま皆で、お父さんとお母さんのところに行こうか?」

 梨本の石が、4人の石を見回すと、玲香の石以外は皆頷いた。

「行きたくないの?」

「ご主人様がパーティーしてくれるから…」

「それまでに戻るよ。僕たちだけじゃなくて、7人皆で西園寺家に戻ってくるんだよ。僕たち全員共通の“大きなご主人様”のところへね」

 梨本の石の言葉に、今度は玲香の石もしっかりと頷いた。


  *  *  *


 龍と翼は、他の子どもたちより一足先に目を覚まし、華織の指示の元、隣の部屋へと移動し、誠に指名を受けた7人は“結びの儀”を始めた。

 儀式は30分ほどで終わり、華織は大きく深呼吸した。


「仕事がなさそうかと思ったわりには、けっこう疲れたわね…」

「1週間以上、塩に寝かせておいたのに、後から後からドロドロ出てきた。驚いたよ」同意する風馬。

「権力欲というのは、すさまじいエネルギーだな、まったく」躍太郎も苦笑いする。「だが、これで安心して保くんに渡せる」

「そうね。ここで石が“結び”を拒んだら、あの子が危なくなるところだったわ」

「母さん、弥生さんはどうする?」

 儀式が終わると眠りについてしまった弥生を風馬が見つめる。

「このまま休ませておいてあげましょう。…龍も疲れたでしょう。風馬、後で少し調整してあげて」

「僕なら大丈夫だよ」龍が言う。「玲香ちゃんのほうをやってあげて、風馬叔父さん」

「わかった」

 風馬は隣の部屋のソファーで寝ている玲香のところへ行き、その額に手を伸ばした。


  *  *  *


 風馬がヒーリングを始めてほどなく、玲香が目を覚ました。

「…ここは…?」

「華織伯母さんのマンションだよ。みんなもいる」

「賢児さま…私、夢を見ていました。私の石に再会する夢です。この子たちもだいぶ大きくなってて…」玲香は自分のお腹を撫でながら、賢児を見つめた。

「よかったですね、玲香さん。今夜はその子にハンバーグを作ってあげてください」

 風馬が微笑むと、玲香はその夢が現実とつながっていることを理解し、大きく頷いた。


  *  *  *


 龍と翼以外の子どもたちも目を覚まし、本日何度目かのおやつを食べていた。


「猛くん、どうしたの?」

 周子が部屋の隅にあるカウンターバーの流しに、紗由がジュースを零して拭いた台拭きを持っていくと、カウンターの内側に、猛が膝を抱えて座っていた。

「僕にはいない…」

「いないって、何がいないの?」周子も座り込み、猛の顔を覗き込んだ。

「玲香ちゃんの石はいいな。みんなが心配してくれて」うつくむ猛。

「猛くん…」


 周子は立ち上がると、猛を抱きかかえるように立ち上がらせ、カウンターバーの隅ある椅子に二人で座った。

「心配してくれる人がいないだなんて、そんなことないわ。智弘くん…あなたのお父さんだって、お母さんだって、お兄ちゃんだって、おじいちゃんだって、皆あなたの幸せを願ってるはずよ」微笑みながら猛の頭をなでる周子。

「そんなことないよ。僕はみなに捨てられたんだ。玲香ちゃんの石みたいに拾ってもらえることもない」

「どうして、そんなふうに思うの?」

「どうしても」

 猛は椅子に座ったまま膝を抱え、膝に額をこすりつけるように下を向いた。


「おばさんに聞かせてもらえないかしら。何か嫌なことがあったんなら、話してしまうといいわ。少しは気が楽になると思うの」

「でも…」

「…猛くん。人に対して、中途半端な話し方はしてはいけません。ちゃんとお話しなさい」

 低い声で言う周子の顔を見ると、猛はその目が笑ってないのに気づいた。

“これが、龍くんが走って逃げる怖い顔だ、きっと…”

「は、はい」

 猛は周子の迫力に押される形で、自分の身に起きたこと、感じていることを少しずつ話し出した。


 事の発端は、猛の父親、周子の従兄弟にあたる智弘が度々の詐欺に会い作った借金だった。

 猛の祖父・隆一郎は、できる限り金の工面をしてきたが、今回は屋敷を手放すというところまで来てしまっていた。

 このままでは智弘の妻・都の実家にも迷惑がかかると思った隆一郎は、智弘夫婦を離婚させ、子どもたちとともに都の実家へ帰した。


 ほどなく、元総理の梨本から、猛を自分の息子の養子にしたいという申し出があった。条件は、智弘の作った借金の肩代わりだ。

 梨本が欲しがったのは、猛の“命”としての力と、鷹司家に伝わるアメジストだった。鷹司家は、隆一郎の代で御役御免をしていたが、その力は猛にのみ受け継がれており、隆一郎と親しかった大隅の目に留まって、猛は大隅から、ある種の“教育”を受けていたのだ。


 隆一郎が“命”の力を疎んじ、猛がその力ゆえに隆一郎との関係がどこかぎくしゃくしていたのは、大隅も猛も承知していたので、その教育は、大隅が紹介したピアノ教師を通じ、秘密裏に行われていた。

 そして、総理の座に返り咲きたい梨本は、プレジデント・ストーンと、その子ども石たちの行方を追い、四辻家と西園寺 家と鷹司家にたどりついた。

 その中で偶然にも鷹司家が窮状にあり、しかも御役御免の状態でありながら、“命”の力を教育された子どもがいるのを知り、隆一郎に話をもちかけたのだった。


 最初は梨本の申し出を断った隆一郎だったが、大隅の強い勧めもあり、結局隆一郎は申し出を受け、猛は呼び戻された。

 猛にしてみれば、祖父や父が自分を借金の糧に差し出したというショックだけでなく、結局、母親も兄も自分を助けてくれなかったという思いにかられていた。

 そして、自分が梨本家に入り借金問題が解消されれば、母親は兄とともに家に戻り、自分以外の人間たちは幸せに暮らすのだろうという思いも拭いきれなかった。


「そんなことがあったなんて…」周子がぽろぽろと涙をこぼした。

「周子おばさん…」

 まさか自分のために周子が泣くなどと思っていなかった猛は、どうしたらいいのかわからず、それ以上の言葉が出ない。

 周子は涙を手で拭うと、キリッとした顔に戻り、猛に言った。

「その気持ち、おじいさまたちに伝えてないんでしょう?」

「うん…」

「…じゃあ、行きましょう」

 周子は立ち上がり、猛の手を引いて皆のところへ戻った。


  *  *  *


 紗由は、周子が行ったカウンターバーのほうをじっと見つめ、しばらくすると華織のほうへ歩いて行った。

「おばあさま。さゆね、おねがいがあります」

「何かしら?」

 紗由は華織の耳元に近づき、ささやいた。

「よくてよ、紗由」華織は満足そうに微笑んだ。

「ありがとうごじゃいます!」

 紗由は、即答する華織に深々とお辞儀をすると、翔太のところへ駆けて行った。


「翔太くん! 絵、かいて!」

 紗由はまた耳元で何かささやき、翔太をじっと見つめた。

「…ええけど、どないするん、それ」

「ひみつへいきだよ」

 紗由は、腰に手をやり、こくんと頷いた。


  *  *  *


「皆さん、すみません。私、猛くんと一緒に、伯父のところへ行ってきますので」

「どうしたんだよ、周子、いきなり」涼一が問い質した。

「行かなきゃいけないの、どうしても」

「どうしてもって、いったい何がどうなってるんだよ」戸惑う涼一。

「詳しいことは帰ってから」

「わかった。じゃあ、さゆもいく」

「そうだね。そのほうがいい」龍が即答する。「きっと、いい結果になるよ」

「では、すみません。お先に失礼します。さあ、行くわよ、猛くん」

 周子はそう言って深く頭を下げると、すたすたと部屋を出て行った。

 紗由も真似をしてお辞儀をすると、周子の後を追う。

「いってらっしゃい。気をつけてね」漫然と微笑む華織。

 子どもたちも、いってらっしゃいと手を振る。

「猛くん。ぼやぼやしてないで、早く行かないと」

 龍がテーブルにあった猛の石を取り、猛の手に握らせた。

「…ありがとう。僕、行ってくるよ」

 猛は一同にお辞儀をすると、部屋を出て行った。


 涼一が周子を追おうとするが、それを阻む龍。

「行かせてあげて。鷹司家の一大事、かあさまが放っておけるわけないんだから」

「龍…」

「大丈夫よ、涼ちゃん。そんなに心配しなくても。龍が言ったように、きっとうまく行くわ。私たちは子どもたちを各家に送ったら、本家に戻って二人の帰りを待ちましょう。玲香さんと石との再会記念パーティーの準備もしなくてはね」

「どうせ母さんは“指揮する”だけだろう?」

「あら。別に、お料理を手伝ってもいいのよ。何なら全部私が作りましょうか?」華織が風馬をにらむ。

「…指揮だけお願いします」

 風馬が眉間にしわを寄せながら言うと、涼一がその耳元で「賢明な判断だよ」と呟く。

「周ちゃんもね」

 風馬は涼一に呟き返し、にっこり笑った。


  *  *  *


 思わず儀式の会場を飛び出した周子だが、伯父の家には来てみたものの、いったい何から話せばいいのかがわからずにいた。

 伯父が父親と絶縁してから、もう7年近くになる。その間、伯父が転居した関係もあり、周子自身もまったくの音信不通になっていた。父親は、いくら聞いても絶縁の理由について述べることはなく、周子もいつしか聞かなくなっていた。


「かあさま。じじちゃまの、にいさまは、じじちゃまににてるの?」

「そうねえ。お顔は似てるわ。若い頃の写真なんか、どっちがどっちか、わからないものもあるもの」

「あの…僕…」不安そうに周子を見上げる猛。

「お家に帰るだけ。おじいさまに思ってることを言うだけ。それだけのことよ、猛くん。うまく言えないようなら、おばさんが言うから」周子は猛に微笑んだ。


「いらっしゃい。周ちゃん。猛も一緒だったのかい」

 現れたのは、眼光は鋭いが、滑らかな所作が美しい男性だった。

「あ…うん」

「伯父様…ご無沙汰しております」周子は立ち上がり、頭を深く下げた。

「堅い挨拶は抜きだよ。座って。…えーと、その一緒に頭を下げてるお嬢ちゃんが、紗由ちゃんだね」

「え?」

 言われて周子が頭を上げると、横には周子の真似をして頭を下げている紗由がいた。

「紗由。もう頭を上げていいわよ」


「はい!」元気に頭を上げる紗由。「じじちゃまのおにいさま、こんにちは! さいおんじさゆです。5つです!」

「こんにちは。初めまして。…じじちゃまのお兄様の、鷹司隆一郎だよ。いやあ、可愛いねえ。元気いっぱいだ。今日はよく来てくれたね。

 今、おいしいケーキが来るから、たんと食べるといい」

「ケーキ…」紗由が顔をくしゃくしゃにして笑う。

「す、すみません。この子、ちょっと食いしん坊で…」

「周ちゃんの小さい頃にそっくりだね」

「は、はい…」うつむく周子。

「で、今日はどういった用件なのかな?」


「さゆが、おはなしがあって、きました!」立ち上がり、またお辞儀をする紗由。

「…どういうことだい?」

 隆一郎は周子を見るが、周子も猛も戸惑っている。

「たけるくんのことです」紗由がキリッとした顔で言う。

「猛の…?」

「はい。たけるくんは、こわくありません。さゆも、にいさまも、おばあさまも、みんなこわくありませんから、じじにいちゃまも、あんしんしてくださいね!」

 紗由はどうやら隆一郎のことを“じじにいちゃま”と呼ぶようにしたらしい。それは周子にもわかったのだが、他の言葉の意味がよくわからなかった。


「紗由…?」

「“みこと”は、ほかのひとをしあわせにするために、いるひとです。わるい子じゃないです。たけるくんを、よその子にしないでください。おねがいします」

「誰かに、そう言えと言われたのかい?」

「ちがいます。さゆがかんがえました。たけるくんが、さみしいのがわかったから、さゆがかんがえました」きゅっと唇を結ぶ紗由。

「猛とは仲良しなのかい?」

「たけるくんは、にせもののおむこしゃんです。でも、さゆが、しょうたくんのおよめさんになれるように、せが2メートルになるように、おしえてくれました。たけるくんは、いいひとです」

「背が2メートル?」

「それはですね…」周子が事情を説明した。


「そうか。ご主人は紗由ちゃんをお嫁にやりたくないんだね」くすりと笑う隆一郎。「それで、紗由ちゃん、猛は寂しいと言ったのかい?」

 隆一郎の言葉に猛は唇を噛み、うつむいた。

「いいません。でも、わかります。たけるくんのいしが、ないてました」

「紗由ちゃんも石とお話ができるんだね?」

「はい。じじにいちゃまも、できるでしょう?」

「…ああ。できるよ。少しならね」ためらいがちに答える隆一郎。


「さゆのおうちは、おばあさまと、グランパと、にいさまと、おうまさんと、みおちゃんができます。かあさまも…ちょっとだけ、できます。あと…」

 紗由はしばし考え込んだ。

「じいじは、あんまりできなくしてあります。とうさまは、ぜーんぜん、できません。賢ちゃんは、いしがきたので、できるようになりました。玲香ちゃんは、ふたごちゃんとおはなしします。ふたごちゃんは、みんなとおはなしできます」

「ほお…さすがは華織さんを生んだ名門・西園寺だ。石の一門でもないのに、ものすごい稼働率だね」

「ええ。私はほとんど蚊帳の外です」


「だから、みんな、にせもののおむこしゃんのきもちがわかります。さゆは、きょう、だいひょうできました」キッと隆一郎を見上げる紗由。

「まっすぐな目が、子どもの頃の周子ちゃんそのまんまだ」隆一郎の顔に笑みがこぼれた。

「にせもののおむこしゃんの…たけるくんのおはなしをきいてください!」

 最初の挨拶の時以上に深く頭を下げる紗由の顔を、下から覗き込むようにして隆一郎は言った。

「わかったよ、紗由ちゃん。ちゃんと聞くからね」


  *  *  *


 猛の話を聞いた後、隆一郎は猛に紗由と隣の部屋で遊ぶように言い、周子に二人で話そうと促した。


「周ちゃん、私はね、自分が怖かったんだよ」

「怖い?」

「私は元々“命”には向かないタイプの人間なんだ。すぐに欲に飲み込まれそうになる」

「そんな…。伯父様は、父に比べたら、とても禁欲的に見えます」

「慶介には“命”の力がない。野心は向上心につながる。現にあいつは人一倍努力家だった。今の地位と名声は、然るべくして与えられたものだよ」

「伯父様…」


「でもね、周ちゃん。“命”の力を持つ者は、自分の野心とも、身近な者の野心とも戦わなくてはいけないんだ。私は、そこのところが中途半端だった」

「父と絶縁したのは、そういうわけなんですね」

「そうだ。あいつは私の力を利用しようとするだろう。私はそう“受け取った”んだ」

「鷹司は“壱”と聞いていましたが、伯父様は“弐”なんですね?」

「ああ」


「だったら、父を諌めればよろしいじゃありませんか」

「諌めたさ。お前がそういう考えのままでいるなら、天罰が下ると。お前は一生後悔するとね。しばらくして、周ちゃんが事故に遭った。行方知れずになったと知った時、あいつは私のところへきて、助けてくれと泣き叫んだ」

「そうだったんですか…」

「だが、私では力不足だったんだ。夢違えは、私にはできなかった。もう、お役御免をして久しかったし、石の大半を手放していたからね」


「では、私はどうして助かったんですか?」

「龍くんが一緒だったからだよ。あの子が君を助けたんだ」

「でも、龍は生後半年の赤ちゃんで…」

「信じる信じないは、君の自由だ。だが、あの子は華織さん以上の“命”になる。大隅さんによれば、次の“伝説の龍の子”の力も借りながらね」


 周子は隆一郎の言葉に動揺していた。龍が自分を助けたという言葉を、どう捕らえていいのか、まるでわからなかったからだ。

「記憶がなかった周ちゃんが、涼一さんの顔を見て、一瞬で記憶を取り戻した時、あいつは悩んだ。自分はこのまま権力目掛けて仕事を続けていいのかどうか。

 だから、私が結論を出したんだよ。あいつは、私のような力の持ち主が傍にいれば、どうしてもそれを使って上に上りたがる。私もまた、その渦に飲み込まれる。だから決別しようと」

「私のせいなんですね…」

「違うよ、周ちゃん。これは私たち兄弟の環境と心のあり方の問題だ。

 だが、西園寺家が“命”の血筋だとは、その時は二人とも知らなかったんだよ。

 今はどうやら違うようだが、当時の“命”たちは、自分のグループの“命”以外とは、接触できないようになっていたからね」


「それについては聞いています。華織伯母様が機関や“命”のあり方を変えたと」

「よかったよ。周ちゃんが、ちゃんとした方々のところで幸せに暮らせていて」隆一郎が穏やかに微笑む。

「伯父様。伯父様はご自分が思うほど、飲み込まれる方ではないと思います。

 もし、猛くんのことも、その力ゆえに遠ざけようとしていらっしゃる部分があるのなら、それは本末転倒です。

 紗由も言っていた通り、“命”の力は皆が幸せになるためのものです。伯父様も猛くんも、その力のために不幸になるなんておかしいです」

「猛の力は、まだまだ伸びる」

「いいではありませんか、そんなこと!」周子が声を荒げた。

「周ちゃん…」


「うちなんて…私なんて、そんな心配は四六時中です。

 龍や紗由の力がどうなるのか、あの子たちは“命”になるのか、伯母様たちのように大変な思いをしながら生きていくのか…。心配で心配で仕方ありません。

 でも、逃げられないんです。私は彼らの母親ですから。私が逃げたら、あの子達は幸せになれないんですから!」

 周子は両の拳を強く握った。

 「伯父様は卑怯です。欲に飲み込まれないようになんて、きれいごとです。逃げたいだけじゃありませんか。

 猛くんは龍と同い年なのに、辛くても、自分の居場所を探しながら、一生懸命大人の中で生きているんです。どうして、ちゃんと向き合わないんですか? 紗由にだってわかることなんですよ。なのに…」

 涙で言葉に詰まる周子の肩に、隆一郎がやさしく手を置いた。


「周ちゃん。君だけだ。ちゃんと言ってくれたのは。いや、思ったことを真っ直ぐにぶつけてくるのは、慶介の血だね」

「すみません、伯父様。言い過ぎたかもしれません。…でも、一度、父に会ってください。そして、ちゃんと話をしてください」

「そんなこと、あいつは今さら望んでいないだろう」

「父の気持ちを勝手に決めないでください!」周子は再び拳を握りしめた。「兄弟としての再会が無理なら、それはそれで仕方のないことかもしれません。でも、智弘くんの詐欺の件だけでも、相談してみてくれませんか…?」

「周ちゃん…」

「弁護士・鷹司慶介の手腕を…甘く見ないでいただきたいです」

 周子はきっぱりとした口調で言うと、スマホを取り出し、父親に電話をかけた。


  *  *  *


 自分の部屋に紗由を招きいれたものの、猛は、隆一郎が自分の話をどう思っているのか、隆一郎と周子が何を話しているのかが、気になって仕方がなかった。

「そーゆーの、うわのそらっていうんだよ」紗由が言う。

「え?」ハッと紗由を見つめる猛。

「とうさまがね、ときどきなるの。がっかいのまえとか。さゆのはなしも、きかないんだよ」

「へえ…あんなに紗由ちゃんに夢中なのにね」

「あとで、きけばいいよ」

「え?」猛が動揺する。

「ききたいことは、ちゃんときかないとね。にいさまとさゆはね、けんかになっちゃうときもあるけど、ちゃんときくの。それがルールだから」

「ルール?」大人びた口を利く紗由に、ドキッとする猛。

「あたまのなかで、はなしもできるけど、それはしないの。ちゃんと、こえにだしてきくの。ほかのみんなにも、わかるように。ちからにあまえちゃ、いけないんだって」

「力に甘えちゃ、いけない…」


「しょうたくんは、とおくだから、あたまでおはなしすること、おおいけど。ちかくにいるときは、ちゃんとこえにだして、おはなしするよ。そのほうがたのしいし」

「そうだね。声に出して話すって、楽しくて気持ちいいよね」

「さっき、きもちよかった?」

「うん。今まで言えずにいたこと、おじいさまに言えたから。…ありがとう」

「よかったね」嬉しそうに笑う紗由。

「これからどうなるのか、僕にはわからないけど」半分不安な表情の猛。

「ふ・ふ・ふ。まだね、ひみつへいきがあるからね」

「秘密兵器って?」

「ひみつだよ。ひみつへいきだもん」

「ああ、そうか」

 苦笑しながらも、猛はどんどん自分の気持ちが楽になって行くのを感じていた。

 さっき隆一郎に話したことが報われなかったとしても、きちんと伝えたこと、それを後押ししてくれた周子と紗由の存在に、猛は心から感謝していた。


  *  *  *


「待たせたね、猛。こっちへおいで」

 隆一郎は部屋に入ってくると、ソファーに座り、猛を手招きした。

 緊張した面持ちで猛が近づくと、隆一郎は、正面に座ろうとした猛を抱き上げ、自分の膝の上に座らせた。そんなふうに隆一郎と接するのは、かなり久しぶりだったので、猛はまだ緊張したままだ。

 後から来た紗由は、スキップしながら二人の正面に座った。

「梨本さんには、養子の話はお断りを入れた。電話だけでは失礼だから、明日正式にお詫びに伺って来る」

「おじいさま…」驚いて隆一郎を見上げる猛。

「すまなかった。おまえの気持ちから逃げていた私が悪いんだ。寂しい思いをさせてごめんよ、猛」隆一郎は後ろから猛を抱きしめた。

「本当? 僕、本当にここにいていいの?」

「ああ」

「でも、梨本のおじいさまがくれるお金がないと困るんでしょう?」

「…何とかするさ。お前は心配しなくていい」


「あの、これどうぞ! じじにいちゃまに、あげますから」

 紗由はリュックの中から、さっき翔太に描いてもらった絵を取り出し、テーブルに広げて見せた。

「何だい、これは…“イーストガーデン青山”?」隆一郎は、そこに描かれているマンションの絵と、“イーストガーデン青山”の文字を不思議そうに見つめた。

「それ、さゆのマンションです。さっき、おばあさまにもらってきました。じじにいちゃまに、あげます」真剣な表情で隆一郎を見上げる紗由。「このおうち、すめなくなったら、すんでください」

「紗由ちゃん…」

 隆一郎は思わず目頭を押さえた。単なる子どもの思いつきだろうが、自分たちのためにそんなふうに言ってくれる紗由の気持ちがうれしかったからだ。

「ありがとう、紗由ちゃん。でも、いいんだよ。じじにいちゃまが何とかするからね」


「伯父様。それは子どもの冗談ではありませんから」

 周子が部屋に入ってきた。

「周ちゃん…?」

「今、華織伯母様から電話がありました。そのマンション、紗由に譲渡するそうです。

 管理は、智弘くんの不動産会社に委託したいとのことで、手続き書類は、もう父のほうへ渡す手はずになっているようです」

「そんなことを…」隆一郎は言葉を失った。

「あのね、しあいにいくときに、とおったの、そこのマンション。みんな、かっこいいねって言ってたから、そこならいいかなあって、おもって。かっこいいおうちみたいだから、きにいってくれるかなあって、おもって」紗由が一生懸命に説明する。


「紗由ちゃんも、このお家が好きなんだろう。大切なお家なのに…」

「さゆは、おうち、いらないです。せいりゅうが、おうちになるから」顔をくしゃくしゃにして笑う紗由。

「そういうことですから、伯父様、今後のことは、伯母様と父と3人でご相談になってください」

「周ちゃん…そんなことまで…」隆一郎はそれ以上言葉が出なかった。


「ありがとうございます。本当に、本当にありがとうございます!」

 猛が隆一郎の膝から降り、周子と紗由に頭を下げた。

「しょーだん、せーりつ、だね!」

 紗由が言うと、涙目の隆一郎と猛も、思わず笑い出した。


  *  *  *


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