その11
週末の土曜日、賢児の会社では、例の教育ソフトの第1回編集会議が行われた。
修に関わるアドバイザー候補として、涼一、疾人の二人と、パーティー席上で紗由が怪しいと認定した神戸フリージア幼稚園園長夫人の三咲詠子、元総理梨本の秘書、御厨。
企画への出資を打診するために大隅も招かれ、三咲や御厨と共に怪しい認定を受けていた、大隅の秘書の水町も同席していた。
一方、子どもたちの側は、龍、紗由、翼、奏子、真里菜、充の6人が席上に参加し、保護者として、周子、響子、夕紀菜の3人も参加していた。
そして翔太と大地は、会議室の隣の控え室から、モニタを通じてこっそりと会議の様子をながめており、会議は約2時間ほどで終わった。
「高橋部長、大垣さん、今日はこれで結構です。ゲストの方たちもお帰りになったし、僕たちは、子どもたちを少し休ませてから撤退しますので、お先にどうぞ」賢児が進と哲也に言った。
「あら。そうですか。じゃあ、会議のまとめはまた週明けにでも。専務さん、失礼しましょうか」
「そうですね。では、私たちは一足お先に失礼いたします」
「お疲れ様です。ありがとうございました」
賢児と玲香が一緒に頭を下げると、二人も一礼し、部屋を出て行った。
「玲香、大丈夫か? 疲れただろう。そっちのソファーで少し休むといいよ。皆も、こっちで。お茶、淹れ直すから」
賢児の言葉に、玲香が自分でお茶を準備をしようとキッチンに向かうと、周子は玲香に座っててと言い、代わりに紗由を呼んだ。
「紗由! お茶淹れるわよ。お手伝いしてちょうだい。おやつ食べるんでしょう?」
「たべまーす!」
ものすごいスピードでキッチンに走っていく紗由の後に、真里菜と奏子と充も続く。
「どんだけ、おやつが食べたいんだよ…」
涼一は苦笑しながら、賢児と一緒に皆を会議室内の窓際にあるソファーのほうへと案内した。
「龍、ちょっと来てや」
大人たちがソファーに移動する傍ら、翔太は龍を部屋の隅に連れて行った。
「会議のテーブル、御厨のおじさんが座ってた辺りに、変なぴかぴかがある」
「どういうこと?」
「器械やと思う。誰かがしゃべると反応するわ」
「盗聴器…?」
「かも、しれへん。どないしよか。あと、もうひとつあるんや。天井の隅にも」
龍は、翔太が目で示した方向を見ると、目を細めた。
「あっちはそのままでいい。…翼!」
呼ばれた翼が、龍のもとに来た。
「何?」
「会議のテーブルの手前側、窓際から2番目の席、テーブルの下に何かあるはずなんだけど、“たどって”みてくれる? そっとね」
「わかった」
翼は言われた場所に行き、椅子に座るとテーブルの下に手を差し出し、小さな突起を握りしめた。
「紗由、このワゴンでテーブルの上のお茶碗を集めて来てちょうだい。それを洗ってから、新しいお茶を淹れますからね」
「はーい」
4人組は元気に返事をすると、ワゴンをせっせと押しながら、テーブルへと運んで行った。
「おにいちゃま、なにしてるの?」
目を閉じていた翼に、テーブルの上の茶碗を回収に来た奏子が尋ねた。
「あ。ああ、ちょっとね」
慌ててテーブル下の突起から手をはずした翼が振り上げた手が、奏子が運ぼうとして握っていた茶碗に当たる。
「あ…!」
その瞬間、翼の頭には映像が流れた。三咲詠子が森本と言い争っている場面だ。
「おにいちゃま…?」
「奏子。このお茶碗、どこにあったの?」耳元でささやく翼。
「そこ。フリージアのおばさまのところ」奏子も耳元で囁き返した。
「そうか。ありがとう」
翼はそう言うと、龍のところへ戻った。
「あの器械からはたどれなかったけど、フリージアのおばさまのお茶碗からはわかったよ。
森本さんて人と喧嘩してた。僕は直接会ったことない人だけど、名古屋のパーティーの写真で確認してるから、間違いないと思う」
「そうか。ありがとう、翼。やっぱり、こういう時、翼は頼りになるよ」龍がウインクする。
「龍。器械のほう、どないする?」
「翼が簡単にたどれないってことは、それなりにガードされてるんだと思うんだよね」
「相手が石を使ってるいうことか?」
「たぶんね。だから、こっちも石を使おう」龍はにっこり笑った。「奏子ちゃん! ちょっと来て!」
「はーい!」一目散に駆けて来る奏子。「なんですか?」
龍は、奏子を器械のある場所へ連れて行き、耳元でささやいた。
「あのね、この、テーブルの下にある小さい器械なんだけどね、音を拾う器械なんだけど、小さ過ぎるのかなあ、よく聞こえないみたいなんだ。スズキ先生にしたみたいに、よーく聞こえるようにしてあげてくれる?」
「はい。わかりました」
奏子はにこにこしながら、ポケットの石を取り出し、テーブルの下を覗き込むと、そこにある小さな黒い突起に近づけた。
「いーっぱい、きこえると、いいですね」
* * *
「うわっ!」哲也が慌ててヘッドセットをはずした。
「大丈夫か?」進が覗き込む。
「すごいですね…奏子ちゃん…」頭を左右に振りながら言う哲也。
「今のところ、石の一門の血が一番強く出ているのは彼女だからなあ。…にしても、天井にしかけたこっちの機材でも、これだけ影響を受けるんだ。向こうが仕掛けた盗聴器のほうは、鼓膜が破れる勢いだろうなあ」進がくすりと笑う。
「甘く見てますよね、子どもたちのことを」
「向こうの子供たちは、その程度なんだろう」
「それにしても翔太くんの動きにはびっくりですねえ」モニタで会議室の様子を見ながら、哲也が言う。
「確かに。器械のぴかぴかが分かるというのは、すごいことだよ」
「龍さまとの息もぴったりですし」
「そりゃあ、翔ちゃんは、龍さまの後援会会長だからな。紗由さまの力も加われば、あの3人は黄金のトライアングルだ」
「相手方がそれに気づいて邪魔してこないといいですね」
「邪魔は入るさ。それ以上に、龍さまたちの力が伸びればいいだけだ」
進はモニタに映る子どもたちを見つめながら、楽しそうに微笑んだ。
* * *
周子の指導のもと、紗由たちが片づけを済ませ、新たにお茶を淹れ終わると、大人8人、子どもたち8人の二手に分かれて、ソファーに座った。
ソフトの企画自体、怪しい人間の様子を窺うために涼一がでっちあげたものではあったが、会議は大人たちにとって興味深い内容となったため、当初の目的も忘れ、大人たちは企画の検討に夢中になってしまっていた。
「何しに集まったのか、わからないね」
龍が苦笑すると翔太も同意した。
「まったくやなあ。でも、皆それだけ教育熱心か、商売熱心なんやろ」
「ふう。おわった、おわった。これで、おやつがいっぱい、たべられるよねえ」
紗由はリュックを広げ、自作のクッキーを取り出す。
「翔太くん。あのね、これ、さゆのしんさくなの。おとなのクッキーだよ。あまくないの」
「へえ、すごいやないか。紗由ちゃんは大人の女やもんなあ」
翔太が興味深げにのぞき込むと、そこには黄金色のうんこクッキーがあった。
「あのね、カレーあじのおこなをいれたんだよ」
「…うんこクッキーに?」眉間にシワが寄る翔太。
「うん!」
「すごいじゃん、翔太。カレー味のうんこを食べられる機会って、そうないよ」龍がにやりと笑う。
「おおきに…」眉間にさらにシワを寄せる翔太。
「あの、あの、かなこも龍くんに、つくります。ほんものみたいなの!」
「せやな。奏子ちゃん、龍はソフトクリーム大好きやさかい、カレー粉とかチョコとか入れて、そっくりの作ったり」
バチバチと火花を散らす龍と翔太。
「それにしても、あやしいかいぎだったよね…」
真里菜が腕組みをし、難しい顔で頷いた。
「そうだよね。フリージアのおばさま、おおすみさんのこと、しってるのに、しらないふりしてたよね」奏子が同意しながら自分の石を撫でた。「このこが、あれっ?ていってたもん」
「ねえ、翼。奏子ちゃんの石から、二人の関係をたどってみてくれないかな」
「うん…」
「ちょっと待ってよーん」石に触れようとする翼の手を、大地が遮った。「龍くん、人使い荒過ぎ。うちのおじいちゃまみたい」
「ごめん。さっきの、けっこう疲れてた?」
「ちょっとだけ…」
「翼くん、だいじょうぶ?」真里菜が覗き込む。
「大丈夫。すぐ治るからあ」大地は翼の頭の前後を両手で挟みこんだ。
「…わあ。頭が軽くなるよ…」目を閉じ、しばらくじっとしている翼。「うん。大丈夫。これなら、できると思う。ありがとう、大地くん」
「大地くん、ありがとう」奏子もお礼を言う。
「大地、また、うまくなったん、ちゃうか。練習しとるん?」
「どっか行くたびに、具合悪い人が出てくるんだよん。困るにょ~」いつものように体をくねらせる大地。
「なるほどね。毎日が実地訓練てことか」龍が笑った。「じゃあ、人使い荒くて悪いけど、翼、お願い」
「うん」龍に言われた翼は、奏子の石を手に取ると目を閉じた。
「みんなで、てをつなぐでござる!」
充の提案に皆が従い、次々と手を取り合った。
しばらくすると、真里菜が「あ!」と短い声を上げた。
「皆、もういいよ。目を開けて。まりりん、何か見えたの?」龍が真里菜に尋ねる。
「うん。フリージアのおばさまが、こどもなの。かわいいワンピースきてて…。ケチのおじいさんもいっしょ」
「まりりんちゃん、大隅はんは何かしゃべってたか?」
「えっとね…よくわかんないけど、おばさまにイヤリングつけてあげてた。これににてるやつ」
真里菜は首もとから、ペンダントのように付けられている、翼からもらったアメジストの指輪を出して示した。
「かなこは、たぶらかすのおじさんが、おおすみのおじさんに、しかられているところがみえました」
「森本はんは、大隅はんの部下やったいうしな」
「何で叱られてたのかわかる?」龍が聞く。
「えっと…“だからせいじをまきこむな”っていってました。あとは…“かのじょをこれいじょう、おこらせるな”“これがさいごのなさけだ”…です」
「ありがとう、奏子ちゃん。とっても参考になるよ」
「僕は、フリージアおばさんが、名簿みたいなのを大隅さんに渡してるところだにょ」
「名簿の中身は見えたんか?」
「見えたけど、知らない名前ばっかりだったよん」
「じゃあ、大地、その名前、覚えている分だけでいいから書き出して」
「わかった」大地が応接テーブルの上にあったメモ帳に文字を書き始める。
「せっしゃは、くりくりおじさんが、えらそうなおじいさんに、やめてくれとおこってるところでござる」
「くりくりおじさんいうのは、御厨はんか?」
「そうともいいます!」
「偉そうなおじいさんというのは、誰だかわかる?」
「ひめが、バイオリンがじょうずだといってたおにーさんの、おじーさんだとおもいます。テレビでみたことが、ござるよ」
「匠くんのおじいさんか。梨本先生やな」
「さゆはねえ、たくみくんのおじいさまが、たぶらかすのおじさんに、おっきなかばんをわたしてるところみたよ」
「梨本先生が森本さんに?」
「カバンの中身、見えたんか?」
「みえない。でも、“のこりはぜんぶあつまってからだ”っていってた」
「金やな…」
「そのあとね、にせもののおむこしゃんがきたの」
「養子の相談かな…」
「かなしそうだったよ。にせもののおむこしゃん」
「おにいちゃまは、なにがみえたの?」
奏子が翼に尋ねたが、翼は眉間にしわを寄せて黙ったままだった。
「…おにいちゃま?」
「え?」ハッとして奏子を見つめる翼。
「どうしたの? なにがみえたの?」
「うん…」
「教えてよ、翼」龍が言う。
「何か…よくわからないんだ。偽物のお婿しゃんだっけ? 向こうのキャプテンの猛くん。龍くんと奏子が、彼と一緒にいるんだ。僕は、困ったなって思いながら、それを見てて…それだけで…意味はよくわからない」
「そうなんだ…」龍も考え込む。「まあ、いずれわかるよ、意味は」
「しょうたくんは?」紗由が尋ねた。
「ふたっつや。ひとつは、フリージアのお姉さんが、子どもたちぎょうさん、連れてるとこ。相手チームなんかなあ。先頭に猛くん、おったし。もうひとつは、猛くんが、知らんおじいさんと手つないで向こうに歩いとったる。振り向いて、笑って手ふるんや。紗由ちゃんが言うように、悲しそうなことはあらへんかった。何やろうなあ…」
「にいさまは?」
「ごめん…よく見えなかった。ところで、まりりん。さっきの会議の時、何か変な匂いとか感じたりした?」
「えっとね…へんなにおいじゃないけど…フリージアのおばさまは、このまえと、ちがうにおいもした」
「同じ人やったら、いっつも同じ匂いなん?」
「うーん…。そうでもない」
「同じ匂いもしたけど、違う匂いもしたってこと?」
「そう」
「違う匂いのほうは、何が違うのかな」
「あのね…フリージアのおばさまは、くりくりおじさんといっしょだと、においがちがうの」
「ふうん…。じゃあ、まりりん。誰かの匂いが変わった時は、また教えてね」
「うん」
「ところで紗由…あ、あれ?」
龍が紗由に話を振ろうとすると、いつのまにか紗由は翔太にもたれかかって寝ていた。
「ひめは、おひるねでござる」
「食べるか、寝てるか、遊んでるかだな。最近、前にも増してよく寝てるし」龍が苦笑する。
「ぴかぴかは強うなっとるんやけどな…」
紗由が寝てしまったのに気づいた周子が、子どもたちのテーブルにやってきて、紗由を抱き上げた。
「食べるか、寝てるか、遊んでるかなんだから…」
翔太と翼と大地が一斉に笑うと、周子は不思議そうに首をかしげながら、大人たちのテーブルに紗由を連れて行き、自分の膝の上で眠らせたまま、ジャケットをそっとかけた。
* * *
紗由が寝てしまい、龍も話はここまでにして、皆でおやつにしようと言ったので、会議への子どもたちの分析はそこまでになった。
しばらくは、寝てしまった紗由以外の子どもたちも参加して歓談をしていたが、翔太が、社長室に忘れ物をしたから取りに行くと言って部屋を離れ、龍はトイレに行くと言って、やはり部屋を出た。
「話があるなら、こっち。社長室には会議室と同じで、元々つけてあるカメラがある」
龍は翔太の腕を引っ張ると、エレベーターホールと続いているバルコニーに翔太を連れて行った。
「気持ちええよなあ、ここ」
「だよね。僕、大好きなんだ、ここ。石を使わなくても、風と話が出来る気がしてさ」
「龍ならできるやろ」
「ありがとう」
龍はにっこりと笑った。
「あまり時間をかけてもいられない。肝心の話をしよう」
「そやな。皆の話をまとめると、こういうことか。三咲はんは大隅はんと昔からの知り合いや。大隅はんからアメジストをもろてる。
渡していた名簿は、俺が見たぎょうさんの子どもたちで、そのパーティーに関係してるんやないかな。フリージアの子どもからピックアップしてるとか…まあ、これは大地のメモを調べればわかるな」
「あと出てきたのは、大隅さん、梨本先生、御厨さん、翔太が見た知らないおじいさん…は鷹司の大伯父様だな」
「猛くんの本物のじっちゃんか。えーと順番に行くと、大隅はんは森本はんを叱ってた。“彼女をこれ以上、怒らせるな”の“彼女”いうんは、“命”さまのことやないか?
俺の場合のおかんみたいなもんで、絶対に怒らせたらあかん“アンタッチャブル”いうやつや」
「僕もそう思う。“これが最後の情け”ってことは、森本さんは前にも政治を巻き込んで何かやったんだよ。“だから政治を巻き込むな”というのは、そういう意味だと思う」
「今巻き込んでいる政治には、梨本先生が絡んでいるいうことかのう。梨本先生は森本さんにお金を渡して何かやらせてて、それを大隅はんに叱られた」
「御厨さんが梨本先生に怒ってるのも関係してるんやろか。それとも匠くんがらみなんかなあ…」
「温厚な御厨さんが上司に怒るなんて、よほどのことだよね」
「匠くん、おとんがおらへんからな。御厨のおじさんは、おとんみたく仲良しや。やっぱり、匠くんと関係ありそやな」
二人は軽く溜め息を付いた。
「あとな、ひとつ気になってるんや」
「何?」
「三咲はんのぴかぴか、森本いう奴と似てるんや。何かこう、わざと弱い感じで…。色もそうやし」
「御厨さんのも弱い?」
「いや、普通。よく一緒にいるせいやろか、匠くんのと、よう似とるわ」笑う翔太。
「ふーん。確かにちょっと気になるね」
「ま、気いつけて見とくわ」
「うん。お願い。それから…さっきのお金っぽいもの、“残りは全部集まってから”なんだよね。集めてるもの…どっちにしても“子どもたち”だろうね」
「“命”の力のある子ども…これは猛くんか。でも、こっちは匠くんの言ってたことからして、養子の件が話ついてるみたいやしな」
「そうだね。お金出して集めてるのは“石”のほうってことになる」
「じゃあ、まりりんちゃんの言うてた、アメジストのイヤリングは、5人目の子どもなんか?…そないな気配は、せえへんかったけど、あの場でイメージ見るいうことは…」
「いや、5人目はもう見つかった」
「そうなん?」
「ああ。おばあさまに言われて、夕べ、プレジデント・ストーンを持って、じいじが迎えに行ったんだ。でも、目を覚まさなかったらしい」
「保先生の力でも駄目なんか?」
「なんか、石がすごく怒ってるみたいなんだ」
「なんでや」
「持ち主から引き離されてたからみたい」
「じゃあ、会わせてやったらええやん」
「持ち主、玲香ちゃんなんだよ」
「玲ちゃん?」びっくりして龍を見つめる翔太。
「どうやら、玲香ちゃんが紗由くらいの頃、裏山で迷子になった時に、清流の様子を見に来ていた弥生ちゃんが、玲香ちゃんに渡したらしいんだ」
「アメジストやろ? そんな石のこと、聞いたことあらへんで」
「飛呂之さんも、誰にも言ってなかったみたい。手放そうとすると、必ず戻ってきちゃうらしい。弥生ちゃんにも、石を自分が持ってるってこと、話してなかったみたいだよ」
「そうか…。じっちゃんは、弥生ちゃんがそういうことと関わるの、嫌がってたからなあ。
きっと、またどこかへ行ってしもうたら、どないしよ思うとるんや。
でも…そうやな。石にしてみたら、持ち主と離されて、邪魔者扱いされて、都合よく使おうとするなんて、とんでもない話や」
「うん。僕だって、石だったら怒るよ。飛呂之さんは、玲香ちゃんや弥生ちゃんのこと思って、そうしただけなの、わかるけど…」
「玲ちゃんと弥生ちゃん、二人で石に会うしかないな」拳をぎゅっと握る翔太。
「でも、玲香ちゃんは双子ちゃんがおなかにいるんだ。危ないよ。もし、石が怒ったままだったら大変なことになる」
「せやけど、石は玲ちゃんを呼ぶ。龍かて、そないに思うとるのやろ?」
龍は翔太の問いに答えず、バルコニーからエレベーターホールへと戻っていった。
* * *
≪秘密の物語≫
ミコト姫は、タロウと共にナーシモ王国の領土の村へたどりつきました。ですが、村には人の気配がしません。静まり返っているのです。姫は不思議に思いました。
“どうしたのだろう。まるで、皆ねむっているように静か…”
姫は恐る恐る先へと進みました。そして、平原を渡り終え、川から向こう岸へ行こうとしていた時、後ろから王子の声がしたのです。
その声にタロウから降り、振り向きざま足を踏み出した姫は、地面の底へと落ちてしまいました。
そうです、それは敵の仕掛けた落とし穴だったのです。
しかも、その落とし穴は球状に囲まれていて、姫はまるで、闇のボールの中に浮かんでいるかのようになりました。
“どうしよう…”姫は不安に駆られながらも願いました。
“神様お願い、ここから出して。ミコトはにいさまを助けに行かなくてはならないの”
姫は何度も何度も、何時間も祈り続けました。
* * *
龍は帰宅すると、一仕事すると言って自分の部屋に行こうとしていた涼一の後を追いかけた。
「とうさま、ごめん。お仕事の前にひとつだけ教えて」
「なんだ、龍」
「あのさ、香水をつけたわけでもないのに、別の匂いがプラスされる時って、どういう時かなあ」
「何でそんなことを聞くんだ? 今日の集まりと関係があるのか」
「うん。実はね…」龍は真里菜に言われたことを涼一に伝えた。
「そうか、真里菜ちゃんがそんなことを…うーん、そうだなあ…匂いは研究ジャンル違いだが、後から追加というのを、体内で作って放出すると置き換えるなら、フェロモンかもしれないな」
「それ、どういうの?」
「簡単に言うと、動物が相手に何らかの行動や感情を起こさせる匂いだよ。気に入った相手を誘惑したり、仲間に道を教えたり、集まれという信号だったり、危険を知らせたりする」
「じゃあ、フェロモンていうのを出すのは、相手が仲間の時か、恋人にしたいときなの?」
「そうだな。自分に注意を向けさせる、相手をひきつけるというのが目的だからな」
「人間も?」
「人間については、フェロモンの有無は意見が分かれるところだが、汗にそういう物質が含まれているという研究を発表した人たちもいる」
「とうさまは、どう思うの?」
「お前や紗由が石を通じて考えを伝達できるように、匂いを通じて考えを伝達できる種類の人間がいてもおかしくはないな」
「フェロモンの“命”?」
「ははは。誘惑フェロモンを使いこなせたら、モテモテだろうなあ」
「じいじみたいに?」
「なるほど。親父はフェロモンの“命”なのかもしれないな」龍の額に自分の額を押し付けて笑う涼一。「お前もなれそうだ」
「僕は、自分の好きな女の子が確実に僕を好きになってくれれば、それでいいよ。何人もの女の子に好きになってもらわなくてもいい」
「そうだな、龍。好きな女の気持ちを確実に手に入れられるのが、本当に“モテる”ってことだ」
「じゃあ、とうさまはモテるんだね。かあさまをお嫁さんにしたんだから」
「ああ、そうだ。とうさまは世界一のモテ男だ」
うれしそうに龍の頭をなでる涼一の笑顔を見ながら、龍は、自分は世界で2番目のモテ男になりたいなと、心の中で思った。
* * *
「あら、どうしたの、龍」華織は羽龍をなでながら電話に出た。
「用件はわかってるんでしょう?」
「そうね…。でも、明日は“試合”なのよ。今そんなことをするつもりなの?」
「試合は午前中だ。終わったらすぐに皆と行くから、準備をしておいて」
「翼くん、今日もだいぶお疲れだったようじゃないの。一日でそんなには無謀だわ」
「僕がフォローするよ。…いや、皆でフォローする。これは僕たちがすべきことだから」
「わかったわ。誠さんと風馬と澪ちゃんを呼んでおけばいいのね」
「飛呂之さんは、もう来てるんだね」
「ええ。弥生さんも一緒に」
「おばあさまだって、やる気まんまんじゃないか」
「でも、私には手出しができないわ」
「過保護は子どもを駄目にするって、疾人おじさまがこの前テレビで言ってた」
「経験則は大事ね」華織は再び羽龍をなでた。
* * *
≪秘密の物語≫
「姫! 姫がいない!」
ミーツンの声で、マリーも慌てて周りを探しました。でも、姫はいません。
「よし、先回りしよう。姫の足で行ける範囲を考えれば、こちらの急斜面から近道をすれば一日で追いつくはずだ」
ケンの提案に従い、ショーンとレイは予定していたのと違う道を行くことにしました。
「私たちは、空から姫を探します!」
マリー、リオ、ミーツンの妖精族は、小さい姿に戻り、空へと羽ばたきました。
「ケンはレイを連れて城に戻って。姫もそれを望んでいます」ショーンがケンに言いました。
「姫が行ったのを知っていたのか!? どうして止めなかったんだ!」
ケンがショーンに強い口長で言うと、レイがそれをいさめました。
「やめて、ケン。姫様はやさしい方だから、きっと私の体を気遣ってくださったのです。…ですが、あと少し待っていてくだされば…」
レイは苦しそうにうずくまりました。
「レイ! レイ!」
叫ぶケンに抱きかかえられながら、レイはぐったりとしてしまいました。
* * *
龍との会話の後、何通かのメールを出し終えた涼一は、賢児と玲香を、時間があれば話がしたいと呼び出した。賢児たちも同じことを考えていたのか、それに応じ、すぐに涼一の書斎へと現れた。
「わざわざすまないな。俺たちで、少し整理しておきたかったんだ。今日は、つい企画のほうに夢中になって、肝心の話ができなかったし」
涼一は、賢児と玲香をソファーに招くと、傍にあったワゴンからジャスミンティーをカップに注いだ。
「いや、あそこで話さないほうがよかったんだと思う。玲香が何となく話を逸らしてたのは、何かあるんだろう?」
「そうなの、玲香さん? 僕的には、響子さんも何となく話を変えようとしていた気がするんだけど…何か感じたのかい?」
「響子さんは、自分の子どもたちの様子に集中したかったんだと思います。子どもたちは、会議の様子を皆で分析していました。大人たちも同じことをすると、同じような匂いを嗅ぎ分けにくくなるだと思います」
「匂いか…今日はやけに、その単語がまとわりつく日だな」涼一がくすりと笑う。
「どういうこと?」
「いや。子どもたちもどうやら、匂いに敏感なようだから」
「例の、まりりんの嗅覚?」
「ああ。真里菜ちゃんが、三咲さんの匂い、御厨さんと一緒の時には、別のものが後からプラスされたと言ってたらしい。それで龍が、そういうことがあるのかと聞いてきた。俺としても専門外だし、フェロモン的なものかなと思う程度で、ちゃんとした答えには至らなかったけどな」
「へえ、あの二人、何か特別な関係なのかな…でも、玲香が今言ったのは、具体的な匂いについてというわけじゃないよね?」
「はい。何か、そういう感じというか…傾向、雰囲気、気の流れ…何て言ったらいいのかしら…」
「いわゆる“クオリア”かな。朝起きてきた時の味噌汁の匂いとか、病院の消毒液の匂いみたいに、全部が同じではないはずなのに、括られて語られる何かの意識体験」
「そうですね。漠然と、でもクリアに感じる感覚なんです。それが最近強くなってる気がします」
「子どもたちが教えてくれるってこと?」
「それが違うんです。この子たちは最近、黙っていることが多くなりました。いえ…黙っているというより、他の誰かに話かけているんです、たぶん。以前は、華織伯母様なのかと思っていたんですけど、どうも最近、違う気がして…」
「龍、紗由、翔太。この3人の誰かじゃないの?…あとは、風馬とか、澪ちゃん」
「名前が挙がった人たちとは、それぞれに話をしています。そして、それぞれに独特の“匂い”…があるんです。でも最近、この子たちが話しているのは、そのどれとも違います。華織伯母様とも違うし…」
玲香は、そう言ってお腹を抑えたかと思うと、そのまま体の力が抜けたかのように、賢児にもたれかかった。
「玲香…? どうした、玲香。玲香!」
「玲香さん!」涼一が慌てて脈を取る。
「玲香!」
「落ち着け、賢児。大丈夫だ…安定してる。呼吸も」
「玲香…」賢児がお腹に耳を当てた。
“あいにいくよ”
“ママのいしだよ”
“おこってるねえ”
“でも、いかないと”
“なかなおりしないと”
“いしのママがないちゃう”
“いかないと”
“うん、いかないと”
「兄貴…双子がしゃべってる。“行かないと”って言ってる」
賢児は頭を上げると涼一を見つめた。
「行くって、どこへ?」
「5番目の子どものところだよ」
「龍!」
そこへ入ってきたのは龍だった。
「玲香ちゃんは大丈夫。双子の通信が活発過ぎて、この前から、ちょっと疲れてるんだ。それ自体は、しばらく寝てれば治るから心配ない」
「そうか、よかった…」賢児が玲香の頬を撫でた。
「でも、玲香ちゃんにはこれから一仕事してもらわないといけないんだ」
「何言ってるんだよ、龍。おまえ、今自分で言ったじゃないか。玲香は疲れてるって」
「おばあさまのマンションへ連れて行って」
「龍…」
いつになく厳しい口調の龍に、涼一も戸惑い気味だ。
「僕たちは明日試合がある。それが終わったら、すぐに行くから、それまでおばあさまのところで休ませてあげて。飛呂之さんと弥生ちゃんも来てるから」
龍の言葉に驚く二人を前に、テーブルの上の内線電話が鳴り、龍がそれを取った。
「とうさま。車の用意ができたから、お願い」
龍はそれだけ言うと、部屋を出て行った。
* * *
≪秘密の物語≫
泣きながら眠ってしまった姫は、目覚めると、腫れた目を擦りながら、静かに考えました。この闇を裂いて空に出るにはどうしたらいいだろうかと。
“お前の石を使うんだ”
ドラゴン王子の声が聞こえました。
「にいさま…!」
ミコト姫は辺りを見回しましたが、ドラゴン王子の気配はありません。
“私の石…”
姫は胸のペンダントのルチルクォーツを握りしめ、闇の球体にこすり付けていきました。
しばらくすると、姫の石がほどよく収まるところがあります。カチンという音と共に、石が壁にはまり込んだのです。
そして、その一瞬、10センチほどの隙間が闇の壁に開きました。
「あ!」姫は思わず叫びました。
“開いた…開いた…石で開いた…”
ですが、それ以上には何の変化もありませんでした。姫はもう一度、石を取り出してはめ直しました。すると、再び10センチの隙間が開きます。
“そうか…この石だけでは、これしか開かないんだ…”
ミコト姫はどうしたらいいのか考えましたが、いい考えが浮かばず、いつの間にか、眠りに落ちてしまいました。
* * *
紗由は、そーっと保の部屋へ入り、例のアメジストを机の引き出しから取り出した。
「こどもちゃん。おきて。おでかけするから、おきて」
紗由の言葉に反応するかのように、石はきらめきを増した。
「あのね、あした、おにいさんにあいにいくからね。それまで、さゆといっしょにいようね。…しあいのときは、また、ねててもいいよ。おやつたべてても、いいし」
紗由はアメジストを大事そうになでると、引き出しの中をもう一度見回した。そして鉢巻を取り出すと、アメジストにぐるぐると巻いて、ポケットに入れた。
* * *
赤組と白組の“たまいれ”は、大隅の自宅の庭で行われることになっていた。
家主の大隅、梨本元総理、華織や、猛をはじめとする赤組のメンバー8人は、すでに集合していた。少し遅れて紗由たち白組のメンバーも到着したのだが、なぜか龍だけがそこにいなかった。
「おじけづいちゃったのかな、君たちのキャプテン」猛が笑う。
「うわあ。あきほおばちゃまより、かんじわるーい」真里菜が眉間にしわを寄せる。
「紗由ちゃん、龍どこ行ったん?」
「にせもののおむこしゃんに、あってからいくって」
「おぬし、龍どのをかくしたでござるな!」
「知らないよ!」
「龍くんを、かえして!」
奏子が走り出し、猛の腕をつかむと大声で泣き出した。
「うわあ!!」その瞬間、体が硬直したようになったかと思うと、耳をふさぐ猛。
「奏子! 駄目だよ!」翼が奏子の手を猛の腕から離し、ぎゅっと抱きしめた。「猛くん。奏子を怒らせないほうがいい。龍くんの居場所、知ってるなら、ちゃんと言って。…でないと試合どうこう以前に、赤組の子たち、どうなっても知らないよ」
「本当に知らないよ!」
猛は奏子につかまれた腕をさすりながら反論したが、頭の片隅では、今朝、大隅と梨本がしていた会話を思い出していた。
“まさか、梨本のおじいさまが…? でも、大隅のおじいさまは、余計なことをするなと言ってたんだし…”
「皆、落ち着いて。まだ10分あります。龍を待ちましょう」
華織は子どもたちにそう言うと、梨本の傍へ行き、耳元で囁いた。
「作戦ミスですわ、先生」
* * *
当の龍は、西園寺家の自宅裏手のビルの屋上で足止めをされていた。
昨日、和江が買い物に出かけた時に、紗由より少し大きいくらいの男の子から、龍へと言って渡された手紙に、試合前に大事な話があるから、ここへ来るようにと記されており、龍はそれに従って、指定の場所へ来ていたのだが、そこに猛の姿はなく、サングラスをした男が待ち受けていた。
「…森本さんだよね?」
「そう呼ぶ人間が多いかな。さてと、もう少しここにいてもらうよ、龍くん」森本はスタンガンを片手に龍に近づいてきた。
「悪いけど、これから試合なんだ」森本が近づく度に、その分、後ずさる龍。
「だから、それが終わるまでいてくれればいいよ」
「断る」
龍はそう言うと、森本に突進しながら、ポケットに入っていたチューブを取り出し、ジャンプすると森本の鼻の穴に向かって中身を放射した。
その中身というのは、充が皆へ護身用にと配っておいた、「さけみつる」名物の調味料“激マヨ”で、ハバネロペーストが半分以上の量を占める赤いマヨネーズだった。
「わあ!」
相手が倒れ込んだ隙に、全力疾走で非常階段を駆け下りる龍。
それでも森本は、顔をこすり悲鳴を上げ続け、よろけながらも必死に龍を追いかけてくる。
“目に塗るんだったかな…”
内心後悔する龍に、森本はスピードを増し、あと2メートルというところまで近づいてきた。
「龍さま、こちらへ!」
非常階段の途中で、突然、進が現れたかと思うと、龍を抱きかかえ、すぐ下の非常口からビルの中へ入り、エレベーターへと一目散に走った。
「待て!」
鼻を押さえながら必死に追いかけてくる森本を、進は龍を抱えたまま回し蹴りで蹴り飛ばした。そして、エレベーターに二人が乗り込むと、すでに乗っていた女が、すぐさまドアを閉め、1Fのボタンを押す。
「車を待たせてありますので」女が微笑んだ。
「あなたは賢ちゃんの会社の…」
「西川でございます」
「パーティーの時にもいましたよね? 充くんがナンパしてた人だ」
「恐縮です」
1Fでドアが開くと、進は降りて入り口に置いてあった黒いバンに乗り込んだ。エレベーターのドアを素早く閉めると、B2のボタンを押す西川。
「僕たちは?」
「私たちの車は地下にございます」
再びドアが開くと、西川は周囲を見回しながら、龍を抱えるようにして黒いバンへと走った。
「申し訳ありませんが、後部座席のシート下に隠れていただきます。10分ほどですので、我慢なさってください」
西川はそう言うと、車側面からシートをはがして車の中に放り込んだ。下から白いボディと、「ケータリング・DRAGON」の文字が現れる。
「僕の専用運搬車だ!」
興奮気味に笑いながら、指示されたとおりに座席の下に隠れる龍。
西川も運転席に乗り込み、着ていた上着を裏返しにし、髪をまとめて帽子をかぶると、車を出した。
* * *
「試合時間だね、華織さん。仕方がない。このメンバーで始めることとしようか」
大隅が言ったところへ、龍が息を切らして会場に駆け込んできた。
「すみません。遅くなりました!」
「大隅さん。龍もメンバーに入れてよろしいかしら」
「もちろん」
「あ。ちょっと待ってください」
龍は大隅に向かい、手で制止するようなポーズを取ると、梨本に走り寄り、耳元で囁いた。
「作戦ミスでしたね、先生」
龍の言葉に、梨本は眉間にしわを寄せ、体を強張らせた。
「お待たせしました。どうぞ」龍が華織に合図しながら、白組の皆のもとへ走る。
華織は赤組と白組のメンバーを見渡しながら微笑んだ。
「さて、今日は皆さんが待ちに待った、楽しい試合の日です。
もう伝わっているとは思いますが、もう一度おさらいしておきましょう。
この試合では、まず最初に、両チームが、それぞれ1つずつ、相手に好きな条件を申し付けることができます。試合はそれから始めます。
ではまず、赤組キャプテンの猛くんからどうぞ」
「はい。ありがとうございます」猛は一歩前に出ると不遜な笑みを浮かべた。「それでは…龍くんを僕らのチームにいただきます」
「ええっ!」驚いて大声を出したのは奏子だった。「じゃあ、じゃあ、かなこもいきます…」
「奏子ちゃん、落ち着いて」龍が奏子の頭を撫でる。「…猛くん、それって、ちょっとずるくないかな」
「条件に制約はありませんよね、“命”さま」
「ええ、ありません。猛くんの要望どおりになさい、龍」
「…わかりました」
渋々と猛の側に行く龍。その後を奏子もついていく。
「さゆちゃん、どうするの? かなこちゃんまで、いっちゃったよ…」
真里菜が困った顔で紗由の腕にしがみつくと、きゅっと唇を噛み締める紗由。翔太や翼も、横で考え込んでいる。
「では、次は白組の番です」
華織が言うと白組メンバーは互いに顔を見合わせた。キャプテンの龍が抜けたため、皆を指揮する人間が誰になるか、すぐにはその場で決めかねたのだ。
「ほんなら、俺が提案してくるわ」翔太が手を挙げた。
「どうぞ、翔太くん」
「はい。じゃあ、試合を、運動会でやるような普通の“たまいれ”にします」
「え!?」今度は猛が驚く。
「条件に制約はあらへんですよね、“命”さま」ニコニコしながら言う翔太。
「ええ、ありません。翔太くんの要望どおりにしてください、猛くん」
「それじゃあ、勝負の意味が…」
「勝負の内容がなんだろうが、勝てば君の望みは叶うんだ。いいじゃないか」龍が言う。
「それはそうだけど…」
相手の裏をかいたつもりが、わけのわからぬ展開になり、猛は戸惑いを隠せなかった。
「これは予想を上回る展開だ」大隅も思わず苦笑する。
「これでは、それぞれの力を確認できない」
梨本が不機嫌そうに呟くと、大隅は笑みを浮かべた。
「やっぱりあなたは、“命”の力というものを誤解しているようだ」
「あねご。マドモアゼルがむこうにいってくれて、たすかったでござるな」充がひそひそ声で真里菜にささやいた。
「そうだね…しょうじき、らっきーってかんじかも」
頷く真里菜の横では、紗由が龍に向かって、お腹の横で小さくVサインをしていた。
龍がそれに気づいてクスリと笑う。
普通の玉入れの設備が用意されていなかったので、急遽、業者からその道具を借り入れることになり、それが到着するまで約20分ほど待つことになった。
白組のメンバーは、皆で仲良く柔軟体操をしているが、赤組メンバーは、まだ戸惑っている様子だ。
「皆、安心して。玉入れぐらい、どうってことないよ。いつも運動会でやってるんだから」
猛がメンバーに声を掛け、さらに龍に向かって言った。
「うちのメンバーは何をやらせても優秀だ。頭脳明晰、スポーツ万能。それより、わざと玉を入れないとか、そういうことしないでね」
「ねえ。同じ力を持っていたとしても、“命”になる人間とならない人間がいる。君は、どう違うかわかる?」
猛の言葉などまるで聞いていなかったかのように、龍が言う。
「な、何だよ。別に興味ないな」
「卑怯な人間は、“命”にはなれないんだ」
「…へえ。そう」自分が卑怯だと言われているような気がした猛は、少し声が震えた。
「新しいおじいさまは、“命”にはなれそうにないね」
「あの人には、元々そういう力はないよ」
「わざと玉を入れないなんて、せこいこと、しないから安心してよ」龍は微笑んだ。
* * *
玉入れの道具が到着すると、ほどなく競技は始まった。
制限時間は100秒。それぞれ、100個の玉を入れあう。
一見、人数が多い赤組のほうが有利に思えたが、徐々に赤組の玉があまり入らなくなってきた。玉を投げるペースは赤組のほうが速いのだが、奏子が投げた玉が味方の玉にぶつかり、ネットに入る前に両方とも弾かれて落ちてしまうのだ。
夢中で投げている参加者たちにはよくわからなかったが、少し遠目で見ている華織からは、その様子がよく見て取れた。
“紗由が落ち着いていたのは、こういうことだったのね…”
しかも奏子はスロースターターのため、徐々に玉を投げるペースが上がってくる。さらに弾かれた玉がさらに別の玉を弾くなど、赤組の玉は、どんどん入るのを阻まれていく。
一方、白組はと言えば、翼が最初の15秒ほどゲームに参加せず、紗由、真里菜、充の投げ方を注意深く見つめていた。しばらくすると、一人ひとりのところへ行って、立ち位置と投げ方を指示する翼。それぞれの癖が一番有効活用される場所から投げるように指導していく。
「ゆっくり投げていいよ。むやみやたらと投げてると、終わりのほうで疲れて玉が届かなくなるからね」
翼のアドバイスに従って投げていた白組は、どんどん玉の入る率を上げていった。翼の驚異的な記憶力と分析力が功を奏している形だ。
大地は大地で、主戦力の翔太に疲れが出ないよう、時折翔太の腕と背中に手を当てていた。そのせいか、翔太も後半さらに的中率が高くなってくる。
そして紗由、真里菜、充の3人はと言えば、紗由が元々、普通の玉入れで戦う気まんまんだったため、それなりに練習を積んでおり、小学生の身長にあわせた玉入れゴールであるにもかかわらず、かなり玉を入れることに成功していた。
「そこまで」華織がゲーム終了を告げる。「玉を数えるまでもなさそうね」
ゴールに入っていた玉は、明らかに白組のほうが多かった。
「やったー!」紗由が万歳をすると、白組メンバーは次々に万歳をした。
「てをつなぐでござる!」充が言うと、あっという間に6人が手をつなぐ。
「そっちの子もだよ!」
紗由は赤組のほうに駆け出し、呆然としている猛の手を取った。続いて、猛のもう片方の手を赤組にいた奏子が取り、奏子の手を龍が取ると、赤組の他の子たちも、こわごわと手をつなぎ始めた。
「まるくなる~!」
大地が叫んで赤組のほうへと走ると、あっという間に一同が一つの輪になり、ぐるぐると回り始め、子供たちはさっきまで戦っていたことなどなかったかのように、笑いながら回り続けた。
* * *




